破戒聖者と破格愚者

桜木

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81.救い

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 昨日の部屋に座っていたシャシルは、ずいぶん疲弊しているようだった。
 目の周りが落ち窪んでいるように見える。

 そんなシャシルは、聖者様にタタラのことを聞かれても首を横に振って、視線を手元に落としたまま答えた。

「何も言わないよ。タタラが知られたくないみたいだったから」

 そのとき僕は、初めてシャシルがタタラを「オバケ」じゃなく、名前で呼んだのを聞いた。

「タタラは地獄へ消えたそうだ。その上で『また会える』と言ったなら、君の魂はいずれ地獄へ攫われるかもしれないんだぞ?」

 タタラのその言葉は、シャシルが今生を終えたときに魂攫たまさらいに遭うことを予告しているとも受け取れる。いつ誰に起きてしまうかも分からなかった魂攫たまさらいが、生きているときから狙いを定められているかもしれない。
 これは天界にとって、事態の対策に繋がる事柄だろう――というのが、聖者様や幻妖精たちの考えだった。

「私はどうせ、地獄に堕ちるんでしょ」

 法の上では大きな罪にならなくても、天界の審判でどうなるかは分からない。
 悪いことをしたとは思っていない、と言っていても、赦されることでもないとシャシルは理解している。

「それは君のこれからの生き方次第で、まだ分からない。それにおそらく……タタラのいる地獄は、罪人が堕とされるよりもずっと深い層の地獄だ。タタラがどうやってそこにいられるのかは分からないが、魂にとって相当に苦しい場所のはずだ」

 そう説明されても、シャシルの心は動かないようだった。

「それならそれで罰になるでしょ。どっちでもいいよ」
「罪人が地獄に堕とされるのは、苦しめるためじゃない。浅い地獄で他の魂の助けになることで――」
「聖者様」

 シャシルは聖者様の言葉を遮って、顔を上げる。

「私、久しぶりに会うみんなに、自分のやったこと話すの辛かったよ。どんな目で見られてるか怖くて目も合わせられなかった。それでも何とか全部言えたのはね、どうしても耐えられなくなったらタタラが殺してくれるって思えたからなんだよ。タタラがどういう人かなんてどうでもいい。だけど私にとっては救いなの」

 シャシルはどんな慰めや励ましよりも、「殺してやる」という言葉に救われた。救われたというよりは、縋っているのかもしれない。だけどそれだけタタラへ信頼を寄せている。

「だから、私にもあいつみたいに魔法で答えさせたりしたら、死ぬよ。タタラが来てくれなくても自分で死ぬから」

 ガルンに強制催眠をかけたみたいに、強引な手段を取るつもりはなかった。それでもシャシルは前もって牽制してきた。

「シャシルさん、そんな……」

 テーブルを挟んだ奥に座るシャシルへ駆け寄ろうとするルルビィの肩に、聖者様が手を置いて止めた。

「タタラは予知が出来るからな。君がそんなことをしようとすれば、向こうから来るんじゃないか?」

 ダンならそんなふうに、知りたいことだけ都合よく予知することは出来ない。タタラと性質が違うといっても、そこもダンと違うのかは聞いていない。
 分かってないはずなのにそう言い切るのは、何か考えがあるんだろう。

「ただ、君は今後天界からも監視される。天界はタタラを捕まえたいようだから、そうなるのは嫌だろう?」

 監視のことを本人に伝えるとは思っていなかった。
 シャシルもそれを聞いて顔を曇らせている。

「…それって、脅しじゃない……使徒も変だけど、聖者様も全然聖者らしくないんだね」
「聖者なんて何百年かに1人しか現れないんだから、『聖者らしい』なんてのはみんなが勝手に思ってるだけだ。……まぁ俺自身も、以前はそうあるべきだと思い込んでいたんだけどな」

 聖者様は緊張を和らげるように、ゆっくりと落ち着いた声で語りかけた。

「だから必要なら脅しも騙しもするが、これは君に生きて欲しいって意味の脅しだよ。タタラのことは、無理には聞かない。だからこっちのことも人に言わないで貰えるとありがたい」

 少し意地の悪い笑みを浮かべて、聖者様は僕を指差す。
 シャシルの前では、かなり力を見せすぎた。

「わざわざ脅さなくても、私なんかがそんなこと言ったって誰も信じないよ」

 呟くようなその言葉は、相変わらず自己肯定感の低さを感じさせる。

「これは脅しじゃなくて、お願いだ。天界が関与すると決まった以上、俺たちはもうここでやることはないんだろうが、気にはなるからな。こいつもタタラを捕まえたいとは思っていないし、時々は様子を見に来させたい」

 ほとんど追及されなかったのが、予想外だったらしい。
 シャシルはさっきまでの重々しさとは違う脱力感を見せた。

「……私にお願いなんて、ほんとに変だね……来てもタタラのことは話さないけど。…それにいちいち断らなくても、気付かれずに覗けるんでしょ、あなたもタタラも」

 シャシルには転移も気配隠蔽も知られているから、いきなり様子を見に現れても驚かれはしないだろう。

「出来るけど、僕は無断で女の子を覗いたりしたくないんだけど」

 シャシルは一瞬きょとんとした表情を見せた後、フッと小さく息を溢した。
 初めて見たけど、多分笑ったんだと思う。

「…私を女の子扱いするなんて、ほんと変。結婚だって、恋愛とかとは関係なく決まると思ってたから、前世の恋人なんて言われてもよく分からないのに……」

 そして視線を落とした後、また顔を上げて遠くを眺めるようにしながら言った。

「勝手にしてよ。先のことは分からないけど、しばらくは死なないと思うから。私も自分が手助けした人の弔いに参加したいし、フィナのお墓参りもしたい」

 それは、ほんの少し先までの話だ。
 だけどその「ほんの少し」を重ねていければ、塵が積もるように年月も重ねていけるかもしれない。

「女の子の様子を見に来るのに、ライル1人じゃ行かせないわよ。私とルルビィも付いて来るから」

 サリアが、当然といった感じで付け加える。

「はい、私も来ますから! …良かったらフィナさんのこと、いろいろ聞かせてください。口に出して思い出すのって、大事ですよ。悪い思い出にしないで欲しいんです」

 ルルビィは、聖者様に何度も話し続けることで、家族の思い出が辛いものにならなかった。
 シャシルもそうなるとは限らないけど、気持ちの整理にはなるかもしれない。

「俺たちはそろそろ出ないといけないが、君はまず心と体を休めてくれ」

 そう言う聖者様に、視線を合わせないままのシャシルは、小さく首を動かす。
 頷いたのか俯いただけなのかは、よく分からない。

 心配ではあるけど、今はこれ以上何も出来ないと思う。
 僕たちは部屋を出て、そっと扉を閉めた。



――その後、予告したとおり、僕たちは時折シャシルの様子を見に行った。だけど、ルルビィが言ったような話をすることは出来なかった。
 拒否されたり、悪いことがあったわけじゃない。
 単にシャシルの家は伯父伯母や従兄弟たちとも一緒に暮らしていて、1人になれるような場所がなかったからだ。それにシャシルを心配する家族は、シャシルが外に出ようとすると誰かが必ず側に付いて来た。
 シャシルの家族は、ちゃんと彼女を大事に守っていた。

 だからシャシルは、家族に話しかける形でそれとなく近況を語った。
 教会から監視を受けるといっても、あちらも人手不足だ。結局シャシルは村の外に出ることを制限されて、教会の下働きをしながら過ごすことになったらしい。
 そして、どうしても満月の日には情緒不安定になるシャシルに、家族は「しばらく縁談は遠慮しよう、ずっとここにいてもいい」と言った。
 ルルビィの故郷のように、村長が勝手に縁談を決めてしまうような扱いは受けていないようだ。

 そんな齢の女の子が父親と同じ部屋で寝るような環境にサリアは驚いていたけど、大家族だと珍しいことじゃない。ダンにも似たような環境だったと言われて納得する。
 それが分かってからは聖者様も一緒に来たり、顔ぶれは変わったりしたけど、ずっと喪に服しているようでありながらも静かに暮らす様子に、段々と頻度は減っていった。
 そうやって、満月の日だけは欠かさずに来て、会話ではないやり取りを続けた。

 タタラと再び会うことになる、あの日までは。
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