破戒聖者と破格愚者

桜木

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52.囮

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 樹海の一端に着いたのは、昼を過ぎてすぐだった。
 今日はこれまでと違って、頻繁に休憩したりわざとゆっくり進むこともなかったから、近くの村を目指せば日暮れより余裕を持って着くことが出来ただろう。

 街道から一見しただけではよく分からないけれど、少し離れた森の奥のほうに何ヵ所かロープが張ってあり「危険」と書かれた木札が立ててある。

 一般の人には警告になるだろうけど、自殺の名所と知って訪れた人にはかえって目印になってしまいそうだ。
 そんなことを考えながら周辺の気配を探る。近くなら無意識でも分かるけど、広範囲となると少し集中しないといけない。

「…あれ? あっちのほうに2人いますよ。歩いて30分くらいのところかな」

 そう言って僕は、街道から少し逸れた斜め方向を指差した。
 探しているのは、女性1人のはずだ。

「あまり奥のほうじゃないな。近辺を把握してる村人か…『現場』の可能性もあるが」

 聖者様は腕を組んで、少し考える。
 現場、というのは、今まさに自害の手助けが行われているかもしれないということだ。

「ダン、とりあえず方向を探してみてくれ」
「了解っス」

 ダンはその場に座り込んで、目を閉じて集中し始めた。
 聖峰では集中するとき、何度もそうやっていた。

「ダンのこれ、結構時間がかかるから、その間に2人いるほうは僕が見てきますよ」

 僕だけなら、転移をいくら使おうが文句は言われない。

「気付かれるなよ…って、言うまでもないか」

 最近はサリアだけでなく聖者様にも「諜報向き」なんて言われてしまっている。
 確かに以前までは自分のしたいようにしかしてなくて、魔法を隠すために使ってきたし、聖者様のように見知らぬ人々のために魔法を使うなんて考えたこともなかった。

 少しは魂や命について考えるようになったつもりなんだけどな、と思いながら体を浮かせると、マリスが近付いて来た。

「一緒に来る?」
「はい、お供します」

 リリスもマリスも、出来るだけ離れたくないというのは事あるごとに囁き合っている。
 だけどそれで罰を受けているわけだから、僕を見守ることも仕事の内と考えて、僕と聖者様が別行動するときは気持ちを堪えて自分たちも別行動すると決めたそうだ。

 ルシウスが“神の怒り”のような力を使えるのか、聞きづらい僕としては観察されるくらいは別に構わない。
 そのままマリスを連れて、気配を感じた方向の木を目視して転移した。



 ***



「2人とも修道士だよね?」

 気配を探りながら見つけたのは、2人とも男性だった。
 全員で来ていたらまたルルビィを怯えさせてしまったかもしれないから、先に確認しておいて良かったと思う。
 だけど村人なら採取で森に入るのは分かるけど、修道士が何をしているのか。

「巡回でしょう。最近の状況を把握しているかは分かりませんが、元々自殺の名所などと呼ばれている場所ですから」
「把握してるかもしれないなら、話を聞いてみたほうがいいかな」

 もしかしたら、自害の手助けをしているという人間について、何か知っているかもしれない。

「聞くとしても、ライルさん1人では怪しまれますよ。一度サザン様のところに戻りましょう」

 確かに近くの住民でもない僕のような子どもが、1人で街道から外れた場所に現れるのは不自然だ。
 僕は再びマリスを連れて、転移で元の場所に戻る。

「どうだった?」

 転移で僕が突然現れることに慣れてきた聖者様が、平然と振り返った。
 僕は修道士たちが巡回していたらしいことを告げる。

「…ここは年に何度か、遺体の一斉捜索をやっていたそうだが。流行り病の後は人手が足りなくて頻度を減らしているらしいから、増加に気づいているかは疑問だな。街道の近くで2人だけなら、防止のための巡回だろう」
「防止、ですか」

 確かに修道士が歩き回っていたら、樹海の奥には行きづらいだろうけど。
 気をつければ、巡回をやり過ごして進むことは出来ると思う。それほど防止効果があるんだろうか。

「死にたいなんて考える人は、すでに心が病んでる場合が多い。だけどわざわざこんな僻地に来て、確実に死ねるとも限らない樹海に足を踏み入れようなんて人は、大抵まだ迷いがある。教会で保護して話をするだけでも、引き返せる人はいるんだよ」

 サリアが頷いて、話を繋げる。

「心の奥では、誰かに話を聞いてほしいと思ってる人もいるでしょうね。そういう不安定な状態のときに、自害を後押しするような助言をされたら、流されるかもしれませんね」

 自害が増えているといっても、自害目的でこの樹海を訪れる人の数自体は、多分変わっていない。
 違うのは、伸ばされた手が引き上げるものか突き落とすものかで、結果が変わってしまうということだ。

「だからこの近くの教会の聖職者は、死にたそうな悩みを抱えている人間かどうか、顔を見れば分かるくらい慣れてるらしい」
「それじゃ僕が1人で話を聞いてみても、ただの迷子で済んだかもしれませんね」

 1人でいるのは不審に思われるかもしれないけど、自分が死にたそうな人間に見えるとはとても思えない。

「…助言をしているという人も、分かるんじゃないでしょうか」

 ルルビィが俯きながら呟いた。
 それを見つめる聖者様の目は、何故か不安げだった。

「そう、だろうな。でなきゃ天界が気にするほど増えてないだろう」

 顔を上げたルルビィは、どことなく申し訳なさそうな表情で微笑む。

「だったら、その人を見つけたら私が囮になります。助言や手助けをどこまでするのか確認できれば、教会の監視下に置くこともできるでしょう」

 囮という、不穏な言葉に驚く。
 死にたそうな人間が分かるというのなら、ルルビィが1人で森を歩いてみせても囮になるはずがない。

 僕はそう思った。だけど聖者様もサリアも苦い顔をして視線を落としている。
 この3日間、眠りに落ちる前のルルビィを見ている2人だからなのか。
 ダンは集中していて話が聞こえていないようだから、どう感じていたかは分からない。

 ルルビィが生を諦めたような表情をして、それを演技とは思われないのか。
 演技じゃなく、本当にそんな気持ちが心のどこかにあるのか。

 いろんなことが頭をよぎる。

「…天使が確認出来ていないところで、直接手を出した可能性もある。そうだとしたら危険だ」

 ようやく出てきた聖者様の言葉は、止めるには弱い。

「ライルさんの魔法で、近くで様子を見ていてくだされば大丈夫ですよ」

 今はこんなに穏やかな顔をしているのに。
 そう思ったとき、いつものよく通るダンの声が響いた。

「分かった、あっちです!」

 そして僕がさっき修道士を見かけたのとは違う、樹海の奥深い方向を指差した。

「…とにかく相手を見つけてからだ。もしかしたら他に誰かと話しているかもしれない」

 聖者様とルルビィは、少し悲しげな表情で見つめ合いながら小指を取り合う。
 集中していたダンは、やっぱり話が聞こえていなかったようで、その様子に首を傾げた。

 そして聖者様たちからルルビィが囮になるという話を聞くと、心配はしたけど囮は無理だとは否定しなかった。
 人をよく見ているダンがこんな反応をするということは、ルルビィには確かに、死にたそうな人間に見える一面もあるということなのか。

「…俺とライルで、確実に居場所を見つけてから行きましょう。ルルビィさんがそれだけやるってのに、転移が嫌だとか言ってられねぇっスよ」

 全員で歩いて行くよりも、当然そのほうが効率はいい。
 だけどルルビィが囮になることと比べられるくらい転移が嫌だというのは、僕としては微妙な気持ちだ。

「じゃあ…ダン、体を浮かせるからそこの木に掴まってて」

どこか釈然としない気持ちを抱えたまま、僕はダンと一緒に体を浮かせる。ダンはそれだけで「ひぇっ」と変な声を上げた。

「こ、これも結構…気分が悪くなりそうな…」
「すぐ慣れるよ」

 そうは言ってみたけど、ダンは木を伝って上手く体勢を保つことが出来ず、力んで枝を折ってしまっている。
 思っていたよりもずっと、大人は慣れるのに時間がかかるのかもしれない。

 そして樹海は特に目立って高い木というのがなくて、上から見るとまるで苔むした陸地が続いているようだ。一段高い木から遠くを見るよりやりにくい。

「ちょっと転移の回数が多くなるかも」
「ええ…」

 力の抜けたダンの返事と対照的に、明るい声が響いた。

「天界から地上を見ますと、どこにでも転移できますのに! 物質界の距離感というのは不便ですわね!!」

 マリスと交代してきたらしいリリスが嘆く。ダンに同情しているのかもしれないけど、騒がしいせいでそんな口調に聞こえない。

「とりあえず、行くよ」

 そして僕はダンが示した方向へ、何度か転移を繰り返した。
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