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5章
(60)最後の砦
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拳サイズの石をシャルが集めてくれた後、俺は早速実験を行った。
俺の予想が正しければ、この空気を生み出す石──勝手に気生石と呼称する──が生成する空気膜は、石のサイズに比例して大きくなるはずだ。
親気生石の大きさが指の爪ほどなら、生成される空気膜は五十センチ。拳サイズとなれば約三メートルとなる。それだけの空気があれば海中からの脱出も可能になる。
ただし、俺が一番危惧していたのは空気膜の大きさではない。深海の水圧だ。
ヨルドの海底遺跡の深度は日光がかろうじて見える程度だが、生身で泳げるほどの水圧でないことは明白だ。こんなところをただの空気の泡に入って脱出しようものなら肺が潰れてしまう。
だが、気生石の生み出す空気膜はその問題さえも克服しているらしかった。
と言うのも、この気生石が生み出す空気膜には、水圧に耐えられる構造が備わっているらしい。空気のドーム内にいる俺たちが今も平然としていられるのは、空気膜の特殊な構造があるおかげだ。
一応、安全テストのために俺だけ気生石を持ってドームの外に出たり、空気膜を体表にまとって泳いだりと試してみた。空気膜が酸素ボンベと防水スーツの役割を果たしてくれているため、ゴーグルなしでも自由に泳げたのは嬉しい誤算だった。
俺はドームの中に戻ると、テストを見守っていたエトロたちへ体感を告げた。
「これなら問題なく海上まで脱出できそうだ。ただ、気生石がいつ効力を失うか分からないから、水中戦はおすすめできないな」
ドラゴンならばともかく、人間には水中での移動は圧倒的に不利だ。地上であれば両足で地面を蹴るだけで回避できるが、水中は四肢を全て使わねば碌に移動すらできない。人間がちんたら泳いでいる間に、爆速で迫ってきたドラゴンに食われるのが容易に想像できた。
他のメンバーも同じ想像に至ったようで、ツクモは極めて遺憾と言わんばかりに眉を顰めた。
「仕方がありません……水中戦はマリヴァロンに任せ、ワタシたちは地上に出て敵を撃退しましょう。わざわざドラゴンの土俵に立つ必要はないのですから」
「ああ。けど馬鹿正直に地上まで泳ぐ必要はない。俺がドラゴン化して全員を地上に運ぶよ」
「その前に、いいかな」
話の途中でアンリに引き留められ、俺は首をかしげながら振り返った。
「なんだ? 別の方法を思いついたのか?」
「そういうのじゃない。ただ俺は……地上に行かない。ここに残るよ」
「は? なんでだよ。まさか水の中が怖いのか?」
俺が半笑いを浮かべながら茶化すも、アンリは黙って首を振った。そして、真剣な面持ちでドームの外を泳ぎ回るネフィリムの群れを見上げた。
「敵はずっと前から海底遺跡の場所を把握していた。ならベートの奇襲に乗じて、敵の潜水艦が来るのも想定すべきだよ。俺達がいなくなった後に敵の潜水艦がここに突っ込んできたら、誰が遺跡を守るんだ?」
「それはそうだが……俺が遺跡の扉に鍵をかけ直せばいいんじゃないか?」
「いいや。ベートがこのタイミングで攻めてきたってことは、遺跡が開けられようが開けられまいが関係ないってことだよ」
いまいち要領を得ないアンリの回答に俺は疑問符を浮かべる。レオハニーとクライヴは一足先に理解できたようだが、それ以外の人間はさっぱりなようだった。
アンリは肩をすくめながら腕を組み、先ほどよりも柔らかい口調で続けた。
「いいかい。敵の目的は大きく分けて二つ。一つは鍵者の奪取。もう一つは、ダアトの研究が保管されているヨルドのサーバーだ。逆に言えば、遺跡で眠っている旧人類がどうなろうと敵は知ったことじゃないし、遺跡の扉を開けたいだけなら、ドラゴンでも菌糸能力でも使って扉を破壊すればいいんだよ」
「確かに……しかしそうなると、トゥアハ派はなんで扉を破壊しないで今まで放置していたんだ?」
「扉を開けても、ヨルドのサーバーに干渉できないって知っていたからさ」
答えを聞いた途端、シュレイブはああっと声を上げて手を叩いた。
「なるほどな! 鍵者がヨルドのサーバーを開けた後なら、トゥアハ派は遠慮せずに遺跡を破壊してもいいというわけか! ならば再びサーバーを閉じてしまえばいいのではないか!?」
「それは無理だ」
「なぜだ!?」
レオハニーから即答を食らい、シュレイブがばっと後ろにのけ反る。レオハニーは一瞬だけ迷惑そうにシュレイブを見やった後に、淡々と続けた。
「仮想世界から出る前に、浦敷博士は旧人類が目覚めるまで耐えてくれと言い残していた。ならば今頃は、旧人類の魂がポッドの肉体へ流れ込んでいる最中だろう。シャットダウンでその工程を途中で強制終了してしまえば、旧人類たちの魂が破損し、二度と目覚められなくなる」
「そんな……それでは、遺跡を奪われたら我々の負けが確定ではないか!」
シュレイブの悲痛な叫びがドーム内に反響する。
遺跡の扉を封じても無意味。サーバーを閉じれば旧人類を助けられない。となると、アンリの言う通り誰かが海底遺跡を守らねばならない。
今まで沈黙を貫いていたエトロが、迷いがちに提案する。
「……全員で残る、っていうのは」
「それでは負ける。ベートを倒さなければ敵の増援は止まらない」
即座にレオハニーから否定され、議論が振り出しに戻ってしまう。
俺はアンリの結論を変えるべく、必死に再考を繰り返した。しかし考えれば考えるほどそれ以外の答えはないように思えてしまい、俺は思考を振り払うように額に手を当てた。
「やっぱりダメだ。このドームが永遠に持つとは限らないんだぞ。もしいきなり空気が消えたら、残った人は確実に──」
「それでも俺は残るよ」
これ以上時間を無駄にしたくないと言わんばかりに、アンリははっきりとそう言った。自ら死を選んでいるような選択に、俺は感情的になるのを止められなかった。
「アンリ、考え直せ!」
「ワタシも残ります」
「ツクモまでなんで!」
全身の血管が熱くなるのを感じながら俺はツクモを睨む。
対してツクモは、NoD特有の赤い瞳で俺を見返した。
「リョーホ様、ワタシたちは死ぬために残るのではありません。残された人々を守るために残るのです。この遺跡が敵の手中に落ちれば、これまでの博士たちの努力が水の泡になってしまいます」
「けど……」
「心配しないでください。ワタシの『回帰』があれば、気生石が菌糸能力を失ったとしても復活させられます。アナタの大切なご友人は、ワタシが無事に陸まで送り届けましょう」
信じてくれませんか、と、ツクモは強張った表情で俺を見上げた。
ツクモがいればドームが消える心配をしなくて済むし、アンリの生存率も上がるだろう。だが問題はそこじゃない。俺は全員が確実に助かる方法が欲しいのだ。
だが、そんな都合の良い方法があるわけがない。
「くそっ……」
こうして考えている間にも事態は刻一刻と悪化している。早く決めなければという焦りが余計に思考を鈍らせ、まとまりのない文章ばかりが頭の中で踊り狂っている。こういう時に、シュイナの世界の時間を止められる能力があればどれだけよかっただろう。
思考が現実逃避を始めた頃、シャルが目元を曇らせながら小さな声で呟いた。
「遺跡が見えなくなれば、守る必要もないのにね」
「見えなく、なれば……?」
俺は呆然として、一瞬脳裏に閃いた可能性の糸を素早くつかみ取った。そこから次々に見えていなかった手掛かりが明らかになり、目の奥でシナプスが点滅する。
あれを使えばいい。砂浜に沈んでいる黄昏の塔。そこから海底まで続いていた通路と、厳重な施錠が施された巨大なハッチが、まだ残っているのなら。
そして、ヨルドの海底遺跡を丸ごと移動させることができるのなら。
「……レオハニーさん。俺が新しい属性の菌糸を手に入れたいって言ったら怒ります?」
大望で両目を光らせながら片頬で笑うと、レオハニーは大きく肩を持ち上げ、盛大なため息を吐いた。
「全く……その方法でも上手くいくとは限らないぞ」
「けど、生存率は上がりますし、ベートを欺くチャンスです」
指先で砂色の菌糸を揺らめかせながらあくどい笑みで詰め寄る。レオハニーは動じることなく俺を見下ろすと、俺よりも悪い顔をしながらはっきりと頷いた。
「乗ろう。君の作戦に」
・・・───・・・
プラチナブロンドの砂漠と真っ白な砂浜の境界で、ベートは飛行型ネフィリムの背に乗りながら眺望を楽しんでいた。
眼下の大海原は、夕暮れと血で赤く染まり、大時化のように乱れ狂っている。時折マリヴァロンの尾で弾き出されたネフィリムが、断末魔を上げながら落下していく様は滑稽だった。
この時をどれほど待ち望んだことか。ベートは熱のこもった吐息を漏らし、大海原に隠れた愛しの彼へと思いを馳せた。
今からおよそ百年前、ベートたちはすでにヨルドの里の海底遺跡を発見していた。本来であれば、リデルゴア国が建国されてすぐに遺跡を見つけ出せるはずだったのだが、ヨルドの民から妨害を受けたせいで発見が遅れてしまった。
「全く、氷の一族の連中ったら手間取らせてくれたよね」
氷の一族は、トゥアハ派ですら聞いたことのない手法でドラゴンを支配下に置き、海底遺跡を守っていた。
ドラゴンとは、菌糸の繁殖のために動く生物だ。菌糸の餌を探し回り、より菌糸を各地に繁栄させるために子孫を残す。同時に、繁殖の妨げになる敵は徹底的に排除する。その在り方は旧世界の生物と酷似していたが、ある一点だけ異なる部分があった。
それは、とある菌糸と別の菌糸が共生を始めると、互いに守り合おうとする習性がある、というものだった。
例えば、ドラゴンの体内でベートの菌糸が共生すると、そのドラゴンはベートを襲わなくなる。逆にベートの体内にドラゴンの菌糸が入っても、ドラゴンはベートを襲わなくなるのだ。
氷の一族はその習性を逆手に取った。『氷晶』を周辺の海域に行き渡らせ、周囲のドラゴンの菌糸と長い時間をかけて調和した。そうすることでヨルドの里周辺に暮らすドラゴンたちは『氷晶』の菌糸を持つ者たちを仲間と認識し、種の存続を図るべく自然と守護するようになっていったのだ。
そしてドラゴンたちは次第に氷の一族の命令を聞き入れるようになり、ベート達が海底遺跡を発見できぬよう妨害するようになった。
ドラゴンの妨害で海の藻屑となった潜水艦のは数知れず。苦労してヨルドの海底遺跡を見つけた時、ベートは興奮のあまり気絶してしまいそうだった。
遺跡を発見してすぐ、ベートは遺跡の扉へ飛びついて解錠を試みた。しかし固く閉ざされた門はびくともせず、やはり遺跡の中に入れるのは成功体の鍵者だけだと現実を突きつけられた。
しかしそれは、鍵者さえ手に入れば海底遺跡の先に閉じ込められた浦敷博士を救出できるという証明でもある。ベートは目前に控えた夢の達成に焦燥し、発狂しながら、幾星霜も成功体の鍵者の誕生を待ちわびてきた。
そして今日、ついにヨルドの海底遺跡は開かれた。浦敷博士と同じ姿を持つ、私たちの息子の手によって。
「──あ」
血に染まった大海原の最奥で、懐かしい魂の光を見つける。瞬間、ベートは視界が華やかに色付くのをまざまざと感じた。
「浦敷博士!」
ベートの叫びに答えるように、懐かしい魂が深海から真っすぐと地上を目指す。魂の輝きはますます強くなり、真っ白なドラゴンが花火のように空中へ舞い上がった。そのドラゴンはかつて、ベートがニヴィの姿を借りて『支配』したクラトネールだった。
タツノオトシゴとムカデを縫い合わせたような骸骨が、仲間たちを背に乗せて優雅に宙を泳ぐ。水を散らしながら咆哮を上げるクラトネールがあまりにも壮麗で、ベートは感情のままに祈りを捧げた。
「ああ、ああ! ようやく貴方に、本当の貴方に会えるのね!」
浦敷博士ならきっと、ウラシキリョーホの肉体を奪い取って忌々しいヨルドのサーバーから脱出しているはずだ。浦敷博士にはそれだけの技術と力があるのだ。だって浦敷博士は天才だから。
つまりあのクラトネールは、浦敷博士で間違いない。
ベートは期待に胸を躍らせながらネフィリムの背に座り直すと、ニヴィから奪い取った『支配』を使って、一直線にクラトネールとの距離を詰めた。
「浦敷博士っ! 貴方の愛するベート・ハーヴァーが、迎えに来ましたよぉっ!」
俺の予想が正しければ、この空気を生み出す石──勝手に気生石と呼称する──が生成する空気膜は、石のサイズに比例して大きくなるはずだ。
親気生石の大きさが指の爪ほどなら、生成される空気膜は五十センチ。拳サイズとなれば約三メートルとなる。それだけの空気があれば海中からの脱出も可能になる。
ただし、俺が一番危惧していたのは空気膜の大きさではない。深海の水圧だ。
ヨルドの海底遺跡の深度は日光がかろうじて見える程度だが、生身で泳げるほどの水圧でないことは明白だ。こんなところをただの空気の泡に入って脱出しようものなら肺が潰れてしまう。
だが、気生石の生み出す空気膜はその問題さえも克服しているらしかった。
と言うのも、この気生石が生み出す空気膜には、水圧に耐えられる構造が備わっているらしい。空気のドーム内にいる俺たちが今も平然としていられるのは、空気膜の特殊な構造があるおかげだ。
一応、安全テストのために俺だけ気生石を持ってドームの外に出たり、空気膜を体表にまとって泳いだりと試してみた。空気膜が酸素ボンベと防水スーツの役割を果たしてくれているため、ゴーグルなしでも自由に泳げたのは嬉しい誤算だった。
俺はドームの中に戻ると、テストを見守っていたエトロたちへ体感を告げた。
「これなら問題なく海上まで脱出できそうだ。ただ、気生石がいつ効力を失うか分からないから、水中戦はおすすめできないな」
ドラゴンならばともかく、人間には水中での移動は圧倒的に不利だ。地上であれば両足で地面を蹴るだけで回避できるが、水中は四肢を全て使わねば碌に移動すらできない。人間がちんたら泳いでいる間に、爆速で迫ってきたドラゴンに食われるのが容易に想像できた。
他のメンバーも同じ想像に至ったようで、ツクモは極めて遺憾と言わんばかりに眉を顰めた。
「仕方がありません……水中戦はマリヴァロンに任せ、ワタシたちは地上に出て敵を撃退しましょう。わざわざドラゴンの土俵に立つ必要はないのですから」
「ああ。けど馬鹿正直に地上まで泳ぐ必要はない。俺がドラゴン化して全員を地上に運ぶよ」
「その前に、いいかな」
話の途中でアンリに引き留められ、俺は首をかしげながら振り返った。
「なんだ? 別の方法を思いついたのか?」
「そういうのじゃない。ただ俺は……地上に行かない。ここに残るよ」
「は? なんでだよ。まさか水の中が怖いのか?」
俺が半笑いを浮かべながら茶化すも、アンリは黙って首を振った。そして、真剣な面持ちでドームの外を泳ぎ回るネフィリムの群れを見上げた。
「敵はずっと前から海底遺跡の場所を把握していた。ならベートの奇襲に乗じて、敵の潜水艦が来るのも想定すべきだよ。俺達がいなくなった後に敵の潜水艦がここに突っ込んできたら、誰が遺跡を守るんだ?」
「それはそうだが……俺が遺跡の扉に鍵をかけ直せばいいんじゃないか?」
「いいや。ベートがこのタイミングで攻めてきたってことは、遺跡が開けられようが開けられまいが関係ないってことだよ」
いまいち要領を得ないアンリの回答に俺は疑問符を浮かべる。レオハニーとクライヴは一足先に理解できたようだが、それ以外の人間はさっぱりなようだった。
アンリは肩をすくめながら腕を組み、先ほどよりも柔らかい口調で続けた。
「いいかい。敵の目的は大きく分けて二つ。一つは鍵者の奪取。もう一つは、ダアトの研究が保管されているヨルドのサーバーだ。逆に言えば、遺跡で眠っている旧人類がどうなろうと敵は知ったことじゃないし、遺跡の扉を開けたいだけなら、ドラゴンでも菌糸能力でも使って扉を破壊すればいいんだよ」
「確かに……しかしそうなると、トゥアハ派はなんで扉を破壊しないで今まで放置していたんだ?」
「扉を開けても、ヨルドのサーバーに干渉できないって知っていたからさ」
答えを聞いた途端、シュレイブはああっと声を上げて手を叩いた。
「なるほどな! 鍵者がヨルドのサーバーを開けた後なら、トゥアハ派は遠慮せずに遺跡を破壊してもいいというわけか! ならば再びサーバーを閉じてしまえばいいのではないか!?」
「それは無理だ」
「なぜだ!?」
レオハニーから即答を食らい、シュレイブがばっと後ろにのけ反る。レオハニーは一瞬だけ迷惑そうにシュレイブを見やった後に、淡々と続けた。
「仮想世界から出る前に、浦敷博士は旧人類が目覚めるまで耐えてくれと言い残していた。ならば今頃は、旧人類の魂がポッドの肉体へ流れ込んでいる最中だろう。シャットダウンでその工程を途中で強制終了してしまえば、旧人類たちの魂が破損し、二度と目覚められなくなる」
「そんな……それでは、遺跡を奪われたら我々の負けが確定ではないか!」
シュレイブの悲痛な叫びがドーム内に反響する。
遺跡の扉を封じても無意味。サーバーを閉じれば旧人類を助けられない。となると、アンリの言う通り誰かが海底遺跡を守らねばならない。
今まで沈黙を貫いていたエトロが、迷いがちに提案する。
「……全員で残る、っていうのは」
「それでは負ける。ベートを倒さなければ敵の増援は止まらない」
即座にレオハニーから否定され、議論が振り出しに戻ってしまう。
俺はアンリの結論を変えるべく、必死に再考を繰り返した。しかし考えれば考えるほどそれ以外の答えはないように思えてしまい、俺は思考を振り払うように額に手を当てた。
「やっぱりダメだ。このドームが永遠に持つとは限らないんだぞ。もしいきなり空気が消えたら、残った人は確実に──」
「それでも俺は残るよ」
これ以上時間を無駄にしたくないと言わんばかりに、アンリははっきりとそう言った。自ら死を選んでいるような選択に、俺は感情的になるのを止められなかった。
「アンリ、考え直せ!」
「ワタシも残ります」
「ツクモまでなんで!」
全身の血管が熱くなるのを感じながら俺はツクモを睨む。
対してツクモは、NoD特有の赤い瞳で俺を見返した。
「リョーホ様、ワタシたちは死ぬために残るのではありません。残された人々を守るために残るのです。この遺跡が敵の手中に落ちれば、これまでの博士たちの努力が水の泡になってしまいます」
「けど……」
「心配しないでください。ワタシの『回帰』があれば、気生石が菌糸能力を失ったとしても復活させられます。アナタの大切なご友人は、ワタシが無事に陸まで送り届けましょう」
信じてくれませんか、と、ツクモは強張った表情で俺を見上げた。
ツクモがいればドームが消える心配をしなくて済むし、アンリの生存率も上がるだろう。だが問題はそこじゃない。俺は全員が確実に助かる方法が欲しいのだ。
だが、そんな都合の良い方法があるわけがない。
「くそっ……」
こうして考えている間にも事態は刻一刻と悪化している。早く決めなければという焦りが余計に思考を鈍らせ、まとまりのない文章ばかりが頭の中で踊り狂っている。こういう時に、シュイナの世界の時間を止められる能力があればどれだけよかっただろう。
思考が現実逃避を始めた頃、シャルが目元を曇らせながら小さな声で呟いた。
「遺跡が見えなくなれば、守る必要もないのにね」
「見えなく、なれば……?」
俺は呆然として、一瞬脳裏に閃いた可能性の糸を素早くつかみ取った。そこから次々に見えていなかった手掛かりが明らかになり、目の奥でシナプスが点滅する。
あれを使えばいい。砂浜に沈んでいる黄昏の塔。そこから海底まで続いていた通路と、厳重な施錠が施された巨大なハッチが、まだ残っているのなら。
そして、ヨルドの海底遺跡を丸ごと移動させることができるのなら。
「……レオハニーさん。俺が新しい属性の菌糸を手に入れたいって言ったら怒ります?」
大望で両目を光らせながら片頬で笑うと、レオハニーは大きく肩を持ち上げ、盛大なため息を吐いた。
「全く……その方法でも上手くいくとは限らないぞ」
「けど、生存率は上がりますし、ベートを欺くチャンスです」
指先で砂色の菌糸を揺らめかせながらあくどい笑みで詰め寄る。レオハニーは動じることなく俺を見下ろすと、俺よりも悪い顔をしながらはっきりと頷いた。
「乗ろう。君の作戦に」
・・・───・・・
プラチナブロンドの砂漠と真っ白な砂浜の境界で、ベートは飛行型ネフィリムの背に乗りながら眺望を楽しんでいた。
眼下の大海原は、夕暮れと血で赤く染まり、大時化のように乱れ狂っている。時折マリヴァロンの尾で弾き出されたネフィリムが、断末魔を上げながら落下していく様は滑稽だった。
この時をどれほど待ち望んだことか。ベートは熱のこもった吐息を漏らし、大海原に隠れた愛しの彼へと思いを馳せた。
今からおよそ百年前、ベートたちはすでにヨルドの里の海底遺跡を発見していた。本来であれば、リデルゴア国が建国されてすぐに遺跡を見つけ出せるはずだったのだが、ヨルドの民から妨害を受けたせいで発見が遅れてしまった。
「全く、氷の一族の連中ったら手間取らせてくれたよね」
氷の一族は、トゥアハ派ですら聞いたことのない手法でドラゴンを支配下に置き、海底遺跡を守っていた。
ドラゴンとは、菌糸の繁殖のために動く生物だ。菌糸の餌を探し回り、より菌糸を各地に繁栄させるために子孫を残す。同時に、繁殖の妨げになる敵は徹底的に排除する。その在り方は旧世界の生物と酷似していたが、ある一点だけ異なる部分があった。
それは、とある菌糸と別の菌糸が共生を始めると、互いに守り合おうとする習性がある、というものだった。
例えば、ドラゴンの体内でベートの菌糸が共生すると、そのドラゴンはベートを襲わなくなる。逆にベートの体内にドラゴンの菌糸が入っても、ドラゴンはベートを襲わなくなるのだ。
氷の一族はその習性を逆手に取った。『氷晶』を周辺の海域に行き渡らせ、周囲のドラゴンの菌糸と長い時間をかけて調和した。そうすることでヨルドの里周辺に暮らすドラゴンたちは『氷晶』の菌糸を持つ者たちを仲間と認識し、種の存続を図るべく自然と守護するようになっていったのだ。
そしてドラゴンたちは次第に氷の一族の命令を聞き入れるようになり、ベート達が海底遺跡を発見できぬよう妨害するようになった。
ドラゴンの妨害で海の藻屑となった潜水艦のは数知れず。苦労してヨルドの海底遺跡を見つけた時、ベートは興奮のあまり気絶してしまいそうだった。
遺跡を発見してすぐ、ベートは遺跡の扉へ飛びついて解錠を試みた。しかし固く閉ざされた門はびくともせず、やはり遺跡の中に入れるのは成功体の鍵者だけだと現実を突きつけられた。
しかしそれは、鍵者さえ手に入れば海底遺跡の先に閉じ込められた浦敷博士を救出できるという証明でもある。ベートは目前に控えた夢の達成に焦燥し、発狂しながら、幾星霜も成功体の鍵者の誕生を待ちわびてきた。
そして今日、ついにヨルドの海底遺跡は開かれた。浦敷博士と同じ姿を持つ、私たちの息子の手によって。
「──あ」
血に染まった大海原の最奥で、懐かしい魂の光を見つける。瞬間、ベートは視界が華やかに色付くのをまざまざと感じた。
「浦敷博士!」
ベートの叫びに答えるように、懐かしい魂が深海から真っすぐと地上を目指す。魂の輝きはますます強くなり、真っ白なドラゴンが花火のように空中へ舞い上がった。そのドラゴンはかつて、ベートがニヴィの姿を借りて『支配』したクラトネールだった。
タツノオトシゴとムカデを縫い合わせたような骸骨が、仲間たちを背に乗せて優雅に宙を泳ぐ。水を散らしながら咆哮を上げるクラトネールがあまりにも壮麗で、ベートは感情のままに祈りを捧げた。
「ああ、ああ! ようやく貴方に、本当の貴方に会えるのね!」
浦敷博士ならきっと、ウラシキリョーホの肉体を奪い取って忌々しいヨルドのサーバーから脱出しているはずだ。浦敷博士にはそれだけの技術と力があるのだ。だって浦敷博士は天才だから。
つまりあのクラトネールは、浦敷博士で間違いない。
ベートは期待に胸を躍らせながらネフィリムの背に座り直すと、ニヴィから奪い取った『支配』を使って、一直線にクラトネールとの距離を詰めた。
「浦敷博士っ! 貴方の愛するベート・ハーヴァーが、迎えに来ましたよぉっ!」
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