破戒聖者と破格愚者

桜木

文字の大きさ
上 下
86 / 97

86.加護

しおりを挟む
「その、翼のある方のお顔は?! それか、何か特徴のようなものはございませんでしたの?!」
「え…? 夢、じゃなかったの…?」

 必死な様子のリリスに、リュラが自分の髪を口元に引き寄せるように握り締めた。いつもの、不安を感じたときの癖だ。

「…えっと……夢にも意味があるかもしれないから、詳しく聞きたいんだよ」

 リュラを不安にさせたくない。
 だけどこれは、嘘になってしまうだろうか。
 母さんは何も言わなかったけど、心配そうに僕を見ている。

「うん…でも見えたのは一瞬だし、顔とかまではよく分からないよ……」

 僕たちの狼狽を感じ取ったのか、リュラはさらに不安な表情になってしまう。なるべくそれを打ち消そうと、努めて明るく振舞ってみた。

「そうだよね、僕だってそんな黒い大きい翼なんて夢で見たら、それしか覚えてないかも」

 実際、誰でもそうだとは思う。目立ち過ぎる特徴があると、他は曖昧になりがちだ。

「うん、そうなの。…あ、それにその翼の下くらいまで長い髪だったよ。真っ直ぐな黒い髪。でも夢の中で目を開けられたと思ったら、体の目も開いちゃったみたいで目が覚めちゃったの」

 僕の言ったことに共感して、リュラの表情が少し和らいだ。
 同時に、建物の中で人の気配が動くのを感じる。

「母さん、院長先生が部屋を出たみたいだけど」

 消灯してすぐの今は、巡回するにはまだ早い。

「ここにいらっしゃるのだと思うわ。消灯前までも、業務以外はずっとリュラを看ていらしたから」

 そう言われて気配を追っていると、確かにこっちに向かっているようだった。

「私も様子を見に来たと言っておくから、あなたたちだけ隠れていて」

 僕は頷いて、リリスと壁際に移動する。気配隠蔽を使っているからすぐ側にいても大丈夫だけど、口の動きを見られたくなかった。
 そして母さんとリュラには聞こえないように遮音して、リリスに問いかける。

「…リュラが見たのって、ルシウスだと思う?」

 教会によく飾られている十大天使画では、第1位が空白になっている。僕はルシウスの姿を全く知らない。

「…ルシウス様も、外見や声が男性寄りですわ。髪もリュラさんがおっしゃったような感じですし…翼は黒くありませんでしたけども」

 だけどリリスやマリスも、無性別から性別があるように見えるくらい外見が変化している。変異でそうなるなら、色が変わることも十分あり得るように思う。
 当然リリスもそれを分かっているようで、その後は沈黙してしまった。

 そうしているうちに、院長が救護室に入って来た。
 明かりが灯っていたから人がいることには気付いていたようだけど、母さんから今さっきリュラが目覚めたと聞いて、驚きながらも喜んでリュラの頭を撫でる。

 僕がおじいちゃんたちに引き取られる直前に孤児院長に就任した修道女で、今は50歳くらいだろうか。
 6年ぶりに直接顔を見ると、確かに老いを感じる。
 毎日顔を合わせていたおじいちゃんたちでは、実感できなかった年月だ。

「…リュラが攫われたのは、僕のせい…かな」

 タタラが情報を持ち帰ると言ったとき、僕のことが天界で知られていないからだと思っていた。
 実際には地獄で、何らかの脅威だと思われたんじゃないだろうか。

「分かりませんわ、分かりませんけども…早くマリスとサザン様にもお話ししたほうがよろしいですわ!」

 聖者様も幻妖精たちも、地獄のことは分からないだろう。
 だけど僕よりはいろんなことを知っている。ここでじっとしているより、早く相談したほうがいいとは思う。

 でも、それが分かっていても、どうしても今はまだリュラの側を離れる気になれない。

 院長が大司教様にも報告してくると言って部屋を出た後、僕はまた遮音の範囲を母さんとリュラに広げてベッドの脇に戻った。

「治癒を使える方が確認にいらっしゃるから時間がかかると思うわ。私も看ているから、今日はもう戻ってはどう?」

 母さんは、僕が動揺してリュラにどこまで話すか迷っているのを察しているらしい。

「樹海は大丈夫だったの? もう危ない所に行かない?」

 リュラが伸ばして来た手を取って、それが温かいことに改めて命があると噛みしめる。

「うん、今日からはもうこっちに向かってるよ。そうだ、それにルルビィのことは大丈夫になったよ。みんなで旅を続けられるんだけど、聖者様が歓迎され過ぎていつ着けるか分からないくらいなんだ」

 笑って明るく話してみせる。不安にさせたことが魂を抜かれる隙を作ったのかもしれない。それでなくても、もうそんな心配をさせたくない。
 何でもなかったように、じゃあまた明日と軽く言ったほうがいい。だけどもう、離れること自体怖くなってもいる。

 僕は少し考えて、またベッドの側に膝をつき、リュラと目線を合わせた。

「リュラ。また悪い夢を見ないように、守護の魔法をかけてもいいかな」

 それを聞いて、リュラは枕の上で首を傾げる。

「お守りの魔法はかけてくれたんだよね?」

 それは浄化の魔法だ。悪意のことを漠然と嫌な感じとしか思っていなくて、僕も感覚ではお守り代わりにと思っていたから、そんな説明をした。

「うん、それよりも強いものを。…ただ強すぎて、悪意を持ってリュラに触れようとする人がいたら弾いちゃったりするんだけど」

 母さんはちょっと気になるようで、頬に手を当てて考える。

「リュラくらいの齢の女の子だと、手を出すようなケンカは滅多にしないけれど…全くないとは言えないわ。騒ぎにならないかしら」
「神具のような媒介もなしにそんなことになったら、不審に思われますわよ?! ライルさんの加護でしたら、サザン様の神具よりも強力になるのは間違いありませんもの!」

 聖者様のものより強力だとかいうことは考えていなかったけど、普通の人を相手に発動したら騒ぎになるのは分かっている。
 だけど、浄化では防げなかった。何もしないでリュラから離れるのが不安で仕方がなくて、もっと強い魔法で守ることしか思いつかない。

「じゃあ、リュラが夢を思い出しても怖くなくなるまで…それまでの間だけでもどうかな」

 本当に怖がっているのは自分なのに、リュラも怖がっているのを分かっていてこんな言い方をしてしまう。

「うん…やっぱり普通の夢じゃないみたいで怖いし…」

 僕の下手な誤魔化しだと、ただの夢だと思わせる説得力はなかった。リュラに嘘を吐きたくないという迷いもある。
 なるべく早く、怯えさせないような説明を考えてちゃんと話をしようと思う。

「あまり意識しなくていいよ。今まで通り、お守りだと思ってて」

 そして僕は、リュラに守護をかけた。

 守護の魔法をかけることを加護と呼ぶのは、さっきリリスに言われて気が付いた。使うときの名称と、使われる側で認識が違うものもあるらしい。
 旧文明時代の聖者らしき人も言っていたけど、幻妖精が天使を精霊化させたものだとしたら、同じ魔法じゃないだろうか。僕の認識に「精霊化」という魔法はないけど、もしかしたら名称が違うだけかもしれない。魔法とは違う、神だけが使える力なのかもしれないけど。

 そんなことを考えていたら、院長と誰か他の人がやって来る気配を感じた。

「院長先生が戻って来たから…明日は絶対来るからね」

 リュラの手を、もう一度両手で強く握って約束する。
 本当は、守護をかけた今でも離れたくないけど。

「動けない赤ちゃんだって、どんなに心配でも1人でずっと目を離さずにいるのは無理なのよ。リュラは今日のこともあるから、他の人たちもしばらく気をかけてくれるわ」

 母さんに言葉で背を押されて、やっとリュラの手を離す。
 だけどなかなか、踏ん切りがつかない。

 …もう、母さんとリリスが見ていてもいい。

「おやすみ、リュラ」

 そう言って立ち上がると、リュラの頬にキスをした。

「おっ…おやすみ……」

 いつもは平気でキスを返してくれるリュラが、顔を真っ赤にして頬に手を当てる。

「あら」

 微笑ましそうに見つめる母さんの視線がやっぱり恥ずかしくて、ようやく僕もその場から逃げるように転移した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

天日ノ艦隊 〜こちら大和型戦艦、異世界にて出陣ス!〜 

八風ゆず
ファンタジー
時は1950年。 第一次世界大戦にあった「もう一つの可能性」が実現した世界線。1950年4月7日、合同演習をする為航行中、大和型戦艦三隻が同時に左舷に転覆した。 大和型三隻は沈没した……、と思われた。 だが、目覚めた先には我々が居た世界とは違った。 大海原が広がり、見たことのない数多の国が支配者する世界だった。 祖国へ帰るため、大海原が広がる異世界を旅する大和型三隻と別世界の艦船達との異世界戦記。 ※異世界転移が何番煎じか分からないですが、書きたいのでかいています! 面白いと思ったらブックマーク、感想、評価お願いします!!※ ※戦艦など知らない人も楽しめるため、解説などを出し努力しております。是非是非「知識がなく、楽しんで読めるかな……」っと思ってる方も読んでみてください!※

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

貴族家三男の成り上がりライフ 生まれてすぐに人外認定された少年は異世界を満喫する

美原風香
ファンタジー
「残念ながらあなたはお亡くなりになりました」 御山聖夜はトラックに轢かれそうになった少女を助け、代わりに死んでしまう。しかし、聖夜の心の内の一言を聴いた女神から気に入られ、多くの能力を貰って異世界へ転生した。 ーけれども、彼は知らなかった。数多の神から愛された彼は生まれた時点で人外の能力を持っていたことを。表では貴族として、裏では神々の使徒として、異世界のヒエラルキーを駆け上っていく!これは生まれてすぐに人外認定された少年の最強に無双していく、そんなお話。 ✳︎不定期更新です。 21/12/17 1巻発売! 22/05/25 2巻発売! コミカライズ決定! 20/11/19 HOTランキング1位 ありがとうございます!

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

俺だけ永久リジェネな件 〜パーティーを追放されたポーション生成師の俺、ポーションがぶ飲みで得た無限回復スキルを何故かみんなに狙われてます!〜

早見羽流
ファンタジー
ポーション生成師のリックは、回復魔法使いのアリシアがパーティーに加入したことで、役たたずだと追放されてしまう。 食い物に困って余ったポーションを飲みまくっていたら、気づくとHPが自動で回復する「リジェネレーション」というユニークスキルを発現した! しかし、そんな便利なスキルが放っておかれるわけもなく、はぐれ者の魔女、孤高の天才幼女、マッドサイエンティスト、魔女狩り集団、最強の仮面騎士、深窓の令嬢、王族、謎の巨乳魔術師、エルフetc、ヤバい奴らに狙われることに……。挙句の果てには人助けのために、危険な組織と対決することになって……? 「俺はただ平和に暮らしたいだけなんだぁぁぁぁぁ!!!」 そんなリックの叫びも虚しく、王国中を巻き込んだ動乱に巻き込まれていく。 無双あり、ざまぁあり、ハーレムあり、戦闘あり、友情も恋愛もありのドタバタファンタジー!

処理中です...