破戒聖者と破格愚者

桜木

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54.樹海

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 しばらく待ったあと、ダンが目を開けて指を差した。

「あっちだ! …って、またズレてるか?」

 確かにさっきより少し北側になっている。だけど大丈夫だ。

「移動してるよ。合ってると思う」

 僕が今、感知している方向とほぼ一致している。
 そして、その気配の動きに合わせてダンの示す方向がズレたということは、この気配は探している相手で多分間違いないだろう。

 サリアが言っていたほどズレは大きくないし、探すのにかかった時間も、聖峰のときより早くなった気がする。
 メリアの魂を歩きながら探すなんて無茶をしたけど、意識して能力を使うようになって精度が上がってきているのかもしれない。

「じゃあ、近くまで行くよ」

 諦めの溜息をつくダンの体を浮かせると、やっぱり変な体勢になってしまう。

「ダメだやっぱり慣れねぇよ。ライル、聖者様みたいでいいからさ、引っ張ってくれや」

 今、聖者様みたいと言われると、さっきの首元を掴まれていたという男の話しか思いつかない。
 さすがに僕の手でダンの首を直接掴むのは無理だ。

「…これでいいってこと?」

 ダンの襟元を掴むと「そうそう」と返事が返ってくる。
 だけど何の抵抗もなく引き上げられるダンの姿は、元の猫背と足も浮いた状態が相まって…

「子猫みたいですわね!」

 リリスの言うとおり、親猫に運ばれる子猫のようだ。

「今日はいいけど、そのうち慣れてよね…」

 ダンみたいな体格の大人を、そんなふうに引きずり回しているような見た目が、何だか嫌だ。
 もちろん実際には、人に見られても分からないようにはしているけど。

 そして再び、何度かの転移を繰り返す。

 気配の近くまで来たとき、ダンの様子はさっきまでより少し楽なようだった。

「力みすぎで具合が悪くなってたんじゃない?」
「いや、それだけじゃねぇって。でも確かに力は抜いてたほうがいいかもな」

 これは今後みんなを転移させるとき、参考になるかもしれない。
 ゆっくりと地面に降りると、ダンは座り込むこともなく地面に立った。

「もう歩いて近づけるよ。動ける?」
「ああ、大丈夫そうだ」

 周囲を見渡すとやっぱり似たような木ばかりで、目印になりそうなものは見当たらない。
 道もない樹海は、柔らかすぎる土と固い木の根が枯葉の下に隠れていて、かなり歩きにくい。
 しかもあちこちに急な斜面がある。下から登るには急勾配過ぎるし、斜面の上のほうから来たなら、普通の人がうっかり滑り落ちれば骨折しかねない。それを迂回しようとしたり、足元に気を取られていると、たちまち自分の進んできた方向を見失うだろう。
 これは確かに、一度迷い込んだら出るに出られないかもしれない。

 気配のすぐ近くに転移してきたから、そんな難所を通らずに歩いて行くことは出来た。
 そして、人影らしきものが目に留まる。

「足音も大丈夫なんだよな?」
「うん。姿が見えても気付かれないようにはしてる」

 自分で言いながら、本当に諜報向きのことにばかり力を使っているなと思う。
 そしてそれに慣れてしまっているから、そっと足を進めるダンに対して、堂々と人影に向かって歩いている。

「…女の子、だよね」

 若い女性とは聞いていた。
 だけどはっきり見えるところまで近づいてみると、女性と言うには幼く思える。

 癖のある濃い金髪を後ろで束ねていて、村の少女らしい服装だ。
 だけどそれは薄汚れて、所々擦り切れてもいる。

「ちょっと痩せこけて小さく見えるけど、成人前くらいか?」

 僕が感じたよりは年上に見えたらしいけど、ダンがそう言うなら多分合っていると思う。

「使徒探しのときは、これでルルビィさんが見ればすぐ分かったんだけどなぁ」

 僕が見つけられたときもそうだった。

 辺境の村だけど、誰も成功したことがない聖峰登頂に挑戦してみたいという旅人は、たまに来る。
 僕たちが聖峰の中腹だと思っていたあの洞窟は、幻妖精たちによればまだまだ下のほうだったそうだ。階層の歪みが山の高さを錯覚させていたらしくて、どれだけ準備して登っても辿り着けた人はいなかった。

 またそんな人たちかな、と思ったときにルルビィが「あの方です!」と真っ直ぐ僕を見つめた。

 あのときの、喜びと安堵に満ちた笑顔。

 ルルビィはそれでもう、自分の使徒としての役割は終わったなんて言っていたけど、それはあまりにも寂しすぎる。

「一応、もう一回探してみるか?」

 ダンはそう言うけど、その女の子はキョロキョロと周囲を見渡しながら移動を続けている。念のためにともう一度ダンが能力を使ったら、またかなり離れてしまうだろう。
 それに僕の感知できる範囲には、もう他に人はいない。

「樹海の中で女の人が1人でいるって、他にもいる可能性は低いと思うよ。もう、聖者様たちを連れて来ていいんじゃないかな」

 ダンは少し考えてから頷いた。

「俺の不安定な勘で、これ以上時間をかけるよりいいか。俺はあの娘を尾行つけとくから、頼むわ」

 まだ「勘」と言ってしまうほど自分の能力に自信のないダンだけど、さっき示した方向は正確だったし、間違いじゃないだろう。

「じゃあ、すぐ戻るから」

 そう言って僕は、聖者様たちが待っている樹海の手前へ転移した。



 ***



 聖者様たちを連れて戻ると、ダンの姿が見えなくなっていた。
 でも、すぐ近くにいる気配は分かる。

「あっちに移動してます」

 ダンの気配がする方向を指差す。

「ライルの気配感知の範囲から考えて、さっきの場所から10kmくらいか」
「最初にダンが差した方向より北なら、街道のほうに移動してるんじゃないですか? 村へもかなり近くなってると思いますよ」

 頭に入っているだろう地図と僕の話で、サリアがすぐに現在地を推測する。
 珍しく、ダンの能力を疑っていない。

「ダンの誤差は考えないんだね?」
「それは…」

 サリアは僕の顔を見て、一瞬言葉を止めた。
 だけど溜息をついて続ける。

「能力の評価を改めるべきだと思ったのよ。考えてみたら、ライルを探すときに方向が滅茶苦茶だったのは、あなたが村と首都を行き来してたからじゃない?」
「あっ…」

 毎日首都に行っていたことは、サリアは今朝まで知らなかった。

「あのときはダンだって集中するのにもっと時間がかかってたし、それも1日1、2回が限度だったから。朝と夜とで反対方向を示されたら、信用も低くなるわよ」
「サリアさんを探すときは、さすがに正反対を示すことなんてなかったんですよ。だからダンさんも慎重になって、いつもより時間をかけてしまって」

 サリアもルルビィも、僕に言うのは気まずそうだった。それだけ振り回されたんだろう。だけどダンの能力を今までより信用するなら、説明しないわけにはいかない。
 つまり僕のせいで、みんなに迷惑をかけてしまっていたわけだ。

「ごめん…」

 聖者様はそんな僕の背中を叩いて、ダンがいると示した方向へと押し出す。

「だから悪いのは全部クソジジイだ。1人目が予知能力者だって神託を下すなら、ついでに最後は転移能力者だってくらい付け加えておけばいいものを」
「『くらい』って…そんな地上の人間としてあり得ない能力を告げられたら、教皇庁が大混乱してたと思いますよ」

 サリアの言うとおり、今まで地上で使えた人間は今までいないだろうし、当然探している相手がそんなあり得ない移動をしているとは想定もしないはずだ。ダンの能力が疑われたのも仕方がない。
 押されるままに歩き出しながら、後でダンにも謝っておこうと思った。
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