家に帰りたい狩りゲー転移

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5章

(53)世界の裏側

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 浦敷博士の私室は殺風景だった。フロアの隅々まで敷かれたカーペットにはシミひとつない。窓際にある浦敷博士の個人デスクは、多彩な引き出しや本棚といった細かなオプション付きで、仕事人間の相棒という風体だった。客様にセッティングされた曲線ソファはいかにも柔らかそうで、とても研究所の一角に位置するオフィスとは思えない。

 そもそも、この研究所は四階建ての平凡な見た目だったはずだ。なのに窓から見える景色は、明らかに大都会のオフィスビルそのものだった。

 俺は背後で閉じていく扉を振り返り、エントランスに残った研大とミモナ博士に手を振った。それから浦敷博士へ目を向けることなく問いかける。

「またワープしたのか?」
「いいや、ホログラムで外の景色を変えているだけだ」

 浦敷博士がウィンドウをタップすれば、窓を覆っていたホログラムが解除され、俺がエントランス前で見たとおりの景色が現れる。さも当然のように偽物の景色を見せられていたと知り、俺は苦笑せざるを得なかった。

「どれが偽物か本物か分からないな」
「ここでは本当の姿は大した問題ではない。本物らしく見えるか、それだけだ」

 再び指先が虚空を撫でれば、グラデーションをかけるように、外の木々が摩天楼へ飲み込まれていった。次いで、浦敷博士は皮肉った笑みを浮かべながら、俺達を客用ソファへと促した。

 三人でソファに腰掛けると、目の前のテーブルにポリゴンが収束し人数分のコーヒーが出現した。おずおずと飲んでみると、懐かしい苦味と芳醇な香りが口の中いっぱいに広がった。同じようにコーヒーを口にしたレオハニーも感慨深げな吐息を吐き出している。

 俺たちの反応を見て、クライヴは警戒心を滾らせながらも慎重にコーヒーカップを持ち上げた。

「……苦い。なんだこの飲み物は」
「ミルクと砂糖を入れよう」

 浦敷博士の人差し指が振るわれると、クライヴのカップ内の液体がモカ色に変化した。クライヴは眉間の谷を深くしながら一口飲んで、すぐに表情を和らげた。

「……うむ」

 ご満悦である。先ほどよりも明らかにペースを上げて飲み始めるクライヴを見ていると、俺の中でせり上がっていた緊迫感が程よく抜けていった気がした。

 俺は苦いコーヒーを一気に飲み干した。

「これもデータで再現した偽物なのか?」
「君たちの感覚で言うなら、それで正しい。この味は、大衆から収集した味覚をAIが学習して、私たちの記憶領域で再生しているのだ」
「記憶領域をそんな簡単に弄ってもいいのかよ」
「毎日必ずバックアップを取っている。仮にエラーが起きてもすぐに復元できるさ」
「それは……過去の自分を消すようなものじゃないのか?」
「手垢だらけの疑問だな。今もなお細々と論争は続いているが、私の回答は一つの考えだとまず頭に入れておいてほしい」

 一人掛けのソファに寄りかかり、浦敷博士は視線をやや上へ持ち上げた。窓から差し込む逆光に当てられて、頬骨が白く浮き上がって見えた。

「結論から言ってしまえば、データの上書きは自己責任だ。バックアップ制度をどうしても受け入れられなかった人は、データ化して十年の間に自己消去を選択した。逆に、今日まで生き残っている旧人類は、自己消去を選ぶ勇気のない者や、人間性の有無や意識の連続性を気にしない人ばかりとなった。どちらが正しいかは本人の信念に依存するのだから、答えなんてあるわけがない」

 テーブルの上に置かれた俺と浦敷博士の空っぽのカップが、一瞬だけ青く光って再びコーヒーで満たされる。浦敷博士は当たり前のようにそれを手に取ったが、俺は膝の上で両手を握りしめたまま動かなかった。

「……夜に寝て、朝起きた自分は、昨日の自分と同じ存在なのか。それと同じ話、なんだよな」
「ああ。現実世界では何を当たり前のことをと笑われるが、この世界では看過できない問題だ。昔、バックアップを取らずにいた友人がいたが、別のサーバーからハッキングを受け、強制消去されて二度と戻ってこなかった」
「それは、殺されたということか?」

 クライヴが困惑しながら問うと、浦敷博士は深く頷いた。

「バックアップがあれば、タンスに小指をぶつけた程度の笑い話で済んだ。この事例を君たちの世界で例えるなら、そうだな……ハウラの結界で守られている里の中で、なんの前触れもなくドラゴン化させられてしまった、というべきか」
「なっ……安全な場所がどこにもないってことじゃないか!」
「そうとも。バックアップとはすなわち、君たちにとっての菌糸能力、生命線だ。すべてが外部から容易に操作しやすいデータに置き換わってしまった以上、我々はアイデンティティを維持するためのバックアップが必須なのだ」

 浦敷博士はカップを大きく傾けると、形だけの呼吸を挟んでから視線を落とした。

「現実世界に肉体のある君たちは、リアルタイムで脳にデータが送信されているから問題はない。しかし私たちがこの世界で行う生命活動は、すべてデータ上のやりとりに過ぎない。新たな情報を得るたびに自我が書き換えられていくのだ。そのため、私が私であると証明してくれるのは、ファイル名とそれを閲覧する友人だけだ」

 吐き出される言葉は淡々として、語る表情も一定のままだ。だが声色の端々には、手を握りたくても握る手がないような、やるせなさと無力感が見え隠れしていた。

「私がこうして話し、座り、聞くという動きも、わざわざ人間の形を模した人形と五感、部屋という箱庭を用意してやっと再現されるものだ。そんな状況で、はたして自分は昨日の自分と同じなのかと考えたら、精神がいくつあっても足りやしない。トゥアハ派の人間はここを理想郷だと思っているようだがとんだ勘違いだ」

 長々と鬱憤を吐き切った後、浦敷博士は深いため息を吐いてカップを置いた。

「まぁ。この世界の倫理観は、現実世界で生きる君たちには不必要な知識だ。本題に入ろう」

 黒く、しかしまだ生命力の残った双眸が俺を見る。そこには先ほどの風船じみた空虚さはなく、地に足をつけ、現実を見定めるカリスマの顔があった。

「リョーホ。レオハニーから旧世界がなぜ滅びたのかは既に聞いているな?」
「あ……ああ。核戦争があって、それを浄化するためのウイルスが世界中に撒かれたんだろ。それが生物を化け物にして、今の世界を作ってしまったんだよな?」
「そう。そのウイルスは無断で世界に撒き散らされた。まだ実用段階に至っていなかったものを、とある男が持ち出したのだ。そいつは今、トゥアハ派を陰から操り、ベートを使って鍵者を手に入れようと画策している」
「……ふん。やはり機械仕掛けの住人がすべての黒幕か」

 クライヴの言葉に、浦敷博士は僅かに目じりに皺を寄せた。そして鉛を含んだような重くさび付いた声で続ける。

「ヤツの最終目的は、旧人類の完全復活。進化した新人類の肉体、そして万物を自在に生成できるダアトの二つを掛け合わせれば、人類は不老不死、全知全能の存在となれる。あいつはすべての人間を進化させるためだけに、辛うじて存続していた世界を滅亡へと追い込んだ」

 しん、と耳が痛くなるほどの沈黙が、一瞬の間に俺たちを射貫く。そして浦敷博士の色素の薄い口元から、絞り出すように黒幕の名を告げられた。

「男の名は、ゴモリー・リデルゴア。某大国で空軍大佐だった男だ」
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