破戒聖者と破格愚者

桜木

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20.大人と子ども

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「聖者様だって本当は、このまま結婚したいんでしょう。ルルビィさんの気持ちが刷り込みだとしても、ルルビィさんも結婚するつもりでいたのに、あんなに泣かせてまで考え直してもらう必要あるんですか?」

 あんなに泣かせて、という言葉には少し表情が曇ったけど、聖者様は顔を隠したまま話していたときよりは感情を出さずに、言い聞かせるように答える。

「…だから、ルルビィはまだ9歳だったんだ。俺しか頼る人間のいない状態で、正常な判断ができたと思うか? …それに」

 一瞬、目を逸らされる。

「…子どもは知らなくていい」

 まだ、言っていないことがあるらしい。
 だけど僕はいいとしても、ルルビィさんにはちゃんと言うべきだと思う。

「9歳でも、婚約の意味はちゃんと分かってたんでしょう?」
「子どものうちの好意は、憧れとか依存と区別できてないだろう」
「僕は6歳で求婚プロポーズしましたけど」

 聖者様とダンが顔を見合わせる。

「…母親に?」
「そういうのじゃありません!」

 確かに、僕の年頃にしては母親離れ出来ていないとは思う。
 だけどそれは、母さんが数少ない僕の理解者だという事情のせいだ。

 それに、母さん以外の大人に僕とリュラの話をしても、子どもの戯言だとまともに聞いてくれないのは分かっている。
 だから今までおじいちゃんたちにも言わなかったけど、子どもだったという理由だけでルルビィさんの気持ちを否定されたことに我慢ができなかった。

「同い年のです。今でも気持ちは変わってません」
「えっとなぁ…子ども同士の約束とはまた違うんだよなぁ…」

 思った通り、ダンが困ったように頭を掻く。

「今でも、か」

 聖者様はテーブルに腕を乗せ、少し前のめりになって顔を寄せて来た。

「それじゃあ、これからは? いつか結婚したとして、どんな生活をする? 使徒は旅が続くと言っただろう。君は転移でいつでも帰れるだろうが、人目を忍んで帰る夫を持つ妻はどう暮らすんだ? 子どもでもできれば、周囲にどう見られるだろうな」

 言葉に、詰まる。
 今まで漠然と、リュラが孤児院を出たらこの村に来ればいいと思っていた。

 だけどこの家は、長い間家業として教会運営をしていたから、家と教会が一体化したような造りになっている。
 僕が教会を継がずに新しい司祭が派遣されたら、今さら教会と個人で所有部分を分けるのは難しいだろう。
 そうなれば僕は、いつまでもこの家にはいられない。

「…悪い、八つ当たりしたな。君が成人するまでまだ時間はある。先のことなんてそれまでに考えればいい」

 子ども相手に、こうやってすぐに自分の非を認める大人は珍しい。
 ダンとは違う意味で、憎めない人だとは思った。

「…いいですよ、先のことをよく考えてなかったのは事実ですから。それと…」

 一呼吸おいて、わざと強調してみせる。

「さっきみたいに『お前』でいいですよ」

 聖者様には言った自覚がなかったらしく、口を押えて失敗したという顔をしている。
 ルルビィさんの気持ちを否定された憤り分くらいの意趣返しにはなっただろうか。

「リリスにはお言葉はないのですか」

 こちらもまだ憤っていたらしいマリスが、聖者様の目の前に迫る。

「ああ、悪かったな。だけどリリスは余計なことをしゃべり過ぎだ」
「サザン様」

 そんなに迫ったら焦点が合わないだろうと思うくらいに近づくマリスに、リリスが寄り添う。

「マリスがわたくしのために怒ってくれるだけで十分ですわ」
「すまないリリス、こんなときに天使の姿だったら良かったのに」
「天使のマリスが怒ったら、聖者様がまた天に召されてしまいますわよ!」

 何か、物騒なことを囁き合いながらイチャつき始める。
 実体がないから本人たちはこれでももどかしいのかもしれないけど、この調子で本当に天使に戻れる日が来るのだろうか。

「…えぇっと、聖者様」

 ダンが言いにくそうに口を開く。

「俺の勘…いや、予知ですね。ルルビィさん、明日には婚約破棄を受け入れますよ」

 いつ感じていたんだろう。
 聖者様は自分の手元を見つめて、寂しそうに笑った。

「サリアのおかげかな」

 たとえ一時的な婚約破棄になったとしても、そんな顔をするくらいなら言わなければ良かったのに。



――その予知が、僕たちが想像しているものとはかけ離れた形で実現するとは、このときは誰も思っていなかった。



***



 夜がふけて、僕は母さんの部屋に転移する。

「おかえりライル!」
「リュラ?!」

 待ち構えていたように飛びついてきたリュラに驚く。

「今日は来れないかもしれないって、言っておいたよね?」

 急いで遮音魔法をかける。

「来られなくても待っていたかったんですって」

 後ろで母さんが、微笑ましそうに見つめていた。
 部屋ではいつも頭のウィンプルを外しているけど、僕より黒味のある銀髪だから薄暗い中だとあまり違和感がない。

「院長先生に見つかったら怒られるよ。戻って来るときには迎えに行くから」

 本当に警戒しているのは院長先生よりも、他の子どもに見つかって、リュラが贔屓されていると妬まれるかもしれないことだけど。

「院長先生がね」

 リュラが琥珀の瞳で見上げてくる。

「私たちくらいの齢になったら、男の子は男の子同士だけで遊びたがるんですよって。でもライルはみんなより大人っぽいから、大人の人たちと旅をするなら、そっちのほうが楽しくなっちゃうのかなって思って…」

 金色がかった薄い茶色の髪を揺らして、返事を待っている。
 この髪を陽の下で見たら、金色に近い部分が透き通るようでとても綺麗なのに。もう何年も見ていない。

「リュラといるほうがいいよ」

 そう言って抱きしめ返すと、満足そうに笑う。
 僕が同じ年頃の子どもより大人っぽいなんて、言葉が分かるようになるまでの数年の差だと思う。
 本当はまだまだ子どもだと、今日は思い知らされたばかりだ。

「聖者様には、無事にお会いできたのね?」

 そう聞く母さんとリュラに、僕はとんでもない今日一日の出来事を話した。



 ***



「そんな…婚約者さん、かわいそう…」
「聖者様にも事情があったんじゃないかしら」

 そう言う2人に、称号の話も交えつつ、聖者様の「事情」を説明する。

「そんなに、子どもの気持ちって信用できないものかなぁ」

 母さんのベッドに、リュラを挟んで3人で座りながら話を続けた。

「いろんな事情もあるのでしょうけど。大人になって気持ちが変わってしまう人は、確かにいるわね」
「私は、ずっとライルのこと好きだから!」

 なんの躊躇もなくそう言ってくれるのが嬉しい。

「うん、僕も好きだよ」

 笑って応えると、リュラがうつむいて顔を赤くする。
 こんな反応が返ってくるようになったのは1年くらい前からで、僕たちも変化はしていると思う。

「大事なのは、お互いを尊重することよ。ずっと好きでいられるのは良いことだけど、もしもどちらかの気持ちが変わっても、ちゃんと話をしてね」

 そう言って母さんは僕たちの頭を撫でた。

 いつも通りの、優しい母さん。
 だけど僕は、自分の中に湧いてきた疑問を、はっきりと母さんに聞かなければいけないと覚悟を決めていた。
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