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6章
(30)眠れぬ者たち
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標高およそ三千メートルの氷山。その頂上からは、何百年にも渡って、膨大な地下水が空へと打ち上げられていた。その姿はまるで天に登る滝のようで、遙か上空では滝壺に酷似した雲海が広がっていた。
その不可思議な光景に、人々は逆さ滝と名をつけた。
逆さ滝周辺に住まう住人は、よくこんな噂を口にしていた。
『逆さ滝の滝壺には、太古の人類が暮らす巨大都市リバースロンドが眠っている』
ある日、とある冒険家がリバースロンドが実在するか否かをその目で確かめようとした。オラガイアの竜船を一隻、冒険譚を記録するためのスケッチブック、一ヶ月分の食料を持って、冒険家は逆さ滝の滝壺へ向かった。
しかし、その冒険家は一ヶ月が経っても帰ってくることはなかった。さらに一年、十年と月日が嵩み、誰もが死んだと諦めた頃、銀色の竜船に乗った年老いた冒険家が、ひょっこりとオラガイアに帰ってきた。
冒険家の腕の中には、リバースロンドの景色を写し取ったスケッチブックがあったという。スケッチブックには、目の前の景色を丸ごと切り取ったかのような精緻な絵が描かれていたそうだ。
代わりに、冒険家はまともに話ができる状態ではなくなってしまった。聞いたこともない言語と文字列、赤子のような立ち振る舞いは、気が触れたとしか思えない有様であった。人々はそんな冒険家の姿を見て、彼はリバースロンドに辿り着けず発狂してしまったのだと断じた。
結局、冒険家が本当にリバースロンドに辿り着けたのかどうか、今日まで答えは出ていない。しかし、彼が持ち帰った貴重なリバースロンドと思しき景色は、別の作家によって『逆さ滝の冒険』という題名の絵本に編纂された。
絵本によれば、リバースロンドには常に白炎に包まれた不思議な遺跡があるそうだ。ほとんどの大人が子供騙しだと一蹴するような話であるが──その遺跡は、実在する。
「ねぇ、ドミくん……本当にこの通りにすれば、ロッシュくんもリョーホも帰ってくるの?」
壁を埋め尽くす棺のような精密機械に囲まれて、アンジュは首が落ちてしまいそうなほど深く俯いた。彼女の手の中には、日焼けしたA4用紙の走り書きが収まっていた。何度も読み返したせいで角が潰れ、ところどころ破れている。ざらついた紙の表面には、とある男が見たであろう未来の記録が綴られていた。
未来の記録とは言っても、予言書とは違って、ここには未来を変える方法しか書かれていない。そのため、これから何が起きて、どうなるか。ここに書かれている通りに行動したら、どう成功するのかといった、肝心な部分がほとんど欠落していた。
アンジュは神経質そうな文字列を撫でながら、ゆっくりと壁際の椅子に腰掛けた。
一番上の欄には、マガツヒの封印方が。その下には、封印の持続時間。一番下には、北方にシモン博士がいるという、半ば独り言のような報告。
これらの情報のお陰で、アンジュはリョーホとエトロを間一髪のところで保護することができた。
しかし肝心の、終末の日を止める方法だけはどこにも書かれていない。
当然だ。ドミラスは観測した世界でしかモノを語れない。ドミラスは今も、過去と未来を行き来し、終末の日を止める方法を模索し続けている最中なのだ。
A4用紙に収まったこの文字も、彼にとっては試行錯誤の一環。実験用メモの一枚でしかない。
これを書いたドミラスは、もうこの世界にいない。オラガイアでトトの魂を引き連れ、自らの死をもって過去へ渡ってしまった。
だからこそアンジュは思う。ロッシュが死んですぐにドミラスが過去に渡ったのならば、この『周回』は、乱数調整の過程で生まれたゴミ箱の世界線なんじゃないか、と。
「使い捨ての世界線じゃ、ないよね……信じていいんだよね……」
この世界は、貴方にとってただの検証データだった? だからロッシュが死ぬ未来を変えなかった? リョーホたちがああなると知っていて、ゴモリーを野放しにした?
「信じさせてよ……お願いだから!」
向かいのデスクに拳を叩きつける。デスクの上に積み上がっていた資料の山が崩れ、無造作に床に散らばった。
紙同士が擦れ合う音でさえ神経を逆撫でする。目の前の紙を片っ端から破り捨てて、燃やしてしまいたい。
それでもこの資料の山は、生前のドミラスがかき集めたものだ。アンジュはどうしても、憤怒の妄想を現実にすることはできなかった。
アンジュにとって、ドミラスが残してくれた道しるべは生きる縁だった。それと同時に、リバースロンドを目指した冒険家のスケッチと同じぐらいに儚い夢だった。
リバースロンドは実在する。『逆さ滝の冒険』に描かれた遺跡も、確かにここにある。だが、スケッチブックに描かれたリバースロンドは、全くの別物であった。
冒険家は、リバースロンドとは別の何かを見た。そういう意味では、冒険家は失敗したのだ。
ふう、と荒く息を吐く。一瞬だけ胸が軽くなったが、すぐに虚しさが倍になって押し寄せた。
ドミラスが結果を書かない理由は分かっている。これは予言書ではないと、読むものにキッパリと断りを入れるためだ。この紙に書かれた通りに行動しなくとも因果の揺り返しは起こらない。彼のお願いを叶えるか否かは完全に自由意志であり、誰の責任も問わないと示しているのだ。
「……ずるいよ」
ドミラスもこの世界線の結末がどうなるのか分からないのだろう。それでもやはり、アンジュには確約が欲しかった。真夜中の静まり返った町でも、街灯が一つでも照らしてくれれば、世界は全く違って見える。その光が消えかけの蝋燭でも、アンジュは喜んでそれに縋り付くだろう。
それでもドミラスは、暗闇を歩く方法しか教えてくれない。
マガツヒを封印して、その間にシモン博士を説得して、リョーホとエトロを救い出す。その実験が成功するかは、誰にも分からない。よしんば成功したとしても、終末の日が止められる保証はない。
「……過去に行かないで……私の隣で戦ってよ……ドミラス……」
彼女の声は分厚い遺跡の壁に阻まれ、誰にも届かないまま消えていった。
・・・―――・・・
「現状を整理しよう」
冷え切った会議室内に、レオハニーの厳かな声が落ちる。円卓を囲うのは進行役のレオハニー、村長のメルク、巫女ハウラと側近レブナ、旧人類代表の藍空研大。そして末席にはシュレイブ、クライヴ、アンリの三人。計七人の狩人が顔を突き合わせていた。
レオハニーは上座に腰かけたまま赤い瞳を鋭く細める。
「ゴモリー・リデルゴアとの戦闘で、エラムラの里は壊滅。生存者は無事に保護できたが、人口の急増によってヨルドの里がひっ迫している。最も悲惨なのは食料だ」
「いきなり千人近くも人口が増えりゃァ、無理もないのォ。住宅地は建設途中じゃから、衣食住が圧倒的に不足しておる」
味の濃い飯を食えるのは今日限りじゃ、とメルクはしょんぼり項垂れる。すると、研大があえて明るい声で言った。
「俺たち旧人類もそれなりにドラゴンを倒せるようになったので、食糧については任せてください。住まいについても、未使用の大型潜水艦を改造すれば、仮設住宅の代わりにはなるでしょう」
「現状、それで持たせるしかないよね。本当に助かるよ」
レブナが膝を揃えたまま弱々しく微笑む。シュイナが再び目覚めなくなった後、彼女はエラムラの民を安心させるべく、ハウラと共に遅くまで働き詰めだった。その疲労が、彼女の幼い目尻に皺を刻んでいた。
メルクは一瞬だけ痛ましげに眉を顰めた後、腕を組んでハウラを見やった。
「因みにエラムラの状態はどうなっているんじゃ?」
「薄明の塔は辛うじて残っています。ですが、ダアトで地盤を崩されているので、いつ土砂崩れが起きてもおかしくありません。農地も土壌ごと融解してしまったので、菌糸能力をもってしても、人が住めるようになるのはおそらく五年後です」
「うむ。マガツヒに土着の菌糸も食われておるしのォ。今日明日には新参者のドラゴンがなだれ込んで縄張り争いが始まるじゃろォな」
ドラゴンは、自分の菌糸から放出される胞子で縄張りを主張する。そのため、縄張りに別の胞子が持ち込まれるだけでも死闘が繰り広げられることは珍しくない。縄張り争いに負けたドラゴンたちにとって、何の菌糸もないエラムラ近辺は宝の山だ。
巫女が離れた今、エラムラの里に結界はない。薄明の塔が崩れ去った時、ドラゴンによってあの土地から完全にエラムラは消えるだろう。
ハウラは沈鬱な面持ちで両手を握りしめた。
「せめて薄明の塔が役目を終える前に、ご遺体だけでも見つけ出せればよいのですが……」
「飛行潜水艦ならいつでも貸し出すぞィ」
「ありがとうございます。メルク村長」
一瞬の間を置いて、レオハニーが議題を回した。
「次にマガツヒについてだ。藍空さん」
「うん」
研大は頷き、深呼吸してから話し始めた。
「マガツヒは一応、討伐成功ってことでいいと思う。けれど、マガツヒの核になっていたリョーホは今、リバースロンドで封印されている。アンジュの話によると、封印も長くは持たないそうだ」
レブナは小さく息を呑み、強張った表情を浮かべた。
「封印が解けたら、マガツは復活してしちゃうんだよね?」
「おそらくは。ずっと核に触れていたエトロも弱っていたし、『瞋恚』で見た限りでも、ラビルナ貝高原の菌糸も明らかに減っていた。多分、あの核自体にも菌糸を捕食する能力が備わっているんだ」
「逆に言えば、周りの菌糸を捕食しないと肉体を取り戻せないぐらい、核の中身はすっからかんというわけだ」
クライヴが紙に記録を取りながら口を開くと、研大は冷たく笑った。
「そうだよ。そしてこうも考えられる。もし、リョーホ達を人間に戻す方法が見つからず、マガツヒの封印が解けてしまった場合でも、核を破壊するだけの時間は確保できる、とね」
誰も触れなかった、触れたくなかった部分を研大ははっきりと口にする。途端、空気が固形物になってしまったかのような重苦しい沈黙で満たされた。
ラビルナ貝高原で再会したアンジュは、リョーホ達を人間に戻せると確信している様子だった。しかしその方法を知らないレオハニーたちにとっては机上の空論である。
もし、アンジュと邂逅した時、レオハニーにまともに思考を回す余裕があったなら、迷いなくアンジュごとエトロを切り捨てていただろう。リョーホを核から取り出す前にマガツヒが復活しそうであれば、きっとリョーホも殺していた。
ドラゴン化した人間を元に戻せるわけがない。それは、狩人の中に刻まれた不変の道理だ。
故に、研大が口にした最悪の未来の方が、アンジュの話よりよっぽど真実味のある話だった。
近い将来、自分たちはウラシキリョーホを殺さなければならない。
まだ見ぬ未来が、全員の肩へと重く圧し掛かった。
その不可思議な光景に、人々は逆さ滝と名をつけた。
逆さ滝周辺に住まう住人は、よくこんな噂を口にしていた。
『逆さ滝の滝壺には、太古の人類が暮らす巨大都市リバースロンドが眠っている』
ある日、とある冒険家がリバースロンドが実在するか否かをその目で確かめようとした。オラガイアの竜船を一隻、冒険譚を記録するためのスケッチブック、一ヶ月分の食料を持って、冒険家は逆さ滝の滝壺へ向かった。
しかし、その冒険家は一ヶ月が経っても帰ってくることはなかった。さらに一年、十年と月日が嵩み、誰もが死んだと諦めた頃、銀色の竜船に乗った年老いた冒険家が、ひょっこりとオラガイアに帰ってきた。
冒険家の腕の中には、リバースロンドの景色を写し取ったスケッチブックがあったという。スケッチブックには、目の前の景色を丸ごと切り取ったかのような精緻な絵が描かれていたそうだ。
代わりに、冒険家はまともに話ができる状態ではなくなってしまった。聞いたこともない言語と文字列、赤子のような立ち振る舞いは、気が触れたとしか思えない有様であった。人々はそんな冒険家の姿を見て、彼はリバースロンドに辿り着けず発狂してしまったのだと断じた。
結局、冒険家が本当にリバースロンドに辿り着けたのかどうか、今日まで答えは出ていない。しかし、彼が持ち帰った貴重なリバースロンドと思しき景色は、別の作家によって『逆さ滝の冒険』という題名の絵本に編纂された。
絵本によれば、リバースロンドには常に白炎に包まれた不思議な遺跡があるそうだ。ほとんどの大人が子供騙しだと一蹴するような話であるが──その遺跡は、実在する。
「ねぇ、ドミくん……本当にこの通りにすれば、ロッシュくんもリョーホも帰ってくるの?」
壁を埋め尽くす棺のような精密機械に囲まれて、アンジュは首が落ちてしまいそうなほど深く俯いた。彼女の手の中には、日焼けしたA4用紙の走り書きが収まっていた。何度も読み返したせいで角が潰れ、ところどころ破れている。ざらついた紙の表面には、とある男が見たであろう未来の記録が綴られていた。
未来の記録とは言っても、予言書とは違って、ここには未来を変える方法しか書かれていない。そのため、これから何が起きて、どうなるか。ここに書かれている通りに行動したら、どう成功するのかといった、肝心な部分がほとんど欠落していた。
アンジュは神経質そうな文字列を撫でながら、ゆっくりと壁際の椅子に腰掛けた。
一番上の欄には、マガツヒの封印方が。その下には、封印の持続時間。一番下には、北方にシモン博士がいるという、半ば独り言のような報告。
これらの情報のお陰で、アンジュはリョーホとエトロを間一髪のところで保護することができた。
しかし肝心の、終末の日を止める方法だけはどこにも書かれていない。
当然だ。ドミラスは観測した世界でしかモノを語れない。ドミラスは今も、過去と未来を行き来し、終末の日を止める方法を模索し続けている最中なのだ。
A4用紙に収まったこの文字も、彼にとっては試行錯誤の一環。実験用メモの一枚でしかない。
これを書いたドミラスは、もうこの世界にいない。オラガイアでトトの魂を引き連れ、自らの死をもって過去へ渡ってしまった。
だからこそアンジュは思う。ロッシュが死んですぐにドミラスが過去に渡ったのならば、この『周回』は、乱数調整の過程で生まれたゴミ箱の世界線なんじゃないか、と。
「使い捨ての世界線じゃ、ないよね……信じていいんだよね……」
この世界は、貴方にとってただの検証データだった? だからロッシュが死ぬ未来を変えなかった? リョーホたちがああなると知っていて、ゴモリーを野放しにした?
「信じさせてよ……お願いだから!」
向かいのデスクに拳を叩きつける。デスクの上に積み上がっていた資料の山が崩れ、無造作に床に散らばった。
紙同士が擦れ合う音でさえ神経を逆撫でする。目の前の紙を片っ端から破り捨てて、燃やしてしまいたい。
それでもこの資料の山は、生前のドミラスがかき集めたものだ。アンジュはどうしても、憤怒の妄想を現実にすることはできなかった。
アンジュにとって、ドミラスが残してくれた道しるべは生きる縁だった。それと同時に、リバースロンドを目指した冒険家のスケッチと同じぐらいに儚い夢だった。
リバースロンドは実在する。『逆さ滝の冒険』に描かれた遺跡も、確かにここにある。だが、スケッチブックに描かれたリバースロンドは、全くの別物であった。
冒険家は、リバースロンドとは別の何かを見た。そういう意味では、冒険家は失敗したのだ。
ふう、と荒く息を吐く。一瞬だけ胸が軽くなったが、すぐに虚しさが倍になって押し寄せた。
ドミラスが結果を書かない理由は分かっている。これは予言書ではないと、読むものにキッパリと断りを入れるためだ。この紙に書かれた通りに行動しなくとも因果の揺り返しは起こらない。彼のお願いを叶えるか否かは完全に自由意志であり、誰の責任も問わないと示しているのだ。
「……ずるいよ」
ドミラスもこの世界線の結末がどうなるのか分からないのだろう。それでもやはり、アンジュには確約が欲しかった。真夜中の静まり返った町でも、街灯が一つでも照らしてくれれば、世界は全く違って見える。その光が消えかけの蝋燭でも、アンジュは喜んでそれに縋り付くだろう。
それでもドミラスは、暗闇を歩く方法しか教えてくれない。
マガツヒを封印して、その間にシモン博士を説得して、リョーホとエトロを救い出す。その実験が成功するかは、誰にも分からない。よしんば成功したとしても、終末の日が止められる保証はない。
「……過去に行かないで……私の隣で戦ってよ……ドミラス……」
彼女の声は分厚い遺跡の壁に阻まれ、誰にも届かないまま消えていった。
・・・―――・・・
「現状を整理しよう」
冷え切った会議室内に、レオハニーの厳かな声が落ちる。円卓を囲うのは進行役のレオハニー、村長のメルク、巫女ハウラと側近レブナ、旧人類代表の藍空研大。そして末席にはシュレイブ、クライヴ、アンリの三人。計七人の狩人が顔を突き合わせていた。
レオハニーは上座に腰かけたまま赤い瞳を鋭く細める。
「ゴモリー・リデルゴアとの戦闘で、エラムラの里は壊滅。生存者は無事に保護できたが、人口の急増によってヨルドの里がひっ迫している。最も悲惨なのは食料だ」
「いきなり千人近くも人口が増えりゃァ、無理もないのォ。住宅地は建設途中じゃから、衣食住が圧倒的に不足しておる」
味の濃い飯を食えるのは今日限りじゃ、とメルクはしょんぼり項垂れる。すると、研大があえて明るい声で言った。
「俺たち旧人類もそれなりにドラゴンを倒せるようになったので、食糧については任せてください。住まいについても、未使用の大型潜水艦を改造すれば、仮設住宅の代わりにはなるでしょう」
「現状、それで持たせるしかないよね。本当に助かるよ」
レブナが膝を揃えたまま弱々しく微笑む。シュイナが再び目覚めなくなった後、彼女はエラムラの民を安心させるべく、ハウラと共に遅くまで働き詰めだった。その疲労が、彼女の幼い目尻に皺を刻んでいた。
メルクは一瞬だけ痛ましげに眉を顰めた後、腕を組んでハウラを見やった。
「因みにエラムラの状態はどうなっているんじゃ?」
「薄明の塔は辛うじて残っています。ですが、ダアトで地盤を崩されているので、いつ土砂崩れが起きてもおかしくありません。農地も土壌ごと融解してしまったので、菌糸能力をもってしても、人が住めるようになるのはおそらく五年後です」
「うむ。マガツヒに土着の菌糸も食われておるしのォ。今日明日には新参者のドラゴンがなだれ込んで縄張り争いが始まるじゃろォな」
ドラゴンは、自分の菌糸から放出される胞子で縄張りを主張する。そのため、縄張りに別の胞子が持ち込まれるだけでも死闘が繰り広げられることは珍しくない。縄張り争いに負けたドラゴンたちにとって、何の菌糸もないエラムラ近辺は宝の山だ。
巫女が離れた今、エラムラの里に結界はない。薄明の塔が崩れ去った時、ドラゴンによってあの土地から完全にエラムラは消えるだろう。
ハウラは沈鬱な面持ちで両手を握りしめた。
「せめて薄明の塔が役目を終える前に、ご遺体だけでも見つけ出せればよいのですが……」
「飛行潜水艦ならいつでも貸し出すぞィ」
「ありがとうございます。メルク村長」
一瞬の間を置いて、レオハニーが議題を回した。
「次にマガツヒについてだ。藍空さん」
「うん」
研大は頷き、深呼吸してから話し始めた。
「マガツヒは一応、討伐成功ってことでいいと思う。けれど、マガツヒの核になっていたリョーホは今、リバースロンドで封印されている。アンジュの話によると、封印も長くは持たないそうだ」
レブナは小さく息を呑み、強張った表情を浮かべた。
「封印が解けたら、マガツは復活してしちゃうんだよね?」
「おそらくは。ずっと核に触れていたエトロも弱っていたし、『瞋恚』で見た限りでも、ラビルナ貝高原の菌糸も明らかに減っていた。多分、あの核自体にも菌糸を捕食する能力が備わっているんだ」
「逆に言えば、周りの菌糸を捕食しないと肉体を取り戻せないぐらい、核の中身はすっからかんというわけだ」
クライヴが紙に記録を取りながら口を開くと、研大は冷たく笑った。
「そうだよ。そしてこうも考えられる。もし、リョーホ達を人間に戻す方法が見つからず、マガツヒの封印が解けてしまった場合でも、核を破壊するだけの時間は確保できる、とね」
誰も触れなかった、触れたくなかった部分を研大ははっきりと口にする。途端、空気が固形物になってしまったかのような重苦しい沈黙で満たされた。
ラビルナ貝高原で再会したアンジュは、リョーホ達を人間に戻せると確信している様子だった。しかしその方法を知らないレオハニーたちにとっては机上の空論である。
もし、アンジュと邂逅した時、レオハニーにまともに思考を回す余裕があったなら、迷いなくアンジュごとエトロを切り捨てていただろう。リョーホを核から取り出す前にマガツヒが復活しそうであれば、きっとリョーホも殺していた。
ドラゴン化した人間を元に戻せるわけがない。それは、狩人の中に刻まれた不変の道理だ。
故に、研大が口にした最悪の未来の方が、アンジュの話よりよっぽど真実味のある話だった。
近い将来、自分たちはウラシキリョーホを殺さなければならない。
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