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22.神子
しおりを挟む「だからライルは、あんなにいっぱい魔法が使えるんだね」
リュラも、いつも通りだ。
「柔軟だよね。僕なんか、まだ頭がごちゃごちゃしてるのに」
そう言うと、少し不満気にリュラが僕の顔を覗き込むようにしてくる。
「そんなことないよ、ライルにはいっぱいビックリしてきたんだから」
「リュラのは慣れよね」
そうかもしれない。
僕には当たり前のことでも、リュラなりに驚いてきたんだろう。
「でもライルが混乱するのも仕方ないわよ。神だって、人との間に子をなせるのはずっと先のことだと考えていたそうだから」
「いつかはできるものだったんだ」
母さんは、少し首を傾げる。
「できると言うより、できたらいい、という理想ね。それこそ人が神の位階に到達して、天使も神も地上に受肉できたなら…って。私は癒されたけど、病んで消滅してしまう魂もいるの。神は創世以降新しい魂を創り出せなくなっていたから、魂が消えていくのと人々が神の位階に到達するのとどちらが先だろうかって…途方もない話よ」
今、地上には多くの人間がいる。
天界にも地獄にも多くの魂が存在するはずなのに、それが少しずつでも消えていくことを懸念するほどに、神の位階は遠いということなんだろう。
それなら『魂攫い』をしている存在を、魔王と呼ぶのも分かる気がする。
「でも…それなら神が受肉したわけじゃないんだよね?」
「あなたは天界で、私の魂の中に宿ったの」
もともと混乱していたけど、やっぱり理解が追い付かない。
「私はあなたを宿したまま転生したの。神も全能ではないから、想定外のことは起こるのよ。最近だと、性別がないのに天使同士が結婚したそうだし」
頭の中を、薄紅色と若草色の発光体がよぎる。
確かにあれは想定外だろう。
「じゃあ、神が地上の人間と親しくなりたいっていうのは、神の位階に近づいて新しい魂を生み出せるようになって欲しいってこと?」
「そういうことでもあるけど、人々が思っているより神は孤独なのよ」
そう言ったあと、母さんはうつむいて少し悲しそうな顔をした。
「私も、天界に残れるくらい高位の魂だったら良かった…そうしたら長くあの方のお側にいられたのに」
そして僕に視線を戻したから、僕も起き上がって目線を合わせる。
「神の位階に程遠い私との間に宿った子だから、あなたがどんな子になるか分からなかったの。神と人の中間のようになるかもしれないし、どちらかだけに似るかも。…もしかしたら、神が創った原初の魂のようだったかも」
原初の魂。
それは今なら、地獄と呼ばれる最下層の魂に近いものだろうか。
「だから天使たちにも秘されたのだけど、きっとあなたは今生を終えたら神子として天界に留まることになるわ。あの方を支えて差し上げてね」
神の子だとは納得できたけど、急に天界と言われてもどう答えていいか分からない。
「それって、来世じゃライルに会えないってこと?」
僕が戸惑っている内に、リュラが母さんを見上げた。
「人間はみんなそうよ。来世でまた会えるかなんて分からないの」
「でも、絶対会えないなんて」
リュラがうつむきながら、髪を引っ張るように口元で握りしめる。不安を感じたときのリュラの癖だ。
母さんはその手をそっと包んだ。
「それなら私たちも、天界に留まれるくらい魂の位階が上がるように生きましょう」
「うん! 私も修道女になればいい?」
ぱっと明るくなった顔を上げるが、それは違う。
「リュラ、それじゃ本末転倒だから!」
「そうよ、結婚できなくなるわよ」
母さんが笑って、リュラを抱きしめる。
「来世も気になるでしょうけど、今の人生を大事にすることが一番よ。善く生きればいいの」
天界に留まれるほど位階を上げるのはそう簡単ではないと思うけど、母さんの言葉でリュラは落ち着いて頷いた。
「ごめんなさいねライル。あなたも今は今の人生のことだけ考えて生きればいいのよ」
落ち着いたのはリュラだけではなかったらしい。
神の子を宿せたのに、神の孤独には寄り添えない。
母さんは、そんな自分をもどかしく思っていたんだろう。
「修道女になったのは、私が一人で決めたことよ」
いつもの穏やかな口調に戻って、僕の最初の質問に改めて答え始める。
「あなたが受肉するためには、私が地上で結婚して、できた子どもをあなたの魂の器にすることが自然ではあったけど。私は神を愛しているし、神も私を愛しているからそれは心苦しいとおっしゃって…」
照れるように両手で頬を覆う母さんの姿は新鮮だったけど、こんな形で親の惚気話を聞くことになるとは思わなかった。
「それでも、地上で私が心変わりしたなら、そう祈ればいいとおっしゃったわ。私の気持ちは変わらなかったけど、地上に生まれてからは神のお声は聞こえないし、祈るだけでは不安だったから。修道誓願をして神に仕えると、行動で示したかったの」
つまり、さっきの母さんの答えも嘘ではない。
そして母さんは、修道誓願を破っていない。
「それに、家であなたを産んでいたら村の人が疑われたでしょう。ここでも破門は覚悟していたけど、教会も警備には絶対の自信があったから、辻褄の合う話に行きついてしまったのよね。今はここの子どもたちを育てるのが生き甲斐みたいなものだから、私は良かったけど」
ずいぶんと周囲にも迷惑をかけて生まれてしまったと思う。
「黙秘しなくても良かったんじゃない?」
「神の子だからと高慢にならないように、特別扱いされずに育ってほしいと、それが神と私の願いだったの。だから本当のことは言えないし、嘘も言えなかったから」
申し訳ないとは思っているようで、困ったように笑う母さんに、リュラが問いかけた。
「何を黙秘したの?」
「神の子だということよ」
母さんはこれにも、嘘ではない範囲でかわす。
考えてみれば、僕に話をするときもそうやって嘘はつかないようにしていた。
嘘は魂の穢れに繋がるから、少しでも魂の位階を上げたいという母さんの努力なんだろう。
「聖者様には話そうと思うけど…僕って、ものすごく自然の理に反した存在だよね?」
同じ自然の理に反した存在なのに、人々を救って復活した聖者様が子孫を残すなと言われ、神の都合で生まれた僕がなんの制限も受けずにいる。
それが後ろめたかった。
「なるべく自然に近いように、半分はちゃんと私の体からできているはずだけど…そうね、もしあなたの魂が地上の位階とかけ離れていたら、普通の肉体では心配だとおっしゃっていたし」
「心配?」
僕の魂は、実際に地上の位階とかけ離れているんだろう。
でもそれが肉体とどう関係するのか。
「私も高位の魂や魔法についてはよく分からないの。だから聖者様に引き合わせてくださったのだけど」
それなら、体の傷が心にも影響するという話かもしれない。
だけどそれは、位階に関係なく地上の人間すべてに当てはまる話にも思える。
「話しづらいなら私からお話しするわよ。もともとそのつもりだったのに、あなたが魔法を使うようになった頃からあの病でお忙しくなって、お会いできないままだったし」
「それは、自分でちゃんと話すよ。…詳しい話は、母さんからしてもらったほうがいいと思うけど」
少し話に区切りがついたところで、リュラが小さくあくびをした。
今日は待ち疲れさせてしまったかもしれない。
「お会いできるのを楽しみにしているわ。もうリュラを送ってあげて」
いつも遮音と気配隠蔽を重ねがけして、転移でリュラを部屋に送ってから帰っている。
「その前に、ライル」
母さんが手招きするから、リュラに聞かせられない話だと思って、リュラの反対側から母さんに耳を寄せた。
「院長先生がおっしゃったのはね、男の子と女の子で別々に体のこととかのお話しをする前置きよ。ここでもそういう教育はするから大丈夫」
小声で囁かれ、1、2秒考えた。
「…母さん、息子にそういう話はしなくていいから」
「あら、大事なことでしょう?」
そう言って笑う母さんは、やっぱり普通の母親にしか見えなかった。
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