家に帰りたい狩りゲー転移

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5章

(64)大敵

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 狩っても狩っても、際限なくネフィリムが湧き出て来る。溶岩で押し固められた壁の上で、エトロは顎に滴る汗を拭いながら熱い息を吐き出した。

「まだ、時間が足りない……!」

 海底遺跡の旧人類を黄昏の塔へ避難させるまで、一匹でも多くネフィリムを減らしておかねばならない。だというのに、壁の下にいくら死体を積み上げても数が減っている気がしない。どうやらネフィリムたちは、地中や海を伝ってヨルドの砂浜に流れ込んでいるようだ。

 本当に、勝てるのか。小さな不安が心の奥底で芽生える。少しでも不安に身を委ねると、自分の行いが全て悪あがきに思えてくる。

 だがその度に、エトロは故郷や旧人類の残していった想いを抱き直し、より苛烈に戦場へと身を投じた。

 生き残って、守り切って、やりたいことが山ほどある。考えるより先に突っ走ってしまえと、エトロは内心で己を鼓舞した。

「エトロ、あれ!」

 背後を庇いあうように戦っていたシャルがエトロに短く叫んだ。

 褐色肌の人差し指が示す方向へ目を向ける。そこでは、飛行型ネフィリムの群れが壁の外から向かってくるところだった。

 ざっと見た限り、数は百を超えるだろう。よく見れば干上がった川跡を辿るように、地上型のネフィリムも追い縋っていた。
 
「ついに来たか……」

 リョーホの『雷光』の短剣で肉体の疲労を回復させ、エトロは獰猛に目を細める。壁の下では、シュレイブが細身の大剣に寄りかかりながら慌てふためいていた。

「ど、どどどうするんだ!? まだこんなにネフィリムが残っているのに増援だなんて、たった四人で殲滅し切れるのか!?」
「シュレイブ、お前の『流星』で増援を撃ち落としてやれ!」
「はっ!?」

 クライヴの無茶ぶりにシュレイブが目を剥く。それはいい、とエトロはクライヴとアイコンタクトを取り、すでに能力発動の準備を終えたシャルへゴーサインを出した。
 
「シャル! やれ!」
「あい!」
「うぎゃあああ馬鹿野郎ぅおおおおおおお!」

 シュレイブは『重力操作』を纏ったシャルにがっちり両足を掴まれ、存分に遠心力を乗せて空高く放り投げられた。

 放物線を描いていたシュレイブは、途中で屈折するように地面と平行になり、『流星』で加速。勢いを落とすどころか、むしろ速度を上げて一個中隊のど真ん中に着弾した。『重力操作』で加速が上乗せされた『流星』は数個の閃光弾をまとめて炸裂させたような光を解き放ち、巻き込まれたネフィリムたちを砕き飛ばした。
 
 だが、削れたのはおよそ四分の一だ。撃ち漏らしたネフィリムは速度を落とすことなく、壁を追い越さんと力強く翼をはためかせた。
 
「後の処理はシャルがやるし!」

 シャルのセスタスから菌糸模様が広がり、ネフィリムたちに『重力操作』が纏わりつく。突然全身の重みを変えられたネフィリムたちは、機動力を失い、頭から壁に衝突して墜落していった。それでも残り半数を取り逃し、壁越えを許してしまう。

「ごめんミスったし!」
「上出来だ!」

 エトロは残存部隊を撃ち落とそうと槍を構え、壁を通り過ぎた者たちを目で追う。その先で――海原で蠢く、不気味な白い肉塊を発見した。
 
「なんだ、あれは……」

 外から来た飛行型ネフィリムたちは、海底遺跡ではなく、その肉塊を目指して飛んできていたようだ。

 謎の肉塊は神経にやすりをかけるような雄たけびを上げ、海中からも、空中からもネフィリムを呼び寄せている。ネフィリムたちは火中に飛び込む羽虫のように、なんの躊躇いもなく肉塊の中に飛び込んでいった。

 肉塊は次第に肥え太り、蛹を破るかのごとく薄膜を破り、ぬらりとした鱗を露にした。白黒モザイク柄の鱗はキメラトルメンダルクと酷似している。だが、形状はそれと全く異なっていた。

 カエルのような厚ぼったい顔。
 丸太を束ねたような首。
 胸から下はチンパンジーのように手足が長く、腰から生えた蜻蛉の羽根は左右合わせて八枚もある。

 何より、その骨格があまりにも人間的すぎる。生理的嫌悪を抱かせるほどの不気味さだ。それが離島の一部と勘違いするほど遠大だから、見ているだけでも不安が募った。

 謎のドラゴンの前に、ポツンと豆粒サイズの人影が佇んでいる。夕暮れに染まった海に溶け込むような赤い髪は、レオハニーのものに違いない。

 巨大なドラゴンの前に立ちすくむ人間は無力だった。そこに立つ者が最強の討滅者だと頭ではわかっていても、エトロ悲痛な声で叫んだ。
 
「師匠!」

「――この程度の雑魚も処理できないか。やはり所詮は失敗作ネフィリムだな」

 見知らぬ男の悪態が真上から聞こえた。

 直後、エトロがその場から飛びのく間もなく、うなじを強く殴打される。

 いつの間にか、エトロはうつ伏せで壁の上に倒れ込んでいた。一瞬だけ意識を失っていたのかもしれない。

 不覚を取った。焦燥感に駆られながら起き上がろうとするも、背中から勢いよく踏みつけられる。
 
 肺を押しつぶされ、冷や汗をかきながらエトロは地面に爪を立てた。
 
「誰、だ、貴様は」
「憲兵隊暗部総隊長ラグラードだ。……いや、元ダアト教幹部と言った方が伝わるか?」

 顎を擦りながら無理やり横目に見上げると、リデルゴア憲兵隊の軍服を纏う大男が立っていた。罰点を模して刈り込まれた側頭部には刺々しいピアスが埋め込まれ、猛々しい雰囲気を醸し出している。

 元ダアト教幹部。ならばこの男も十二人会議に参加していたはずだ。しかし、エトロはオラガイアが墜落するまでの間、一度もラグラードの姿を見たことがなかった。それはつまり、ラグラードがトゥアハと同じ裏切り者だということを指向していた。
 
 不意に、ラグラードがエトロの背中から足をどけ、脇腹を強く蹴飛ばした。同時にラグラードの左腕が閃き、虚空に向けて二本指を立てる。
 
 なんの前触れもなく、ラグラードの指が一瞬だけ根元から切り落とされた。目に見えない何者かが、ラグラードに切り掛かったのだ。

 血が飛び散り、足元を濡らす。

 しかし、落ちると思われた指は根元と繋がったまま。気づけば、根元の傷口すらも消滅していた。

 代わりに、誰もいない虚空からぼたぼたと血があふれ出て、誰とも知れぬ二本指が転がった。

「――っ!」

 声なき悲鳴がした。クライヴのものだ。

 ラグラードは声を頼りに大きく踏み込むと、赤く濡れた輪郭へ正拳突きを穿つ。

 べきり、と何かが折れるような音がして、気配がエトロのすぐ傍を通り過ぎて、激しく転がった。攻撃の衝撃で『迷彩』が解けたのか、虚空に隠れていた人物が顕になる。

 左手首をあらぬ方向に捻じ曲げ、右の二本指を失ったクライヴが倒れていた。傷に反応して『雷光』の短剣が輝き、数秒のうちに出血を止める。

 なぜだ。指を切られたのはラグラードのはず。理解できない現象に、エトロの背筋がざわめいた。

 得体の知れない恐怖を振り切るべく、エトロは立ち上がりざまに槍を振るった。

 「せぇ、い!」
 
 槍はラグラードの喉元に突き刺さる。肉を裂き、骨に触れる確かな手ごたえがあった。

 だが、鮮血はエトロの喉元から噴き出した。

「ッゴポ!」

 大きく切り裂かれた喉から息が漏れ、傷口が冷たくなる。激痛と呼吸困難でますます思考が混乱した。

 咄嗟に喉元を両手で押さえると、『雷光』の短剣が力強く瞬いた。即座に青白い光が顎の下を包み込み、冷えた傷口に正常な熱を通わせた。

「ほほぉ? 厄介な能力を与えられたものだ。死ぬべき時に死ねないとは」
 
 再生の様子を観察していたラグラードは、傷一つない顎下をさすりながらくつくつ笑う。

 次の瞬間、エトロの目の前に分厚い拳があった。

「──ッ!?」

 咄嗟に身体を伏せる。回避に集中するあまり、重心が下がり過ぎてしまった。

 正面からの蹴り。受け流せない。

「がっ!」

 鳩尾にめり込んだつま先が、抉るように振り抜かれる。エトロは濁った息を吐きながら壁の外へ放り出された。そのまま転落するかと思いきや、クライヴに腕を掴まれた。

 ぶらぶらと揺れる視界で、エトロは壁下を見下ろした。いつの間にかネフィリムたちの増援がわらわらと群れを成し、物欲しげにエトロを見上げて飛び跳ねている。あのまま転落していれば、あの群れに身体を食いちぎられていたことだろう。

 クライヴは『雷光』で治療したばかりの左手に力を込め、勢いよくエトロを引き上げた。

 エトロの視点が一気に高くなる。その先には、背後からクライヴの頭蓋を砕かんと、腕を振り抜くラグラードがいた。

「くぅッ!」

 ふらつく身体に鞭打って槍を振るい、ラグラードの拳を受け止める。すると、エトロの右手の平に受け止めた槍とは明らかに違う衝撃が走った。まるで自分自身の攻撃を手のひらで受け止めたかのように、ビリビリと腕が痺れる。

 今ので確信した。ラグラードの菌糸能力は、自分が受けたダメージをそのまま相手に返すのだ。反対に、自分の攻撃はストレートに相手に当てられるのだろう。

 加えてラグラードの身体能力は卓越している。素手で槍を受け止め、拳だけで成人男性の手首をへし折れたのだから。おそらく、ラグラードの体内にある菌糸の密度がよほど高いのだろう。下手をすれば身体能力だけでもベアルドルフと張れるかもしれない。

「反則だろう……!」

 掠れた文句を絞り出すので精一杯だ。競り合っている間にも、ラグラードの片腕がじわじわとエトロの槍を押し込んで、力を増幅させながら眼前に迫ってくる。

「エトロ!」

 シャルの幼い声が飛び込んできて、エトロはクライヴごと真横から抱き攫われた。

 『重力操作』で真横に落ち、ラグラードと大きく距離を取った場所へ降ろされる。

 ラグラードは薄い笑みを浮かべながら、エトロたちに追いすがろうとした。が、横合いから飛び込んできたシュレイブによってその場に縫い留められた。

「なんだ貴様はぁ!」
「邪魔だ」
「うおおお!?」

 『流星』を発動しながら大剣を振るったにも関わらず、ラグラードは平然と白羽どりを決め、大剣ごとエトロたちの方へと放りなげた。シュレイブは片膝をつきながら危うく着地した後、大きく裂けた自分の右手を見て愕然とした。

「な、なぜ俺の手が!?」
「いいから治療しろ!」

 クライヴに『雷光』の短剣を押し付けられ、傷口が膨らむように塞がっていく。

 ラグラードは一連の様子を黙って眺めた後、大きく肩をすくめながら左右に頭を振った。

「はぁ……ドラゴン狩りの最前線出身と聞いて警戒して見れば、なんだこの体たらくは? この程度であれば、もっと早い段階で消しておくべきだったな」
「消す……?」
「ああ、もう滅ぼした後だ。気にするな。いや、ああも綺麗に消されたのだから、存在していたのかも怪しいものだな? まぁ、ディアノックスの討伐すらままならん程度の、無能な狩人どもに相応しい墓標だろう」

 ラグラードは小馬鹿にした笑いを含ませながら肩をすくめた。口元は明瞭な嘲笑で彩られている。死者を悪し様に言い、悪びれもしない。平気で他者を冒涜できる悪がそこにいた。
 
 エトロの視界が、端から真っ赤に染まっていった。こめかみの血管が拡張され、濁流じみた血の流れが鼓膜を震わせる。泡を飲み込んだように肺が小さく痙攣し、神経系が狂ったかのように唇を震わせた。
 
「貴様……大勢の人を殺しておいて、罪悪感すら抱かないのか!?」

 引き裂く様な叫びが、戦場に溢れかえるネフィリムの鳴き声を払拭した。
 
 しかしラグラードは羽虫でも眺めるような目つきでエトロたちへにじり寄った。

「欠陥種族風情が、まだ人間扱いしてもらえると本気で思っているのか? 殺処分の必要があったからそうしただけだろうが」
「ふざけるな! 身勝手な理由で奪われていい命なんてない! 少なくとも貴様らが勝手に決める権利はない!」
「権利だと? 世界を導く力もない劣等種がよく吠えるわ」

 ラグラードは両手の拳を優雅に握り直し、前後に両足を広げながらだらりと腕を下げた。無防備に見えるが、一切の隙がない立ち姿だ。

「不愉快な無知で恥を晒す前に教えてやろう。バルド村を滅ぼす計画は随分前からあった。だがあの女……ベートがくだらないミスをしでかしたために、『因果の揺り返し』が起きるのは確実となってしまったのだよ!」

 ラグラードは鼻先に深い皺を刻み、理性を手繰り寄せるように眉間に手を当てた。

「ハァ……いいか? 被害を最小限に抑えるには、オラガイアと共にバルド村にも滅びてもらった方がいい。手間も少なく安全で安上がりだからな。それ故の殺処分だ。分かるか? 欠陥種族」
「……理解したくないな。なぜそこまで『因果の揺り返し』に拘る。あれは貴様らが救済者トトを用意し、予言に従わない者を粛清するための大義名分だろう!」
「トトは『因果の揺り返し』の抑止力に過ぎん。お前は、定められた運命の真の恐ろしさを知らないようだな?」

 ラグラードは大仰に両腕を広げ、夜に呑まれていく夕焼けへ顎を反らせた。暗清色と柘榴色のグラデーションを背負ったラグラードは、栄誉あるステージショーを乗っ取った山賊のようだった。
 
「運命とは大河そのものだ。流れを捻じ曲げ、あるいは堰き止めようとすれば、些細なきっかけですべてをなぎ倒す激流へと豹変する。その激流こそが『因果の揺り返し』だ。これを抑止せねば、誰も望まぬ破壊を招くことになる。つまり我々は『因果の揺り返し』を調停し、世界を導く崇高な役目があるのだ!」
「……だから予言書に従うべきだと?」

 クライヴは愛用の短剣を構え直し 、腹から押し出すように短く笑った。

「ハッ! そんなもの、トゥアハの手で都合よく書き換えられた偽りの予言でしかない! 自ら『因果の揺り返し』を誘因させておいて調停するとは笑わせる!」
「違うな。予言書は世界を読み解く媒介にすぎない。よりよい世界を創造すべく、指導者が手を加えるのは当然のことだ!」

 揺るぎない自信で裏打ちされた言葉だ。しかし、エトロの心には全く響かない。ラグラードの声の端々からは、自分以外は全て劣等人種だという本音が堂々と聞こえてくるようだった。

「……お前は、自分の運命を他人に委ねているだけだ」
「カンテラも持たずに真夜中の森に入るような馬鹿はいまい?」

 聞く耳を持たない切り返しに、エトロはより深く憎しみを募らせる。

 その時、ひりついた空気を引き裂くような笑い声が響き渡った。

「くくく、あははははは!」

 腹を抱えながら、シュレイブが高く笑っていた。くしゃりと皺を寄せられた目元は愉快そうであったが、吊り上がった眉には怒気が滲んでいた。

「月明かりも頼れない軟弱者が憲兵隊の総隊長を賜っているとは驚きだ! 中央都市の権力者は、権能の使い方も知らん無能ばかりなのか!?」

 シュレイブはひーひーと苦しそうに目尻を拭った。そして、カミケンにそっくりな輝かしい笑顔で言い放った。

「ミヴァリアに帰ったら真っ先にカミケン様に進言しよう。リデルゴア国が滅びた暁には、カミケン様に国王の座を贈りましょうとな!」

 震える語尾からシュレイブの抑えきれない怒りが感じられた。リョーホと子供のようなやり取りを繰り返すこの男が、これほどまでに怒りを露わにするとは。

 エトロは自らが抱いていた怒りも忘れた。相対するラグラードも虚をつかれたように目を剥いていたが、次第に理解が及んだか、ソウゲンカのような形相へ変貌した。

「一介の里長に……この国の治世が務まるものか!」

 ラグラードの怒号を叩きふせんとするかの如く、シュレイブは猛然と地を蹴った。
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