破戒聖者と破格愚者

桜木

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53.彼女の旅路

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 気配を探れた範囲の端まで来て、僕たちは一旦地面に降りる。
 ダンは気持ち悪そうにぐったりしていた。

「大丈夫?」
「…あんま…とりあえず、人がいねぇか探してくれ…」

 大丈夫ではないけど、休むとは言わない。
 ルルビィのためにも、早く見つけようと頑張るつもりなんだろう。

 僕もまた、なるべく遠くまで感知できるように集中してみる。

「…1人、いるよ。ちょっと遠いけど」

 感知できるギリギリの距離だった。
 だけど、ダンが示した方向と少しずれている。

「動いたのかもしれねぇけど、俺のもブレるし、別の奴かも…もう一回探してみるわ」

 確かに聖峰でも、何度か示す方向にずれがあった。
 あのときはまだ聖者様の肉体が完全に復活していなくて僕にも分からなかったから、そのせいかもしれない。だけどサリアの話を聞くと、僕を探すときにもかなり右往左往したそうだ。本来の予知能力以外は、ずれがあっても仕方がないだろう。

「そんな体調では余計に誤差が出ますわよ! 休憩も必要ですわ!」
「いや、そんな泣きごと言ってられねぇって」

 ダンは無理を押し通そうとするけど、リリスの言うとおり、誤差が大きくなれば余計に手間取ることもある。

 僕はダンの前に座り込む。

「じゃあ休憩代わりにちょっと聞きたいんだけど。ダンはルルビィが囮になるっていうの、賛成してる?」

 そう訊くと、ダンは困ったように頭を掻いた。

「賛成っていうか…そりゃ無茶はしてほしくねぇけど、一番確実なんだよなぁ。まず現場を押さえるのが難しいだろ。いくら自殺の名所ったって、毎日自殺願望のある奴が来るわけでもないだろうし」
「わたくしは良くないと思いますわ! 現場を押さえなくとも、聖者であれば対話で改心させるべきですもの!」

 リリスの意見はやっぱり、聖者様が言うように綺麗ごとだと思う。
 相手がどんな人間で、何の目的で自害の手助けをしているかも分からないのだから。

「大体、ルルビィって囮が出来るように見える?」

 それにはダンも、少し返事に間が空いた。

「…少なくとも俺たちの中じゃ、一番それらしく見えるんじゃねぇかな。なんて言うか…表面だけじゃ分からない、いろんな気持ちがあるもんだろ。…ルルビィさん、聖者様とまた旅が出来るってすごく楽しみにしてたんだよ」

 自分のことのように、落胆した表情で遠くを眺める。

「俺を見つけてこの国に戻る途中のことなんだけどさ…あ、えーと、娼館って分かるか?」

 この国では禁止されているけど、店として構えられる国もあることは知っていた。これにもダンは僕が子どもであることを気にして確認してくれたから、大丈夫だと頷く。
 そこから改めて、ダンの話を聞いた。

 ルルビィとこの国に戻る途中にあった街は、治安が悪くて教会もなく、いい宿屋が見つからなかったそうだ。さすがにルルビィと怪しい宿屋に泊まるわけにはいかないとダンが主張すると、ルルビィが「親切な宿屋がある」と言うからついて行った。

 そこもあまりいい宿とは言い難かったけど、女将おかみがルルビィと顔見知りだったらしい。ルルビィが「この方を探して旅をしていたんですよ」とダンを紹介すると、それは良かったと歓迎してくれた。
 そしてルルビィだけなら自分の部屋に泊めると配慮してくれた上、話好きらしくお茶でも一杯飲んでいかないかとなった。

 そこで女将に聞いた話では、ルルビィは1人で旅をしていたときに娼館に売られそうになったことがあったそうだ。

 売られそうになったといっても、売り飛ばそうとした男たちはルルビィを囲んで捕まえようとして、神具に体を弾かれた。
 メリアには効かなかったけど、本来は害意を持つ者から身を守る力が神具にはある。
 それを見た近くの宿屋の女将が、ルルビィが「聖人」であることに気がついた。しかも流行り病のときに街を救った聖者様とルルビィが泊ったのがその宿で、女将はそのとき弟子だったルルビィのことを覚えていた。

 女将はダンにお茶を出しながら、笑ってさらに昔の話を始めた。

 この街で流行り病の治癒が終わった頃には、もう深夜になっていて、教会のある街まで行くには遅すぎた。
 その宿屋も雑魚寝の大部屋しかなかったけど、聖者様たちはそこに泊まったそうだ。

 歓喜と安堵で盛り上がった街も静まり始めて、女将も寝ようかと思ったとき、聖者様がルルビィと若い男を連れて出てきた。
 若い男は首元を掴まれていて、聖者様が「すぐ戻ります」と引きずっていくものだから、何事かと気になって、こっそり宿の外まで見に行った。

 治安の悪い街だから、宿を出れば路地裏に入らなくても暗がりだ。
 そこで聖者様は男を壁に押し付けて、

「ずいぶんと煩悩に苦しんでおられるようですね。私でもお慰めの手伝いくらいならして差し上げられますよ。まぁ、うっかり大事なモノを握り潰してしまうかもしれませんが」

 と、言動に合わない爽やかな笑顔で言った。

「飲んでた茶ぁ、噴いちまったよ」

 それはそうだろう。僕だって今何か口に含んでいたら、噴き出したに違いない。

「せ…せ、聖者ともあろう者が…」

 声を震わせているリリスをよそに、続きを促す。

 そもそも、大の大人の首元を掴んで引きずるというだけで、どれだけ力強かったか想像がつく。身を以てその力を思い知らされていただろう男は半泣き状態で、娼館のツケが溜まってつい…と口にしたところ、はす向かいにある娼館へと再び引きずられて行った。
 後日、その男は娼館で下男として働いていたそうだから、文字通りツケを払わせられたのだろう。

 ルルビィに再会したとき、女将は気になっていた当時のことを訊いた。
 だけど、ルルビィもよく分かっていなかったらしい。

 ルルビィの記憶ではこの宿に泊まったとき、聖者様はルルビィを壁際に寝かせて、その横に寝た。
 だけど夜中にルルビィがふと目を覚ますと、自分と壁の隙間に若い男がいて、聖者様がその手首を掴んでいた。「ちょっと外でお話をしましょうか」と聖者様は微笑んでいたけど、見たこともないくらい怒っているのがルルビィには分かったそうだ。
 そして「1人で残るのは危ないから一緒に行くけど、私たちの話は聞かなくていいからね」と念を押され、ルルビィはその間、律儀に耳を塞いでいたらしい。

 女将の話とすり合わせているうちに、ルルビィも当時の状況に気が付いた。

 眠っている幼いルルビィに――聖者様の怒り方からして、おそらく性的な目的で手を出そうとした男が懲らしめられたということだ。

 手を出されそうになったのが他の人だったら、咎めはしても多分そこまでしなかっただろう。言葉遣いは違っても、ルルビィに関することの容赦のなさは今の聖者様と変わらない。
 そのときの微笑みも容易に想像できる。
 間違いなく今の聖者様のほうが素なんだろうと思う。

 女将は、そこで初めて当時の状況に気付いたことや、娼館に売られかけるなんてことになったルルビィを心配した。
 聖者様が復活したら結婚するのに、ちゃんと男女のことは分かっているのか、と。

 だからその日も自分の部屋に泊めてしっかり教えておいたよ、とダンに陽気に語ったという女将は豪快ともいえる印象で、恥ずかしさすら感じさせなかったようだ。

 そういえばリュラも、そろそろ孤児院でそういう教育をされるんだった。
 考えてみればルルビィにはその機会がなかったと思うけど、「外ではイヤ」なんて言えたのは、その女将のおかげかもしれない。

「あ、ルルビィさんが売り飛ばされそうになったことは、聖者様には言わねぇでくれよ。俺が他の国をうろついてたせいでそんなことになったなんて、申し訳ねぇし、怖いし…」

 確かに怖いけど、その怒りはダンではなくて、1人で旅に出させた教皇庁の人間に向かう気がする。

 そしてルルビィは、神具を持っていなかった頃の自分の身に起きそうになった件について、怖がるどころか聖者様が自分を守ってくれたと、少し嬉しそうにしていたらしい。

「あの話、女将の誇張が入ってるんじゃねぇかと思ったけど、今なら分るよなぁ。そんな危ない目に遭ったことも含めて、聖者様との旅の話はいつも楽しそうにしててさ。これから毎日会えたとしても、一緒に旅をするどころか普通にも暮らせないっていうのは、結構キツイと思うんだよ」

 6年間、不安と共に抱いた期待を婚約破棄という言葉で断ち切られて。
 ようやく本音で話をしようというときに、こんなことになって。

 ルルビィの心は、僕が思っているよりずっと不安定なのかもしれない。

「とにかく、ルルビィさんには恩もあるし、俺のせいで余計に苦労もかけたし。ルルビィさんがやるってなら、出来ることだけでも手伝いてぇんだよ」

 そういってダンは大きく背伸びをしたあと、集中する姿勢に入る。
 確かに今は、出来ることをやるしかない。

 ダンが集中している間、僕も感じた気配を逃さないように追い続けることにした。
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