【完結】陛下に愛を誓うまで

桐生千種

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第1章 私が生きる国、日本

1.私、女子高校生

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 遠くで、音がしている。

 リンリンと、リンリンと。

 なんの音か、わからない。

 リンリンと、リンリンと。

 近い。

 近く、すぐ近くで音がしている。

 リンリン、リンリン、リンリン。

 一体、なんの音?

 この音の発信源……。

 ああ、そうか。

 これは……。

 意識が、浮上する。

 携帯電話のアラーム音だ……。

 意識が完全に、夢から現実へと戻ってきて枕元の携帯電話へと手を伸ばす。

 ボタンを押すと当然、音が止んだ。

 今日も、朝が来た。

 平日の、なんの変哲もない、毎日繰り返されている、同じ朝。

 なにか特別な行事があるわけでもなく、楽しみに思えるほどの約束を誰かとしているわけでもなく。

 それでも、私は起きなきゃいけない。

 それが、この日本という国の学校に通う、少年少女の定め……。

 でもやっぱり、もう少しだけこのベッドの中で微睡んで痛い……。

 大丈夫、今すぐ起きなくても、時間になったら起こしに来てくれる……。

 毎日起こしに来てくれる、両親に甘えて今日もまた夢の世界にもう1歩……。

「こーんこん」

 ヒソヒソとした、お父さんの声。

 ドアのノックの音、口で言わずに叩けばいいのに……。

「こーんこん。朝だよー?」

 お父さんの声が聞こえる……。

 でも、あと少し、もう少しだけ……。

「朝だよー??」

「ふにゃあ!?」

*****

 もう、お父さんってば。

 今日も変わらず1日が始まる。

 食卓にはお母さん手作りの朝ごはん。

 お父さんがいて、お母さんがいて、どこにでもあるごく普通の家族構成。

 ありふれた日常の、朝の風景。

「怒らない、怒らない」

 茶目っ気たっぷりにそう言って、食後のコーヒーに口をつけるお父さん。

「そうよー? カワイイお顔が台無し。ほら笑って。にー」

 と、お母さん。

 私、もう高校生なんだけど……。

 でも、お母さんの笑顔はどうしてか私の心を緩くする。

「でもー……」

「んー?」

 緩んだ心で、でも今朝のお父さんの所業は許しちゃいけないと思うのです。

「15歳の年頃の娘が寝ているベッドに両手を弄り入れてくすぐるのは、いかがなものかと思うのですよ」

 親子と言えども、許せませんよ。

「それはヒドーイ! お父さん? セクハラはダメですよ」

 お母さんが味方についてくれて、ちょっとだけ気分がよくなった。

「はーい……。もうしませーん……」

 しゅんとするお父さん。

「でも……」

 ゆっくりと、お父さんの手がこっちに伸びてくる。

 そして……。

「1人で起きられないうちは、まだまだ子供だよー!」

「にゃあー!!」

 わしゃー!! と頭をかき撫でられて、おかげで髪がグッシャグシャ。

「じゃ、いってきます」

 最後に、私の頭を軽くぽんぽんと叩いて仕事に行ったお父さん。

 もうっ。

 でも本当は、こんな触れ合いが嫌いじゃない。

*****

「いってきまーす!」

 お父さんが仕事に行ったあと、しばらくしてから私も家を出た。

 向かう先は、もちろん学校。

 今日は快晴。

 吹き抜ける風も、清々しい。

 住宅街を抜けると、一気に賑わう街に出る。

 行き交う人々。

 車の往来。

 みんな、それぞれ仕事や学校に向かっている。

 走って行く、スーツ姿の男性は会社に遅刻しそうなのかもしれない。

 ものすごい勢いで自転車をこぐ少年は、部活の朝練に遅刻しそうなのかもしれない。

 際立って急いでいるようには見えない人たちも、みんな忙しなく早足で、ここで今私が歩く速度を落とそうものなら邪魔だと言われんばかりに、押され蹴られするだろう。

 もしも転ぼうものならば、迷惑そうな顔をして私を避けて行くだろう。

 勤勉と言われる日本人。

 頭の中ではなにを考えているだろう。

 遅刻しないように、時間通りに着くように。

 会社に着いたら、学校に着いたらまずはなにをしよう。

 今日の仕事は、今日の授業は。

 会議は、テストは。

 そんなことを考えて、毎日が過ぎていく。

 少なくとも、今この道を歩いている人の中には今日のごはんの心配をしている人はいないだろう。

 コンビニやレストランはそこら中にある。

 お店に入ってお金を払えば、食べたいと思ったときに食べられる。

 飢えに苦しむことはない。

 今日、自分は死ぬかもしれないと考えている人はまずいないだろう。

 突然紛争が起こったりはしないし、デモ行進やテロ、戦争なんてどこか遠い夢物語。

 世界にたしかに存在している、飢えの苦しみや死と隣り合わせの恐怖、それらとはほとんど無縁の平和な国、日本。

 けれど、ストレス社会の日本。

 それが私の生きる国。

 街を抜け、学校が近くなると忙しなさは薄れる。

 忙しない社会人はいなくなり、学生が増える。

 聞く気がなくても、彼らの話は耳に入ってくる。

 昨日のテレビがどうだとか、今日の授業がどうだとか。

 毎日毎日、同じようなテーマで繰り返される会話。

 話さなくても、誰も困らないけど。

 話すことに意味があって、実のない話をしているダラダラとした時間も、そんなに悪いものじゃないと思う。

 にー。

 どこからか聞こえてきた声。

 これは、鳴き声。

 にー。

 にー。

 見つけた。

 空き地にそびえ立つ大きな木。

 枝の先に、猫がいる。

 小さく、丸くなって、震えてる。

 思ったよりも地上が遠くて、怖くて、動けない。

 道行く人は、誰も気がつかない。

 小さな小さな、猫の声に、耳を傾ける人はいない。

 にー。

 にー。

 助けに行こう。

 助けなんて、求めていないかもしれないけど。

 あの子が助けを求めているかもしれないと、考えてしまうのは人間の、私のエゴでしかないけれど。

 もしもあの子があそこから落ちてケガしたり、その命を落としたり、そんなことになったら寝覚めが悪い。

 私はきっと後悔する。

 通学路を歩く学生たちから離れて、私は空き地に入る。

 大きな木。

 近づくと、思ったよりも高い。

 毎日通る通学路だけど、初めて空き地に入った。

 この木に近づいたのも初めて。

 思っていたよりも、ずっと高い。

 ずっと、大きい。

「よっ、と」

 カバンを木の根本に置いて、木登り開始。

 木登りなんて、小学生のときでもやらなかったけど。

 うん。

 案外、登れちゃうものだね。

「よい、しょっと」

 よし。

 猫のいる枝まで来た。

 ここから少しずつ、先の方に……。

 猫を驚かさないように。

「にゃあ、にゃあ」

 なんてね。

「おいで」

 ゆっくりと、猫に向かって片手を伸ばす。

「大丈夫。一緒に、下まで降りよう」

 にー。

 にー。

「怖がらないで。イジメたり、しないから」

 にー。

 私を見つめる猫の、目。

 見つめ合う。

 そして……。

 にー。

 1歩、猫が足を踏み出した。

 私の方に、1歩。

 ピタリと、猫が立ち止まる。

 見つめ合う。

 また1歩、踏み出される猫の足。

 そう。

 1歩ずつ。

 私の方に。

 あと、1歩。

 あと1歩で、手が届く。

 触れられる。

 その、瞬間。

 ガクン! と世界が動いた。

「ウソっ!?」

 こんな、漫画みたいなこと。

 枝が折れるなんて。

 みるみる身体が落ちていく。

 近づいてくる、地上。

 落ちたらきっと、痛いだろうなぁ……。

 死んじゃう、かも……。

 お父さん、お母さん、ごめんなさい……。

 身体が落ちていく宙の中で、それでも小さな猫だけは抱きしめた。

 せめてこの子は、助かってほしい。

 強く、目を瞑って……。

 けれど、覚悟した衝撃が、痛みが、襲ってくることはなかった。

 代わりに感じる、人のぬくもり。

 ゆっくりと、目を開く。

 そこにあったのは……。

 青空を背に、私の顏を覗き込む、天使の、顔……?

「大丈夫? ケガはない?」

 天使が、喋った。

 ……って。

「うわぁ!? あっ!!」

 猫は逃げた。

 元気そうでなにより。

 私はというと、見ず知らずの男の人に俗にいうお姫様抱っこをされていたという状況で。

 考えるに、上から降ってきた私をキャッチしてくれたという……。

「し、失礼しました!!」

 ちゃんと地面に足をつけた私は、男の人に深々と頭を下げる。

 なんて恥ずかしい……。

 しかも、いつの間にこんなにギャラリーが……。

 猫の声には微塵も気がつかなかった人たちが、今はわんさか空き地の中に入って来ている。

「ケガはなさそうだね。よかった」

 男の人が言う。

「でも、女の子がこんな無茶して危ないよ。今度から、危ないことは僕に言って。僕が代わるから」

「は、はぁ……?」

*****

「しっかしあんたも、普段大人しいくせにたまーにすごいことするよねー。普通、脚立持って来ようとか考えない?」

「あー、なるほど」

「おいおい」

 学校に着くと、すでに私の話で持ち切りだった。

 みんな、情報早い……。

「でもでも、すごいよねー、あの人! 木から落ちてくる女の子を、お姫様抱っこで受け止めるなんて! 顔もカッコよかった!」

「そ、そうだね……」

 たしかに、日本人離れしていて綺麗な顔だと思った。

 中世的な顔立ちに、緑色の目。

 少し長い髪は茶色で。

 でも染めた感じじゃなくて、艶々してて綺麗だった。

 私死ぬかも、なんて思っていたから天使かと思ったし。

「でも、言ってることちょっとおかしかったよ?」

『危ないことは僕に言って。僕が代わるから』

 なんて、言われてもね。

 そもそも、ドコのダレですか? ってツッコミをしないわけにはいかないわけでして。

 年中無休で四六時中、私の傍にくっついているわけでもあるまいに、と思ってしまうわけですよ。

「えー! いいじゃん! 紳士じゃん! キミを危ない目には遭わせない!! きゃあ!!」

 1人で盛り上がって、悶絶し始める友達A。

 放っておこう。

「でもさ、あんなのがこの近所に住んでたならウワサの1つでもありそうな気がするんだよね。歳も私らと変わらなさそうだったし」

「え? 5、6コ上かと思ったけど」

 友達B。

 一体、あの人がどう映っていたのか……。

「日本人から見ると、大抵の外国人は大人っぽく見えるじゃん?」

「へ、へぇー」

 じゃあ、アナタハナニジン? って聞いたら負け?

「まあ、そこから察するに日本語勉強中の留学生とみた!」

「それいい!!」

「うおう」

 妄想界からお帰りなさい、友達A。

「それで、このクラスに入ってくるの! 実は運命的な出会いを果たしていた2人は、あっという間に恋に落ちてラブラブトキメキハッピーエンド! きゅんきゅんしちゃう!」

 なにを言ってるか、さっぱりわからん……。

「だから、頑張って!」

 なにを!?

 今の運命的な出会いの2人の片方は私のことか!?

「いーよ、私は。恋とか、そういうのよくわかんないし」

「えー! つまんなーい!」

「いや、男が猛烈にアタックってのもアリだと思う」

「それもいい!!」

 待ていっ!!

「やだよ、そんなの。興味ないって言ってるのに。それに、私はまだ、2人と話したりしてる方が楽しいし」

「えー、子供ー」

 なんとでも言うがいい!!

「でも、嬉しいこと言ってくれるじゃん」

 うふふー。

「ま、そんな漫画みたいな展開、そうそう起きるもんじゃないしね」

 うんうん。

「でも、漫画みたいに木から落ちたじゃん」

「言うなっ!!」

 たしかに、落ちましたけど!

 漫画みたいな展開でしたけど!

 これ以上は続きますまい。

 漫画みたいに、実は留学生で、とか。

 このクラスにきて、とか。

 漫画みたいな色恋沙汰が、とか。

 あるわけない。

 あるわけ……。

 ない……。

 ……よね?
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