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5章
(65)無矜持
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目も眩むほどの『流星』が、ラグラードと真っ向から衝突した。
「うおおおおおお!」
「ぬぅッ!」
大剣と素手がぶつかったと思えぬほどの衝撃波が鼓膜を打つ。周囲のあらゆる物質が吹き飛ばされ、シュレイブたちの衣服が激しくはためいた。
衝撃を逃しきれなかった壁に亀裂が走る。一角に至っては、砂埃を立てながらボロボロと崩れ始めていた。
カミケンに居場所を与えられてからというもの、シュレイブはひたすら守護狩人の技を盗み、カミケンよりも強くあるべく研鑽を重ねてきた。同時にカミケンを真似て人心掌握までも鍛え上げた。
己が馬鹿であるほど相手は油断する。
尊大に振る舞えば本心まで深入りされない。
馬鹿のふりをするつもりが本物の馬鹿になってしまったのは誤算だった。シュレイブはカミケンほど器用ではなかっただけのこと。
しかしその欠点を補うかのように、シュレイブはもう一つ処世術を覚えていた。
あえて虎の尾を踏めば、敵は必ず弱点を晒す。
シュレイブの分析癖は、カミケンが一目置くほど長けていた。弱点を知れば知るほど、自分が正しく攻略できていると実感できたからだ。
「正解を求めよ」と幼い頃から刷り込まれたシュレイブの思考は、どんな敵でも攻略法を見つけるまで絶対に諦めないポジティブゾンビを生み出した。相手が未知の敵であればあるほど、その執念はより強くなった。
執念のシュレイブ、とは誰が呼び始めたか。シュレイブはその二つ名に準じるかの如く、ラグラードの菌糸能力の弱点を解明しにかかった。
先ずは近距離の攻撃手段を試す。
ラグラードの反射は、継続的なダメージにも適応されるのか。
最初の試みは芳しくなかった。ラグラードの手のひらに大剣が食い込むほど、シュレイブの手のひらが流血する。溢れる血は強風に煽られて四方に飛び散り、辺りを赤く染めていった。
時間をかければ反射の効力が消えると想定していたが、反射はほぼ永続のようだ。
「シュレイブ! やめろ!」
強風と閃光に目を細めながらエトロが叫んだ。
『雷光』の短剣は傷口を再生できるが、血液の再生には時間がかかる。血を流し続ければ失血死する危険があるのだと、リョーホから何度も説明された。
しかしシュレイブは離れるどころか、菌糸の輝きをさらに増幅させた。ラグラードの掌により深く大剣が食い込むほど、シュレイブの親指と人差し指の付け根が裂けていく。
「チッ!」
クライヴは舌打ちをすると、風に攫われる紙切れのごとく滑らかに前傾姿勢を取った。足音が鳴らないほど完璧に重心が流れ、素早く地面を蹴る。
気づけばクライヴはラグラードの懐に入っていた。地を這うほど低い体勢から、毒で湿った短剣が鈍色の斬撃を描き出す。しかしその軌道は、上から押さえ込むように伸びた手で途切れてしまった。
「クハッ! 無駄な足掻きと分からんか!」
ラグラードの嘲りと共に、クライヴの手元が赤く濡れる。だが、毒までは反射されていないらしく、ラグラードの掌が急速に腫れ始めた。
毒の効果が現れているのはラグラードのみ。クライヴもシュレイブも傷を負っているが、毒の影響は全くなかった。
「効いてるぞ! ありったけ毒を叩き込め!」
「小癪な……!」
勢い付いたシュレイブを忌々しげに罵りながら、ラグラードは力任せにシュレイブを背負い投げた。
シュレイブは咄嗟に、背中が地面に触れるより早く身を捩った。両足で着地し、胸ぐらを掴むラグラードの腕を逆に絡めとる。
「ぐ、ぅ!?」
隙だらけになったラグラードの左腕に、クライヴのナイフが深く突き刺さる。同時にクライヴの腕からも血が飛び散ったが、ラグラードの左腕から急速に力が抜けていくのがわかった。
クライヴが使ったナイフには二種類の毒が塗られている。一つは炎症を起こし、最終的に組織を壊死させる毒。もう一つはじわじわと身体の操作を奪う麻痺毒だ。
下位ドラゴンならば三歩も歩けないほど強力な毒だ。しかし、ラグラードは止まらなかった。
「ぐおおおおお!」
シュレイブの腕が力任せに引き剥がされ、クライヴの方へ投げ飛ばされた。身体のあちこちをぶつけながら起き上がると、ラグラードの周囲に半透明の液体が渦巻いているのが見えた。
液体は、ラグラードの爪の間から溢れ出ているようだ。気づけば服がはち切れそうなほどに腫れていた腕も縮んでいる。奴の菌糸能力なのか、毒を外部へと吸い出しているらしい。
「毒では仕留めきれないか!」
「なら次だ!」
狼狽えるクライヴの肩を叩き、エトロたちに向けてハンドサインを送る。
即座にシャルが動いた。
「うりゃあああああ!」
ほとんど頭突きする体勢で、シャルの小さな身体がラグラードに突進する。至近距離で『重力操作』をかけられ、ラグラードはなす術もなく壁の上から落とされた。
落下する先には、エトロが用意した氷山がそそり立っている。
ラグラードの菌糸能力が受けたダメージをそのまま相手に返すものなら、自傷や罠ならどうだ? 自分のせいで傷を負ったなら、反射する先は自分しかあり得ない。
「さぁ、どうだ!?」
ラグラードは背後の氷山を見て大きく顔を引き攣らせた。途端、『重力操作』の角度が代わり、ラグラードの身体が容赦なく氷山へ墜落した。
そしてそこには凄惨な死体が残るのみ──となるはずだった。
氷の針山は確かにラグラードの全身を刺し貫いた。落下の勢いでバラバラになってもおかしくないほどだった。
だが血が見えたのはほんの一瞬。瞬きを挟んだ直後、氷山は粉々に砕け散り、粒子の奥からは平然とラグラードが歩み出てきた。
「無傷か……!」
攻撃そのものは無効化された。しかし『氷晶』を生成したエトロにはダメージが来ていない。
「ううむ! 全くわからんぞ! ダメージを反射する先は必要ではないのか?」
毒の時もそうだ。空中へ取り出された毒は、そのまま空気中に霧散して消えた。ならばラグラードが負った傷も同じように消えているということなのか。
「音がへん!」
「シャル嬢? ど、どういう意味ですか?」
「無力化する時、周りの風の動きが変なの!」
シュレイブはラグラードを睨みながら眉間に皺を寄せた。
「空気……空間か?」
真っ先にその発想に至れたのは、ベアルドルフの『圧壊』が身近にあったからだ。あれは空間を操り、敵を閉じ込めたり捩じ切る凄まじい力がある。
確かめる価値はありそうだ。
「エトロ! 今度は中距離から攻撃を当ててるのだ! 俺が引きつける!」
「ふん! 貴様らの計画に乗ってやる義理はない! 先ずは餓鬼から消してやろう!」
ラグラードは脚力のみで十メートル以上ある壁を乗り越えると、シュレイブを押しのけながらシャルへ襲いかかった。見上げるほど大きい熊のような図体が、少女の首をへし折ろうと牙を向く。
しかし、広げられた手はシャルに触れる寸前、見えない壁に触れたかのように静止した。
「拳が、握れん……!?」
よく見ればラグラードの手のひらには紫色のオーラがまとわりついている。それはラグラードの指を逆さにへし折りそうなほど抵抗を見せていた。
「みんなみんな、オレが子供だからってすぐ狙う! シャルだって討滅者の娘だし! 弱そうだからってバカにすんなあああ!」
『重力操作』がラグラードにのし掛かる。だが二度目とあって、ラグラードは腰を低くしながら足を壁にめり込ませて落下を防いだ。
シュン、と鋼を擦るような音が響き、ラグラードの手首から針状の暗器が飛び出す。鈍色の残滓を生みながら、針がシャルの眼球へ突き出された。
シャルの瞼が赤く濡れる。
「──!」
針は、透明な手のひらによって阻まれていた。『迷彩』が解け、シャルとラグラードの間にクライヴが出現する。
「この、下衆がぁッ!」
大きく振りかぶられた拳がラグラードの顎を捉える。その拍子にラグラードの足が抜け、巨躯が宙へ落下し始めた。
脳震盪で倒れるクライヴと入れ替わるように、シャルの背後からエトロが飛び出す。
「はあああ!」
エトロは横倒しになったラグラードに追いすがり、天高くから氷槍の雨を打ち出した。
雨に巻き込まれたネフィリムたちが、断末魔を上げながら飛び散っていく。ラグラードはその猛攻を前に素手だけで立ち向かった。硬く握られた拳が氷槍を先端から砕き、時に掴んでエトロへ投げ返す。
シュレイブは弾け飛ぶ冷気に頬を打たれながら目を凝らした。ラグラードは全ての攻撃を捌ききれていない。いくつもの氷槍が身体を掠め、その度に一瞬で傷が癒えていくのが見える。同時に、氷槍がラグラードの周囲で自壊する瞬間もあった。
「ぜああああああ!」
ラグラードは雄叫びを上げ、降り注ぐ氷槍を踏み台にして『重力操作』の範囲から自力で逃れた。
殺意のこもった怒号と共に、ラグラードエトロへ迫る。エトロは空中に氷の足場を生み、即座にその場から離れようとした。
一歩及ばず、ラグラードの腕がエトロの足を鷲塚む。そのまま鉄球でも投げるかのように、エトロは地面へ回し投げされた。
ラグラードはそのまま、地面に叩きつけられたエトロを仕留めるべく追走する。分厚い踵が振り上げられ、エトロの頭部へ狙いを定めた。
しかし、エトロが地面に触れるより早く『流星』が掠め取る。下ろされた踵は、土埃を上げながら巨大なクレーターを作り上げた。
埃で遮られた視界の向こうで、ゆらりとラグラードの巨体が揺れる。シュレイブはエトロを横抱きにしたまま、勝ち誇ったようにラグラードを指差した。
「はっはっは! 見えてきたぞ、貴様の能力の弱点! お前は相手にダメージを返すのではない。自分の周囲の空間にダメージを肩代わりさせているんだ!」
土埃の奥で爛々と殺意の双眸が光る。シュレイブは気道を掴まれたような息苦しさを覚えながら虚勢を張った。
「貴様が支配できる範囲はおよそ半径二メートル! 近距離の攻撃は相手に返せて、遠距離には無力化しかできないのも、お前の間合いではなかったからだ!」
その性質は、トトが使っていたカトラスの能力『斬空』に似ている。
『斬空』は虚空に予め斬撃を置き、そこを通った相手を切り刻むもの。それと同じように、ラグラードの菌糸能力は自分の周辺に、自分が受けた攻撃を置く。攻撃が反射したように見えるのも、ラグラードの間合いに入っていただけのことだ。
タネは割れた。だが、ラグラードの菌糸能力の弱点は見当たらない。遠くからでも近くからでも、毒を用いてもラグラードの傷は即座に回復してしまう。
瓦礫に埋めても岩を砕いて出てくるだろう。遠くから首を刈り取ればあるいはとも思うが、シュレイブの勘は無駄だと告げていた。
この大男は無敵なのだ。
「少し、お前たちを見誤っていたらしい」
潮風で土埃が捌ける。頭部に罰点を刈り込んだ厳つい容貌が、懐から赫灼の鋼を引き抜いた。現れたのは、銃口付近に四本の鉤爪を揃えた散弾銃だった。刃の端々からは火の粉が振り撒かれ、風に煽られるたびに空気を燃やした。
「能力を看破したのは褒めてやろう。しかし残念だ。お前たちを生かしてやる理由がこれでなくなってしまった」
散弾銃の引き金が引かれるのと、エトロの『氷晶』が同時に放たれた。遅れてシュレイブはエトロを抱え直し真横へ飛ぶ。
ラグラードの銃弾は、飴細工のようにあっさりと『氷晶』を粉砕した。弾は空中で四散しながら地面のあちこちへめり込むと、その周辺に『氷晶』を突き刺した。
「なっ……!?」
エトロの目が驚愕に見開かれ、シュレイブの背にも冷たいものが走る。
あの弾にはラグラードの菌糸能力と同じ間合いが仕掛けられている。ラグラードが負傷すれば、弾の間合いにいた者は反射を受ける。
つまり身体に弾が埋まりでもしたら、いくら遠距離から攻撃をしてもダメージが自分に返ってきてしまう。距離という唯一のアドバンテージを潰されたのだ。
絶句するシュレイブたちの目の前で、ラグラードは出鱈目に弾を撒き散らした。覚えきれないほど広範囲へ弾は飛び散り、もはやどこが安全か判別がつかない。
「地面がダメでも、空中に打ち上げれば──!」
「待て、シャル嬢!」
クライヴが制止した瞬間、ラグラードは隠し持っていた短銃をシャルへ向けた。
パン! と乾いた破裂音がやけに大きく響き渡った。
壁の上でシャルが倒れ込む。遅れてクライヴの小さな絶叫がした。
「シャル嬢! しっかりしてください! すぐに弾を抜きます!」
「動くな! すぐに下へ降りてこい! でなきゃ餓鬼の頭が吹き飛ぶぞ!」
ラグラードは邪悪な笑みを浮かべながら短銃を己のこめかみへぐりぐりと押し付けた。その痛みまでシャルに伝わったのか、壁の上から小さな呻き声が聞こえた。
「ク、クライヴ……!」
「待て! 今行く!」
弱々しく呼ぶと、クライヴは慎重な足取りでシャルを抱えながら降りてきた。抱き抱えられたシャルはグッタリとしており、腹部からは夥しい血が流れ出していた。
太い血管が傷ついてしまったらしい。しかし『雷光』で傷口をふさげば弾の摘出が困難になる。
「さぁ、オレを傷つけてみろ! お前らの手でこの餓鬼をばらばらにしてみろ!」
興奮で震えながらラグラードは煽る。大事なベアルドルフの一人娘を傷つけた不届きものを、今すぐ殺したくてたまらなかった。しかし心がどんなに荒れ狂っても、シュレイブは指一本すら動かせない。
ラグラードは満足そうに鼻を鳴らすと、凶悪な目を愉悦に細めた。
「おいそこの女。氷の一族の末裔なんだろう? 大人しくオレを海底遺跡へ案内しろ。そうすれば小娘だけ見逃してやろう」
腕の中でエトロが息を呑む。海を吸い込んだような瞳は揺れており、彼女の葛藤を如実に示していた。
エトロは唾を飲み込むと、顎を引きながらラグラードを凝視した。
「従えば、本当にシャルを見逃すのか」
「ダメ……!」
クライヴの腕から逃れるようにシャルがもがいた。
「エトロは……皆を守るって決めてたし……シャルも遺跡の皆を、守りたい……!」
必死に訴える少女の顔を、ラグラードの冷え切った視線が適当に撫でた。
「そうかそうか。なら一歩死んでみようか?」
ラグラードは短銃を自分の口に突っ込み、うっそりと笑った。
「やめろ」
そう発したのは誰か。意識を集中させていたシュレイブには判別がつかない。
制止も虚しく、引き金の幅がゆっくりと狭まっていく。
シャルは苦しそうに喘ぐと、エトロに弱々しい笑みを見せ、静かに瞼を下ろした。
「やめろおおおおおおお!」
「うおおおおおお!」
「ぬぅッ!」
大剣と素手がぶつかったと思えぬほどの衝撃波が鼓膜を打つ。周囲のあらゆる物質が吹き飛ばされ、シュレイブたちの衣服が激しくはためいた。
衝撃を逃しきれなかった壁に亀裂が走る。一角に至っては、砂埃を立てながらボロボロと崩れ始めていた。
カミケンに居場所を与えられてからというもの、シュレイブはひたすら守護狩人の技を盗み、カミケンよりも強くあるべく研鑽を重ねてきた。同時にカミケンを真似て人心掌握までも鍛え上げた。
己が馬鹿であるほど相手は油断する。
尊大に振る舞えば本心まで深入りされない。
馬鹿のふりをするつもりが本物の馬鹿になってしまったのは誤算だった。シュレイブはカミケンほど器用ではなかっただけのこと。
しかしその欠点を補うかのように、シュレイブはもう一つ処世術を覚えていた。
あえて虎の尾を踏めば、敵は必ず弱点を晒す。
シュレイブの分析癖は、カミケンが一目置くほど長けていた。弱点を知れば知るほど、自分が正しく攻略できていると実感できたからだ。
「正解を求めよ」と幼い頃から刷り込まれたシュレイブの思考は、どんな敵でも攻略法を見つけるまで絶対に諦めないポジティブゾンビを生み出した。相手が未知の敵であればあるほど、その執念はより強くなった。
執念のシュレイブ、とは誰が呼び始めたか。シュレイブはその二つ名に準じるかの如く、ラグラードの菌糸能力の弱点を解明しにかかった。
先ずは近距離の攻撃手段を試す。
ラグラードの反射は、継続的なダメージにも適応されるのか。
最初の試みは芳しくなかった。ラグラードの手のひらに大剣が食い込むほど、シュレイブの手のひらが流血する。溢れる血は強風に煽られて四方に飛び散り、辺りを赤く染めていった。
時間をかければ反射の効力が消えると想定していたが、反射はほぼ永続のようだ。
「シュレイブ! やめろ!」
強風と閃光に目を細めながらエトロが叫んだ。
『雷光』の短剣は傷口を再生できるが、血液の再生には時間がかかる。血を流し続ければ失血死する危険があるのだと、リョーホから何度も説明された。
しかしシュレイブは離れるどころか、菌糸の輝きをさらに増幅させた。ラグラードの掌により深く大剣が食い込むほど、シュレイブの親指と人差し指の付け根が裂けていく。
「チッ!」
クライヴは舌打ちをすると、風に攫われる紙切れのごとく滑らかに前傾姿勢を取った。足音が鳴らないほど完璧に重心が流れ、素早く地面を蹴る。
気づけばクライヴはラグラードの懐に入っていた。地を這うほど低い体勢から、毒で湿った短剣が鈍色の斬撃を描き出す。しかしその軌道は、上から押さえ込むように伸びた手で途切れてしまった。
「クハッ! 無駄な足掻きと分からんか!」
ラグラードの嘲りと共に、クライヴの手元が赤く濡れる。だが、毒までは反射されていないらしく、ラグラードの掌が急速に腫れ始めた。
毒の効果が現れているのはラグラードのみ。クライヴもシュレイブも傷を負っているが、毒の影響は全くなかった。
「効いてるぞ! ありったけ毒を叩き込め!」
「小癪な……!」
勢い付いたシュレイブを忌々しげに罵りながら、ラグラードは力任せにシュレイブを背負い投げた。
シュレイブは咄嗟に、背中が地面に触れるより早く身を捩った。両足で着地し、胸ぐらを掴むラグラードの腕を逆に絡めとる。
「ぐ、ぅ!?」
隙だらけになったラグラードの左腕に、クライヴのナイフが深く突き刺さる。同時にクライヴの腕からも血が飛び散ったが、ラグラードの左腕から急速に力が抜けていくのがわかった。
クライヴが使ったナイフには二種類の毒が塗られている。一つは炎症を起こし、最終的に組織を壊死させる毒。もう一つはじわじわと身体の操作を奪う麻痺毒だ。
下位ドラゴンならば三歩も歩けないほど強力な毒だ。しかし、ラグラードは止まらなかった。
「ぐおおおおお!」
シュレイブの腕が力任せに引き剥がされ、クライヴの方へ投げ飛ばされた。身体のあちこちをぶつけながら起き上がると、ラグラードの周囲に半透明の液体が渦巻いているのが見えた。
液体は、ラグラードの爪の間から溢れ出ているようだ。気づけば服がはち切れそうなほどに腫れていた腕も縮んでいる。奴の菌糸能力なのか、毒を外部へと吸い出しているらしい。
「毒では仕留めきれないか!」
「なら次だ!」
狼狽えるクライヴの肩を叩き、エトロたちに向けてハンドサインを送る。
即座にシャルが動いた。
「うりゃあああああ!」
ほとんど頭突きする体勢で、シャルの小さな身体がラグラードに突進する。至近距離で『重力操作』をかけられ、ラグラードはなす術もなく壁の上から落とされた。
落下する先には、エトロが用意した氷山がそそり立っている。
ラグラードの菌糸能力が受けたダメージをそのまま相手に返すものなら、自傷や罠ならどうだ? 自分のせいで傷を負ったなら、反射する先は自分しかあり得ない。
「さぁ、どうだ!?」
ラグラードは背後の氷山を見て大きく顔を引き攣らせた。途端、『重力操作』の角度が代わり、ラグラードの身体が容赦なく氷山へ墜落した。
そしてそこには凄惨な死体が残るのみ──となるはずだった。
氷の針山は確かにラグラードの全身を刺し貫いた。落下の勢いでバラバラになってもおかしくないほどだった。
だが血が見えたのはほんの一瞬。瞬きを挟んだ直後、氷山は粉々に砕け散り、粒子の奥からは平然とラグラードが歩み出てきた。
「無傷か……!」
攻撃そのものは無効化された。しかし『氷晶』を生成したエトロにはダメージが来ていない。
「ううむ! 全くわからんぞ! ダメージを反射する先は必要ではないのか?」
毒の時もそうだ。空中へ取り出された毒は、そのまま空気中に霧散して消えた。ならばラグラードが負った傷も同じように消えているということなのか。
「音がへん!」
「シャル嬢? ど、どういう意味ですか?」
「無力化する時、周りの風の動きが変なの!」
シュレイブはラグラードを睨みながら眉間に皺を寄せた。
「空気……空間か?」
真っ先にその発想に至れたのは、ベアルドルフの『圧壊』が身近にあったからだ。あれは空間を操り、敵を閉じ込めたり捩じ切る凄まじい力がある。
確かめる価値はありそうだ。
「エトロ! 今度は中距離から攻撃を当ててるのだ! 俺が引きつける!」
「ふん! 貴様らの計画に乗ってやる義理はない! 先ずは餓鬼から消してやろう!」
ラグラードは脚力のみで十メートル以上ある壁を乗り越えると、シュレイブを押しのけながらシャルへ襲いかかった。見上げるほど大きい熊のような図体が、少女の首をへし折ろうと牙を向く。
しかし、広げられた手はシャルに触れる寸前、見えない壁に触れたかのように静止した。
「拳が、握れん……!?」
よく見ればラグラードの手のひらには紫色のオーラがまとわりついている。それはラグラードの指を逆さにへし折りそうなほど抵抗を見せていた。
「みんなみんな、オレが子供だからってすぐ狙う! シャルだって討滅者の娘だし! 弱そうだからってバカにすんなあああ!」
『重力操作』がラグラードにのし掛かる。だが二度目とあって、ラグラードは腰を低くしながら足を壁にめり込ませて落下を防いだ。
シュン、と鋼を擦るような音が響き、ラグラードの手首から針状の暗器が飛び出す。鈍色の残滓を生みながら、針がシャルの眼球へ突き出された。
シャルの瞼が赤く濡れる。
「──!」
針は、透明な手のひらによって阻まれていた。『迷彩』が解け、シャルとラグラードの間にクライヴが出現する。
「この、下衆がぁッ!」
大きく振りかぶられた拳がラグラードの顎を捉える。その拍子にラグラードの足が抜け、巨躯が宙へ落下し始めた。
脳震盪で倒れるクライヴと入れ替わるように、シャルの背後からエトロが飛び出す。
「はあああ!」
エトロは横倒しになったラグラードに追いすがり、天高くから氷槍の雨を打ち出した。
雨に巻き込まれたネフィリムたちが、断末魔を上げながら飛び散っていく。ラグラードはその猛攻を前に素手だけで立ち向かった。硬く握られた拳が氷槍を先端から砕き、時に掴んでエトロへ投げ返す。
シュレイブは弾け飛ぶ冷気に頬を打たれながら目を凝らした。ラグラードは全ての攻撃を捌ききれていない。いくつもの氷槍が身体を掠め、その度に一瞬で傷が癒えていくのが見える。同時に、氷槍がラグラードの周囲で自壊する瞬間もあった。
「ぜああああああ!」
ラグラードは雄叫びを上げ、降り注ぐ氷槍を踏み台にして『重力操作』の範囲から自力で逃れた。
殺意のこもった怒号と共に、ラグラードエトロへ迫る。エトロは空中に氷の足場を生み、即座にその場から離れようとした。
一歩及ばず、ラグラードの腕がエトロの足を鷲塚む。そのまま鉄球でも投げるかのように、エトロは地面へ回し投げされた。
ラグラードはそのまま、地面に叩きつけられたエトロを仕留めるべく追走する。分厚い踵が振り上げられ、エトロの頭部へ狙いを定めた。
しかし、エトロが地面に触れるより早く『流星』が掠め取る。下ろされた踵は、土埃を上げながら巨大なクレーターを作り上げた。
埃で遮られた視界の向こうで、ゆらりとラグラードの巨体が揺れる。シュレイブはエトロを横抱きにしたまま、勝ち誇ったようにラグラードを指差した。
「はっはっは! 見えてきたぞ、貴様の能力の弱点! お前は相手にダメージを返すのではない。自分の周囲の空間にダメージを肩代わりさせているんだ!」
土埃の奥で爛々と殺意の双眸が光る。シュレイブは気道を掴まれたような息苦しさを覚えながら虚勢を張った。
「貴様が支配できる範囲はおよそ半径二メートル! 近距離の攻撃は相手に返せて、遠距離には無力化しかできないのも、お前の間合いではなかったからだ!」
その性質は、トトが使っていたカトラスの能力『斬空』に似ている。
『斬空』は虚空に予め斬撃を置き、そこを通った相手を切り刻むもの。それと同じように、ラグラードの菌糸能力は自分の周辺に、自分が受けた攻撃を置く。攻撃が反射したように見えるのも、ラグラードの間合いに入っていただけのことだ。
タネは割れた。だが、ラグラードの菌糸能力の弱点は見当たらない。遠くからでも近くからでも、毒を用いてもラグラードの傷は即座に回復してしまう。
瓦礫に埋めても岩を砕いて出てくるだろう。遠くから首を刈り取ればあるいはとも思うが、シュレイブの勘は無駄だと告げていた。
この大男は無敵なのだ。
「少し、お前たちを見誤っていたらしい」
潮風で土埃が捌ける。頭部に罰点を刈り込んだ厳つい容貌が、懐から赫灼の鋼を引き抜いた。現れたのは、銃口付近に四本の鉤爪を揃えた散弾銃だった。刃の端々からは火の粉が振り撒かれ、風に煽られるたびに空気を燃やした。
「能力を看破したのは褒めてやろう。しかし残念だ。お前たちを生かしてやる理由がこれでなくなってしまった」
散弾銃の引き金が引かれるのと、エトロの『氷晶』が同時に放たれた。遅れてシュレイブはエトロを抱え直し真横へ飛ぶ。
ラグラードの銃弾は、飴細工のようにあっさりと『氷晶』を粉砕した。弾は空中で四散しながら地面のあちこちへめり込むと、その周辺に『氷晶』を突き刺した。
「なっ……!?」
エトロの目が驚愕に見開かれ、シュレイブの背にも冷たいものが走る。
あの弾にはラグラードの菌糸能力と同じ間合いが仕掛けられている。ラグラードが負傷すれば、弾の間合いにいた者は反射を受ける。
つまり身体に弾が埋まりでもしたら、いくら遠距離から攻撃をしてもダメージが自分に返ってきてしまう。距離という唯一のアドバンテージを潰されたのだ。
絶句するシュレイブたちの目の前で、ラグラードは出鱈目に弾を撒き散らした。覚えきれないほど広範囲へ弾は飛び散り、もはやどこが安全か判別がつかない。
「地面がダメでも、空中に打ち上げれば──!」
「待て、シャル嬢!」
クライヴが制止した瞬間、ラグラードは隠し持っていた短銃をシャルへ向けた。
パン! と乾いた破裂音がやけに大きく響き渡った。
壁の上でシャルが倒れ込む。遅れてクライヴの小さな絶叫がした。
「シャル嬢! しっかりしてください! すぐに弾を抜きます!」
「動くな! すぐに下へ降りてこい! でなきゃ餓鬼の頭が吹き飛ぶぞ!」
ラグラードは邪悪な笑みを浮かべながら短銃を己のこめかみへぐりぐりと押し付けた。その痛みまでシャルに伝わったのか、壁の上から小さな呻き声が聞こえた。
「ク、クライヴ……!」
「待て! 今行く!」
弱々しく呼ぶと、クライヴは慎重な足取りでシャルを抱えながら降りてきた。抱き抱えられたシャルはグッタリとしており、腹部からは夥しい血が流れ出していた。
太い血管が傷ついてしまったらしい。しかし『雷光』で傷口をふさげば弾の摘出が困難になる。
「さぁ、オレを傷つけてみろ! お前らの手でこの餓鬼をばらばらにしてみろ!」
興奮で震えながらラグラードは煽る。大事なベアルドルフの一人娘を傷つけた不届きものを、今すぐ殺したくてたまらなかった。しかし心がどんなに荒れ狂っても、シュレイブは指一本すら動かせない。
ラグラードは満足そうに鼻を鳴らすと、凶悪な目を愉悦に細めた。
「おいそこの女。氷の一族の末裔なんだろう? 大人しくオレを海底遺跡へ案内しろ。そうすれば小娘だけ見逃してやろう」
腕の中でエトロが息を呑む。海を吸い込んだような瞳は揺れており、彼女の葛藤を如実に示していた。
エトロは唾を飲み込むと、顎を引きながらラグラードを凝視した。
「従えば、本当にシャルを見逃すのか」
「ダメ……!」
クライヴの腕から逃れるようにシャルがもがいた。
「エトロは……皆を守るって決めてたし……シャルも遺跡の皆を、守りたい……!」
必死に訴える少女の顔を、ラグラードの冷え切った視線が適当に撫でた。
「そうかそうか。なら一歩死んでみようか?」
ラグラードは短銃を自分の口に突っ込み、うっそりと笑った。
「やめろ」
そう発したのは誰か。意識を集中させていたシュレイブには判別がつかない。
制止も虚しく、引き金の幅がゆっくりと狭まっていく。
シャルは苦しそうに喘ぐと、エトロに弱々しい笑みを見せ、静かに瞼を下ろした。
「やめろおおおおおおお!」
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死因は神様の当て逃げです! 地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。
いい子ちゃんなんて嫌いだわ
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魔道具作ってたら断罪回避できてたわw
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愛されない皇妃~最強の母になります!~
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愛されない皇妃『ユリアナ』
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※表紙は作成者様からお借りしてます。
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闇属性転移者の冒険録
三日月新
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異世界に召喚された影山武(タケル)は、素敵な冒険が始まる予感がしていた。ところが、闇属性だからと草原へ強制転移されてしまう。
頼れる者がいない異世界で、タケルは元冒険者に助けられる。生き方と戦い方を教わると、ついに彼の冒険がスタートした。
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勇者召喚に巻き込まれたおっさんはウォッシュの魔法(必須:ウィッシュのポーズ)しか使えません。~大川大地と女子高校生と行く気ままな放浪生活~
北きつね
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勇者召喚に巻き込まれた”おっさん”は、すぐにステータスを偽装した。
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誤字脱字が多いです。誤字脱字は、見つけ次第直していきますが、更新はまとめて行います。
転生リンゴは破滅のフラグを退ける
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ある日突然事故死してしまった高校生・千夏。しかし、たまたまその場面を見ていた超お人好しの女神・イズーナに『命の林檎』をもらい、半精霊ティナとして異世界で人生を再スタートさせることになった。
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※ちょっとだけタイトルを変更しました(元:転生リンゴは破滅フラグを遠ざける)
※更新頑張り中ですが展開はゆっくり目です。のんびり見守っていただければ幸いです^^
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