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11.血塗れの聖女
しおりを挟む聖女メリア。
血塗れの聖女という方が有名だ。
100年ほど昔の人物で、聖者だと預言を受けて生まれたらしい。
それなのに、成人して正式に称号を授かる直前に、屋敷のメイドを何人も殺害して逃亡した。
逃亡中にも修道女や若い女性を殺害し続けて、被害者は33人に上ったという。その足取りから東部に逃げ込んだのは確かで、この村では、聖峰に姿を消したと言われている。
この国始まって以来の殺人鬼として、今も恐れられていた。
「その後、この教会に修道女が務めると、みな数日の内に『血塗れの聖女に呪われる』と取り乱して出て行ったのです」
これだけでも不気味に思われる話なのに、悪いことは続いた。
「最後に来た修道女は取り乱しこそしませんでしたが、修道女を辞めると言って出て行った後、街道沿いの森で変わり果てた姿で見つかりました。自ら命を絶ったらしいのですが…」
教会では、自害した魂は天に召されないと教えられている。
おじいちゃんは十字を切りながら続けた。
「それでこの教会では、修道女を務めさせることをやめたのです。ですが不吉だという噂が広まって、司祭様や修道士にもなかなか来ていただけなくなってしまいました」
それが、この教会が深刻な人手不足である一番の原因だ。
この教会の最後の司祭は、おばあちゃんのお兄さん、つまり僕の大伯父にあたる人で、そうやって一つの家で司祭を引き継ぎ続けていたせいもある。
だけど継げる人間がいなくなって司祭の派遣を要請しても、応じる者がいなかった。
修道女がいなくなったからか、もう90年以上血塗れの聖女に関する出来事は起こっていない。
それでも村の人はその名を口にすることさえ不吉に思っているし、今でも修道女を派遣してもらうことは決断しにくい。
母さんは、修道院に出入りを禁止されても「神に仕えられるならどこでもいいの」と言っていた。還俗する気は全くない。
おじいちゃんも、そんな母さんを呼び戻すのは不安だろう。
「リベルだけでは心配ですので、私はあちらに行ってきますね」
孤児院の子どもたちが気になっていたらしいおばあちゃんが、会釈をして立ち上がる。
「私もそろそろ失礼いたします。皆様はどうぞごゆっくりなさってください」
おじいちゃんも立ち上がり、僕の頭に手を置く。
「奔放な子で、教会を継がせるつもりはありませんでしたが、聖者様の使徒にしていただけるとは思っておりませんでした。どうかよろしくお願いいたします」
そしておじいちゃんたちは、そろって聖者様に向かって深々と頭を下げた。
聖者様も立ち上がり、頭を下げる。
「お孫さんは頼りになりますよ。責任を持ってお預かりいたします」
3人が顔を上げて目を合わせると、おじいちゃんたちは再び軽く会釈をして孤児院に向かう。
聖者様は椅子に腰を下ろしながら、座ったままの僕を見た。
「最後の夜になるぞ。もういいのか?」
そう言われてやっと、聖者様がおじいちゃんたちと食事した意図に気がつく。話が聞きたいだけではなく、僕との時間を作ってくれたのだ。
母さんのことを探られているようで少し不安に思っていたのが、馬鹿らしくなった。
「大丈夫です。会いたくなったらいつでも来ますから」
「もう隠す気なしか。心臓に悪くない程度にしておけよ」
聖者様が素に戻ったのを確認したからか、サリアが口を開いた。
「今の…血塗れの聖女の話ですけど」
よく見ると、心なしか緊張したような表情で、体を強張らせている。
「なんだ、この手の話怖かったのか?」
「そういうわけじゃなくて!」
心配して聞いただろうダンを一喝したが、それで少しほぐれたようだ。
小さく息をついて、呟いた。
「東部で消息を絶ったのは分かっていたけど、この教会にそんな噂があるなんて知らなかったわ。迷惑をかけたわね」
謝るようなことを言うサリアを不思議に思う。
「なんでサリアが?」
「無関係じゃないのよ」
落としていた視線を上げて、まっすぐに聖者様を見つめた。
「私はその名前を聞くと、どうしても抑えられない衝動があるんです。聖者様は、メリアの凶行の理由はご存じですか?」
「いや。…お前らは?」
聖者様が空中を見上げると、リリスとマリスが現れた。
「あれ? あんたらどこ行ってたんだ?」
教会に入る前に一度姿を現していたのだが、それに気がついていなかったダンが驚く。
「私どもも人前に出るのは、使徒の存在が公になってからにしようと思います。…生前のメリア・オーディスタについては、サリアさんの方がお詳しいかと」
「オーディスタって…」
ダンの視線に、サリアは無言でうなずく。
「当時、本家は何代にも渡って教皇や枢機卿を輩出する家で、我が家は分家として学問に力を入れていました。メリアは本家の令嬢でした」
この国では、教皇が国王なら、次期教皇候補の枢機卿は王族や公爵のような存在と言える。
他国と違って世襲制ではないその地位に、何代も続けて登りつめている一族というのは、そうそうあるものじゃない。
「メリアは敬虔な…と言うよりは熱烈な神の信者で、聖者になるだけではなく修道誓願も立てて神に全てを捧げるつもりだったそうです。…その、『聖女』という呼び名も、女として神を愛しているからと自分で言い始めたようで…」
「あのクソ神相手に?」
聖者様の「クソ神」発言に対してか、サリアが一度咳払いをする。
「とにかく目立ったのは確かです。自分は神に選ばれた特別な人間だと言ってはばからなかったそうですから、当時の枢機卿で、次期教皇の座を狙っていたメリアの大叔父に疎まれました」
聖教会では権力の集中を避けるため、同じ一族の者が同時に枢機卿以上の地位に就くことがないように、暗黙の了解があるらしい。
「聖教会の階級制度と称号は別物ですが、扱いとしては聖者と枢機卿は同格です。それに修道誓願を立てれば聖教会の組織内に入ることになりますから、教皇の座を狙うライバルからは牽制材料になりました。それで、メリアの大叔父は…」
サリアが一呼吸置く。
「大叔父の次世代の枢機卿や教皇の座を狙っていたメリアの兄弟とも結託して、屋敷に暴漢を招き入れて、メリアを襲わせました」
ルルビィさんが、両手を口元に当てて息をのむ。
「それで聖者になる資格を失うわけではありませんし、メリアの大叔父は修道誓願を諦めさせればいいと思っていたんでしょう。でもメリアにとっては全てを失ったも同然でした。メイドを殺害した後、屋敷の者に言ったそうです」
――私の代わりに、清らかな乙女を神の元へ行かせてあげる。たくさん、たくさん…――
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