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24.未来
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野菜のスープと硬いパン。
いつも通りの朝食。
特別なもてなしは必要ないという聖者様の意向を、おばあちゃんはちゃんと汲んでいる。
いつも通り、なのに味をまったく感じない。
空気が重いとは、こういうことかと思った。
「考える機会を与えて下さってありがとうございます。9歳の頃は本当に何も分かっていませんでした」
ただ一人、ルルビィさんだけが微笑みながら美味しそうに食事をしている。
ルルビィさんは、記憶が混乱しているわけではなかった。
ちゃんと考えて、答えを出したと語っている。
それにしても、これまでただひたすら聖者様のためにと頑張ってきた姿を見聞きしていたから、一晩でこんなにも変わるものなのかという戸惑いはある。
ダンとサリアもそれで無口になって、ルルビィさんや聖者様の様子をうかがっていた。
聖者様の姿が、一番重苦しい。
さっき治したばかりの目のクマが戻ってしまったかのように、ひどい顔色をしている。
ルルビィさんが話すことにも「ああ…」とか、まともに返事ができていない。
すんなり承諾されてこんなに落ち込むくらいなら、婚約破棄なんて言い出さなければよかったのに…と、やっぱり思ってしまう。
聖者様から見れば、ルルビィさんは年齢的にはまだ大人の一歩手前だ。
一度白紙にしてからよく考えて欲しかったという言い分も、大人の立場から出たものだろう。
だけど僕には、年齢に関係ないほどルルビィさんの行動や想いは揺るぎないものに見えていた。
成人していると思い込んでいたのは、それも一因だったと思う。
「教皇猊下直々に執り行っていただいた婚約ですから、破棄の手続きは猊下にもご了承いただかないといけませんよね。聖者様がお役目を務めながら教皇庁へ向かうのでしたら、10日はかかってしまうでしょうか」
早く正式に婚約破棄したいとでも言いたげなルルビィさんに、聖者様の食事を摂る手が増々遅くなる。
「ああ…いや、昨日言ってなかったが、用事があって少し北回りで行くから2週間はかかるかな…」
「それは残念です」
あっさりとしたルルビィさんの言葉が、さらに聖者様に刺さっている。
全員が食事を終えるまで席を立たないのが礼儀だけど、あまりにもいたたまれない。
そして、とても僕についての話をできる状態でもなかった。
「あの、もう少し家の手伝いをしておきたいから、先に失礼しますね…」
これは嘘ではないけど、離席の理由にもちょうどいいというのが本音だ。
「ああ、悪いな。こっちも早くすませる」
聖者様は少し我に返ったようになって、止まりかけていた手を動かした。
たとえ食欲がなくても、さすがに出された食事を残すようなことはしないようだ。
とりあえず、自分の食器だけを下げて洗い場に持っていく。
おじいちゃんたちは孤児院のほうで食事をしていて、まだ向こうにいるらしい。
僕はなるべく、孤児院の子どもたちに会わないようにしていた。
ここの子どもたちは僕より年下ばかりで、おじいちゃんたちのことを両親や祖父母のように慕っている。また東部教会でのように、僕を妬むような感情を持たせなくなかったからだ。
「ライル! 聖者様たちの食事はもう終わったのかな?」
東部教会でのことを一層思い出させるリベルが、食事がすんだらしい孤児院の分の食器類をワゴンに乗せて運んできた。
リベルは他の子どもたちと違って嫉妬の表現がおとなしい代わりに、ずいぶん長引かせた挙句に感情が斜め上に昇華してしまったように感じる。
「まだだし、大事な話をしてるから邪魔しないほうがいいと思うよ」
婚約という、個人の大事な話だけど。
「それならライルもいなきゃいけないだろう。ここは僕が片付けておくから」
「え、何? 珍しい…」
信仰心から修道士になったわけではないリベルは、いつもなら自分から雑用を引き受けたりはしない。
「教皇庁に向かうなら、東部教会にも寄るだろう? ライラさんに、僕がこの教会でしっかり役に立ってるって伝えてもらわないと!」
下心を隠すこともないのが、いっそすがすがしい。
「そんなにこの教会の役に立ちたいなら、司祭の資格を取ったらいいのに」
「とんでもない。さすがに助祭様が引退されれば嫌でも誰かが派遣されるんだし、そうしたら僕は東部教会に戻るつもりだからさ。そして孤児院務めが出来れば、ライラさんと一緒に大家族みたいに過ごせるじゃないか」
想像をはるかに超えた未来の図に啞然とする。
だけどこの教会の状況では、たとえ新しい司祭が派遣されてもリベルの異動願はそう簡単には叶わないだろう。多分そこまで深く考えずに来てしまったんだろうけど。
僕の大伯父が司祭をしていた頃には、おばあちゃんの兄弟たちが手伝っていたらしい。
それも次第に婿養子へ出たりして、いなくなっていった。
きょうだいの中でただ一人の女子だったおばあちゃんは家を継ぐことが決まっていて、おじいちゃんはこの教会の人手不足も見かねて助祭になった。
今はその当時よりもさらに人手が足りていない。
「ライルは知らないだろうけど、僕も青年組になってからはライラさんに頼られるようになったし、力を合わせて子どもたちを育てていたんだ」
僕が母さんと6年間会っていないと思っているとはいえ、リベルの発言に全身がむずがゆい気分になる。
母さんとリュラには「最近は拗ねなくなった」というくらいしか聞いていない。
孤児院で言う「青年組」とは15歳~17歳のことで、孤児院内の手伝いだけではなくて教会の下働きもするようになる。
未成年でも働き口はある年齢だから、この年齢で新しく孤児院に入ってくる子どもはいないし、孤児院の生活が嫌で成人前に出ていく者もいる。
それを考えると、15歳で身寄りがないルルビィさんは微妙だ。
婚約破棄をしたら、そのあとどうするつもりなんだろう。
聖者様が婚約破棄を言い出しておいて「後見人になる」というのも、称号を剥奪させないというのも、最初は何を言っているのかと思っていた。
だけど落ち着いて考えてみれば、聖者様はルルビィさんがどんな選択をして、どんな未来を歩んでも対応するつもりで心を決めていたんだと思う。
そしてルルビィさんの出自がきっかけで、神に反抗までした。
それだけ思いやっていながら、あんなに泣かせた。
言い方に気をつけていれば、今朝のように爽やかに納得できただろうか。
想像してみたけど、どんな言い方をしてもそれはなかったように思う。
サリアの「変わらなすぎておかしい」という表現が、他に言いようがないくらい今の状況に一番合っている。
今日が僕にとって新しい生活の始まりだというのに、分からないことや気になることが多すぎて、自分にとっての未来はまったく見えない始まりになってしまった。
いつも通りの朝食。
特別なもてなしは必要ないという聖者様の意向を、おばあちゃんはちゃんと汲んでいる。
いつも通り、なのに味をまったく感じない。
空気が重いとは、こういうことかと思った。
「考える機会を与えて下さってありがとうございます。9歳の頃は本当に何も分かっていませんでした」
ただ一人、ルルビィさんだけが微笑みながら美味しそうに食事をしている。
ルルビィさんは、記憶が混乱しているわけではなかった。
ちゃんと考えて、答えを出したと語っている。
それにしても、これまでただひたすら聖者様のためにと頑張ってきた姿を見聞きしていたから、一晩でこんなにも変わるものなのかという戸惑いはある。
ダンとサリアもそれで無口になって、ルルビィさんや聖者様の様子をうかがっていた。
聖者様の姿が、一番重苦しい。
さっき治したばかりの目のクマが戻ってしまったかのように、ひどい顔色をしている。
ルルビィさんが話すことにも「ああ…」とか、まともに返事ができていない。
すんなり承諾されてこんなに落ち込むくらいなら、婚約破棄なんて言い出さなければよかったのに…と、やっぱり思ってしまう。
聖者様から見れば、ルルビィさんは年齢的にはまだ大人の一歩手前だ。
一度白紙にしてからよく考えて欲しかったという言い分も、大人の立場から出たものだろう。
だけど僕には、年齢に関係ないほどルルビィさんの行動や想いは揺るぎないものに見えていた。
成人していると思い込んでいたのは、それも一因だったと思う。
「教皇猊下直々に執り行っていただいた婚約ですから、破棄の手続きは猊下にもご了承いただかないといけませんよね。聖者様がお役目を務めながら教皇庁へ向かうのでしたら、10日はかかってしまうでしょうか」
早く正式に婚約破棄したいとでも言いたげなルルビィさんに、聖者様の食事を摂る手が増々遅くなる。
「ああ…いや、昨日言ってなかったが、用事があって少し北回りで行くから2週間はかかるかな…」
「それは残念です」
あっさりとしたルルビィさんの言葉が、さらに聖者様に刺さっている。
全員が食事を終えるまで席を立たないのが礼儀だけど、あまりにもいたたまれない。
そして、とても僕についての話をできる状態でもなかった。
「あの、もう少し家の手伝いをしておきたいから、先に失礼しますね…」
これは嘘ではないけど、離席の理由にもちょうどいいというのが本音だ。
「ああ、悪いな。こっちも早くすませる」
聖者様は少し我に返ったようになって、止まりかけていた手を動かした。
たとえ食欲がなくても、さすがに出された食事を残すようなことはしないようだ。
とりあえず、自分の食器だけを下げて洗い場に持っていく。
おじいちゃんたちは孤児院のほうで食事をしていて、まだ向こうにいるらしい。
僕はなるべく、孤児院の子どもたちに会わないようにしていた。
ここの子どもたちは僕より年下ばかりで、おじいちゃんたちのことを両親や祖父母のように慕っている。また東部教会でのように、僕を妬むような感情を持たせなくなかったからだ。
「ライル! 聖者様たちの食事はもう終わったのかな?」
東部教会でのことを一層思い出させるリベルが、食事がすんだらしい孤児院の分の食器類をワゴンに乗せて運んできた。
リベルは他の子どもたちと違って嫉妬の表現がおとなしい代わりに、ずいぶん長引かせた挙句に感情が斜め上に昇華してしまったように感じる。
「まだだし、大事な話をしてるから邪魔しないほうがいいと思うよ」
婚約という、個人の大事な話だけど。
「それならライルもいなきゃいけないだろう。ここは僕が片付けておくから」
「え、何? 珍しい…」
信仰心から修道士になったわけではないリベルは、いつもなら自分から雑用を引き受けたりはしない。
「教皇庁に向かうなら、東部教会にも寄るだろう? ライラさんに、僕がこの教会でしっかり役に立ってるって伝えてもらわないと!」
下心を隠すこともないのが、いっそすがすがしい。
「そんなにこの教会の役に立ちたいなら、司祭の資格を取ったらいいのに」
「とんでもない。さすがに助祭様が引退されれば嫌でも誰かが派遣されるんだし、そうしたら僕は東部教会に戻るつもりだからさ。そして孤児院務めが出来れば、ライラさんと一緒に大家族みたいに過ごせるじゃないか」
想像をはるかに超えた未来の図に啞然とする。
だけどこの教会の状況では、たとえ新しい司祭が派遣されてもリベルの異動願はそう簡単には叶わないだろう。多分そこまで深く考えずに来てしまったんだろうけど。
僕の大伯父が司祭をしていた頃には、おばあちゃんの兄弟たちが手伝っていたらしい。
それも次第に婿養子へ出たりして、いなくなっていった。
きょうだいの中でただ一人の女子だったおばあちゃんは家を継ぐことが決まっていて、おじいちゃんはこの教会の人手不足も見かねて助祭になった。
今はその当時よりもさらに人手が足りていない。
「ライルは知らないだろうけど、僕も青年組になってからはライラさんに頼られるようになったし、力を合わせて子どもたちを育てていたんだ」
僕が母さんと6年間会っていないと思っているとはいえ、リベルの発言に全身がむずがゆい気分になる。
母さんとリュラには「最近は拗ねなくなった」というくらいしか聞いていない。
孤児院で言う「青年組」とは15歳~17歳のことで、孤児院内の手伝いだけではなくて教会の下働きもするようになる。
未成年でも働き口はある年齢だから、この年齢で新しく孤児院に入ってくる子どもはいないし、孤児院の生活が嫌で成人前に出ていく者もいる。
それを考えると、15歳で身寄りがないルルビィさんは微妙だ。
婚約破棄をしたら、そのあとどうするつもりなんだろう。
聖者様が婚約破棄を言い出しておいて「後見人になる」というのも、称号を剥奪させないというのも、最初は何を言っているのかと思っていた。
だけど落ち着いて考えてみれば、聖者様はルルビィさんがどんな選択をして、どんな未来を歩んでも対応するつもりで心を決めていたんだと思う。
そしてルルビィさんの出自がきっかけで、神に反抗までした。
それだけ思いやっていながら、あんなに泣かせた。
言い方に気をつけていれば、今朝のように爽やかに納得できただろうか。
想像してみたけど、どんな言い方をしてもそれはなかったように思う。
サリアの「変わらなすぎておかしい」という表現が、他に言いようがないくらい今の状況に一番合っている。
今日が僕にとって新しい生活の始まりだというのに、分からないことや気になることが多すぎて、自分にとっての未来はまったく見えない始まりになってしまった。
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