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08.聖教国
しおりを挟む「さて、村の人を待たせるのも悪いし、立ち話はできないな」
そう言って聖者様は、リベルが去った方へと歩き出す。
神への態度を除けば、本当にちゃんと聖者としてやっていくんだなと感じる。
ゆっくりとした歩みから、歩きながら話せる範囲で聞くつもりだと判断して、僕は話を始めた。
「僕は、母が修道院に入った1年後に生まれたんです」
修道女の入る修道院は、修道士のそれよりも規律が厳しい。
リベルのように、修行期間に奉仕活動に出ることはない。
つまり、異性と接するはずのない時期に僕を身ごもったのだ。
「母の入った修道院は、首都の東部教会の施設だったんですけど」
「それは…大変ね」
サリアは当時の状況を察したようだ。
この国は、他の国とは事情が違う。
便宜上「聖教国」と呼ばれているが、実態はどの国にも属さない、聖教会の本拠地とその所有地だ。
だから教皇は国王、教皇庁は王城と同様の役割を持つ。
そんな教皇庁の礼拝堂で結婚式や葬儀などの儀式を行えるのは、聖教会大幹部の一族か、周辺国の王侯貴族くらいだ。
そのため、首都に住む一般の人々は、東西南北の支部教会でそれを行う。
そして他国の王侯貴族が出家する場合、男性は神学校に入るが、女性は修道院に入る。
修道院は各国にあるが、王侯貴族ともなれば聖教国の修道院へ、ということが当然のようになっているらしい。
聖教国の東部は、果てにそびえ立つ聖峰の向こうに海があり、どの国にも接していない。
その土地柄から他国の干渉を受けにくい教会なので、王侯貴族出身の修道女を受け入れるときには、東部教会の修道院に入ることになっている。
当然、警備も他の修道院に比べて厳重だ。
母さんが東部教会の修道院に入ったのは、単に東部出身だからだった。
それでも修道院に入れば元の身分など関係なく、等しい共同生活を送ることになる。
そんな中、修道女が身ごもったことは大問題だ。東部教会は、それを内部で処理することにした。
「処女受胎、ってことにしたんです」
このあたりの話は、母さんから直接聞いたわけじゃない。
僕が言葉を理解しているとは思いもしない修道女たちが、まだ赤ん坊だった僕の枕元で口さがなく話しているのを何度も聞いた。
それに僕は、父親の存在というものにまったくと言っていいほど興味がなかったから、言葉を話せるようになっても母さんにその話を聞くことをしなかったのだ。
「12年前だろう? 聞いたことないぞ」
当時の聖者様は、すでに称号を得て活動を始めていた。
東部教会が本気でそう判断していたなら、奇跡認定を申請していただろう。そうすれば聖者様の耳にも入っていたと思う。
実際には、警備に問題はなかったと主張するために、修道院内でそう説明しただけだ。
外部に発覚するのを避けるために修道女の身分はそのままにされたが、母さんは孤児院で務めることになり、修道院への出入りは禁止された。
リベルのように後から入ってきた修道士、修道女には、詳細は明かされず特別な例だと曖昧にされたのだ。
「不祥事隠しか」
「でも母は修道女を続けられたし、僕は母に育ててもらえたんだから、不満じゃないんですよ。生まれた僕がこんなだったのも、言い訳に使えましたし」
そう言いながら僕は、砂埃避けに巻いていた頭布をほどいた。
銀髪に淡く青い瞳。
純銀と青い宝玉は、教皇から加護を受けた神具に使われる。聖教会の象徴だ。
瞳は確かに、透明度の高い宝玉に似ていた。だけど銀髪と言えば聞こえはいいが、実際は薄い灰色に近い。
それでも、教会内で「神に授かった子」だということするのに、多少の説得力にはなったらしい。
「じゃあ、親父さんは分かってるのか?」
ダンが心配そうに聞いてくる。
母さんは、教会に対して黙秘を貫いた。
だけど、僕にはほんの数回だが、父親らしい人物について「あの方」と口にしたことがある。そのときの母さんの表情は穏やかなものだった。
「僕は知らないけど、望まない妊娠じゃなかったと思うよ。それに僕の父親なら、魔法を使って警備をすり抜けるくらい出来そうだし」
深く考えたことはなかったけど、多分そういうことだろうと思う。
「魂の位階は遺伝しない」
聖者様の言葉に、足が止まった。
「前世の行いの積み重ねで魂の位階が決まる。神の位階に近い魂ほど、神に近い力が使える。それが魔法だ。肉体の親と魂は関係ないんだよ」
僕の歩みを促すように聖者様が手招きするのを見て、自分が立ち止まってしまっていたのに気がついた。
再び歩き出しながら、僕は自分の思い込みを振り返る。
どうして、父親も普通じゃないと思っていたんだろう。
普通でなければ、母さんが身ごもる状況じゃなかったから…いや。
母さんが、僕が普通ではないことを元から知っていたとしか思えなかったからだ。
「母さんが…『あの方が、特別扱いされずに育ってほしいと望んだの』って言ってたんです…」
思わずいつものように「母さん」と口にしてしまった。
それくらい、自然に口から出た言葉だった。
「母さんが僕に、力を隠した方がいいって…『いつかあなたを導いてくれる人が現れる』って赤ん坊の頃から言われてたから…あ、僕は生まれた時から言葉が分かってたんですけど」
「ああ、俺もそうだった。俺の場合は生まれる前に聖者だと預言されていたから不審に思われなかったが、君の母親の言動は少し気になるな」
初めて、自分の普通のじゃない部分と同じだという人に会った。
だけど、母さんに何か疑惑を持たれたようで、なんとなく気持ちがざわつく。
「特別扱いせず、導く…ね。あのクソ神、何を企んでるんだか」
聖者様が、聖者とは思えない目つきで、怒っているのか笑っているのか分からない声を上げる。
いや、この人が聖者らしくないのは最初からなんだけど。
「まあ、後でまた聞こう。しばらくゆっくり出来そうにないしな」
そう言う聖者様の目線の先を追うと、遠目に教会が見えた。
そしてそこには、視界に収まらないほどに人々が集まっていたのだった。
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