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0、Prologue
Prologue
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学校に勤める教師の大半は、事なかれ主義である。授業に生徒指導、進路指導、部活動の指導、教材研究、気付けば時間がどんどん過ぎていくブラックな職場。ただでさえ多忙なのに、これ以上余計な問題は抱えたくない。それ故に事は荒立てず、大事にはしない。事態を静かに鎮めるスキルが教師には求められる。それは、教師が教師に求める資質。
教職に就いている兄がそのようなことをボヤいていた。
だからこそ、この計画は成功する。私、椚田司(くぬぎだつかさ)はそう確信していた。
放課後、誰もいなくなった教室で、私はクラスメイトである松山智成(まつやまともなり)の机から一冊のノートを取り出した。Campusと書かれたどこにでも売られている大学ノート。B5サイズ。A罫。赤い表紙。
人が死なない限り、学校で起こる事件の大半は学校内で処理される。これから起こる出来事は殺人ではない。単にクラスの一人の男子が、スクールカーストの最下層に落ちる、ただそれだけの出来事。楽な犯行だ。指紋が採取されることもないし、生徒一人一人が事情聴取されることもないだろう。
自身のカバンの中からポリラップとコールドスプレーを取り出す。続いて松山の机から取り出したノートの後方のページを開き、何も書かれていないその一面をポリラップで覆う。その上からコールドスプレーを勢いよく噴射する。
何度か実験を重ねたが、うまく行くかは賭けだった。PILOT社が発売しているフリクションシリーズのボールペン。そのインクは60℃を超えると透明になり、マイナス10~20℃の環境下に置かれると色が復元される。しばらくコールドスプレーを吹きかけていると、何も書かれていなかったはずの紙面に、文字の羅列が浮かび上がってくる。どうやら文字の復元に成功したようだ。
自身の顔に笑みが浮かんでいるのが分かる。
邪知暴虐な松山智成、私の栄えある青春の1ページから、お前だけは除かなければならない。お前さえいなくなれば、私は……。
ポリラップを剥し、ページの角を折る。ノートを開いた際、そのページが開かれ易くなるための細工である。後はこのノートを、ある女子の机に入れるだけ。クラスで相対的に可愛い金谷美奈(かなやみな)の机に。
コツ、コツ、コツ
不意に誰かが廊下を進んでくる音が聞こえる。
心臓がビクンと跳ね上がる。頭の中が急速に回転を始める。
誰かが近づいてくる。足音は一人分、誰だ?まさか訪れる場所を聖域へと変えてしまう変態か?それとも学校中を徘徊し人の弱みを捜し歩くという変態か?はたまた放課後突如現れ女子の椅子に蜂蜜を塗りたくって去って行くという噂の変態か?ともすればモテない輩に悪戯に慈愛を振りまき、回りまわって破滅に至らせるという変態か?誰にせよ、今見つかる訳にはいかない。隠れるべきか?しかし、どこに?教室に隠れられる場所など存在しない。そればかりか中途半端に隠れると見つかった時に却って怪しまれてしまう。ここは自然に振舞うべきか?
足音は近づいてくる。
鼓動が早くなる。
最悪のケースは、「椚田司が教室に残り、何かをしていた」という証言を残すこと。これだけは避ける必要がある。私は現在、トイレに行くという理由で美術部の打ち上げ会を抜け出している立場である。
それ故、長時間私がここで何かをしていたという事実は私の作らんとしているアリバイを成立不能にしてしまう。
隠すべきは我が身、ノート、コールドスプレー、ポリラップ、カバン、しかしそれらを隠す時間はもはやない。と、なれば。
コールドスプレーを片手に持つ。
扉の裏に隠れ、来訪者を待つ。
来訪者が教室に入ったその瞬間、私は目をかっ開いてコールドスプレーを来訪者のその顔目掛け噴射する。ぷしゅ~っ!
「おぎゃぁっ!」と来訪者がもだえ苦しむその隙に教室を飛び出す!
やったね!完全犯罪!
そんな愚行は、流石にしない。いくら事なかれ主義とはいえ、校内に不審者が現れて実害まで及ぼしたとなれば、何も対処しないはずがない。
私はノートをクラスで相対的に可愛い金谷美奈の机にぶち込むと、おもむろにコールドスプレーを自身に噴射する。
ぁああああああああ、、冷てぇぇぇ~~!!
足音の主がこちらに視線を向ける。
物理の田中、お前か。
幸いにも物理の田中は私のクラスの担任ではない。
「やぁ椚田君」と一応の挨拶の言葉をかけるも放課後の教室で一人、コールドスプレーを全身に浴びる椚田を前に反応に困ったのか、窓はちゃんと閉めといてね、と口にしたきり自身が担当する教室へと消えていった。
危なかった、正直、作戦は完璧とは言えないが、「椚田が教室に残り、何かをしていた」という証言を「椚田が放課後教室でスプレーを自身に噴射していた」という証言に変えることができた。この差は大きい。「何か」となれば「何を?」と疑われる余地を作るが、「スプレーを自身に噴射していた」となればその点疑問を挟む余地がない。「何故?教室で?」という疑問は生じ得るが、教室にいた理由としては「忘れ物を取りに」で、スプレーをしていた理由も、消臭、制汗、冷却と男子高校生がとる行動としては不思議ではない。厳密にはコールドスプレーと制汗スプレーは用途が違う。コールドスプレーを全身に振りかける行為は危険を伴うが、ぱっと見でコールドスプレーと制汗スプレーを見分けることは困難であろう。
軽率に物理の田中の顔面にスプレーを噴射しなくて良かったと自身の理性を褒める。
さて、目的は達した。
私はカバンを手に取り教室を出る。
さぁ、少し冷や冷やしたが、明日は最高のショーが見られるぞ。
こみ上げる笑みを抑えきれないまま私は廊下を歩く。
教職に就いている兄がそのようなことをボヤいていた。
だからこそ、この計画は成功する。私、椚田司(くぬぎだつかさ)はそう確信していた。
放課後、誰もいなくなった教室で、私はクラスメイトである松山智成(まつやまともなり)の机から一冊のノートを取り出した。Campusと書かれたどこにでも売られている大学ノート。B5サイズ。A罫。赤い表紙。
人が死なない限り、学校で起こる事件の大半は学校内で処理される。これから起こる出来事は殺人ではない。単にクラスの一人の男子が、スクールカーストの最下層に落ちる、ただそれだけの出来事。楽な犯行だ。指紋が採取されることもないし、生徒一人一人が事情聴取されることもないだろう。
自身のカバンの中からポリラップとコールドスプレーを取り出す。続いて松山の机から取り出したノートの後方のページを開き、何も書かれていないその一面をポリラップで覆う。その上からコールドスプレーを勢いよく噴射する。
何度か実験を重ねたが、うまく行くかは賭けだった。PILOT社が発売しているフリクションシリーズのボールペン。そのインクは60℃を超えると透明になり、マイナス10~20℃の環境下に置かれると色が復元される。しばらくコールドスプレーを吹きかけていると、何も書かれていなかったはずの紙面に、文字の羅列が浮かび上がってくる。どうやら文字の復元に成功したようだ。
自身の顔に笑みが浮かんでいるのが分かる。
邪知暴虐な松山智成、私の栄えある青春の1ページから、お前だけは除かなければならない。お前さえいなくなれば、私は……。
ポリラップを剥し、ページの角を折る。ノートを開いた際、そのページが開かれ易くなるための細工である。後はこのノートを、ある女子の机に入れるだけ。クラスで相対的に可愛い金谷美奈(かなやみな)の机に。
コツ、コツ、コツ
不意に誰かが廊下を進んでくる音が聞こえる。
心臓がビクンと跳ね上がる。頭の中が急速に回転を始める。
誰かが近づいてくる。足音は一人分、誰だ?まさか訪れる場所を聖域へと変えてしまう変態か?それとも学校中を徘徊し人の弱みを捜し歩くという変態か?はたまた放課後突如現れ女子の椅子に蜂蜜を塗りたくって去って行くという噂の変態か?ともすればモテない輩に悪戯に慈愛を振りまき、回りまわって破滅に至らせるという変態か?誰にせよ、今見つかる訳にはいかない。隠れるべきか?しかし、どこに?教室に隠れられる場所など存在しない。そればかりか中途半端に隠れると見つかった時に却って怪しまれてしまう。ここは自然に振舞うべきか?
足音は近づいてくる。
鼓動が早くなる。
最悪のケースは、「椚田司が教室に残り、何かをしていた」という証言を残すこと。これだけは避ける必要がある。私は現在、トイレに行くという理由で美術部の打ち上げ会を抜け出している立場である。
それ故、長時間私がここで何かをしていたという事実は私の作らんとしているアリバイを成立不能にしてしまう。
隠すべきは我が身、ノート、コールドスプレー、ポリラップ、カバン、しかしそれらを隠す時間はもはやない。と、なれば。
コールドスプレーを片手に持つ。
扉の裏に隠れ、来訪者を待つ。
来訪者が教室に入ったその瞬間、私は目をかっ開いてコールドスプレーを来訪者のその顔目掛け噴射する。ぷしゅ~っ!
「おぎゃぁっ!」と来訪者がもだえ苦しむその隙に教室を飛び出す!
やったね!完全犯罪!
そんな愚行は、流石にしない。いくら事なかれ主義とはいえ、校内に不審者が現れて実害まで及ぼしたとなれば、何も対処しないはずがない。
私はノートをクラスで相対的に可愛い金谷美奈の机にぶち込むと、おもむろにコールドスプレーを自身に噴射する。
ぁああああああああ、、冷てぇぇぇ~~!!
足音の主がこちらに視線を向ける。
物理の田中、お前か。
幸いにも物理の田中は私のクラスの担任ではない。
「やぁ椚田君」と一応の挨拶の言葉をかけるも放課後の教室で一人、コールドスプレーを全身に浴びる椚田を前に反応に困ったのか、窓はちゃんと閉めといてね、と口にしたきり自身が担当する教室へと消えていった。
危なかった、正直、作戦は完璧とは言えないが、「椚田が教室に残り、何かをしていた」という証言を「椚田が放課後教室でスプレーを自身に噴射していた」という証言に変えることができた。この差は大きい。「何か」となれば「何を?」と疑われる余地を作るが、「スプレーを自身に噴射していた」となればその点疑問を挟む余地がない。「何故?教室で?」という疑問は生じ得るが、教室にいた理由としては「忘れ物を取りに」で、スプレーをしていた理由も、消臭、制汗、冷却と男子高校生がとる行動としては不思議ではない。厳密にはコールドスプレーと制汗スプレーは用途が違う。コールドスプレーを全身に振りかける行為は危険を伴うが、ぱっと見でコールドスプレーと制汗スプレーを見分けることは困難であろう。
軽率に物理の田中の顔面にスプレーを噴射しなくて良かったと自身の理性を褒める。
さて、目的は達した。
私はカバンを手に取り教室を出る。
さぁ、少し冷や冷やしたが、明日は最高のショーが見られるぞ。
こみ上げる笑みを抑えきれないまま私は廊下を歩く。
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