破戒聖者と破格愚者

桜木

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66.御伽噺

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 痛みがあったわけじゃない。
 だけど衝撃としか言いようのない感覚で、1、2歩よろめく。手を繋いでいなかったら、誰かは転んでいたかもしれない。

 僕の転移と全く違う。普通の魔法とは違うと思っていたけど、ここまで違うとは思ってなかった。
 みんなが慣れない転移を避けたがっていた気持ちが、やっと僕にも分かった気がする。

 それと同時に、目の前の光景にも戸惑う。
 確かに教会の前だけど、修道士だけじゃなく大勢の人が集まって、不安に駆られた様子で騒然としている。

「ルルビィ、大丈夫か?!」

 とっさに聖者様が、ルルビィの視界に男性たちが入らないよう、遮るように立つ。まだ、本当に状態が安定しているのか心配なんだろう。

「はい! ライルさんのとは違ってびっくりしましたけど、大丈夫です」

 ルルビィは、移動の衝撃について聞かれたと思ったらしく、笑顔で答える。その表情に、今までのように無理をしているような様子は微塵もない。
 過去にメリアに呪われた修道女たちも「何か怖い思いをした」というくらいにしか覚えていなかったそうだけど。メリアの残留思念が封じられることで、それと同じ状態になっているようだ。

 そして元のルルビィらしい、柔らかい表情でシャシルの顔を覗き込む。

「安心してください。今、この方たちに私たちは気付かれていません」

 こんなに大勢の人がいるとは思っていなかったんだろう。
 シャシルは怯えるように俯いて、両手で自分の体を抱え込むようにしている。震えているようで、黙って頷く。

 それにしても、どうしてこんな状況になっているのか。

 様子を伺っていると、教会の人たちに訴える言葉の中からはっきりしたものが聞こえた。

「地面から天に雷が伸びるなんて…見たことがない、何か悪いことでも起きるんじゃないのか?!」

 …また、聖者様と使徒のみんなの視線が僕に集まる。何日ぶりだろう。
 だけど別のことにも気が付いた。使徒の中にリリスとマリスの気配がない。
 タタラは幻妖精たちの気配を認識出来ていなかったから、置いて来てしまったのだ。

「…一応聞くけど、あれってライルの仕業だったのよね?」
「そう…です」

 サリアに確認され、騒ぎを起こしてしまったことが何だか申し訳なくて、変に丁寧な口調になってしまう。
 そういえば、さっきのダンもこんな調子だった。あのときはルルビィやタタラにばかり目が行っていたけど、何かサリアに申し訳ないことでもあったのかな、と思う。

「でも、地面からの雷は1度だけ見たことがありますよ。あり得ない現象ではないんでしょう?」

 ルルビィの言葉に、サリアが目を輝かせる。

「それって、北方の国の寒冷地域?!」
「はい、珍しくはあるそうですけど」

 聖者様は、労わるようにルルビィの頭を撫でた。

「…そんなところまで行ってたのか」

 聖者様と旅をしていたときのことじゃないんだろう。ダンを見つけるまで、1人でどれだけの国を捜し歩いたのか。

「いろんなことを見たり聞いたりできたから、悪い旅じゃなかったんですよ。神具の加護もありましたし」

悪い旅じゃなかったと言っても、大変だったと思う。
 ダンから聞いた話のように、神具に護られたり、ある意味勉強になったりしたことは確かにあったんだろうけど。

「発生する気象条件は予想がついてるんだけど、やっぱり実際に起きる地域で調べたいわね。ルルビィの旅は大変だったろうから不謹慎かもしれないけど、私も見てみたいわ」
「さっき見れたじゃねぇか」

 ダンの言葉に、サリアはキツイ眼差しを返す。

「自然発生するのが見たいのよ! ライルのだって気にはなるけど。父は結婚に関しては自由にしていいって言ってくれたけど、国外に留学するのは渋られてたのよ。使徒になったらいろんな国に行けるんだから、私もこの目でいろんな物が見たいの!」

 聖者様の言動に疑問があっても使徒を辞退する気はない、と言っていたのはこういう理由もあったわけだ。
 勢いで本音を溢してしまったのを自覚したのか、サリアが軽く咳払いする。

「とにかく、この騒ぎを落ち着かせたほうがいいですよね。聖者様の先触れってことにして、私だけ村の外から入り直して説明しましょうか?」

 聖者様は周囲を見渡すと、少し考えながら呟く。

「不安にさせたままなのは悪いが、ここで騒ぎになってるうちに目立たないように話をつけたほうがいいかもな。シャシル、この場にその父親は来ているか?」

 シャシルは顔を上げないまま、小さな声で答える。

「来てると思うよ。目立たないようにっていうのは、多分無理。…災害とかある度に騒ぎ立てる人だから…」

 どういうことか、と訊く前にそれは分かった。
 教会の前でひと際大声を上げる男性が目を引いたからだ。

「だから、俺に聖剣を作らせてくれって! それを奉納すれば、あんな流行り病だって起きなかったはずなんだ!!」

 背は低めで、腕には筋肉、腹部には脂肪がついた感じの色黒い中年の男性が、教会の司祭らしい人に喰ってかかっていた。

「いつも言っていますが、この国に武器を奉納する習慣はありませんよ。それにあなたの工房の設備では長剣なんて作れないでしょう」

 僕のおじいちゃんのよりも齢を重ねていそうな司祭らしき人が、疲れたように首を横に振る。もう何度も同じ遣り取りを繰り返しているようだ。

「俺が最初の例になればいいし、教会が援助してくれればいいだろう! 俺が首都で作った長剣が、今頃は戦場で名剣になってるはずだ。そのうち騎士や剣士がこの辺境まで俺の剣を求めて来るようになる!!」

 何とも言いようのない、気持ち悪さを感じた。
 話している内容じゃない。その身に纏わりつくように気持ちの悪いものがある。

「聖者様、嫌な感じが…妬みとか、怒りとかを人に向けてるときみたいなのが…」
「…悪意、か」

 悪意。
 確かにそう呼ぶのがふさわしい。この嫌な感じから守りたくて、母さんとリュラに浄化の魔法をかけ続けてきた。

「でも一時的な感情で、ここまで嫌な感じになってるのは見たことないです。なんだか…全身を覆ってさらに湧き出してるみたいで」
「魂の穢れが肉体の外にまで滲み出てるんだろう。俺でも少し感じるからな」

 どんな生きかたをして来たら、ここまで魂が穢れるのか。想像もつかない。

「聖剣って、おとぎ話くらいでしか聞いたことねぇぞ?」
「建国の逸話になぞらって、装飾的な剣を国宝にしてる国はあるけど。どっちにしたって見習い時代にしか長剣を作ったことのない人が作れる物じゃないでしょう」

 ダンとサリアは、話自体に呆れている。

「村に戻ってから、ずっとあんなこと言ってるらしいよ。それで村の中じゃ結婚相手が見つからなかったんだって、みんな話してたくらいだよ」

 シャシルは顔も見たくないらしく、声のするほうから目を逸らして、憎々しげに吐き捨てる。

 見習い時代に作った剣が奇跡のような逸品で、今頃戦場で名剣と呼ばれ、騎士や剣士が製作者を探し求めて来る――どう考えても妄想だ。

「これは確かに、目立たずっていうのは無理だな……向こうの言い分も聞くつもりだが、あの魂の穢れぶりだとシャシルの話通りの人間だと思ってよさそうだ」

 聖者様の言葉に、タタラが不満気に口を尖らせる。

「シャシルはあのオッサンのことで、ウソは吐いてねぇよ」

 …他のことでは嘘を吐いている、とも聞こえるけど。
 タタラはそういう表現に、あまり気をつけていなさそうだ。

「嘘じゃなくても、認識が違うことはあるだろう。一方だけの話じゃ分からないこともある。…気付かないこともな」

 聖者様が、少し考えるように口元に手を当てる。

「少し早いが、ここは使徒の存在を明かして、常識範囲で魔法を使って貰うかな」

 僕に視線を向けながら、聖者様はまた何だか悪い笑みを浮かべた。
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