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2.伊織と『ボク』

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 家では『伊吹』、学校では『僕』、2つの言い方をしていた兄貴。

 だけど、それはだんだん変わっていって、家でも『僕』って言うようになった。

「ボ、ク」

 兄貴の真似をして言ってみる。

「ボク……」

 くすぐったい。

 ほんの少し、兄貴に近づいた気がして、兄貴みたいになれた気がして、ほんの少しだけど大人になった気がした。

「ボクにもちょうだいっ!」

 甘い、甘い、大好きなキャンディ。

 兄貴が持っていたから、ちょうだいって手を伸ばす。

 今までだったら『伊織にもちょうだい』って言った。

 でも、『ボク』はもう『ボク』だ。

 大人みたいで、兄貴みたいで、カッコイイ。

 兄貴は笑って、『しかたないな』って、ボクにも分けてくれる。

 甘いキャンディは幸せ。

「『ボク』だって。変なの」

 初めにそれを言ったのは、誰?

 ボクは兄貴と同じようにしただけなのに。

 幼稚園ではみんながボクを変な目で見た。

「女の子のクセに」

 誰かが言った。

 誰が言ったのかはわからない。

 ボクは兄貴と同じにしてるだけ。

 なのに、どうして?

「女の子が『ボク』って言っちゃダメなんだよ」

 その子がどんな気持ちで、そう言ったのかわからない。

 男の子が『ボク』って言うのはよくて、女の子が『ボク』って言うのはダメ?

 どうして? って聞いても答えは返ってこない。

 『女の子だから』って、ただそれだけ。

 だけど、『ダメ』って言われたら自分が凄く凄く悪いことをしているみたいな気持ちになって、怖くなった。

 世界のすべてが、ボクのことを怒っているみたいに思えた。

 でも、ボクはボクでいたかった。

 ボクはなにも悪いことしてないから。

 わからないときは、わからないって言いなさいって、パパが言ってた。

 イヤなときは、イヤだって言いなさいって、パパは言ってた。

 我慢して、言うことを聞く必要はないって。

 だけど、正しいと思うこと、必要だと思うことは、苦しくても我慢してやりとげることも必要だって。

 正しいと思うことを貫き通しなさいって。

 ボクは、女の子がボクって言っちゃダメなんて、正しいと思えない。

 だからボクは、ボクのままでいる。

 そう、決めた。

 だけど……。

 幼稚園のみんなはボクを悪者にする。

 ボクはなにも悪いことしてないのに。

 公園でひとり、ぐしぐしと顔を拭う。

 泣いてるところなんて、誰にも見られたくないから。

 だけど、そんなボクの目の前に影が差し込んで、すっぽりとボクの影を呑み込んだ。

「どうしましたか?」

 変わった話し方をするお兄さんだった。

 ボクに大人みたいな話し方をして、だけどボクにわかる話をしてくれる。

 そんなお兄さんに、ボクは気を許して幼稚園のことを話した。

「ボクがボクって言うから、ボクは悪者なんだ」

 お兄さんは言った。

「伊織でもボクでも、伊織は伊織でしょう? 私だって私だもの」
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