破戒聖者と破格愚者

桜木

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58.罪

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「ルルビィ!」

 聖者様が駆け寄って膝をつき、前のめりに座り込んでいたルルビィの肩を支える。

「あ…聖者様…」

 ルルビィは意識を失っていたわけじゃなかった。声をかけられて、ぼんやりと顔を上げる。

「あっ…ごめん、大丈夫だったか?」

 慌てて聖者様はルルビィから手を離す。だけどルルビィは触れられていた自分の肩を不思議そうに見つめた。
 そして、聖者様に向かって首を傾げる。

「私…何をあんなに怖がっていたんでしょう…?」

 聖者様に続いて駆け寄ろうとしていたサリアが、ルルビィの変化に気が付いて足を止めた。そして後に続こうとしたダンを制止する。

「ちょっと待って!」
「ああ…はい!」

 相変わらずダンの様子もおかしいけど、それよりルルビィが気になった。

「…覚えてないのか?」

 聖者様がそっと、ルルビィの肩に指先で触れる。
 怯えることもなく見つめ返すルルビィに、今度はまたしっかりと両肩を掴んで自分のほうを向かせた。

「あの、聖者様…?」

 本当なら、少しずつ触れて確認したほうがいいと思う。
 だけどもう、堪えきれなくなったように聖者様はルルビィを抱き締めた。

「聖者様?! あのっ…」

 まだ混乱しているようだけど、ルルビィは強張りも怯えもせず、それどころか頬を赤らめてさえいる。

「あの…」

 何も言わず、ただ強く抱き締める聖者様に、ルルビィも言葉に詰まってその両手を聖者様の背に回した。

「私、本当は…あの洞窟でまたお会いできたときから、ずっとこうして欲しかったんです…」
「ああ、俺もだよ」

 何が起きたのかはよく分からない。
 分からないけど、涙が滲んだ顔を聖者様の肩にうずめるルルビィを見て、良かったと思う。

 思うけど――丸投げされたような周囲の状況を、どうしたらいいんだろう。

「ウソ…なんで? たったあれだけで…」

 シャシルはルルビィから絶望の表情が消えたことを感じ取ったらしく、呆然と立ち尽くしていた。
 そして少年は、一層楽しそうに僕を見る。

「別に何も悪いことしてないのにさぁ。手を出したのはそっちが先だよな。ちょっとくらい遊んでくれるだろ?」
「えっと…ゴメン? 誤解だったかな…」

 すかさず幻妖精たちが、僕の耳元で声を上げた。

「拘束を解いてはいけませんわ!!」
「その者は、天界に引き渡さなくてはなりません!」

 そうだ、勝手に地上へ関与していたこと自体が問題になるんだった。

「まだ誰か隠れてんの? 地上に、俺が分からないほど気配を消せる人間がいるとは思わなかったなぁ」

 幻妖精たちは姿を消したままだったから、この微かな気配は少年にも分からないらしい。

「…得体が知れません。念のため、私どもはこのままでいます」

 マリスから小声で告げられる。かなり警戒しているのを感じた。

「こんな面白い奴らの情報持って帰ったら、今回の件もちょっとは大目に見てもらえるかもしれないし…」

 再び少年の髪と瞳の色が微かに揺れる。
 それに呼応するように、僕の周囲にあった多くの小石が空中に浮きあがった。

 おかしい。
 僕の認識だと、魂縛は魔法も封じられるはずだ。

 そして今、石が浮いているのは重力魔法じゃないと感じる。
 ルルビィの目前に移動したときも、転移とは違った。

 ここにきてようやく僕は、少年の使っている力が僕の魔法とは性質の異なる別のものだと気が付いた。

「物質界向けで試させてくれよ。全方位障壁バリアくらいは張れるかな?」

 少年がそう言うと同時に、周囲に浮いていた石が僕に向かって飛んで来る。
 障壁は張れるけど、今は慣れない魂縛に集中していて、隙が出来てしまった。

「痛っ…」

 ほとんどは防げた。でも、1つが額の上に当たって、痛いというよりは熱いような、妙な感覚だ。

「あ、ワリぃ。勢い強過ぎた?」

 人に石をぶつけておいて素直に謝る少年の、この言葉と行動のちぐはぐさは何なんだろう。ルルビィのことといい、僕たちに本気で危害を加えるつもりはないようだけど。

 そのとき、ふいに背筋に悪寒が走る。

「えぇっ?!」
「そんな」
「ちょっ…何これ、ヤバくねぇ?」

 反応したのは、幻妖精たちと少年だけだ。他のみんなは気付いていない。
 まだ抱き合っていた聖者様たちも、緊迫した声に顔を上げただけみたいだった。

 “神の怒り”を起こす雷雲の気配――それも、人間を対象にしたり、階層に穴を開けたりしたものとはまた違うということが、僕には分かる。
 これは、魂そのものを対象にしている。
 狙われているのは、少年だ。

「やり過ぎだよね?!」

 口ではシャシルの代わりをしてもいいと言っていた。だけど実行したわけじゃない。
 シャシルの食べ物を集めるのを手伝っていたということが、かなり間接的ではあるけれど、シャシルがやっていたことに協力していたと判断されるのかもしれない。
 それでも、どう考えても“神の怒り”を受けるほどの罪を犯したとは思えなかった。

 考えている時間はない。
 焦りのせいもあって、僕の心の中でずっと燻っていた感情が膨れ上がってしまう。

「だから、言葉が足りないんだってばクソ親父オヤジ――!!」

 暴走に近かったと思う。

 初めて使うのに名称もはっきり分からない力を、とにかく「あれを打ち消さないと」という思いだけで、制御もせず放った。
 それは地面から伸びる樹木のように広がった雷となって、そのうちのどれかが当たったという感じだった。

――ずいぶん後になって聞いたことだけど。物質界の雷は、雷雲と地面の間でプラス電荷とマイナス電荷というものが引き合う、一方通行の電気の流れだ。“神の怒り”が雷を模しているのは、いつか神に近い力を持つ魂が現れても、争いに使われたくなかったからだという。つまり、ぶつかり合うようなこと自体が異常で、力の強弱に関係なく摂理の不合理として打ち消されたんじゃないかと。

 とにかくこのとき、少年にはかすりもせずに済んだのだ。

「え~、何、今の。お前ホントに人間?」

 この状況で、まだ面白そうに聞いてくる少年に呆れてしまう。
 だけど自分でも使ってみて確信したけど、今の“神の怒り”は魂を消滅させるほどの威力じゃなかった。この少年もそれを分かっていたのかもしれない。
 それでも当たっていれば、魂に傷はついたと思う。そこまでした理由が分からない。

 そう考えていたら、聖者様が立ち上がって僕のほうへ来た。わざわざルルビィの肩にしっかり手を回して離れないままなのは、今までの反動なんだろうけど。
 そして空いているほうの手を僕の頭にかざす。さっき石の当たった辺りが、温かくなったように感じた。

「落ち着けクソジジイ! まずはこっちで話をする!!」

 聖者様が天に向かって叫んだあと、大きく溜息をつく。

「まさか本当に、クソジジイが私情でこんなことをやらかすとはな」
「私情…?」

 何のことかと思いながら、温かさを感じた辺りに何気なく触れてみた。そうしたら、予想もしていなかったぬめりのある感触に、思わず手を引く。
 驚いて手を見ると、指先が赤く濡れている。

――血だ。

「傷は治した。拭いとけよ」

 自分が思っていたより、深い傷が出来ていたらしい。
 少年がすぐに謝ったのも、これを見たからだろう。

 そして、やっと僕も気付く。

「…僕、血が出るようなケガって初めてかも」

 初めて流した血が、他者からの攻撃によるもので。
 それを見ていた神が、怒ったのだ。

 思わずクソ親父オヤジなんて言ってしまったけど、それはまさしく父親としての怒りだった。

 …それでもやっぱり、やり過ぎだと思う。
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