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6章
(12)その色は
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リョーホと別れてすぐ、クライヴは『迷彩』は足音を消しながらギルドへと向かった。夜が更けたばかりのエラムラは眠気を忘れてしまったように賑やかで、酒場からは乾杯の音頭が聞こえてくる。
店員の話が本当であれば、偽物のロッシュは今もギルド長室に籠っているはずだ。鈴を持っているシュイナも、医務室からギルドの二階へ移されたばかりだとレブナが言っていたので丁度いい。鈴を回収した後はロッシュの行動を監視し、折を見てポケットに銀色の鈴を入れれば任務完了である。
クライヴの『迷彩』は音だけでなく、匂いや気配も極限まで薄くする。リョーホによれば、魂のオーラですら見えにくくなるそうだ。バルド村の守護狩人でも気づけない高度な隠蔽能力ならば、警備が厳重であろうと、ギルドに侵入するのも容易かった。
ギルドの間取りはすでに頭に叩き込んである。クライヴは最短距離でシュイナが寝かされている部屋へと辿り着いた。事前にレブナから渡されていた鍵を取り出し、可能な限り音を殺しながらドアを開けた。
つん、と薬品と病人の匂いが鼻先を掠める。部屋の右側には大きめの二段ベッドがあり、窓際には二つの机。ドア横には使い込まれた武器棚が置かれていた。ギルドの二階を間借りした、レブナとシュイナ専用の仮眠室である。
クライヴは素早くドアの隙間から身体を滑り込ませ、内側から鍵をかけた。まだ侵入に気づかれていないようだが、ロッシュ相手ではいつバレてもおかしくない。『響音』の地獄耳はミヴァリアの里でも有名な話なのだから。
ミヴァリアの守護狩人であるクライヴは、時々スキュリアの要請を受け、エラムラの里へ潜入を試みたことがあった。アドランが存命だった頃はまだ里の中へ入り込める余地があったのだが、ロッシュが里長になって以降、潜入工作の難易度が格段に上がってしまった。
昼夜問わずに発動するロッシュの『響音』。真夜中に侵入すれば足音だけで衛兵がすっ飛んでくる。商人で賑わう昼のピークに紛れてみれば、些細な会話を交わしただけで監視を付けられる。黒だと断定されれば、遠隔から高周波の『響音』が殺到し、的確に脳を破壊される。重ね掛けされた警戒網を抜けるのは至難であり、ここ数年でスキュリアが成功した潜入工作は全体の一割にも満たなかった。
スキュリア陣営の狩人なら皆、口を揃えてこう言うだろう。エラムラのロッシュは化け物じみた男だったと。クライヴもそれは例外ではなく、里長はいつ眠っているのだと何度も怒鳴りこみたくなった。
しかし、エラムラの絶対的守護者たる里長ロッシュは死んだ。ついにエラムラを攻め落とす絶好のチャンスが舞い込んだのだ。
……オラガイア同盟さえ、結んでいなければ。
スキュリアはエラムラほど豊かな土地ではない。鉱山から産出される特殊な鉱物と、ミヴァリアから送られる海産物で商人とやりくりし、なんとか食料を確保している。常に空は石組みと洞窟の天井で覆い隠され、民の中には一生空を見ることなく生涯を終える者がいる。
故にこそ、立地に恵まれた開放的なエラムラを渇望していた。エラムラを裏切り、たった一日でスキュリアの無能な里長を蹴落としたベアルドルフならば、新たな地平を見せてくれるものだと期待していた。
結果だけを見れば、それもただの幻想だった。ベアルドルフはスキュリア陣営の未来よりも、エラムラの存亡ばかりを気にしていたのだから。
もしロッシュが腑抜けであれば、ベアルドルフはシャルを保護し、エラムラ防衛線で両里の因縁に決着をつけていただろう。しかしロッシュは優れた里長だった。それがすべてである。
「…………」
溜息を飲み込む。
いつだって守護狩人は里長に振り回されるものだ。それがどんな結果であれ、里長に未来を託すと誓ったのは自分である。
だからクライヴは、出会う前からシュイナという女が気に食わなかった。二段ベッドの下段で、件の女は胸の上に両手を揃え、丁寧に磨かれた銀色の鈴を包み込んでいる。
痩せている、とクライヴは口の中で言葉を転がした。オラガイアが墜落してからもうすぐ二週間。リョーホが『雷光』の短剣を持たせているおかげで、シュイナは緩やかに衰えるだけで済んでいるが、飲まず食わずなことに変わりはない。彼女がこのまま眠り続ければ、いずれ衰弱死するだろう。
哀れだ。人生を捧げるべき相手を失い、生きることを諦めたこの女が。彼女は恩人の仇を取るよりも、自分の傷を慰る道を選んだのだ。それが命懸けで黒幕を暴き、次へ繋いだ主人への冒涜だとも知らずに。
俺はお前とは違う。
内心で吐き捨てながら、クライヴはシュイナへと歩み寄った。薄っすらと『響音』の菌糸模様が浮かぶ銀色の鈴に手を伸ばし――。
ドン!
クライヴの背後から重い打撃音がした。威力に耐えかねた蝶番が大きくひしゃげる。
ドン!
二度目の打撃で完全に蝶番が外れ、ドアが部屋のど真ん中へ倒れ込む。クライヴは身を低くしながらベッドに身を寄せ、腰から短刀を引き抜いた。
蹴破られたドアの先には、真っ黒なローブに身を包んだ、長身の男が立っていた。
「ここならはっきりと聞こえますね。紛れ込んだネズミの、汚らしい心拍音が」
男は指先からしゃらりと鈴を鳴らして、悠然とクライヴを睥睨した。
・・・―――・・・
クライヴと別れた後、俺達は広場で情報収集に勤しんでいた。
守護狩人を中心に聞き込んでみると、ロッシュの目的がじわじわと明らかになってくる。
「武器商人の誘致に、傭兵リストの収集、外壁に最新の大砲を設置、ねぇ……」
「軍備の拡大ってなると、戦争を仕掛けようとしているのか、それとも何かから守ろうとしているのか」
「もう少し、決定打が欲しいな」
集めた情報を研大たちとすり合わせながら考察する。
ロッシュはギルド長室に隔離された後、守護狩人を通じて商人から武器を買い漁っていた。さらには里長の金庫を解放し、大勢の傭兵をエラムラへ呼び集めるよう別のギルドに依頼を出したそうだ。これがヨルドの里を制圧するためのものなのか、それともオラガイア同盟を崩すための下準備なのかはまだ分からない。もしかしたら、エラムラを守るために本物のロッシュがあれこれ画策しているだけなのかもしれない。
ともかく、軍備の強化をしているという情報だけでは、ロッシュの正体を突き止めるまでに至らなそうだ。
手がかりが増えているようで増えていない。歯がゆさを覚えていると、商店街の方から別行動をとっていた旧人類たちが戻ってきた。
「あっちで面白い話が訊けました。ロッシュ様が里に帰る前、街道の方で憲兵隊と密談していたらしいです」
「確かなのか?」
「日付も時間もはっきりしてます。外の巡回をしていた守護狩人からの証言なので、信用できると思います」
女性の旧人類がそう付け加えると、研大は渋い顔をした。
「憲兵隊がロッシュさんと行動する理由、か」
「あのロッシュが本物と仮定して考えると、中央都市のまともな憲兵隊と協力してゴモリー・リデルゴアの計画を阻止しようとしている、とか?」
俺が即興の推理を口にすると、元軍人の旧人類が明確に首を横に振った。
「中央都市はトゥアハ派のせいでゴーストタウンになっているし、ゴモリー・リデルゴアは終末の日を望んでいる。そんな状況で、まともなリデルゴアの王族が残っていると思えないな」
「なら……やっぱりあのロッシュさんは、本当にトゥアハ派の手先なんだな」
鈴に刻まれたリデルゴア国の紋章、憲兵隊との接触、ハウラに無断で行っている軍備強化。間違いなく黒であると理性では結論が出ているが、感情的に、まだロッシュが実は生きていたんじゃないかと信じたくなる。
俺は小さく嘆息し、米神に親指を押し込んで思考をリセットしようとした。
すると、元軍人が腕を組みながら低く呟いた。
「……違和感がある。トゥアハ派は目的完遂のためならば里を一つや二つ破壊する見境なしだったはずだ」
「確かに。ヨルドの里もノンカの里も、オラガイア、ノクタヴィスだって滅茶苦茶にされてたよね。未遂だけど、エラムラとバルド村も狙われてたし」
研大が列挙した数の多さに俺は苦笑した。俺達が知らないだけで、他にもトゥアハ派に滅ぼされた里や村は多いだろう。予言を再現するためにトトが意図的に里を滅ぼしたこともあるのだから。
その時、ずっと疑問符を頭上に浮かべて黙り込んでいたシュレイブが、何でもないことのようにこう言った。
「この期に及んでお上品に攻略しようとしているってことは、目的はもっと別のところにあるんじゃないか?」
途端、時が止まったように俺達は黙り込む。温かいと思い込んで飲んだスープが実は冷えていた時のような、居心地の悪さが背筋をむず痒くさせる。そんな空気を生み出してしまったシュレイブは、額からたらりと冷や汗を流した。
「……ま、的外れすぎたか?」
「いや──」
研大が何かを言おうとするや、けたたましくガラスの粉砕音が響き渡った。
「逃げたぞ、追え!」
反射的に俺たちがギルドの方を振り返ると、破れた二階の窓から衛兵たちが顔を出していた。騒動を聞きつけて、ギルドの中と外からも一斉に衛兵たちが飛び出してくる。
俺は咄嗟に『瞋恚』を発動し、クライヴの魂のオーラを探した。『迷彩』のせいで発見が遅れたが、彼は広場を横切るようにして東門へ向かっていた。少し足の動きが鈍い。負傷しているらしい。
「二時の方向。今だ!」
俺が声を張り上げた瞬間、『流星』が両腕を広げながらでクライヴへ突進する。同時に、研大たちが俺から譲り受けた『幻惑』を発動し、広場を中心に真っ白な煙を噴出させた。勢いよく広がった『幻惑』の白煙はあっという間に大通りを遮り、逃げるクライヴの気配を完全に断ち切った。
「とった!」
シュレイブは無事にクライヴを確保すると、『流星』の脚力にものを言わせ、目にもとまらぬ速さで東門へ飛び去っていった。あの速さならば『幻惑』で偽物のクライヴを用意する必要もないだろう。
俺は白煙が消えぬうちに、研大たちと共にエラムラから撤退を試みる。
その途中、俺は『瞋恚』を発動したままギルドの方を振り返った。
ギルド長室の窓の向こうに、衛兵に守られるようにして長身の男が立っている。彼の足元には衛兵らしき何人かの魂が倒れており、遠目にシュイナの魂も見えた。
肝心の、男の魂の色は――。
「……なん、で……どうして!」
叫ばずにはいられなかった。
そこにあった魂のオーラは、オラガイアで消滅したはずの色彩だ。気高い白や強い輝き、どれをとっても寸分の狂いがない。血の海に落ちていた銀色の鈴が最期に解き放った、淡い記憶と同じ光。
エラムラの里長、ロッシュの魂だった。
店員の話が本当であれば、偽物のロッシュは今もギルド長室に籠っているはずだ。鈴を持っているシュイナも、医務室からギルドの二階へ移されたばかりだとレブナが言っていたので丁度いい。鈴を回収した後はロッシュの行動を監視し、折を見てポケットに銀色の鈴を入れれば任務完了である。
クライヴの『迷彩』は音だけでなく、匂いや気配も極限まで薄くする。リョーホによれば、魂のオーラですら見えにくくなるそうだ。バルド村の守護狩人でも気づけない高度な隠蔽能力ならば、警備が厳重であろうと、ギルドに侵入するのも容易かった。
ギルドの間取りはすでに頭に叩き込んである。クライヴは最短距離でシュイナが寝かされている部屋へと辿り着いた。事前にレブナから渡されていた鍵を取り出し、可能な限り音を殺しながらドアを開けた。
つん、と薬品と病人の匂いが鼻先を掠める。部屋の右側には大きめの二段ベッドがあり、窓際には二つの机。ドア横には使い込まれた武器棚が置かれていた。ギルドの二階を間借りした、レブナとシュイナ専用の仮眠室である。
クライヴは素早くドアの隙間から身体を滑り込ませ、内側から鍵をかけた。まだ侵入に気づかれていないようだが、ロッシュ相手ではいつバレてもおかしくない。『響音』の地獄耳はミヴァリアの里でも有名な話なのだから。
ミヴァリアの守護狩人であるクライヴは、時々スキュリアの要請を受け、エラムラの里へ潜入を試みたことがあった。アドランが存命だった頃はまだ里の中へ入り込める余地があったのだが、ロッシュが里長になって以降、潜入工作の難易度が格段に上がってしまった。
昼夜問わずに発動するロッシュの『響音』。真夜中に侵入すれば足音だけで衛兵がすっ飛んでくる。商人で賑わう昼のピークに紛れてみれば、些細な会話を交わしただけで監視を付けられる。黒だと断定されれば、遠隔から高周波の『響音』が殺到し、的確に脳を破壊される。重ね掛けされた警戒網を抜けるのは至難であり、ここ数年でスキュリアが成功した潜入工作は全体の一割にも満たなかった。
スキュリア陣営の狩人なら皆、口を揃えてこう言うだろう。エラムラのロッシュは化け物じみた男だったと。クライヴもそれは例外ではなく、里長はいつ眠っているのだと何度も怒鳴りこみたくなった。
しかし、エラムラの絶対的守護者たる里長ロッシュは死んだ。ついにエラムラを攻め落とす絶好のチャンスが舞い込んだのだ。
……オラガイア同盟さえ、結んでいなければ。
スキュリアはエラムラほど豊かな土地ではない。鉱山から産出される特殊な鉱物と、ミヴァリアから送られる海産物で商人とやりくりし、なんとか食料を確保している。常に空は石組みと洞窟の天井で覆い隠され、民の中には一生空を見ることなく生涯を終える者がいる。
故にこそ、立地に恵まれた開放的なエラムラを渇望していた。エラムラを裏切り、たった一日でスキュリアの無能な里長を蹴落としたベアルドルフならば、新たな地平を見せてくれるものだと期待していた。
結果だけを見れば、それもただの幻想だった。ベアルドルフはスキュリア陣営の未来よりも、エラムラの存亡ばかりを気にしていたのだから。
もしロッシュが腑抜けであれば、ベアルドルフはシャルを保護し、エラムラ防衛線で両里の因縁に決着をつけていただろう。しかしロッシュは優れた里長だった。それがすべてである。
「…………」
溜息を飲み込む。
いつだって守護狩人は里長に振り回されるものだ。それがどんな結果であれ、里長に未来を託すと誓ったのは自分である。
だからクライヴは、出会う前からシュイナという女が気に食わなかった。二段ベッドの下段で、件の女は胸の上に両手を揃え、丁寧に磨かれた銀色の鈴を包み込んでいる。
痩せている、とクライヴは口の中で言葉を転がした。オラガイアが墜落してからもうすぐ二週間。リョーホが『雷光』の短剣を持たせているおかげで、シュイナは緩やかに衰えるだけで済んでいるが、飲まず食わずなことに変わりはない。彼女がこのまま眠り続ければ、いずれ衰弱死するだろう。
哀れだ。人生を捧げるべき相手を失い、生きることを諦めたこの女が。彼女は恩人の仇を取るよりも、自分の傷を慰る道を選んだのだ。それが命懸けで黒幕を暴き、次へ繋いだ主人への冒涜だとも知らずに。
俺はお前とは違う。
内心で吐き捨てながら、クライヴはシュイナへと歩み寄った。薄っすらと『響音』の菌糸模様が浮かぶ銀色の鈴に手を伸ばし――。
ドン!
クライヴの背後から重い打撃音がした。威力に耐えかねた蝶番が大きくひしゃげる。
ドン!
二度目の打撃で完全に蝶番が外れ、ドアが部屋のど真ん中へ倒れ込む。クライヴは身を低くしながらベッドに身を寄せ、腰から短刀を引き抜いた。
蹴破られたドアの先には、真っ黒なローブに身を包んだ、長身の男が立っていた。
「ここならはっきりと聞こえますね。紛れ込んだネズミの、汚らしい心拍音が」
男は指先からしゃらりと鈴を鳴らして、悠然とクライヴを睥睨した。
・・・―――・・・
クライヴと別れた後、俺達は広場で情報収集に勤しんでいた。
守護狩人を中心に聞き込んでみると、ロッシュの目的がじわじわと明らかになってくる。
「武器商人の誘致に、傭兵リストの収集、外壁に最新の大砲を設置、ねぇ……」
「軍備の拡大ってなると、戦争を仕掛けようとしているのか、それとも何かから守ろうとしているのか」
「もう少し、決定打が欲しいな」
集めた情報を研大たちとすり合わせながら考察する。
ロッシュはギルド長室に隔離された後、守護狩人を通じて商人から武器を買い漁っていた。さらには里長の金庫を解放し、大勢の傭兵をエラムラへ呼び集めるよう別のギルドに依頼を出したそうだ。これがヨルドの里を制圧するためのものなのか、それともオラガイア同盟を崩すための下準備なのかはまだ分からない。もしかしたら、エラムラを守るために本物のロッシュがあれこれ画策しているだけなのかもしれない。
ともかく、軍備の強化をしているという情報だけでは、ロッシュの正体を突き止めるまでに至らなそうだ。
手がかりが増えているようで増えていない。歯がゆさを覚えていると、商店街の方から別行動をとっていた旧人類たちが戻ってきた。
「あっちで面白い話が訊けました。ロッシュ様が里に帰る前、街道の方で憲兵隊と密談していたらしいです」
「確かなのか?」
「日付も時間もはっきりしてます。外の巡回をしていた守護狩人からの証言なので、信用できると思います」
女性の旧人類がそう付け加えると、研大は渋い顔をした。
「憲兵隊がロッシュさんと行動する理由、か」
「あのロッシュが本物と仮定して考えると、中央都市のまともな憲兵隊と協力してゴモリー・リデルゴアの計画を阻止しようとしている、とか?」
俺が即興の推理を口にすると、元軍人の旧人類が明確に首を横に振った。
「中央都市はトゥアハ派のせいでゴーストタウンになっているし、ゴモリー・リデルゴアは終末の日を望んでいる。そんな状況で、まともなリデルゴアの王族が残っていると思えないな」
「なら……やっぱりあのロッシュさんは、本当にトゥアハ派の手先なんだな」
鈴に刻まれたリデルゴア国の紋章、憲兵隊との接触、ハウラに無断で行っている軍備強化。間違いなく黒であると理性では結論が出ているが、感情的に、まだロッシュが実は生きていたんじゃないかと信じたくなる。
俺は小さく嘆息し、米神に親指を押し込んで思考をリセットしようとした。
すると、元軍人が腕を組みながら低く呟いた。
「……違和感がある。トゥアハ派は目的完遂のためならば里を一つや二つ破壊する見境なしだったはずだ」
「確かに。ヨルドの里もノンカの里も、オラガイア、ノクタヴィスだって滅茶苦茶にされてたよね。未遂だけど、エラムラとバルド村も狙われてたし」
研大が列挙した数の多さに俺は苦笑した。俺達が知らないだけで、他にもトゥアハ派に滅ぼされた里や村は多いだろう。予言を再現するためにトトが意図的に里を滅ぼしたこともあるのだから。
その時、ずっと疑問符を頭上に浮かべて黙り込んでいたシュレイブが、何でもないことのようにこう言った。
「この期に及んでお上品に攻略しようとしているってことは、目的はもっと別のところにあるんじゃないか?」
途端、時が止まったように俺達は黙り込む。温かいと思い込んで飲んだスープが実は冷えていた時のような、居心地の悪さが背筋をむず痒くさせる。そんな空気を生み出してしまったシュレイブは、額からたらりと冷や汗を流した。
「……ま、的外れすぎたか?」
「いや──」
研大が何かを言おうとするや、けたたましくガラスの粉砕音が響き渡った。
「逃げたぞ、追え!」
反射的に俺たちがギルドの方を振り返ると、破れた二階の窓から衛兵たちが顔を出していた。騒動を聞きつけて、ギルドの中と外からも一斉に衛兵たちが飛び出してくる。
俺は咄嗟に『瞋恚』を発動し、クライヴの魂のオーラを探した。『迷彩』のせいで発見が遅れたが、彼は広場を横切るようにして東門へ向かっていた。少し足の動きが鈍い。負傷しているらしい。
「二時の方向。今だ!」
俺が声を張り上げた瞬間、『流星』が両腕を広げながらでクライヴへ突進する。同時に、研大たちが俺から譲り受けた『幻惑』を発動し、広場を中心に真っ白な煙を噴出させた。勢いよく広がった『幻惑』の白煙はあっという間に大通りを遮り、逃げるクライヴの気配を完全に断ち切った。
「とった!」
シュレイブは無事にクライヴを確保すると、『流星』の脚力にものを言わせ、目にもとまらぬ速さで東門へ飛び去っていった。あの速さならば『幻惑』で偽物のクライヴを用意する必要もないだろう。
俺は白煙が消えぬうちに、研大たちと共にエラムラから撤退を試みる。
その途中、俺は『瞋恚』を発動したままギルドの方を振り返った。
ギルド長室の窓の向こうに、衛兵に守られるようにして長身の男が立っている。彼の足元には衛兵らしき何人かの魂が倒れており、遠目にシュイナの魂も見えた。
肝心の、男の魂の色は――。
「……なん、で……どうして!」
叫ばずにはいられなかった。
そこにあった魂のオーラは、オラガイアで消滅したはずの色彩だ。気高い白や強い輝き、どれをとっても寸分の狂いがない。血の海に落ちていた銀色の鈴が最期に解き放った、淡い記憶と同じ光。
エラムラの里長、ロッシュの魂だった。
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