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28.禁句
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「確認するが、お前はメリア・オーディスタだな」
聖者様は怯みもせずに、ルルビィさんの姿をしたメリアに問いかける。
「その名前は体と共に捨てました。わたくしはこれからルルビィ・ナミクとして生きていくのです。この体に婚約破棄させたいのはわたくしも同じなのですから、協力してあげますよ。あなたはこの娘のこと、要らないのでしょう?」
「そんなわけがっ…!」
声を荒げかけて、聖者様は言葉を呑んだ。
「目的は何だ」
努めて冷静にしようと我慢しているのが分かる。
さっき言っていたように、対話で納得させるつもりかもしれない。
だけどこの狂気が、対話で収まるものだろうか。
「言ったでしょう、神に仕えたいのです。神のお役に立てないままでは、天に召されても合わせる顔がありません」
生前の凶行だけでも、もうそんなことは言ってられないはずなのに。
心の底から、神のためにやったことだと思っているんだろう。
「今までの修道女たちはふさわしくないと言ったな。どうしてその体を選んだんだ」
「あの修道女たちは心根が良くなかったのです。行き遅れただとか、家が没落しただとか下らない理由で修道女になった者ばかり。神に仕えることの崇高さを理解していない下賤な者の体になど入りたくありません」
ため息をついて首を振るメリアに向かって、聖者様も深く息をつく。こちらは自分を落ち着かせるためだろう。
「事情があって修道女になる女性のほうが多いだろう」
「それでもわたくしは待ったのですよ。神のためなら何百年でも待つ覚悟でいたのです。そうしたら…」
メリアは天を仰ぎ見た。
「強い神聖魔法を感じて来てみれば、たった100年で聖者が現れた。しかもこの娘を連れて。『聖人』の称号持ちでありながら清らかな乙女。その上、神から特別な力を授かっているなんて…こんなにわたくしにふさわしい体があるでしょうか。神がわたくしのために用意してくださったに違いありません」
昨日、広域治癒を使ったときのことだろう。
それに本来「聖人」の称号は聖者の両親と配偶者に与えられるものだから、確かに未婚で持っているのは稀有な例だ。
どちらも聖者様がルルビィさんのためにしたことなのに。
今回はそれがすべて裏目に出てしまった。
「そんなわけがあるか」
さすがに今度は言葉を呑みこまず、吐き捨てるように言った。
「それほど修道女になりたかったなら、生きているときになれば良かっただろう。修道誓願は、誓約した後に守るものだ。お前みたいな被害にあった者まで拒むものじゃない」
「被害…?」
メリアはまた冷たい表情になって、僕たちのほうを振り返った。
「修道女たちの記憶では、わたくしの身に起きたことは公になっていなかったようですが。その名前、もしやと思っていましたがあのゴミ虫どもの子孫ですか」
その視線は、明らかにサリアに向いている。
メリアに根深い恐怖を持つサリアは体を強張らせたが、震える体を抑えるように自分で自分の腕を力強くつかんだ。
「違うわ、分家だったほうよ。あなたの言う人たちは“神の怒り”に打たれたわ」
「“神の怒り”? 神が、わたくしのために? ああ、やっぱりわたくしは神に愛されているのですね!」
サリアとは違う、喜びからくる身震いにメリアはその体を自分で抱きしめた。
「あの賢しい分家の娘なら分るでしょう。未亡人が修道女になれないのは、純潔を神に捧げなかったからなのだと。未婚の女は純潔であって当然だからなれるのだと。清貧・従順とは違って、純潔が失われれば貞潔は誓えないのです」
サリアは唇をかみしめて、まっすぐに強い眼差しを返す。
「それは聖教会が定めたことよ。教義で禁じられているのは不貞なんだから、私は行き過ぎた解釈かもしれないと思っているわ」
僕たちが当たり前だと思っている聖教会の解釈を否定するなんて、普通なら口にできないことだ。
常に疑問を持って考える。これが賢者の素質なんだろう。
「愚かしい…わたくしが協力してあげようと言っているのに。必要がないのならこちらも用はありません。神の御言葉を伝えれば、わたくしだけで赴いても破棄は認められるでしょう」
そう言ってメリアは僕たちに向かって歩き出す。
いや、僕たちのことなんてもう目にも入っていない。横を素通りして、首都に向かう街道へ行くつもりだ。
ただ引き留めても無駄だろうし、僕も聞きたかったことがある。
「神が、貞潔を誓ってほしいと言った?」
神の名を出すと、思った通りメリアは足を止めた。
「地上でほかの人と結婚されるのは心苦しいとか、はっきり愛しているとか言われたからそんなに自信があるわけ?」
メリアは僕を憐れむような目で見ながら笑った。
「神はそのように世俗的な御言葉は使われないのですよ。ですがわたくしは特別だと言われたのです。それだけで十分伝わるではありませんか」
メリアが異常なほど神への愛に執着しているのは、そう思わせるだけのことがあったからじゃないのか。もしかしたら神の子を宿せたのは母さんが初めてなだけで、神はほかの人間を愛したこともあるのかもしれない。そう思っていた。
だけど母さんは、メリアが聞かなかった言葉を言われている。
その上、転生して心変わりしたときのことさえ気遣われていた。
少なくとも、メリアはそうじゃない。
「神があなたを特別だとおっしゃったのは、当時の聖教会の腐敗を憂いて標準的な聖者より高い位階である魂を選んだからです。そのせいで、あれだけの罪を犯してもまだ教皇の加護を上回るほどの位階に留まってしまったのでしょう」
マリスが追いついてきて、そう事情を語った。
だけど、そんな言葉が通じる相手じゃない。
「堕天使ごときが、神の真意を語るのではありません。わたくしは罪など犯していない。すべて神のためにしたことなのですから。罪と言うならこの子どもでしょう、わたくしに嘘をつきましたね」
僕を侮蔑の表情で見る。
さっき、ルルビィさんの記憶を確かめるために聞いたことを言っているのか。
「僕は嘘なんてついてない」
「先ほどは騙されましたが、あなたはあの教会の子どもでしょう。代々教会を引き継いでいる家の娘なら、わたくしの体にしても良いと思ったこともあったのですよ。でも奇異な家法で、女は結婚を義務付けられている家だったから止めたのです。修道女になれるはずがありません」
母さんが、おばあちゃんが――100年前だからもっと前の先祖が、メリアに狙われていたかもしれないなんて。
だけどそれで、メリアの狙いが修道女だけに絞られてしまったのなら。
「最後に来た修道女にも、何かした…?」
先祖の誰かの、身代わりになってしまったのかもしれない。
「あの女は最悪です。親の望まない相手と通じて、それが露見して修道院に入れられたのですよ。貞潔を誓う資格もないのに、神に偽りの誓いを立てた。あんな魂は天に召されることすら許されません。だから、生きている資格はないと何度も意識に囁きかけてやったのです」
それはサリアが考えていた暗示――呪いそのものだ。
「なんてことをしたんですの! 神は何よりも、魂が消滅することを嘆いてらっしゃるのに!!」
そう言って飛んできたリリスを、メリアは一瞥する。
「何度も言わせるのではありません、堕天使ごときが神を語るなと。少しはこの娘を見習いなさい。心から神に感謝しているし、神から力を授かったということは、忌咎族として生まれ持った罪が赦されるほどの善行を積んだのでしょう」
「ほう――」
背後から、冷ややかな声がする。
「聖者に生まれておいて、その程度の認識か。本当に見る目がないな、クソ神は」
振り返ると、その声とは裏腹に笑顔を浮かべる聖者様がいた。
怖い。村で見た作り笑いよりも、はるかに怖い。
何があってもルルビィさんを取り戻すつもりだろうとは思っていたけれど、そこに「どんな手段を使っても」と付け加えられたような、何ともいえない寒気を感じた。
聖者様は怯みもせずに、ルルビィさんの姿をしたメリアに問いかける。
「その名前は体と共に捨てました。わたくしはこれからルルビィ・ナミクとして生きていくのです。この体に婚約破棄させたいのはわたくしも同じなのですから、協力してあげますよ。あなたはこの娘のこと、要らないのでしょう?」
「そんなわけがっ…!」
声を荒げかけて、聖者様は言葉を呑んだ。
「目的は何だ」
努めて冷静にしようと我慢しているのが分かる。
さっき言っていたように、対話で納得させるつもりかもしれない。
だけどこの狂気が、対話で収まるものだろうか。
「言ったでしょう、神に仕えたいのです。神のお役に立てないままでは、天に召されても合わせる顔がありません」
生前の凶行だけでも、もうそんなことは言ってられないはずなのに。
心の底から、神のためにやったことだと思っているんだろう。
「今までの修道女たちはふさわしくないと言ったな。どうしてその体を選んだんだ」
「あの修道女たちは心根が良くなかったのです。行き遅れただとか、家が没落しただとか下らない理由で修道女になった者ばかり。神に仕えることの崇高さを理解していない下賤な者の体になど入りたくありません」
ため息をついて首を振るメリアに向かって、聖者様も深く息をつく。こちらは自分を落ち着かせるためだろう。
「事情があって修道女になる女性のほうが多いだろう」
「それでもわたくしは待ったのですよ。神のためなら何百年でも待つ覚悟でいたのです。そうしたら…」
メリアは天を仰ぎ見た。
「強い神聖魔法を感じて来てみれば、たった100年で聖者が現れた。しかもこの娘を連れて。『聖人』の称号持ちでありながら清らかな乙女。その上、神から特別な力を授かっているなんて…こんなにわたくしにふさわしい体があるでしょうか。神がわたくしのために用意してくださったに違いありません」
昨日、広域治癒を使ったときのことだろう。
それに本来「聖人」の称号は聖者の両親と配偶者に与えられるものだから、確かに未婚で持っているのは稀有な例だ。
どちらも聖者様がルルビィさんのためにしたことなのに。
今回はそれがすべて裏目に出てしまった。
「そんなわけがあるか」
さすがに今度は言葉を呑みこまず、吐き捨てるように言った。
「それほど修道女になりたかったなら、生きているときになれば良かっただろう。修道誓願は、誓約した後に守るものだ。お前みたいな被害にあった者まで拒むものじゃない」
「被害…?」
メリアはまた冷たい表情になって、僕たちのほうを振り返った。
「修道女たちの記憶では、わたくしの身に起きたことは公になっていなかったようですが。その名前、もしやと思っていましたがあのゴミ虫どもの子孫ですか」
その視線は、明らかにサリアに向いている。
メリアに根深い恐怖を持つサリアは体を強張らせたが、震える体を抑えるように自分で自分の腕を力強くつかんだ。
「違うわ、分家だったほうよ。あなたの言う人たちは“神の怒り”に打たれたわ」
「“神の怒り”? 神が、わたくしのために? ああ、やっぱりわたくしは神に愛されているのですね!」
サリアとは違う、喜びからくる身震いにメリアはその体を自分で抱きしめた。
「あの賢しい分家の娘なら分るでしょう。未亡人が修道女になれないのは、純潔を神に捧げなかったからなのだと。未婚の女は純潔であって当然だからなれるのだと。清貧・従順とは違って、純潔が失われれば貞潔は誓えないのです」
サリアは唇をかみしめて、まっすぐに強い眼差しを返す。
「それは聖教会が定めたことよ。教義で禁じられているのは不貞なんだから、私は行き過ぎた解釈かもしれないと思っているわ」
僕たちが当たり前だと思っている聖教会の解釈を否定するなんて、普通なら口にできないことだ。
常に疑問を持って考える。これが賢者の素質なんだろう。
「愚かしい…わたくしが協力してあげようと言っているのに。必要がないのならこちらも用はありません。神の御言葉を伝えれば、わたくしだけで赴いても破棄は認められるでしょう」
そう言ってメリアは僕たちに向かって歩き出す。
いや、僕たちのことなんてもう目にも入っていない。横を素通りして、首都に向かう街道へ行くつもりだ。
ただ引き留めても無駄だろうし、僕も聞きたかったことがある。
「神が、貞潔を誓ってほしいと言った?」
神の名を出すと、思った通りメリアは足を止めた。
「地上でほかの人と結婚されるのは心苦しいとか、はっきり愛しているとか言われたからそんなに自信があるわけ?」
メリアは僕を憐れむような目で見ながら笑った。
「神はそのように世俗的な御言葉は使われないのですよ。ですがわたくしは特別だと言われたのです。それだけで十分伝わるではありませんか」
メリアが異常なほど神への愛に執着しているのは、そう思わせるだけのことがあったからじゃないのか。もしかしたら神の子を宿せたのは母さんが初めてなだけで、神はほかの人間を愛したこともあるのかもしれない。そう思っていた。
だけど母さんは、メリアが聞かなかった言葉を言われている。
その上、転生して心変わりしたときのことさえ気遣われていた。
少なくとも、メリアはそうじゃない。
「神があなたを特別だとおっしゃったのは、当時の聖教会の腐敗を憂いて標準的な聖者より高い位階である魂を選んだからです。そのせいで、あれだけの罪を犯してもまだ教皇の加護を上回るほどの位階に留まってしまったのでしょう」
マリスが追いついてきて、そう事情を語った。
だけど、そんな言葉が通じる相手じゃない。
「堕天使ごときが、神の真意を語るのではありません。わたくしは罪など犯していない。すべて神のためにしたことなのですから。罪と言うならこの子どもでしょう、わたくしに嘘をつきましたね」
僕を侮蔑の表情で見る。
さっき、ルルビィさんの記憶を確かめるために聞いたことを言っているのか。
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「先ほどは騙されましたが、あなたはあの教会の子どもでしょう。代々教会を引き継いでいる家の娘なら、わたくしの体にしても良いと思ったこともあったのですよ。でも奇異な家法で、女は結婚を義務付けられている家だったから止めたのです。修道女になれるはずがありません」
母さんが、おばあちゃんが――100年前だからもっと前の先祖が、メリアに狙われていたかもしれないなんて。
だけどそれで、メリアの狙いが修道女だけに絞られてしまったのなら。
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先祖の誰かの、身代わりになってしまったのかもしれない。
「あの女は最悪です。親の望まない相手と通じて、それが露見して修道院に入れられたのですよ。貞潔を誓う資格もないのに、神に偽りの誓いを立てた。あんな魂は天に召されることすら許されません。だから、生きている資格はないと何度も意識に囁きかけてやったのです」
それはサリアが考えていた暗示――呪いそのものだ。
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「ほう――」
背後から、冷ややかな声がする。
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振り返ると、その声とは裏腹に笑顔を浮かべる聖者様がいた。
怖い。村で見た作り笑いよりも、はるかに怖い。
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