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16.魔王
しおりを挟む「俺がもう少し故郷でガマンしてたら、ルルビィさんにそんな苦労させずにすんだのに…ホント申し訳ないっす!」
聖者様の様子を感じていないのか、ダンが声を響かせて頭を下げる。
「けど、潜る例えはルルビィさんが考えたんなら、登山の例えって…」
「ルルビィが7歳くらいのときに俺が教えた話だな」
「どうりで俺でもなんとなく分かると思った!」
サリアとはまた違う勢いで空気を変えるダンに、聖者様は苦笑して前髪をかき上げた。
「話が逸れたな。マリス、続きを」
促されて、マリスが続ける。
「この方法が危険なことはもちろんルシウス様もご承知でしたから、魂が転生待ちをしている間のわずかな期間だけなど、いくつか提案されました。それでも神は許されませんでした。そしてルシウス様は、解決策を探るために自ら最下層まで降りられたのです」
「神に堕とされたわけではないのですね」
サリアは洞窟で話を聞いていたときのように、今にも紙とペンを欲しそうな勢いだ。
「神は、最下層の魂を救おうというお気持ちを罰したわけではありません。堕天使とされたのは、ルシウス様が戻らず、天使としての仕事を放棄したからです」
「第1位天使の仕事とは…」
「『魂攫い』に関係ない」
サリアの好奇心が本題から逸れそうになると、聖者様が即座に止める。
不満気にしながら、サリアは再びマリスの話を聞く体勢に戻った。
「天使は、広い階層の移動に耐えられます。それでも最下層に長期間留まれるはずはないのです。ですが、天界の者たちがルシウス様の消滅を覚悟し始めた頃から『魂攫い』が起きるようになりました。『攫い』と呼ばれるのは…僅かですが、魂が消える直前に地獄へ引き寄せられているのを目撃した天使がいるからです」
「ルシウスが消滅せず、もともとの提案通り地上の魂を使うために強硬手段に出たと?」
マリスがほんの少し、沈黙した。
「ルシウス様をよく知る上位天使には信じがたい話ですが、天界でもやはりそのような憶測がありました。そして、ルシウス様が最下層に適応できる何かしらの変異を起こしたとしたら、もはや私どもの知るルシウス様ではなくなっているかもしれません…」
心苦し気なマリスを見かねたのか、リリスが前に出る。
「憶測ばかりで天界も落ち着きませんでしたから、もしもルシウス様が変異されていた場合は魔王と見なして神が自ら対処されるとお達しになられましたの! 天使は地上から消えた魂を深追いせぬようにと!」
「『魔王』は仮称だったんですか」
「そうですけれど、そう考えた方が辻褄の合うことが多くて、すっかり広まってしまいましたわ…」
幻妖精たちは「ルシウスをよく知る上位天使」に入るのだろう。
ルシウスの堕天について語ろうとすると、どこか辛そうだった。
「確かにそう考えると、元聖者のメリアの魂なら、悪意をぶつけ合って位階が下がっていても十分『使える』だろうな」
第三者である聖者様にとっても、天界の憶測は辻褄の合う話だったようだ。
「そもそもですけど、なぜ神やルシウスはそうまでして魂の位階を上げようとするんですか? 人間が神の位階に近づきたがるのは分かります、神学以外でも魔術や錬金術で神の位階を探求する者は多いですから」
サリアの疑問を不思議に感じた。
教会で教わる説話の中に、そんな話があったと思う。
「神が、地上の人間と親しくなりたいんだよね?」
みんなの視線がまた集まる。が、今回は予想していなかった。
おかしなことを言った自覚はない。
「神の真意は、存在が別格過ぎて人間どころか天使にも理解できないっていうのが定説なんだが…」
真面目に考え込む聖者様を見て、自分の記憶を改めて思い返す。
…そうだ、母さんだ。
母さんも教会関係者だから、母さんが語る神の話と教会で聞かされる神の話を同じように考えていた。
だけどこの話をしたのは、母さんだけだった。
「あ…そうじゃないかっていう想像の話です、多分」
「母親の話だな?」
僕は母さんの言動に疑問を持ち始めたばかりで、まだ母さんは普通の人だという考えから完全には抜け出せないでいる。
だけど聖者様は、母さんには何かあると確信しているようだった。
「実際のところはどうなんですか? 『親しくなりたい』だとしたらずいぶん俗っぽい理由に思えますが」
「神は創造主だが全能じゃない。だから作り損ねを補正している…という『想像』だな」
聖者様は「想像」を強調して僕を横目で見る。
また一つ、神の企みのヒントを得たという顔をしていた。
僕としては、自分を探られるより母さんを探られる方が心地が悪い。
「まあ気にはなるが、君の母親を無理に問いただそうなんて思ってないから、そこは心配するな」
僕の不安を見透かすように付け加えてくる。
さっきも母さんについて聞きながら、僕とおじいちゃんたちに残された時間を気にしてくれていた。そういう人だ。
やっぱり母さんには、自分でちゃんと話を聞くべきだと思った。
「ルシウス様は純粋に魂の救済のためですわよ!」
「位階の高い世界ほど、人々は暮らしやすいのです。簡単に言えば幸福度が高くなります」
リリスとマリスは、天使の立場としてルシウスの考えを代弁し始める。
天使も人間と同じく神の創造物だ。聖者様の言うとおり、神の真意までは言及しなかった。
「俺もそうだな。クソ神の真意はどうでもいいが、人々がより高い位階へ上がれたらいいと思ってる。それに天界は確かに快適だが、魂の本能というか…どうしても肉体を持って生まれる地上に焦がれる。天界で地上の位階が上がってくるのを待っている魂も多い」
「天界とは具体的にどのような…」
再びサリアの好奇心に火が付きそうになったところを、聖者様は押し留めるように手を上げて制した。
「『魂攫い』の話は終わっただろう。今日はここまでだ」
「えぇ~…」
言葉遣いに厳しいサリアが、珍しく不満気な声を上げる。
「どうしてそう、話を切り上げようとするんですか。会話というものは気になったところを拾って広げていくものでしょう」
サリアはどうにも気が収まらないらしい。
「君が知識を吸収するのを手助けしたいとは思うんだが」
聖者様は、大きく一つ息をつく。
「今日はまず、大事なことを先に話しておきたい」
そう言って、改めて僕たちを見回した。
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