破戒聖者と破格愚者

桜木

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36.呪い

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 あのあとは結局、僕がルルビィさんの体を軽くした上で、立っているのをサリアが支えるようにして転移した。

 リリスとマリスは、可能性としてこの状況を少しは予想していたらしい。
 メリアは人に憑依しようとするときに、相手の記憶を読むと同時に、自身の記憶で相手の心を弱らせていた。
 ルルビィさんの心はもともと弱っていたから、あまり深く見せられずに済んでいたかもしれない。そう考えて、あえて記憶を刺激しないようにその心配を黙っていそうだ。
 だけどやっぱりその記憶は、まだルルビィさんの中にも残っていた。
 それが、男性として意識している聖者様に体を触れられた瞬間に蘇ったのだろうと。

 昔、メリアに不要だと判断された修道女たちは、教会を出たあと修道院に戻って一生を過ごした。
 多分みんな、男性の姿を見るだけで恐怖を覚えてしまったんだろう。

「こんなの、本当に呪いそのものじゃない!」

 と、サリアは怒りに身を震わせていた。
 唯一の望みは、その修道女たちも生涯を終える頃にはもうその記憶を失くしていたことだけど、メリアと遭遇してからどのくらい経ってそうなったかは分からない。

 今朝とはまた違う、重い空気の中で僕たちは村へ入った。
 村の人たちの態度は特に変わらず、農作業に勤しんだり普通に日常を続けている。

 昨日の状況はリベルが話を広めてしまったせいで、そうでなければ僕たちはただの旅人にしか見えない。
 そして宿屋がないような村では、旅人が教会に宿泊させてもらうというのもこの国ではよくあることだから、気が抜けるくらいすんなり進むことができた。

 ただ、旅人にしては歩みが遅いのを、ケガ人か病人でもいるのかと思われたようだ。
 何人かに声をかけられたけど、その相手が男性だと、ルルビィさんは聖者様の背中に隠れるようにして体を強張らせてしまう。

 見ている限り、聖者様に対しては触れられさえしなければ大丈夫らしい。
 でも…

 好きな人から触れられるのが怖い。
 好きな人に触れると怖がられる。

 どちらも、どれだけ辛いだろう。

 聖者様は「ひとまず村に行って休もう」と努めて優しく声をかけたけど、どんなことが恐怖を感じさせてしまうか分からずに、それ以上はほとんど言葉を交わすことなく教会に着いた。

 最初に目についた修道士に聖者様が名乗って神具を見せると、すぐにその教会の司祭が現れる。
 おじいちゃんよりは若い印象のその司祭が聖者様へ復活の喜びと歓迎の意を表し、聖者様が特別なもてなしを辞するという、昨日と同じようなやり取りが始まった。

 昨日と同じように、聖者らしい笑顔と態度で。
 あのときはその変わりようを胡散臭いと思ってしまったけど、聖者が暗い顔なんてしていたら人々まで不安にしてしまうだろう。
 これも聖者の役目としてやっているんだと、少し理解できた。

 だけど昨日と違うところもある。

「治癒などが必要な方がおられましたら出向きます。ですが教皇猊下の指示で私を迎えに来た者が少し疲れていますので、よろしければ先に休ませていただけませんか」

 おじいちゃんたちは僕の身内だから、使徒のことは打ち明けられた。
 でもここではまだ使徒の存在は明らかにしない。教皇への神託で聖者様を迎えに行くことになったのだから嘘ではないけど、やっぱり僕のような子どもが同行していることは不思議そうな目で見られている。

 そして、休ませたい人が婚約者であるということも、今の状況では言えない。

「幸い重篤な病を患っている者はおりません。お部屋をご用意いたしますから、ゆっくりお休みください。それに狭苦しいですが裏手に温泉小屋があります。村の者が仕事を終える前にどうぞお使いください」

 連れが疲れていると聞いて、司祭は聖者様にも気を遣う。
 治癒が必要な人には、翌朝教会まで来てもらうように声をかけておくということで話がついた。もしかしたら、聖者様が来ているということを伏せたまま声をかけるつもりかもしれない。
 そして間もなく、僕たちは男女別に用意された部屋に案内された。

「ルルビィ、まずは休んでくれ。サリア、ルルビィを頼む」

 ルルビィさんは静かに頷き、ずっと言葉少なだったサリアも小さく「はい」とだけ返事して部屋に入っていった。
 サリアもこんなときにどんな対応をすればいいのか、戸惑っていると思う。

 そんな中、部屋に入るなりダンが声を上げた。

「気分変えましょう! 早いとこ風呂入ったほうがいいっすよ!」

 ダンなりの気遣いだろう。
 だけど聖者様は、首を傾げながら自分の手足を動かして何か考えている。

「…全然、疲れた感じがしないんだよな」

 やっと口を開いたけど、当たり前のことじゃないかと思う。

「色々あったけど、あんまり歩いてはないじゃないですか。途中から転移で来たんだし、僕がここの場所を確認しに行ってる間は座ってたでしょう」

 ここは西隣の村より遠いから、普通に歩いていたらメリアのことがなくても夕方近くになっていただろう。
 転移を使ったからまだ昼下がりで、だから村人は働いているし、温泉だってこの時間には誰も使っていないというはずだから。

「普通の肉体は、あれくらいの時間では休憩にもならないものですよ」

 マリスの言葉で思い出す。
 そうだ、僕の「当たり前」は地上の常識とは違う。
 それを聞いて聖者様は、皮肉めいた微妙な笑みを浮かべる。

「なるほど、特別製…か。クソジジイは俺を使い倒すつもりだな」
「そこは素直に、サザン様の功績に対してのご配慮だと思えませんの?!」

 やっぱり聖者様の体も、復活のときに普通じゃなくなっていると思う。
 喜ぶべきことなんだろうけど、神にしてみればそれは聖者様に長く地上で功績を上げてほしいという理由で、地上の人が長寿を願う感覚とは違うのかもしれない。

「まあ、それはそれとして…ホント、早く風呂行っちゃいましょうよ…」

 話が逸れたことに気を落としたように、ダンが手を挙げて発言する。
 気遣いだけじゃなかったらしくて、しかも行こうと言いながら楽しそうな様子でもない。

「風呂は苦手なのか?」

 聖者様もそれは感じたらしい。

「風呂自体はいいんすよ。…ただ、その…今まで俺、男1人だったでしょ…」

 何か言いにくそうに口ごもる。

「それで?」

 聖者様に先を促され、ダンは諦めたように肩を落とした。

「サリアは家に風呂があるような育ちだから、小さい共同浴場だと男風呂まで音が聞こえるって気づいてないんすよ」

 家にお風呂があるというのは、一握りの名家くらいだろう。
 それにこの国は温暖で湿気も少ないから、庶民は水浴びで済ます人が多い。
 僕も共同浴場すら初めてだ。

「ルルビィは知ってるだろう」
「言えなかったんじゃないですかね。いきなりルルビィさんの胸が羨ましいなんて話するから、俺に聞こえてるかもなんて」

 聖者様がものすごい勢いでダンに詰め寄る。

「は? それで? 事細かに話してたのか? それを全部聞いたのか?」

 はっきり言って大人げない。
 いや、大人だから気になるんだろうか。

 確かにサリアは全体的に細いし、ルルビィさんは成人だと思っていたくらいの体形ではあるけれど。

「だって、あそこで慌てて風呂出たりしたら、水音でばれるでしょ! だから早く行きましょうって言ってるんスよ。女性陣はいつも支度が遅いから、その前に上がっておきたいんですって!」

 ようやくダンの態度の理由が分かった。
 聖者様もすぐさまマントを脱ぐ。

「よし分かった、早く行こう」

 そんな気まずい思いは僕だってしたくない。
 僕たちは隣室に声をかけずに、男3人で教会の裏手にあるという温泉小屋へと足早に向かった。
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