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30.狂信者
しおりを挟む天使画で見たとおりの、艶やかな黒髪と深い藍色の瞳、整った顔立ち。
そして白く大きな翼を持ち、神具と同じような銀と青い宝玉の装飾をいくつも身に着けた2体の天使。
「マ、マリス…?」
「リリス…」
お互いを見つめ合ったかと思うと、いきなり強く抱き締め合った。
「愛してますわ、マリス!」
「私もだよ、リリス!」
そして人目もはばからずキスまで始めようとするから、さすがに水を差すしかない。
「ちょっと、本当に反省してる?!」
声でそれぞれ男性と女性のようだとは思っていたけど、見た目も性別がないとは思えないほど成熟した男女のようで、その姿で密着されると目のやり場に困る。
「だって、マリスの顔が見られるなんて、本当に久しぶりなんですの!」
「いえ、失礼いたしました。ルルビィさんのお体が限界なのでしたね。早急に対処しましょう」
マリスがそう言って右手を上げると、その手首に嵌められていた腕輪が消えて、身の丈を超えるような大鎌が現れた。
「リリス、続きはその後で」
「そうですわね! では急ぎましょう!」
明るく顔を上げたリリスが、左手首に嵌められていた腕輪から宝玉を外す。するとその宝玉に続くようにどこから出て来たのかというほど鎖が伸びてきた。
「…なんか、天使って感じじゃないね…?」
大鎌と鎖鞭。容姿と違って天使画のイメージと合っていない。
「創世記に名を残す十大天使は別として、100位以上の天使は地上の人間にはあまり馴染みがないでしょうね」
マリスはリリスと見つめ合ったままそう説明し、僕のほうをチラリと見た。
「ライルさん、このことについてはその後で伺いましょう」
勝手に魔法をかけたことは、やっぱり良くなかっただろうか。
リリスは声の印象どおり喜怒哀楽が分かりやすく表情に出ているのに、マリスは顔が見えるようになって逆に感情が分かりにくくなった気がする。
「メリアの魂を捕縛するまでは、まだ押さえていてください」
そう言うなり翼を羽ばたかせ、空中からメリアに向かって飛び出す。
マリスは上から、リリスは低空で、打ち合わせたかのような動きで距離を詰めた。
「サザン様、お退きください!」
とっさに振り返った聖者様の手がメリアの顔から離れた瞬間に、マリスが大鎌を振り下ろす。
ルルビィさんの体に向かって大鎌が振り下ろされるというのは、血の気が引くような光景だったはずなのに、それを感じさせることもない速さだった。
「上位天使?! こんなに早く…?」
鎖を握ったリリスが、満面の笑みを浮かべる。
「この姿では初めましてですわね! わたくしはリリスですわ! マリスは凛々しくて素敵でしょう?」
「リリスの美しさも、一目見れば目に焼き付くことでしょう」
こんなときでも惚気は忘れない。
聖者様は力が抜けたように息をついた。
「間違いなくお前らだな…赦されたのか?」
それを聞いたサリアが、覆っていた手から顔を上げる。
「え? 天使?! どこ?!」
「…性別ないんじゃなかったっけか? あれ、サリアよりよっぽど…」
何かを言いかけたダンが、サリアに睨みつけられて口をつぐむ。
「赦されたわけではないと思います。よく分かりませんが今はこちらを急ぎましょう」
マリスは大鎌を持ち直す。
急だったから、僕がどんな魔法を使ったのか分からなかったんだろうか。
「リリス、手応えがおかしい」
「こちらもですわ」
リリスの握る鎖の先は、ルルビィさんの体に巻き付けられているように見える。
たださっきまでと違って表情がなく、目も虚ろになっていた。
「マリスが切り離したら、いつもはスッと抜けますのに!」
「高位霊が強制的に憑依するなど、前代未聞です。一体何をしたのですか」
そう言いながらマリスは大鎌の柄をルルビィさんの両肩にあて、リリスが鎖を引いている背中のほうに向けて押す。
すると、鎖と大鎌が体をすり抜けるように動いた。
そしてルルビィさんと重なるように、鎖に絡まれた別の人物の姿が見え始める。
長い黒髪と、藍色の瞳。凝った刺繍やレースで装飾された純白の夜着。
少しサリアに似たキツい眼差しが、天使たちを睨みつけた。
「神に選ばれたわたくしに、天使が何をするのです!」
これが、メリアだ。
ゆっくりとルルビィさんの体から引き剥がされていき、上半身だけが完全に離れたようになる。
サリアが息をのんでダンの後ろに隠れた。
天使も霊も実際に見るのは初めてだったけど、なんとなく不思議な感じだ。
透けて見えるわけでもないのに、存在感が周囲と違う気がする。
マリスがさらに柄を押しながらメリアを観察するように動くのを見て、ようやく気がついた。
影が違う。
光の向きに関係なく、天使や霊は常に天上から照らされているように見える。それに何より、地面に影がない。
これが物質界に肉体がないということなんだろう。
「これは…」
マリスが険しい表情になる。
鎖を引き寄せながら近づいたリリスは、「まあ!」と声を上げた。
「過去の修道女たちにもこんなことをしていましたの?!」
「先ほどまで、サザン様から非道な脅しを受けるあなたを哀れにも思っていたのですよ。それが…あなたは同じようなことをしたのですね」
仮にも聖者のすることに対して非道と言い切ったけど、事実だから仕方ない。
聖者様も、そこには触れなかった。
「…そいつはルルビィに何をした?」
マリスはメリアから目を離さないまま答える。
「始めに言っていたとおり、サザン様がルルビィさんを傷付けていなくても、この者には相手の心を弱らせる手段があったのですよ」
「魂を交感させていますの。これほど深く交感すれば、記憶を読むだけではなく、自分の記憶も相手に見せることになりますわ!」
メリアの記憶。
それは普通なら、思い出したくもないようなことじゃないのか。
「まるで融合しているようですよ。これではメリアの記憶を実際に体験したと錯覚するでしょう。そしてその隙なら憑依も容易いでしょうし、相手の記憶も自分のことのように読める。一石二鳥といったところですか」
「三鳥よ」
メリアが本来の姿と声で、さっきまでと比べ物にならないくらい狂気に満ちた笑顔を見せた。
「わたくしだけがあんな思いをするなんておかしいでしょう。いい加減な心持ちで神に誓約した者たちに、罰を与えてやったのです。さあ、わたくしを放しなさい天使たち。捕らえるべきは、神を侮辱するその男です」
聖者様に憎悪の視線が向けられる。
一瞬で変わる表情が、異様さを一層引き立たせた。
「言っておくが、クソ神が俺の態度に苦言を呈したことはない。神のためと言うが、お前のやったことは全部腹いせじゃないのか。お前の理屈なら、ルルビィにまで罰を与える必要はないはずだ」
「うるさい…うるさいうるさい!! いいから早く放しなさい! わたくしを肉体に戻しなさい!!」
叫び始めたメリアの服や体に、何か染みのようなものが浮かび始める。
血だ。
多分ほとんどが、生前に人を殺したときの返り血だろう。
「うわっ…」
ダンもその様子には声を上げる。
その声でサリアがダンの背後から恐る恐る顔を出したが、メリアの姿を見ると小さく悲鳴を上げてまた隠れてしまった。
「もう一度これを振るえば切り離せるでしょう。ただしそんなに暴れていては、魂に傷がつくかもしれませんよ」
マリスが大鎌の柄をメリアの首元にずらして、冷静に言った。
多分、こんな姿の霊も見慣れているんだろう。
「天使が、神に愛されたわたくしにそんなことをして許されると思っているのですか!」
「神はこの世のすべてを愛しておられますよ。一個人を特別に愛するなど、考えられません」
それを言われると、僕のことについて話しにくくなる。なんとなく気まずくなって目を泳がせてしまった。
もういっそ、気付かれるまで黙っておいてもいいだろうか。
そんなことを考えた、その時――
『狂信者の魂よ。その恢復を主意とせよ』
いくつもの音が重なっているような、重圧的な声がこの場に響いた。
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