家に帰りたい狩りゲー転移

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5章

(58)共闘作戦

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 窓の外の雨音が激しくなる前に、レオハニーたちは落ち着きを取り戻し、各々の席へ戻っていった。誰も彼も目を赤く腫らしており、直接的な関係のないクライヴでさえも、目頭を押さえながら沈黙していた。

「すまないが、かふぇおれを貰えるか」

 クライヴが低く言うと、ウィンドウを操作するまでもなくテーブルにカフェオレが表示される。実体化したデータの塊を一気飲みした後、クライヴはげっそりした顔で口元を拭った。

「それで、どこまで話した? ヨルドのサーバーとやらが、他のサーバーと繋がらないんだったか?」
「だいたいその辺りだ。君たちは仮想世界の住人の協力が欲しい。だけどヨルドのサーバーはダアトの研究を秘匿するために、他のサーバーとの接続を絶っている、とは話したね」

 浦敷博士の要約を聞いて、俺は小さく挙手しながら訊いてみた。

「一応無謀だとは思うが、一瞬だけサーバーを繋げるのは?」
「難しいだろうね。私たちがいるこのサーバーは、いわば最後の砦。ここにはダアトの研究資料が保管され、人類が絶滅しても新たな肉体を作り出すための設備が完備されている。ここがトゥアハ派の手に落ちれば、その日のうちに終末の日が起きてもおかしくない」
「リスクとメリットが全く釣り合っていないな」
「逆にこっちから侵略するってのは?」
「野蛮だなおい」

 クライヴの提案に思わずツッコミを入れると、研大が即座に否定した。

「いや、そもそも戦力差が歴然としている。あちらは常に最新のアップデートがされていて、住人は三十万人もいる。対してこちらの戦力は二百八十余名。水素爆弾のような虐殺兵器を開発しなければ勝てないだろうし、俺達は虐殺をしたいわけじゃない」
「そうか……」

 中央都市のサーバーは、確か一番最初に作られた仮想世界だったはずだ。政府が要人たちを囲うために作り上げた場所なのだから、民間かつ物資の少ない博士たちが作ったサーバーよりも規模が大きいのは当然だ。

 要するに、ヨルドのサーバーでできることと言えば、俺の菌糸に適合した旧人類たちが現実世界に復帰することだけとなる。

 ただしこれはあくまで、鎖国中のヨルドのサーバーの場合の話。

「他のサーバーなら中央都市のサーバーに攻め込めるってことだよな?」

 望みをかけながら問いかけると、ミモナ博士が手元で指折り数えながら頷いた。

「そうね。リバースロンドのサーバーも民間企業が立ち上げたものだから、まだ信用できるわ。でもどこにスパイがいるか分からないから、やっぱりヨルドのサーバーから直接繋げるのは危険ね」
「テララギのサーバーは……望みは薄いか?」
「いいえ。サーバーの中を感染区域と安全区域に分けているから、ベートの洗脳に掛けられていない人たちもまだ残っているはずよ。ただ、NoDの子たちに頼んでワクチンを送ったりしたけれど、返事がないのが心配だわ」

 テララギのサーバーの生存は絶望的らしい。だが俺は一縷の望みをかけて右手を握りしめた。

「博士たちはチップに自我データを入れて脱出できたんだろ。なら俺たちが直接アクセスすれば、中に入れるんだな?」
「そうだけど……まさか行くの? それがどんなに危険なことか分かっているの?」
「俺が捕まったら終末の日が起きるんだろ。けど俺はもともと旧人類の人と和平を結びたいからここに来たんだ。できることはやっておきたい」
「全く、自分から生まれたと思えない青臭さだよ」
「はぁ!?」

 いきなり浦敷博士から煽られて俺は目を剥きながら怒りを露にした。途端、俺の目の前で急に四角いポリゴンが表示され、みるみる表面を削りながら一枚のカードへと変化した。空中に静止したそれを取ってみると、クレジットカードのようなICチップが入っているのが見える。

「これは?」
「通行証だ。君たちの自我を保存し、ウイルス感染を防ぐファイアーウォールにもなる。念のためワクチンデータも入れておいたから、あちらのウイルスが進化していない限り対処できるだろう。現実世界のポッドにもダアトで生成しておくから、忘れずに持っていきなさい。ポッドに入るときは必ず身に着けるようにね」

 なんと、仮想世界からでも現実世界に物質を生成できるらしい。現実世界にいない彼らがNoDを生み出せたのもこれと同じ原理なのだろう。ダアトという万能物質の危険性を改めて再確認する。

 俺はクライヴと一緒に物珍しそうにカードを見つめた。

「こういうのができるんなら、博士たちも一緒に行けるんじゃないか? 肉体はテララギの里に置いていったままだろ?」
「私はダアトの研究に関わってしまったから、迂闊に出歩くわけにはいかないんだ。研大も、ミモナ博士もね」

 カードから少し視線をずらしてみれば、にっこりと微笑む浦敷博士と目が合う。何か裏がありそうな表情だったが、俺は深く受け止めずに質問を重ねた。

「自分の身体に戻りたくないのか?」
「そうだねぇ……もし戦争が終わったら、運んで行ってもらえると嬉しいよ。私たちの……寺田木に」

 目じりに皺を刻みながら笑う浦敷博士を、俺は何も言えないままじっと見つめた。地名が変わってしまうほどの長い歳月、大した変化のない仮想世界での暮らしは俺が想像しているより長く感じられたのかもしれない。テララギにはヨルドのサーバーにいる人々の友人や知り合いもいるだろうに、彼らと連絡も取れずに過ごした旧人類の事を思うと、上から肺を押さえ込まれたように苦しくなった。

 浦敷博士はわざとらしく深呼吸すると、ぱちん、と拍手をして空気を切り替えた。

「さて、まだ話しておきたいことがたくさんあるが、君たちをここに長居させるわけにもいかないんだ。やるべきことは決まっただろう。そろそろ終わらせる時が来た」

 力強く言った浦敷博士の瞳には、研大や他の職員たちと同じような強烈な光が宿っている。猛烈に嫌な予感がして、俺は咄嗟にソファから立ち上がった。

 ぐらりと視界が傾いて、気づいたら目の前に床があった。まるで床がせり上がってきたと錯覚するほど、自分が倒れていく感覚を理解できなかった。起き上がろうとしても神経の接続を全て切られたように感覚がない。

 唯一自由が利く眼球を動かすと、レオハニーもクライヴも同じように脱力しているのが見えた。

「なにが……起きて……」
「接続限界だ。魂が取り込まれてしまう前に、すぐに現実世界に送ろう」
「ま……待ってくれ。まだ聞きたいことが──」

 必死に手を動かしながら起き上がろうとすると、テーブルから回り込んできた浦敷博士が俺の右手を取った。そして、分厚く真っ白な本を握らされる。

「この、本は?」
「ミカルラの記憶データだ。さっきのお守りと一緒にダアトで生成しておく。ハウラに渡してあげなさい。NoDの血を引いたあの子なら読み解けるはずだから」

 どうしてミカルラの記憶がここにあるんだ、と問いかけたかったが、呂律が回らず唸り声しか出せない。浦敷博士は俺をソファに座らせると、レオハニーとクライヴの顔を視界に入れながらこう告げた。

「私たちは菌糸と適合できたらすぐに君たちと合流する。それまで持ちこたえるんだ」

 そして俺の右手首にあるブレスレットを上から押さえるように握りしめ、浦敷博士が真剣な表情になる。これから戦地へ赴く兵士の顔をしていた。
 
「何があっても、自分を信じろ」

 するりと浦敷博士の手が離れ、体温が急速に消えていく。俺の脳内でデータが消去されているのか、視界の端から虫食いのように暗闇が迫ってきている。遠のいていく聴覚の向こうで、浦敷博士の声がした。

「レオナ。シモンは研究を途中で投げ出すような人間じゃない」
「っ……どういう」
「彼を助けられるのは君しかいない。旧人類の中で初めて、NoDとして目覚めた君以外には」
「どう……して、私が……」
「会えば分かる。少なくとも私には無理だった」

 消えゆく視界の向こうに自嘲気味な笑みがある。その口元は、現実世界に取り残されたシモン博士の状態を聞いた時よりも深い後悔で彩られていた。

「後は頼んだよ」
「待っ――」

 辛うじて声を出した瞬間、ふつりと俺が消えた。



 ・・・───・・・



 皺ひとつ残さず空席になったソファを見つめながら、研大は緩く両手を握りしめた。

「行っちゃったなぁ……」
「博士。本当に託して良かったんですか?」

 ミモナ博士が憂慮を滲ませながら振り返ると、浦敷博士は誰もいないソファから背を向けた。

「アンジュを殺さず、運命に抗い続けたドミラスは正しかった。だから信じよう。すっかり埃をかぶってしまった、このシンビオプロジェクトを」

 ごうん、と仮想世界全体が振動し、雨雲が群青色の空で拭い去られていく。そして仮想世界を現実のように錯覚させていたスカイドームが、真っ白に塗りつぶされていった。遅れて銀色の塔が立ち並ぶ摩天楼が、先端から順にポリゴン片となって消滅していく。街を歩く人々から小さく悲鳴が上がった後、わあっという歓声が上がった。

 そして、オフィスにいる研大の身体に異変が起きる。身体全体を覆い隠す透明な箱が現れたかと思うと、中にいる研大の輪郭が毛糸のセーターの如くほどけ始めたのだ。

 研大は自分の身体を不思議そうに見下ろした後、全く異変のない浦敷博士とミモナ博士を見やった。

「やっぱり、リョーホたちに連れて行ってもらった方がよかったんじゃないのか?」

 浦敷博士はミモナ博士と顔を見合わせると、若かりし頃の姿を模してにっかりと笑った。

「君を確実に破滅させることが出来るならば、公共の利益の為に僕は喜んで死を受け入れよう。なんて、一度は言ってみたい言葉だろ? 研大」
「全く……」

 研大が苦笑した途端、オフィスのドアが外側から激しく叩かれる。そのドアも世界の崩壊に巻き込まれて随分と荒々しいポリゴンになっていた。

『浦敷博士! ミモナ博士! 開けてください!』
『約束と違います! どうかやめてください!』
「最後に会ってあげなよ、良甫」

 外の研究者たちを援護するように笑ってやるが、浦敷博士は振り返ろうとしない。ミモナ博士は研大に小さく首を振り、微笑んだ拍子に涙を流した。

「また貴方だけに任せてしまうけど、皆をお願いね。研大」

 研大は瞠目すると、照れくさそうに笑いながら言葉を紡ごうとした。しかしすべてを語り終える前に、仮想世界にいた住人は雪のように消えてしまった。取り残されたのは二人の博士と、一冊の本のみ。その本の中には、膨大なダアトの研究資料が詰まっている。

「ミモナ博士。君だけでもまだ間に合うよ。ダアトの研究に関する記憶を消しても、君ならば自我が壊れることはない。外に出て、例え捕まったとしても世界は滅びない」

 浦敷博士は、あまりにもダアトの研究に人生を費やし過ぎた。仮想世界に入って以降はずっとダアトの研究に明け暮れ、現実世界で過ごした時間よりも、ダアトと過ごした時間の方が遥かに多くなってしまった。それだけの記憶を全て抹消してしまえば、不安定なジェンガのように浦敷博士の自我は崩壊する。

 しかしミモナは、ダアトの研究の核心に触れていない。重要な記憶だけを消せば、少し不安定になっても自我崩壊には至らない。

 だがミモナ博士は腕を組んだまま、さっきまで泣いていたのが嘘のように勝気な笑みを浮かべた。

「何言ってんのよ浦敷。寂しがり屋のアンタが一人で生きていけるわけないでしょ?」
「けどお前、研大のこと……」
「いいの! 私はあの人のこと信じてるから」

 ミモナ博士は大股でダアトの本を拾い上げると、ばしっと浦敷博士の背中を叩いた。何もかもが真っ白に染まった世界で、二人の笑い声がちいさなこだまを残していった。
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