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6章
(31)蹄を鳴らす
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「……発言、良いか」
会議の流れが停滞した頃合いに、末席で聞き取りに専念していたシュレイブが挙手をした。メルクが手で促せば、シュレイブは眉尻を下げながら口を開いた。
「エラムラでマガツヒを討伐できたのは、あれがまだ未発達の赤子だったからなのだろう? ならばもし、あのままマガツヒが最終形態に移行していたらどうなっていたのだ?」
視線がレオハニーへと集中する。最終形態のマガツヒと戦ったことのある者は彼女だけだ。
レオハニーは両手を組みながら肘をつき、口元を隠しつつ目を伏せた。
「マガツヒに関する文献は少ない。ほとんど私の経験になるが……」
まず、リデルゴア国から朝が消える。
菌糸を食らう疫病が蔓延し、マガツヒの近くにいる者から順に死に絶える。
次に雨が降り続け、山が崩れ、あらゆるものが濁流に押し流されていく。
その次は火の雨が大地を焼き尽くし──。
「……その後は?」
「その先は私も知らない。火の雨が降り注ぐのを見たのは、初めてマガツヒが確認された四百年前のことだから」
「……あの、まさか初代討滅者ってレオハニー様だったりします?」
シュレイブが簡潔に問うと、レオハニーはきょとんと目を丸くした。
「言ってなかったか」
「聞いたことないですね。エトロも知らないでしょ」
アンリがジト目を向けるも、レオハニーはいまいちピンときていない様子だった。
昔のレオハニーは何かと人と関わることを避けていたから、アンリでさえ、彼女の過去を聞く機会なんて全くなかった。そもそも、レオハニーと世間話ができるようになったのはオラガイアに行く少し前からだ。
もしかしてレオハニーは、秘密主義ではなく単なる天然なのでは?
この一瞬だけ、ハウラ以外の狩人たちの思考が合致した。
「ごほん」
微妙な空気を払拭すべく、アンリは大きく咳払いをした。
「話を戻します。結論から言ってしまうと、要はマガツヒが封印されている間に、俺達でリョーホ達を人間に戻す方法を探そうってことでいいんでしょう?」
「そうじゃなァ。アンジュ曰く、シモン博士とやらが鍵を握っているそうじゃがのォ?」
メルクが意味深に目を細め、研大へと顎をしゃくり上げる。研大はじっとメルクを見返した後、表情を変えることなく話を引き継いだ。
「ダアトを発明したシモン博士なら、ドラゴン化した人間を元に戻す方法を知っていてもおかしくはない。今は彼に賭けるしかないと思う。シモン博士は北方にいると分かっているから、後は現地で探すだけだ」
「ほォ。にしては随分と都合が良いがのォ。北方に行くという話は、エラムラを出発する前からあったじゃろうにィ?」
露骨な疑いの目だった。研大はメルクから目を反らしそうになるのをぐっとこらえる。遠回しに、研大もアンジュのようにマガツヒが復活することを知っていたのではと問われているのだ。
するとそこへ、思わぬ助け船が出された。
「藍空さんは、仮想世界から目覚めた時からシモン博士の居場所に目星をつけていたのでしょう?」
レオハニーからの指摘に研大はえっと声を上げた。
「な、なんで分かったの!?」
「真っ先に北方に行きたいと言い出した時から怪しいと思っていました。憲兵隊とノースマフィアの紛争が気になるという理由も嘘ではないのでしょうが、私とわざわざ二人きりになるよう配属を誘導していたので、引っ掛かっていたんです」
研大はあんぐりと口を開けたままレオハニーを見つめた後、何故か恥ずかしそうに首の後ろを掻いた。
「あーその……正直に白状すると、大体レオハニーの言った通りだ」
滑らかなテーブルの上を指先でぐるぐるとなぞりながら、研大は考えながら辿々しく語り出した。
「俺は仮想世界にいた時から、シモン博士が北方にいるんじゃないかって疑っていた。けど、俺がシモン博士に会いたいってのは、完全に私情だ。終末の日と直接関わりのある目的があったわけじゃない。皆を混乱させないためにも、シモン博士が見つかってから報告しようと思ってた……」
一旦言葉を区切り、研大は椅子の上で姿勢を正す。
「シモン博士が生きているって話は、以前から浦敷博士に聞かされていたんだ。でもさ、世界がこんな状況なのに、正義感の強いシモン博士が動かないなんて変なんだよ。だから実際に会って、色々と聞きたかったんだ。今何をやってんのか、なんでダアトなんてものを生み出したのか。……なんで、レオハニーに責任を背負わせたのか」
レオハニーが息を詰める気配がする。レオハニーがダアトを扱えるようになった直接の要因はベートだが、そもそもシモン博士が生み出さなければ、レオハニーは不老不死にならなかった。
ダアトがなければ、ベートは浦敷博士を裏切らなかったかもしれない。ゴモリーの野望は潰えていたかもしれない。ダアト教なんてものも生まれず、予言書が崇められる事態にもならなかった。
身内だからこそ、研大はシモン博士の研究を止められなかった責任を感じていた。
メルクは腕を組みながら溜息を吐くと、鷹揚に頷いた。
「なるほどのォ。そういうことなら得心もいくわィ。儂らに嘘をついていたのは頂けんが、悪気がなかったのなら一旦流そう」
「ありがとうございます。償いは必ず」
研大が深く頭を下げた後、メルクはこてりと首を傾げた。
「一応聞くが、なぜ北方にいると思ったのじゃァ?」
「北方は雪で閉ざされ、ノースマフィアが牛耳っている分、他の里よりも排他的だ。人間一人が隠れ住むのに絶好の環境だし、あそこは門の失敗作が大量に眠っている」
「門の失敗作?」
ハウラがおうむ返しに尋ねると、研大は少しだけ身体の向きを変え、テーブルの上で指を広げた。
「ドラゴン毒素が蔓延したばかりの頃はさ、機械仕掛けの世界を作ろうっていう試みが世界各地で行われていたんだ。民間、国営に関わらずね」
「ほほォ。ならば中央都市やテララギ以外にも仮想世界があると?」
「あるよ。人口は五十人程度の小さなサーバーだけど。ほとんどが外界と完全に切り離されてるし、ポッドみたいな肉体の保存技術もない。だから、俺たちとは違って完全に魂だけになった人たちだ」
魂だけ。つまり、現実世界への復帰を完全に諦めた者たちだ。生まれた時から共にある肉体を捨てるという選択は、強制的に自決させられるような残酷さがあった。そうしなければならないほど、旧世界は追い詰められていたのだと改めて実感する。
クライヴは苦虫を噛み潰したような顔で、研大へ質問を重ねた。
「仮想世界とは、そんな簡単に作れるものだったのか?」
「魂を仮想世界へ抽出する技術は国が公表していたんだ。でも、成功した人はほんの一握り。サーバーが水準を満たしていなかったり、不正改造したせいで魂が崩壊してしまったり、犯罪者集団に機材を盗まれたり」
指折り数えながら列挙した後、研大は両手を握りしめた。
「北方は、犯罪者集団に盗まれたサーバー群の墓場なんだ。奴らは自分で仮想世界を作れないから、完成した仮想世界を片っ端から盗んで現実から逃れようとした。でも、作れないってことはさ、使い方も碌に知らないってことなんだよ」
「それって、盗んでも意味がないってことじゃないですか」
「そうだよ。結局、誰も扱えない機材だけが雪の下に眠ったまま。あれが盗まれていなければ、もっと大勢の人が救われたかもしれないのに」
命懸けの人の成果を奪った挙句、活用すらできないまま捨て置く。人の努力を踏み躙る最低の行為で、会議室に胸糞の悪い空気が広がった。
レブナは怒りに駆られながらも、疑問を口にした。
「じゃあ北方の土地なんて、仮想世界の研究に関わっていた人間にとっては嫌な場所だよね。なのになんでシモン博士はそんな場所に?」
「そこまでは分からない。けど、何百年も俺たちと連絡を取らなかったってことは、北方から離れられない事情があるんだと思う」
「終末の日を止めるのを諦めた、とかは?」
「「シモン博士はそんな人じゃない」」
研大とレオハニーが異口同音に断言し、意地悪な発言をしたレブナは両手をあげて降参した。その隣で、ハウラが真剣な面持ちで提案する。
「なら、全員で北方に向かいますか? 今は憲兵隊とノースマフィアの戦争が行われて危険ですが、シモン博士がいないことには話が進みませんから」
「そうだね。リョーホがいないから、テララギのサーバーも開けられないし」
「それについては考えがあるんだ」
ハウラとアンリの会話に、研大が小さく手を挙げて割り入る。
「俺たち旧人類の中には、少ないけれど鍵者の菌糸が入ってる。これで代用すれば門を開けられるはずだ」
言われてみれば、と大多数が納得する中、メルクが渋面になった。
「そこまでしてテララギのサーバーを解放する理由があるかのォ? リョーホが人間に戻れた後にでも開ければ良いではないか。北方はただでさえ戦争中だというのに、戦力を割くのは愚策じゃろォて」
研大はそれも織り込み済みだったらしく、流れるように言葉を紡いだ。
「テララギの施設には、対ドラゴン専用巨大兵器の設計図が保管してある。あれなら狩人の菌糸を食わせないで、遠くから攻撃し続けられる。マガツヒ対策に使えるはずだ」
研大は指先に『砂紋』を発動し、かの巨大兵器の模型をテーブルの上に出現させた。その外観はオラガイアに備え付けられていた砲台に似ているが、脇に小さく置かれた狩人の模型と比較すると、とてつもない大きさであることが一目で分かった。
「この兵器はどんなに非力な人間でも、小さなコントローラー一つで簡単に操作できる。作れるのはせいぜい二つだけど、上位ドラゴンなら撃ち落とせるよ」
研大は模型から手を離すと、その隣にもう一つ、ポッドのような四角い模型を生み出した。
「それともう一つ。動物用の魂抽出機がテララギの倉庫にある。あれを使えば琥珀の中にいるリョーホを、魂だけでも救い出せるかもしれない。言い方は悪いけど、鍵者は魂さえ無事なら、生き返らせる方法がいくつか残ってるから」
研大の台詞に、レオハニーは思わず顔を顰めた。彼女の脳裏には、ヨルドの仮想世界で浦敷博士に殴りかかるリョーホの姿が思い出されていた。
リョーホは望まずして死と復活を繰り返し、命を弄ばれたと憤っていた。研大がやろうとしている復活の方法も、これまでの鍵者がやらされていた転生と同じものだろう。そのような復活を、リョーホが望んでいるとは到底思えない。
もしリョーホが別人として生まれ直すしか方法がないのなら、いっそ殺してやった方が彼の幸せなのだろうか。
だが、鍵者がいなければ世界は救えない。レオハニーはリョーホを殺せるが、次の鍵者の誕生を止められない。一個人の倫理観を尊重できる段階は、とっくの昔に通り過ぎていた。
研大はレオハニーの顔を見て、苦々しい笑みを溢した。
「あくまで魂の抽出は、シモン博士が見つからなかった時の保険だ。何が必要になるか分からないから、できうる手段を講じておきたい」
「……あいわかった。ならば予定通り、北方にはレオハニーと研大を。テララギの里へ向かう狩人は改めて志願者を募ろォ。異論はないか?」
メルクは全員の顔をゆっくり見渡し、迷いない瞳を見て笑顔になった。
「うむ。粗方話はすんだじゃろォ。今日はここでお開きじゃ!」
ぱん、と小さな手が拍手をすると、全員が席から立ち上がる。ぞろぞろと会議室を後にする中、メルクはハウラの背に声をかけた。
「ハウラ。お主だけはここに残れ。黄昏の塔の使い方を教えよう。護衛のためレブナも同行せィ」
そんな声を聞きながら、アンリは松葉杖をつきながら会議室の外に出た。背後で扉が閉まると、今度はレオハニーがよく通る声で言った。
「シュレイブ、ベアルドルフに渡り花を送ってくれ」
「うぇ、なぜです!?」
「マガツヒが復活するしないにせよ、戦争はこれから激化する。今のうちに他里の狩人とも連携を取りたい。それと、他の討滅者にも連絡を。デッドハウンドの情報網ならできるはずだ」
「なるほど了解です! いくぞクライヴ!」
シュレイブとクライヴが慌ただしく洋館を後にし、残るはアンリとレオハニーのみとなった。
「アンリ」
「はい。レオハニー様」
交わされた声が冷たい響きを伴いながら通路を抜ける。
「君がここに呼ばれた理由、もう理解できているだろう」
「おおよそ見当がついています」
非戦闘員に格下げされたアンリに、わざわざ今後の予定を聞かせた理由。他の狩人がアンリの参加に一切の疑問を抱かなかった理由。
アンリの膨らむ期待通りに、レオハニーははっきりとこう告げた。
「私なら、君の足を治せる」
「っ! なら今すぐに──」
「けれど、場合によっては死ぬかもしれない。足を治す代わりに、君の左腕は肩口から完全に消える。肘から先がなくなれば、義手をつけても今まで通りに弓を引けなくなるだろう。身体に負担をかけるから、三十歳を迎える前に天命が来るかもしれない」
それでも、治療を受ける?
静謐な問いかけに、アンリは不敵に笑った。
「……分かっていて聞くとは、意地が悪いですね」
レオハニーの赤い瞳が揺れる。それを咎めるように、アンリは一歩前へと踏み込んだ。
「受けましょう。どんな方法でも構いません。今すぐにお願いします」
自分だけが歩みを止めるわけにはいかない。寿命の前借りなんてどうということはない。
アンリの透き通るような緑色の虹彩が、薄暗い通路の中で木漏れ日のように煌めく。レオハニーは刹那の光を両眼でしっかりと焼き付けると、彼の手を引いて厳かに歩き出した。
会議の流れが停滞した頃合いに、末席で聞き取りに専念していたシュレイブが挙手をした。メルクが手で促せば、シュレイブは眉尻を下げながら口を開いた。
「エラムラでマガツヒを討伐できたのは、あれがまだ未発達の赤子だったからなのだろう? ならばもし、あのままマガツヒが最終形態に移行していたらどうなっていたのだ?」
視線がレオハニーへと集中する。最終形態のマガツヒと戦ったことのある者は彼女だけだ。
レオハニーは両手を組みながら肘をつき、口元を隠しつつ目を伏せた。
「マガツヒに関する文献は少ない。ほとんど私の経験になるが……」
まず、リデルゴア国から朝が消える。
菌糸を食らう疫病が蔓延し、マガツヒの近くにいる者から順に死に絶える。
次に雨が降り続け、山が崩れ、あらゆるものが濁流に押し流されていく。
その次は火の雨が大地を焼き尽くし──。
「……その後は?」
「その先は私も知らない。火の雨が降り注ぐのを見たのは、初めてマガツヒが確認された四百年前のことだから」
「……あの、まさか初代討滅者ってレオハニー様だったりします?」
シュレイブが簡潔に問うと、レオハニーはきょとんと目を丸くした。
「言ってなかったか」
「聞いたことないですね。エトロも知らないでしょ」
アンリがジト目を向けるも、レオハニーはいまいちピンときていない様子だった。
昔のレオハニーは何かと人と関わることを避けていたから、アンリでさえ、彼女の過去を聞く機会なんて全くなかった。そもそも、レオハニーと世間話ができるようになったのはオラガイアに行く少し前からだ。
もしかしてレオハニーは、秘密主義ではなく単なる天然なのでは?
この一瞬だけ、ハウラ以外の狩人たちの思考が合致した。
「ごほん」
微妙な空気を払拭すべく、アンリは大きく咳払いをした。
「話を戻します。結論から言ってしまうと、要はマガツヒが封印されている間に、俺達でリョーホ達を人間に戻す方法を探そうってことでいいんでしょう?」
「そうじゃなァ。アンジュ曰く、シモン博士とやらが鍵を握っているそうじゃがのォ?」
メルクが意味深に目を細め、研大へと顎をしゃくり上げる。研大はじっとメルクを見返した後、表情を変えることなく話を引き継いだ。
「ダアトを発明したシモン博士なら、ドラゴン化した人間を元に戻す方法を知っていてもおかしくはない。今は彼に賭けるしかないと思う。シモン博士は北方にいると分かっているから、後は現地で探すだけだ」
「ほォ。にしては随分と都合が良いがのォ。北方に行くという話は、エラムラを出発する前からあったじゃろうにィ?」
露骨な疑いの目だった。研大はメルクから目を反らしそうになるのをぐっとこらえる。遠回しに、研大もアンジュのようにマガツヒが復活することを知っていたのではと問われているのだ。
するとそこへ、思わぬ助け船が出された。
「藍空さんは、仮想世界から目覚めた時からシモン博士の居場所に目星をつけていたのでしょう?」
レオハニーからの指摘に研大はえっと声を上げた。
「な、なんで分かったの!?」
「真っ先に北方に行きたいと言い出した時から怪しいと思っていました。憲兵隊とノースマフィアの紛争が気になるという理由も嘘ではないのでしょうが、私とわざわざ二人きりになるよう配属を誘導していたので、引っ掛かっていたんです」
研大はあんぐりと口を開けたままレオハニーを見つめた後、何故か恥ずかしそうに首の後ろを掻いた。
「あーその……正直に白状すると、大体レオハニーの言った通りだ」
滑らかなテーブルの上を指先でぐるぐるとなぞりながら、研大は考えながら辿々しく語り出した。
「俺は仮想世界にいた時から、シモン博士が北方にいるんじゃないかって疑っていた。けど、俺がシモン博士に会いたいってのは、完全に私情だ。終末の日と直接関わりのある目的があったわけじゃない。皆を混乱させないためにも、シモン博士が見つかってから報告しようと思ってた……」
一旦言葉を区切り、研大は椅子の上で姿勢を正す。
「シモン博士が生きているって話は、以前から浦敷博士に聞かされていたんだ。でもさ、世界がこんな状況なのに、正義感の強いシモン博士が動かないなんて変なんだよ。だから実際に会って、色々と聞きたかったんだ。今何をやってんのか、なんでダアトなんてものを生み出したのか。……なんで、レオハニーに責任を背負わせたのか」
レオハニーが息を詰める気配がする。レオハニーがダアトを扱えるようになった直接の要因はベートだが、そもそもシモン博士が生み出さなければ、レオハニーは不老不死にならなかった。
ダアトがなければ、ベートは浦敷博士を裏切らなかったかもしれない。ゴモリーの野望は潰えていたかもしれない。ダアト教なんてものも生まれず、予言書が崇められる事態にもならなかった。
身内だからこそ、研大はシモン博士の研究を止められなかった責任を感じていた。
メルクは腕を組みながら溜息を吐くと、鷹揚に頷いた。
「なるほどのォ。そういうことなら得心もいくわィ。儂らに嘘をついていたのは頂けんが、悪気がなかったのなら一旦流そう」
「ありがとうございます。償いは必ず」
研大が深く頭を下げた後、メルクはこてりと首を傾げた。
「一応聞くが、なぜ北方にいると思ったのじゃァ?」
「北方は雪で閉ざされ、ノースマフィアが牛耳っている分、他の里よりも排他的だ。人間一人が隠れ住むのに絶好の環境だし、あそこは門の失敗作が大量に眠っている」
「門の失敗作?」
ハウラがおうむ返しに尋ねると、研大は少しだけ身体の向きを変え、テーブルの上で指を広げた。
「ドラゴン毒素が蔓延したばかりの頃はさ、機械仕掛けの世界を作ろうっていう試みが世界各地で行われていたんだ。民間、国営に関わらずね」
「ほほォ。ならば中央都市やテララギ以外にも仮想世界があると?」
「あるよ。人口は五十人程度の小さなサーバーだけど。ほとんどが外界と完全に切り離されてるし、ポッドみたいな肉体の保存技術もない。だから、俺たちとは違って完全に魂だけになった人たちだ」
魂だけ。つまり、現実世界への復帰を完全に諦めた者たちだ。生まれた時から共にある肉体を捨てるという選択は、強制的に自決させられるような残酷さがあった。そうしなければならないほど、旧世界は追い詰められていたのだと改めて実感する。
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「魂を仮想世界へ抽出する技術は国が公表していたんだ。でも、成功した人はほんの一握り。サーバーが水準を満たしていなかったり、不正改造したせいで魂が崩壊してしまったり、犯罪者集団に機材を盗まれたり」
指折り数えながら列挙した後、研大は両手を握りしめた。
「北方は、犯罪者集団に盗まれたサーバー群の墓場なんだ。奴らは自分で仮想世界を作れないから、完成した仮想世界を片っ端から盗んで現実から逃れようとした。でも、作れないってことはさ、使い方も碌に知らないってことなんだよ」
「それって、盗んでも意味がないってことじゃないですか」
「そうだよ。結局、誰も扱えない機材だけが雪の下に眠ったまま。あれが盗まれていなければ、もっと大勢の人が救われたかもしれないのに」
命懸けの人の成果を奪った挙句、活用すらできないまま捨て置く。人の努力を踏み躙る最低の行為で、会議室に胸糞の悪い空気が広がった。
レブナは怒りに駆られながらも、疑問を口にした。
「じゃあ北方の土地なんて、仮想世界の研究に関わっていた人間にとっては嫌な場所だよね。なのになんでシモン博士はそんな場所に?」
「そこまでは分からない。けど、何百年も俺たちと連絡を取らなかったってことは、北方から離れられない事情があるんだと思う」
「終末の日を止めるのを諦めた、とかは?」
「「シモン博士はそんな人じゃない」」
研大とレオハニーが異口同音に断言し、意地悪な発言をしたレブナは両手をあげて降参した。その隣で、ハウラが真剣な面持ちで提案する。
「なら、全員で北方に向かいますか? 今は憲兵隊とノースマフィアの戦争が行われて危険ですが、シモン博士がいないことには話が進みませんから」
「そうだね。リョーホがいないから、テララギのサーバーも開けられないし」
「それについては考えがあるんだ」
ハウラとアンリの会話に、研大が小さく手を挙げて割り入る。
「俺たち旧人類の中には、少ないけれど鍵者の菌糸が入ってる。これで代用すれば門を開けられるはずだ」
言われてみれば、と大多数が納得する中、メルクが渋面になった。
「そこまでしてテララギのサーバーを解放する理由があるかのォ? リョーホが人間に戻れた後にでも開ければ良いではないか。北方はただでさえ戦争中だというのに、戦力を割くのは愚策じゃろォて」
研大はそれも織り込み済みだったらしく、流れるように言葉を紡いだ。
「テララギの施設には、対ドラゴン専用巨大兵器の設計図が保管してある。あれなら狩人の菌糸を食わせないで、遠くから攻撃し続けられる。マガツヒ対策に使えるはずだ」
研大は指先に『砂紋』を発動し、かの巨大兵器の模型をテーブルの上に出現させた。その外観はオラガイアに備え付けられていた砲台に似ているが、脇に小さく置かれた狩人の模型と比較すると、とてつもない大きさであることが一目で分かった。
「この兵器はどんなに非力な人間でも、小さなコントローラー一つで簡単に操作できる。作れるのはせいぜい二つだけど、上位ドラゴンなら撃ち落とせるよ」
研大は模型から手を離すと、その隣にもう一つ、ポッドのような四角い模型を生み出した。
「それともう一つ。動物用の魂抽出機がテララギの倉庫にある。あれを使えば琥珀の中にいるリョーホを、魂だけでも救い出せるかもしれない。言い方は悪いけど、鍵者は魂さえ無事なら、生き返らせる方法がいくつか残ってるから」
研大の台詞に、レオハニーは思わず顔を顰めた。彼女の脳裏には、ヨルドの仮想世界で浦敷博士に殴りかかるリョーホの姿が思い出されていた。
リョーホは望まずして死と復活を繰り返し、命を弄ばれたと憤っていた。研大がやろうとしている復活の方法も、これまでの鍵者がやらされていた転生と同じものだろう。そのような復活を、リョーホが望んでいるとは到底思えない。
もしリョーホが別人として生まれ直すしか方法がないのなら、いっそ殺してやった方が彼の幸せなのだろうか。
だが、鍵者がいなければ世界は救えない。レオハニーはリョーホを殺せるが、次の鍵者の誕生を止められない。一個人の倫理観を尊重できる段階は、とっくの昔に通り過ぎていた。
研大はレオハニーの顔を見て、苦々しい笑みを溢した。
「あくまで魂の抽出は、シモン博士が見つからなかった時の保険だ。何が必要になるか分からないから、できうる手段を講じておきたい」
「……あいわかった。ならば予定通り、北方にはレオハニーと研大を。テララギの里へ向かう狩人は改めて志願者を募ろォ。異論はないか?」
メルクは全員の顔をゆっくり見渡し、迷いない瞳を見て笑顔になった。
「うむ。粗方話はすんだじゃろォ。今日はここでお開きじゃ!」
ぱん、と小さな手が拍手をすると、全員が席から立ち上がる。ぞろぞろと会議室を後にする中、メルクはハウラの背に声をかけた。
「ハウラ。お主だけはここに残れ。黄昏の塔の使い方を教えよう。護衛のためレブナも同行せィ」
そんな声を聞きながら、アンリは松葉杖をつきながら会議室の外に出た。背後で扉が閉まると、今度はレオハニーがよく通る声で言った。
「シュレイブ、ベアルドルフに渡り花を送ってくれ」
「うぇ、なぜです!?」
「マガツヒが復活するしないにせよ、戦争はこれから激化する。今のうちに他里の狩人とも連携を取りたい。それと、他の討滅者にも連絡を。デッドハウンドの情報網ならできるはずだ」
「なるほど了解です! いくぞクライヴ!」
シュレイブとクライヴが慌ただしく洋館を後にし、残るはアンリとレオハニーのみとなった。
「アンリ」
「はい。レオハニー様」
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「私なら、君の足を治せる」
「っ! なら今すぐに──」
「けれど、場合によっては死ぬかもしれない。足を治す代わりに、君の左腕は肩口から完全に消える。肘から先がなくなれば、義手をつけても今まで通りに弓を引けなくなるだろう。身体に負担をかけるから、三十歳を迎える前に天命が来るかもしれない」
それでも、治療を受ける?
静謐な問いかけに、アンリは不敵に笑った。
「……分かっていて聞くとは、意地が悪いですね」
レオハニーの赤い瞳が揺れる。それを咎めるように、アンリは一歩前へと踏み込んだ。
「受けましょう。どんな方法でも構いません。今すぐにお願いします」
自分だけが歩みを止めるわけにはいかない。寿命の前借りなんてどうということはない。
アンリの透き通るような緑色の虹彩が、薄暗い通路の中で木漏れ日のように煌めく。レオハニーは刹那の光を両眼でしっかりと焼き付けると、彼の手を引いて厳かに歩き出した。
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542人の帝国将兵を死傷させた狙撃の天才
そして戦中は、帝国からは死神と恐れられた存在。
このお話は、ミリア・タリムとそのお付きのメイド、ルーナの戦いの記録である。
他サイトに掲載したものと同じ内容となります。
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【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。
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