上 下
10 / 66
01 小さな世界

09 レイナ(01)

しおりを挟む
 レイナには、決して忘れることのできない記憶があった。

 それは、レイナがまだプールの中にいた頃の記憶。

 人としての形を持って、レイナとしての自我も芽生えたその頃にはレイナにはある声が聞こえるようになっていた。

 それは常に聞こえているというわけではなく、ときどき強い想いと共にレイナに届いているようだった。

 ――早く会いたいなぁ。

 アイラの声だった。

 アイラは、レイナに出会う前から、レイナと過ごすことを知らされたその瞬間からレイナと会うことを楽しみにしていた。

 アイラの強い想いが自然と、アイラの心を感じ取ることのできるレイナのもとに届いていた。

 それはとても幸せな瞬間で、アイラの声が届く度に、アイラの心を感じる度に、レイナはまだ出会っていないアイラのことが大好きになった。

 レイナ自身も、早くアイラに会いたいと願うようになっていた。

 けれど、その日は突然訪れた。
 幸福な、平穏なまどろみの日々は突然壊されてしまった。

「お前がレイナ?」

 その声は、いつものアイラから届いてくるような声とは違って、もっと近くで直接耳に入ってくる声だった。

「何でお前なの……?」

 答えることのないレイナに、ひとり言葉をかけるその人はどこか苦しんでいるような気がした。

「僕は……存在することさえ否定されたのに……お前が望まれているなんて許せない……」

 その言葉の意味を、レイナは理解することができなかった。
 だってその人は、「存在することを否定された」といいながら、今ここに、レイナの前に確かに存在している。

 けれど、レイナの思考はそこで止まった。
 それ以上、考えることができなくなった。

 ――死んでしまえ。

 それは、はっきりとした明確な憎悪。

 本気で、心の底から、レイナに消えてほしいと願う強い力。

 ――消えろ、消えろ、消えろ、消えろ。

 身を守るすべなど、何も持たないレイナはただ苦しむことしかできなかった。
 されるがまま、なされるがままに、呪詛のような言葉を聞きながら、死への道を進もうとしていた。

 ただ、たった1度でもいいからひとめだけでも、アイラに会いたかったと思った。

 出会う前から、レイナという存在を望み、レイナに幸せを与えてくれたアイラに「ありがとう」と「大好き」を伝えたかった。

 ああ、もう、あと少し……。

 あとほんの数秒で、命の灯が尽きると覚悟したその瞬間だった。

 ――だめっ!!

 悲鳴のような声が聞こえた。
 アイラの、悲しみと、苦しみと、いっぱいいっぱいの声だった。

 同時に、パリンッ! と何かが割れる音がした。
 レイナのプールのガラス壁が割れた音だと理解できたのはしばらく経ってからだった。

 レイナを苦しめていた強い力は消えた。
 けれど、初めて触れたプールの外の空気に違和感を拭えなかった。

 呼吸の仕方も、まだわからない。
 身体もひどく衰弱していた。

 ただ、「ごめんなさい、ごめんなさい」と呟く声がすぐ傍で聞こえていた。
 「きらいにならないで」と、すがるような声はここにはいない、アイラに向けられたものだとレイナは理解した。

 この人にも聞こえたんだと……。

 レイナを死へと追いやる力は消えたけれど、1度失いかけた生命の力は早々すぐには取り戻せない。

 ――いなくならないで。

 もうろうとする意識の中で、アイラの声が聞こえた気がした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

後悔と快感の中で

なつき
エッセイ・ノンフィクション
後悔してる私 快感に溺れてしまってる私 なつきの体験談かも知れないです もしもあの人達がこれを読んだらどうしよう もっと後悔して もっと溺れてしまうかも ※感想を聞かせてもらえたらうれしいです

パラダイス・ロスト

真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。 ※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし

佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。 貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや…… 脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。 齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された—— ※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

【完結】船宿さくらの来客簿

ヲダツバサ
歴史・時代
「百万人都市江戸の中から、たった一人を探し続けてる」 深川の河岸の端にある小さな船宿、さくら。 そこで料理をふるうのは、自由に生きる事を望む少女・おタキ。 はまぐり飯に、菜の花の味噌汁。 葱タレ丼に、味噌田楽。 タケノコご飯や焼き豆腐など、彼女の作る美味しい食事が今日も客達を賑わせている。 しかし、おタキはただの料理好きではない。 彼女は店の知名度を上げ、注目される事で、探し続けている。 明暦の大火で自分を救ってくれた、命の恩人を……。 ●江戸時代が舞台です。 ●冒頭に火事の描写があります。グロ表現はありません。

獣人の里の仕置き小屋

真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。 獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。 今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。 仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

保健室の秘密...

とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。 吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。 吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。 僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。 そんな吉田さんには、ある噂があった。 「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」 それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。

椿散る時

和之
歴史・時代
長州の女と新撰組隊士の恋に沖田の剣が決着をつける。

処理中です...