家に帰りたい狩りゲー転移

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5章

(62)魚に非ず

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 口から血をだらだら流し続ける飛行型ネフィリムに跨って、ベートはクラトネールとの追いかけっこに没頭していた。

「逃げないでよ浦敷博士! お話しましょ!?」

 二人と一頭による、戦闘機もかくやの高速飛行に巻き込まれ、幾つかの筋雲が霧散する。その最中、クラトネールからは情け容赦なく雷撃が乱れ打ちされた。

 しかし、ベートは何度直撃を受けて丸こげになっても絶命することはなく、たちまち傷を癒しては狂気的な笑顔を浮かべていた。

 一方、雷撃に巻き込まれた飛行型ネフィリムは半死半生だった。ベートの『支配』と『催眠』で痛覚を消され、雷撃でばらけそうになった筋肉を無理やり繋がれた身体は、ほとんど気合いだけで飛んでいる。

 このネフィリムは、ベートたちの実験によって生み出されて以降、人間だった頃の記憶がほぼ残っていない。言葉や思考はなく、本能だけが常に食欲を訴え続けていた。

 ただし、今はその本能でさえもベートの『支配』で全く別のものへ書き換えられている。ただ主人のために忠誠を誓い、死んでもなお命令を遂行するように、と。

「もっと早く飛びなさいよ! ほら早く!」
『グル……オオオオオオ!』

 飛行型ネフィリムは白目を剥き、身体のあちこちから血の噴水を上げて加速した。それでも神速のクラトネールに比べれば大した速度ではない。普通なら追いつけるわけがなかった。

 だが幸運なことに、ネフィリムが加速したタイミングでクラトネールは旋回のために速度を落としていた。これまでの絶望的な距離が嘘のように、ネフィリムは一気にクラトネールとの距離を詰め、ついに真横に並ぶ。

 奇跡を起こした達成感によって、ほんの一瞬、ネフィリムの頭の中で食欲以外の欲求が小さく弾けた気がした。そしてほとんどスポンジ化した脳みそから、忘却の彼方にあった人間性が蘇ろうとする。

「はーい用済み!」

 ひゅん、と甲高い風切音が首を通り過ぎ、飛行型ネフィリムは空中で四散した。

 落ちていく白い背中を踏み台に、ベートはついにクラトネールの背へ飛んだ。クラトネールはベートを避けるべく大きく身体を捻ったが、棘だらけの鞭が足に纏わりついてきた。

 ベートは振り子のように背中に回り込むと、鞭をクラトネールの胴体に巻き直し、勢いよく引き絞った。

 『グルルッ!?』

 無数の棘でヤスリのように胴体を削られ、クラトネールの身体が直角に跳ね上がった。棘で付けられた傷に、直接『催眠』の菌糸能力を流し込まれたのだ。

 このままでは意識を刈り取られてしまう。クラトネールはベートを振り払うべく、全身に『雷光』を纏いながら激しく空を飛び回った。

 至近距離から大量の電流を浴びせられ、ベートは声にならない絶叫を上げた。何度目かのスパークでベートののけ反った体が完全に炭化した。

 それでも死体は軽やかに笑った。

「あはははは! 愛が熱い! 受け止め切れないよぉ!」

 ベートは炭化して崩れた頬肉から骨を露出させ、再生したばかりの腕で思い切り鞭を引いた。クラトネールに纏わりついていた鞭が大きく軋み、脊椎に小さな亀裂が走る。
 
 クラトネールはあまりの激痛に身を捩りながら急上昇し、雷光をまき散らしながら暴れ回った。しかしベートはいくら電流を流されても笑い続け、一際大きく腕を引こうとした。

 その直前、ベートの眼前に巨大な大剣が振り抜かれた。クリムゾンカラーの閃光が視神経を焼き焦がしたと知覚した時には、すでに分厚い鉄塊がベートの額にクリーンヒットしていた。

 脳が頭蓋骨の中で激しくバウンドし、意識ごとクラトネールから叩き落とされる。ベートが気を取り戻した時には、眼前に大海原が迫ってきていた。

 どぼん! と重々しい音を立ててベートは海水に衝突した。その数秒後、大の字になったベートが仰向けのまま浮かび上がってくる。彼女の服はところどころ黒ずんでボロ雑巾のようだった。だが不思議なことに、焼けこげた皮膚と衣服が再生し、ミニドレスの煌びやかさが戻っていた。

 ベートはぼんやりと虚空を眺めた後、はっと目を見開いて駄々をこねた。

「あーん! もう少しだったのにサイアクー!」
「貴方には心底失望したよ。ベート・ハーヴァー」

 冷たい声が真上から落ちる。ベートが起き上がるよりも早く、溶岩を絡みつかせた大剣から上段斬りが放たれた。

 ベートは右腕に鞭を巻き付け、即席のセスタスを作りながら正拳突きを放った。棘だらけの鞭はベートの血を吸って強度を上げ、いとも簡単に大剣を受け止める。衝撃でベートの身体が海へと押し込まれたが、『支配』で呼び出していた水中のネフィリムを踏み台にして堪え切った。

「……あっは! 遅めの反抗期かな? レオナちゃん!」

 義理の母親と娘が、血に染まった武器を片手に睨み合う。ベートの拳とレオハニーの腕は細かく振動し、競り合う刃からは切削粉じみた火花が滝のように零れていた。

「ねぇレオナ。お母さんね、今日はとっても大事な仕事があるのよ。いい子だから大人しく、そこで手足をもがれてくれないかなぁ!」

 左手にも鞭を絡め、レオハニーの鼻頭へ向けて拳を突き込む。しかしレオハニーは逆に大剣を押し込み、至近距離で溶岩を解き放った。

 爛れた溶岩が海面に触れた瞬間、沸騰した水がベートへ跳ね飛んだ。

「うぎゃ! 熱い熱い熱い!」
 
 悲鳴を上げながらネフィリムの背にしがみ付ぎ、水上を滑るように遁走を試みる。瞬間、背後で水蒸気爆発が連続的に起き、爆風で加速しながらレオハニーが追いかけてきた。

 ベートはレオハニーの恐ろし気な面構えに目元を引くつかせた。
 
「はぁー全く! NoDになったばかりは逃げることしかできなかったのに、どうして大事な時にしゃしゃり出てくるわけぇ!?」
「貴方の間違いを正すためだ。大人しく死んでほしい」
「あっは! その割にはダアト教にも機械仕掛けの世界にも関わろうとしなかったじゃない! バルド村の近くにはテラペド遺跡まであったのに、貴方は全く近づかなかったよね!? テララギの遺跡でも、シモン博士のお墓のお参りをするだけでさぁ!」

 ネフィリムの軌道を変え、大きく迂回するようにしながらレオハニーとすれ違う。最も彼我の距離が近づいた瞬間、目にもとまらぬ速さで鞭を振り回した。楕円形の軌道を描いた鞭は変則的にしなりながらレオハニーの首を狙う。

「本当はあたしに楯突く勇気がなかっただけでしょ? 戦うのがこわ~い! 責任取りたくな~い! たったそれだけで、何百年も適当に生きてきたんじゃない! その間、あたしは必死に浦敷博士のために頑張ってたのにねぇ!」
「……少し違うな」

 鞭を超える速度で大剣が唸り、弓なりに弾かれた。斬撃跡に沿うように溶岩のアークが描かれ、じゅわりとレオハニーの足元で水蒸気が立ち上る。白く霞んだ向こう側で、真っ赤な髪が潮風に激しく靡いていた。

「私はただ、友に置いて行かれるのが怖かっただけだ。シモン博士に先立たれ、テララギの民も年老いて死んで、私だけがずっとこの世界に取り残されるのが嫌だったんだ。私を覚えている人間はもはや仮想世界にしか残っていないとなれば、私はより一層、自分が生きていることが許しがたかった」

 夕風が靄を吹き荒らし、クリアになった視界の向こうで、人間離れした美貌の緋色がこちらを咎める。

「けれど、私は知ってしまった。シモン博士の思いも、浦敷博士たちが何をしようとしているのかも!」

 彼女の荒れ狂う情意を体現するかの如く、大剣から煉獄を思わせる爆炎が吹き上がった。咄嗟にベートは鞭を振るい、レオハニーの手元から大剣を叩き落とそうとしたが、その時にはもう、目の前から姿が消えていた。

「あぎゃ!?」

 真横からフルスイングで胴を殴られ、腕と背骨から奇妙な音を立てながらベートは吹き飛ぶ。水切りのように回転しながら水面をバウンドし、空と海を五往復してやっと水中に叩きつけられた。

 すぐに別のネフィリムがベートを背負い、水面の外へと救出する。ベートは顔のありとあらゆる穴から血と海水を垂れ流し、嘔吐しながら四つん這いになった。

 その傍らに、いつの間にか赤い髪の少女が立っている。溶岩から凝固した軽石の上は波に揺られて不安定なはずなのに、彼女はまるで別次元に立っているかのように不動だった。

 あまりの気配のなさに、ベートは腹の奥から心臓を引きずり出されるような心地がした。痙攣する眼球で見上げれば、赤く冷たい炎が静寂を湛えて見つめ返してくる。

「ウラシキリョーホの夢を聞いて、私はいまだかつてない願望に囚われてしまった。あなたが浦敷博士に狂うように、私にも狂いたいものができた。例え恩人である貴方を、殺すことになっても!」

 無防備なベートの背中を、灼熱の大剣が刺し貫く。
 
「ぎゃあああああああああ!」

 内臓から高温で焼き溶かされ、ベートは麻布を引き裂く様な断末魔を上げた。真下にいたネフィリムも炎の余波を受け、全身にやけどを負って泡を吐きながら絶命した。

 口から炎が吹きこぼれるほどの業火によって、ベートは声すら失っていた。ネフィリムの死体の上で項垂れ、やがてぼろぼろと灰になって崩れ始めた。

 原型を留めぬほど崩れた灰は、波にさらわれて海面に散らばった。レオハニーはその様子を黙って観察し続けたまま、その場から動こうとしない。

 ふと、散らばった灰がもぞもぞと蛆虫のように動き始めた。波の流れに合わせて一か所に寄り集まり、じわじわと人の形を形成していく。断末魔の形を保った頭部に皮膚が戻ると、呼吸器系がないにも関わらず喉が大きく息を吸った。

「……ぁ……ぁあ……あはは……あははははははは!」

 煤を被った人型は痙攣に押し出されるように笑い声を上げ、腹を吊り上げられたように起き上がった。その拍子に煤が落ちると、それらは黒くうねりながらベートの身体を包み、元通りのミニドレスを作り上げた。

 ベートは愛おしそうに自分の髪にキスを落としながら、うっとりとレオハニーに微笑みかけた。

「ああ……羨ましいなぁ。私はまだ本物の浦敷博士と久しぶりに話せてもいないのに、どうしてぽっと出のあなたが浦敷博士と仲良くなっているの? 普通はあたしにお伺いを立てるべきじゃない? ねぇそうでしょおッ!?」

 ドラゴンじみた咆哮を上げた瞬間、ベートの角膜が瞳孔の内部へ折りたたまれ、白目がどす黒く染め上げられた。同時にベートの皮膚から逆立つように鱗が刻まれ、腰のあたりから蜻蛉のような羽根が広がる。

 レオハニーは大きく眉を顰め、強く鼻を押さえた。

「自らドラゴンに落ちるとは……」
「これはドラゴン化じゃない。進化よ! これが完璧な人類。世界を統べる種族なの!」
「大それた口を聞く。神にでもなったつもりか?」
「そうよ。私たちは新世界を創造し命を導く神様! 神人なの! 選ばれた人だけが不老不死になるの!」

 ベートは羽根を震わせて空中に飛び上がると、鞭を張りながら人外の瞳で空に思いをはせた。

「ああ、浦敷博士。一緒にあたしと世界を創造しましょう? 新世界のアダムとイブは私たちが相応しいの! ゴモリー様もそう言ってくださったのよ! あなたには永遠を生きる資格があるの!」

 刹那、ベートは先ほどと比べ物にならない速さで宙を蹴り、残像を残して消滅した。レオハニーが視線で追いかけた先には、空中を旋回するクラトネールの姿がある。

「しまっ……」
「浦敷博士ぇえええええええ!!!」

 鞭があり得ない速度で伸長し、蛇のようにクラトネールの首筋に食らいつく。他の部位よりも細い首はあっという間に鞭で巻き付かれ、レオハニーが追いすがった時にはすでに、ベートの腕が引き絞られていた。

 ぱき、と決定的な音が響き渡り、首を折られたクラトネールが失速する。骸骨のような巨体がとぐろを巻きながら落下し、やがて激しい水柱を立てて海に沈んだ。
 
「あは! 愛が有り余ってうっかり殺しちゃったかも! でも大丈夫! 浦敷博士も神人だもんね! 菌糸さえあればいくらでも量産……」

 ベートはぴたりと動きを止め、水中から浮かんでくる真っ白な巨体を凝視した。

「……違う。これじゃない」

 彼女の呟きをあざ笑うように、クラトネールの全身を覆っていた蜃気楼がゆっくりとはぎ取られていく。その中にはエリマキトカゲとモルフォ蝶を融合させたドラゴン──シンモルファが横たわっていた。

 先ほどまで見ていたのはシンモルファの『幻惑』なのか?
 しかし、ただのシンモルファがクラトネールと同じ動きを再現できるはずがない。すべて『蜃気楼』だったなら、なぜこうして首をへし折れたのか。

 頭の中で無数の疑問を生み出しつつ、ベートはシンモルファのうなじに手を添えた。リョーホの自我データを植え付けられた痕跡がある。シンモルファの体内には、確かにウラシキリョーホの菌糸が感じ取れる。しかし肝心の本体は存在しない。もっと深くへ入り込むと、ニヴィの『支配』とヤツカバネの『瞋恚』が緩やかに消滅していくところだった。

「はは……そういうことね」

 自分の身体をクラトネールに作り替えられるのなら、別のドラゴンに自分の菌糸を植え付ければ同じことを再現できる。そこに自分の自我データを入れておけば、そのドラゴンは完全に自分の分身だ。その理論はベート達の終末の日計画と通ずるものがあった。

 同じ手段を取れる。別の命を使い捨てできる理性もある。なのに、どうして浦敷博士はベートの思いを受け止めてくれないのか!

 ベートはシンモルファの顔をヒールで踏みつけ、鬼の形相でレオハニーを振り返った。

「本物の浦敷博士を、どこにやったの。ねぇ、レオナ!」
「……ふ」

 海水で濡れた赤い髪を指先で避けながら、レオハニーは蠱惑的な笑みを唇に引いた。

「自分が一番知っているはずだ。ミモナ博士と浦敷博士の関係を。ヨルドのサーバーから出てこられないのは、そういうことだよ」

 レオハニーの言葉にベートは頭が真っ白になる。

 ミモナ博士。あの女は、テララギのサーバーから浦敷博士を救出しようとしたときに邪魔をして、駆け落ちするようにヨルドのサーバーへ逃れた泥棒猫だ。

 浦敷博士ならミモナ博士の誘惑に負けるはずがない。けれど、ミモナ博士が誘惑した事実は覆らない。きっと浦敷博士はミモナ博士に監禁されたまま出られないのだ。浦敷博士は悪くない。あの女がすべて悪い。あの女が。

「あたしの、あたしの博士なのに……あんの……クソ女あああアアアアアア゛ッ!」

 獣混じりの怒号を上げ、ベートの身体が不規則に膨張していく。徐々に肥大化していくシルエットを見上げながら、レオハニーは爛々と赤い瞳を輝かせた。

「ふむ、これは骨が折れそうだ」
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