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72.嘘
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ダンと一緒にガルンを部屋の外に連れて行った聖者様は、戻って来るなり沈み込んだ部屋の空気を打ち払うように、パンッと音を立てて手を叩いた。
「シャシルの説得をまだ続けてることにしてある。こっちに食事を運んでくれるそうだから、まず夕食にしよう」
もうかなり遅くなって、夕食というより夜食という感じだけど。
いつもなら、ダンは寝ていてもおかしくない時刻だ。
「…あまり食欲はないですね。気分の悪い話を聞いたばかりだし……」
サリアが深い溜息を吐く。
「悪意の籠った言葉はなるべく反芻するな。思い出す必要があるときは、徹底して客観的に、感情とは切り離すんだ。自分まで悪意に呑まれるぞ」
言いたいことは分かるけど、なかなか実行するのは難しそうなことだと思う。
だけどサリアは、何かに気付いたように頷く。
「そう言えば、家でも怒りや衝動の制御は教えられましたね。数を数えるとか、手をつねるとか」
昔は多くの高位聖職者を輩出していた家系だけあって、教えは今も根付いているらしい。
「治安の悪い街なんかだと、酷い話も多いからなぁ。確かにいつまでも引きずってられねぇよ」
ダンが頭を掻きながら席に戻る。
ルルビィも少し目を伏せて頷いた。
「他の国では、教会の規模が小さい地域も多いですからね。孤児院がなくて子どもたちが路上で暮らしていたり、犯罪に巻き込まれたり……全てに手を差し伸べられないのが、もどかしいです」
この2人は、旅でいろんな経験をしている。
僕は他の国のことを聞いたことはあっても、あまり実感は出来ていない。
経験不足のせいもあるだろう。だけどガルンに対しての怒りとか気分の悪さとは違う、何だか釈然としない気分も残っている。ふとタタラを見ると、同じように納得がいかないという顔で、力の抜けたシャシルを眺めていた。
「とにかく、食事と睡眠。今日は遅くなるが、生活をきっちりしないと精神も安定しないからな」
昨日まで自分も眠れてなかったのに、すっかり棚に上げている。でもルルビィが気にしそうだから、口にはしない。
そうやって話をしていたら、すぐに食事のワゴンが運ばれて来た。こんな時間なのに、すぐ出せるように用意してくれていたんだろう。
気配は司祭と他に2人。修道士か修道女だろうけど、シャシルにはまだ他の人と会わせないほうがいいと判断したのか、聖者様は自分たちでやりますとワゴンごと部屋の外で受け取った。
シャシルだけが動く気力もなく座っている中、それを僕たちは自分で配膳する。
おじいちゃんたちに引き取られてから、言われなくてもこんなふうに手伝いをするようになったのは、しばらく経ってからだったなと思い返す。首都の孤児院は人数が多いから、年齢で役割がきっちり決められていた。配膳の手伝いは7歳からで、僕はまだ自分の身の回りのことくらいしかしていなかった。
引き取られてすぐには、いくら祖父母だと言われてもそれほど実感はないし、懐いてはいなかったのだ。反抗したわけでもないけど、夜にいなくなったり、心配されても他人事のように感じていたり。我ながら扱いにくい孫だったと思う。それでも時間をかけて2人が愛情を持って接してくれるのを感じて、僕も好きになっていった。
教会や家の手伝いを進んでするようになったのは、それからだった。
こんなことを考えるのは、僕の中で何かが引っ掛かっていたんだと思う。
だけど上手く考えも言葉も纏まらないまま、遅い食事は始まった。
しばらくじっとテーブルの上を見ていて、ようやくスープを少し口にしたシャシルが戸惑った表情を見せる。僕は何も感じなかったけど、何かおかしい味でもしたんだろうか。
「まともな食事は1年ぶりじゃないの? 味が濃いんじゃない?」
サリアがすぐそれに気付く。
樹海で採れたものだけで暮らしていたのなら、瘦せ細っているのもそのせいだろう。
「…大丈夫…ちょっとしょっぱいけど、美味しいよ……」
シャシルはそう言って、ゆっくりともう一度スープを口に運ぶ。
空腹を思い出したように段々と手が進み、パンも口にする。しばらく黙々と食べ進めて、少しだけ元気が出たようにも見えた。
「食事は本当に大事なんですよ。何もかもどうでもいいって投げやりになっていた人が、温かい食事をお腹いっぱい食べただけで、気力を取り戻したりするんです。睡眠も…」
ルルビィが穏やかな表情で、胸に手を当てて目を閉じる。
「私、5歳のときに家族がみんな流行り病で死んでしまって…やっぱりしばらく眠れなかったんです。でも聖者様が毎晩、私が眠れるまで頭を撫でながら家族の話を聞いてくださって。そしたら安心して眠れるようになったんです。それにそうやって何度も話していたから、幼かったのに家族のことを覚えていられてるし、辛い記憶になっていないんだと思います」
そういう経験があったから、メリアの呪いに蝕まれていたときも、聖者様が頭を撫でて寄り添うことで眠れたのかと納得する。
だけどそれを聞いたシャシルは、手元に視線を落としてしばらく考えたあと、上目遣いでルルビィに訊いた。
「え…あなた、何歳…?」
考えていたのは、年齢を計算していたのだ。
流行り病がいつ発生したのかは分かっていない。だけど世界中で大変なことだと認識されたのは、僕が1歳くらいの頃だったはずだ。
墓守りが一家全滅なんて事態が起きたのは、早くても11年前だろう。
「15歳です」
朗らかに答えるルルビィと裏腹に、僕はシャシルの反応を見るのが気まずくて顔を逸らす。横を見ると、同じようにしたサリアと目が合う。
ダンはまた「ビックリするよなぁ」と笑っていて、洞窟でのやり取りが再現されているみたいだ。
「……他の集落の忌咎族って、売られたりするの…?」
憐れむような表情を見せるシャシルに、聖者様がやっぱり開き直った態度で答えた。
「売られない。それに今の俺は25歳のままだ、問題あるか?」
だから、今の年齢じゃなくて当時の年齢が問題なわけだけど。
でもそこで、また以前は気付かなかった何かが引っ掛かった。
「聖者様にとっては、嘘の婚約だったんですよね…?」
「おい」
即座に不機嫌な声を上げられるけど、僕が真面目に訊いているのを感じてか、言葉を続ける前にじっと目を見られた。
「…確かに、あのまま俺が復活しなかったら、聖教会からの援助を詐取したと言われても仕方がない」
ルルビィが少し悲しそうな顔をするのを見て、今ここで訊くべきじゃなかったと後悔する。ダンとサリアも、事情を知らないシャシルも困惑した顔を見せる。
「すみません、そういうことを言いたかったんじゃなくて……人を守るための嘘があるっていうのは分かるんですけど…」
自分自身の疑問がはっきりしていないから、言葉にするのも上手くいかない。
「それでも聖者様は今日、僕たちには嘘を吐かなくていいようにしてくれましたよね。良い嘘でも魂は穢れるんですか?」
本当に訊きたいのはこれじゃないと思う。だけど少しずつ疑問をほぐしていかないと、自分でもよく分からない。
「嘘に良いも悪いもない。ただ、嘘を吐き通そうとすれば嘘を塗り重ねてしまうだろう。そういうことで穢れたりする。悪意を持った嘘なら確実に魂は穢れるし、守るための嘘だって人を傷付けることもある」
聖者様も僕の様子を見て、真剣に答えてくれる。
話している内に、僕の疑問も少しずつ形が見えて来た。
「……ミィナって子は…父親のやったことは知らないほうがいいと思うんですけど、親類が実の子だって嘘を吐くのはいいんでしょうか…」
「状況によるな。今回は周囲の人間は知っているだろうから、不意に外野から聞かされるよりは、最初から伝えておいたほうが良かったかもしれないが…」
だけどもう8歳だ。今さらどうしようもないことだし、伝えるかどうかは養親の判断になるんだろう。
「成人したら伝えるつもりだっていう養親は多い。でも、いざとなったら言い出せなかったりもするしな。……だけどもし、一生隠し通せたら、それは本人にとっては真実になるんだよ」
実の親子だと信じて一生を過ごせば、確かに本人の中ではそれは真実と変わらないかもしれない。
だけどそれなら、血の繋がりというのは何になるんだろう。
「そういうの、ルシウスも言ってたけどさぁ、わざわざそうまでして…」
退屈していたようなタタラが何気なく発した名前に、皆が動きを止める。
「あ、ヤバ」
口元を押さえるタタラの様子は、それでもあまり緊張感のないままだった。
「シャシルの説得をまだ続けてることにしてある。こっちに食事を運んでくれるそうだから、まず夕食にしよう」
もうかなり遅くなって、夕食というより夜食という感じだけど。
いつもなら、ダンは寝ていてもおかしくない時刻だ。
「…あまり食欲はないですね。気分の悪い話を聞いたばかりだし……」
サリアが深い溜息を吐く。
「悪意の籠った言葉はなるべく反芻するな。思い出す必要があるときは、徹底して客観的に、感情とは切り離すんだ。自分まで悪意に呑まれるぞ」
言いたいことは分かるけど、なかなか実行するのは難しそうなことだと思う。
だけどサリアは、何かに気付いたように頷く。
「そう言えば、家でも怒りや衝動の制御は教えられましたね。数を数えるとか、手をつねるとか」
昔は多くの高位聖職者を輩出していた家系だけあって、教えは今も根付いているらしい。
「治安の悪い街なんかだと、酷い話も多いからなぁ。確かにいつまでも引きずってられねぇよ」
ダンが頭を掻きながら席に戻る。
ルルビィも少し目を伏せて頷いた。
「他の国では、教会の規模が小さい地域も多いですからね。孤児院がなくて子どもたちが路上で暮らしていたり、犯罪に巻き込まれたり……全てに手を差し伸べられないのが、もどかしいです」
この2人は、旅でいろんな経験をしている。
僕は他の国のことを聞いたことはあっても、あまり実感は出来ていない。
経験不足のせいもあるだろう。だけどガルンに対しての怒りとか気分の悪さとは違う、何だか釈然としない気分も残っている。ふとタタラを見ると、同じように納得がいかないという顔で、力の抜けたシャシルを眺めていた。
「とにかく、食事と睡眠。今日は遅くなるが、生活をきっちりしないと精神も安定しないからな」
昨日まで自分も眠れてなかったのに、すっかり棚に上げている。でもルルビィが気にしそうだから、口にはしない。
そうやって話をしていたら、すぐに食事のワゴンが運ばれて来た。こんな時間なのに、すぐ出せるように用意してくれていたんだろう。
気配は司祭と他に2人。修道士か修道女だろうけど、シャシルにはまだ他の人と会わせないほうがいいと判断したのか、聖者様は自分たちでやりますとワゴンごと部屋の外で受け取った。
シャシルだけが動く気力もなく座っている中、それを僕たちは自分で配膳する。
おじいちゃんたちに引き取られてから、言われなくてもこんなふうに手伝いをするようになったのは、しばらく経ってからだったなと思い返す。首都の孤児院は人数が多いから、年齢で役割がきっちり決められていた。配膳の手伝いは7歳からで、僕はまだ自分の身の回りのことくらいしかしていなかった。
引き取られてすぐには、いくら祖父母だと言われてもそれほど実感はないし、懐いてはいなかったのだ。反抗したわけでもないけど、夜にいなくなったり、心配されても他人事のように感じていたり。我ながら扱いにくい孫だったと思う。それでも時間をかけて2人が愛情を持って接してくれるのを感じて、僕も好きになっていった。
教会や家の手伝いを進んでするようになったのは、それからだった。
こんなことを考えるのは、僕の中で何かが引っ掛かっていたんだと思う。
だけど上手く考えも言葉も纏まらないまま、遅い食事は始まった。
しばらくじっとテーブルの上を見ていて、ようやくスープを少し口にしたシャシルが戸惑った表情を見せる。僕は何も感じなかったけど、何かおかしい味でもしたんだろうか。
「まともな食事は1年ぶりじゃないの? 味が濃いんじゃない?」
サリアがすぐそれに気付く。
樹海で採れたものだけで暮らしていたのなら、瘦せ細っているのもそのせいだろう。
「…大丈夫…ちょっとしょっぱいけど、美味しいよ……」
シャシルはそう言って、ゆっくりともう一度スープを口に運ぶ。
空腹を思い出したように段々と手が進み、パンも口にする。しばらく黙々と食べ進めて、少しだけ元気が出たようにも見えた。
「食事は本当に大事なんですよ。何もかもどうでもいいって投げやりになっていた人が、温かい食事をお腹いっぱい食べただけで、気力を取り戻したりするんです。睡眠も…」
ルルビィが穏やかな表情で、胸に手を当てて目を閉じる。
「私、5歳のときに家族がみんな流行り病で死んでしまって…やっぱりしばらく眠れなかったんです。でも聖者様が毎晩、私が眠れるまで頭を撫でながら家族の話を聞いてくださって。そしたら安心して眠れるようになったんです。それにそうやって何度も話していたから、幼かったのに家族のことを覚えていられてるし、辛い記憶になっていないんだと思います」
そういう経験があったから、メリアの呪いに蝕まれていたときも、聖者様が頭を撫でて寄り添うことで眠れたのかと納得する。
だけどそれを聞いたシャシルは、手元に視線を落としてしばらく考えたあと、上目遣いでルルビィに訊いた。
「え…あなた、何歳…?」
考えていたのは、年齢を計算していたのだ。
流行り病がいつ発生したのかは分かっていない。だけど世界中で大変なことだと認識されたのは、僕が1歳くらいの頃だったはずだ。
墓守りが一家全滅なんて事態が起きたのは、早くても11年前だろう。
「15歳です」
朗らかに答えるルルビィと裏腹に、僕はシャシルの反応を見るのが気まずくて顔を逸らす。横を見ると、同じようにしたサリアと目が合う。
ダンはまた「ビックリするよなぁ」と笑っていて、洞窟でのやり取りが再現されているみたいだ。
「……他の集落の忌咎族って、売られたりするの…?」
憐れむような表情を見せるシャシルに、聖者様がやっぱり開き直った態度で答えた。
「売られない。それに今の俺は25歳のままだ、問題あるか?」
だから、今の年齢じゃなくて当時の年齢が問題なわけだけど。
でもそこで、また以前は気付かなかった何かが引っ掛かった。
「聖者様にとっては、嘘の婚約だったんですよね…?」
「おい」
即座に不機嫌な声を上げられるけど、僕が真面目に訊いているのを感じてか、言葉を続ける前にじっと目を見られた。
「…確かに、あのまま俺が復活しなかったら、聖教会からの援助を詐取したと言われても仕方がない」
ルルビィが少し悲しそうな顔をするのを見て、今ここで訊くべきじゃなかったと後悔する。ダンとサリアも、事情を知らないシャシルも困惑した顔を見せる。
「すみません、そういうことを言いたかったんじゃなくて……人を守るための嘘があるっていうのは分かるんですけど…」
自分自身の疑問がはっきりしていないから、言葉にするのも上手くいかない。
「それでも聖者様は今日、僕たちには嘘を吐かなくていいようにしてくれましたよね。良い嘘でも魂は穢れるんですか?」
本当に訊きたいのはこれじゃないと思う。だけど少しずつ疑問をほぐしていかないと、自分でもよく分からない。
「嘘に良いも悪いもない。ただ、嘘を吐き通そうとすれば嘘を塗り重ねてしまうだろう。そういうことで穢れたりする。悪意を持った嘘なら確実に魂は穢れるし、守るための嘘だって人を傷付けることもある」
聖者様も僕の様子を見て、真剣に答えてくれる。
話している内に、僕の疑問も少しずつ形が見えて来た。
「……ミィナって子は…父親のやったことは知らないほうがいいと思うんですけど、親類が実の子だって嘘を吐くのはいいんでしょうか…」
「状況によるな。今回は周囲の人間は知っているだろうから、不意に外野から聞かされるよりは、最初から伝えておいたほうが良かったかもしれないが…」
だけどもう8歳だ。今さらどうしようもないことだし、伝えるかどうかは養親の判断になるんだろう。
「成人したら伝えるつもりだっていう養親は多い。でも、いざとなったら言い出せなかったりもするしな。……だけどもし、一生隠し通せたら、それは本人にとっては真実になるんだよ」
実の親子だと信じて一生を過ごせば、確かに本人の中ではそれは真実と変わらないかもしれない。
だけどそれなら、血の繋がりというのは何になるんだろう。
「そういうの、ルシウスも言ってたけどさぁ、わざわざそうまでして…」
退屈していたようなタタラが何気なく発した名前に、皆が動きを止める。
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