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17.予感
しおりを挟む大事な話と言われて、何となく気が引き締まる。
そんな僕たちの空気に、聖者様は落ち着かせるように手のひらを振る。
「大事な話と言っても、最初に話したことだ。聖者の役目についてはルルビィが説明してくれた通りで、俺は全うするつもりだ。しかし神をクソ神呼ばわりする人間が聖者をしている。君たちは称号を授かった上で使徒を辞退してもらっても構わない」
「使徒を辞退しても、称号を授かって良いのですか?」
サリアの当然の疑問に、聖者様は左手を見せて頷いた。
その手首には、銀と青い宝玉で作られた腕輪がはめられている。教皇から加護を受けた神具で、与えられた本人しか身に着けられないという、称号持ちの証だ。
もちろん、それはルルビィさんの手にもある。
「ああ、称号を授かるとなにかと便利だ。衣食の保証は受けられるし、どこの教会でもできる限りの協力をしてもらえる。サリアなら学識者に対しての発言力が強まるし、ダンは予知能力を気味悪がられることもないだろう。それに称号は教皇が授けるものだが、使徒は一緒に行動する俺が嫌だと言えばそれまでだ。体裁が悪ければ、別行動ということにしてもいい。…ルルビィは俺がいない間に、勝手に選ばれて役目を押し付けられたわけだが」
ルルビィさんは、称号持ちだけど使徒ではなかった。
僕たちを探すための“選眼”という力を神から与えられて、弟子から使徒という立場に変わったのだ。
「押し付けられただなんて。聖者様のためのことが出来るに役目就けて嬉しかったです」
聖者様のことを語るとき、ルルビィさんはいつも何の苦労も感じさせない笑顔を浮かべる。
だけどルルビィさんが使徒を探すために与えられたのは、神に選ばれた人間を「見れば分かる」ようになっている“選眼”と、「1人目の使徒は予知能力者」という神託だけだった。
あまりにも不親切だと思うけど、神託とはそういうものらしい。
そして使徒の存在を公表して、我こそはと名乗り出た者に碌な人間はいない。そんな前例から、ルルビィさんは自分で「見る」ために旅に出た。
「先のことを言い当てる者」「勘の鋭い者」…いろんな噂話を聞いては会いに行くことを繰り返したそうだ。
ダンを見つけるまでの5年間、どれほど不安だったろうか。
年齢を知ってからは、なおさらそう思う。
「聖者様の生前に決まっていれば、ルルビィさんが苦労されることもなかったのに」
サリアも同じように思っていたようだ。
いつもの、冷静で少し厳しめな口調に戻っている。
「…使徒は、ある程度功績を認められた聖者に付くものだからな。俺の場合は殉教が決定的だったし、いたとしても君たちは追加で選ばれたと思う」
ルルビィさんの苦労と言われると、聖者様も弱いらしい。
面目ないといった様子で、事情を語る。
「復活されると思ってなかったなら仕方ありませんけど、せめてもう一人弟子をお取りになっていれば、ルルビィさん1人でなんて危ないこと…」
そう言いかけたサリアに、聖者様は激しく反応した。
「1人でって、まさか」
力が入ったのか、叩くようにテーブルについた手に、ルルビィさんがそっと両手を重ねた。
「違います、聖者様。教皇猊下は聖教会で候補者を探してから、教皇庁に連れてこようとしてくださいました。でも私が、ただ待っているのが嫌だったんです」
気を使わせたくないのか、ルルビィさんは笑顔で聖者様を見つめる。
だけど、いつもの柔らかい笑みとは違うように感じた。
「…教皇庁の居心地は悪かっただろう」
自分を落ち着かせるように、深く息を吐きながら言う。
「ルルビィさんの状況、ご存じなかったんですか」
「修行に集中するように、地上を見えなくされていたからな」
聖者様は目を閉じてこめかみを押さえた。
僕でさえルルビィさんのこの6年間に心を痛めるのに、聖者様からすればどれほどの感情を抱くだろう。
「…話を戻そうか。とりあえず復活の宣言と称号を授かるために教皇庁へ行く。それまでに考えてくれればいい」
「俺は始めに言ったとおり、問題ないっすよ!」
ダンは胸を張って即答した。…つもりなのだろうが、どうしても猫背気味の体勢が変わらない。
「だから、使徒になるならその言葉遣いと態度に気をつけなさいと言ってるでしょう。教皇に拝謁するのよ」
サリアがいつもどおり、厳しくダンに釘を刺す。
「拝謁かぁ…それは緊張するなぁ…」
「今の教皇はそれほど気難しい人じゃない。恐いのは枢機卿あたりの大幹部だな」
聖者様から励ましているのか脅しているのか分からない言葉をかけられ、ダンの背中がさらに丸くなる。
「聖者様の言動に問題は感じますけど、辞退をするつもりはありません。でも一応、期限まで考えさせていただきます」
「そうしてくれ」
サリアらしい慎重な答えに、聖者様はハハッと笑い声を上げた。
「ただ、ライルはな…しばらくは俺といたほうがいいだろう。高位階の魂について、まだ教えることはある。それに使徒の肩書がないと、他国からも手出しされそうだ」
「僕も、辞退するつもりはないですよ」
自分でそう決めたのだから、簡単に覆すつもりはない。
「それから、なるべく人々と交流するために、基本は徒歩の旅になる。慣れるまできついぞ」
「俺とルルビィさんは旅慣れしてますよ!」
一目で年季の入った旅人だと分かるダンは、長旅が初めての僕には頼もしい。
一方、サリアは少し自信がなさげだ。
「私もこの数カ月で少しは体力もつきましたけど…それについては多少ご迷惑をおかけするかもしれません」
「僕も普段は教会の手伝いくらいしかしてないし、知らない場所には転移できないから、重力魔法で荷物を軽くするくらいしかできませんけど…」
そう言うと、また視線が集まった。
「あなた、聖峰で息切れもしてなかったわよね。鍛えてるんじゃないの?」
「俺でも今日はきつかったぞ。魔法使ってたのか?」
重力魔法のことで視線を集めたと思ったのに、予想外なことで驚かれていた。
「帰るときしか魔法は使ってないよ。それに僕だってきつかったよ? でもちゃんと小休止しながら登ってたんだし…」
それでもダンとサリアの視線は変わらない。
「体力も規格外みたいだな。それなら大丈夫だろう」
聖者様はもう、呆れることすら諦めたような笑いを浮かべる。
腕力や足の速さは人並みだと思うけど、そう言われると確かにあまり体が疲れたという記憶はない。「子どもは元気だね」という周囲の言葉を、そのままに受け取っていた。
「使徒になった後でも、辞めたくなったらいつでも言ってくれればいい」
確認をするように僕たちをもう一度見回して、聖者様はまた深く息をついた。
なぜか少し、緊張しているように見える。
「ルルビィとは、少し2人で話がしたい」
「は…」
いつものように「はい!」と答えかけたのだと思う。
聖者様の顔を見つめるルルビィさんの表情が、突然困惑の色を見せた。
「…ここでは、いけませんか?」
後になって思えば、これからされる話にとてつもなく悪い予感を覚えたんだろう。
「ここでお話を聞いては、いけませんか?」
このときのルルビィさんは、1人で話を聞くことを怖れていたと思う。
聖者様はしばらくうつむいた後、心を決めたように顔を上げて、言った。
「ルルビィ。婚約は破棄しよう」
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