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5章
(24)学ぶもの
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「最強の討滅者、か……」
鍾乳洞と同化した楼閣、そのテラスにて。丸い身体を椅子に押し込めたカミケンがワインを揺らす。指先に重みを引くようにグラスを弄び、油っぽい唇の間に縁を乗せた。
ごくり、と分厚い喉越しがワインを飲み干し、グラスの底へ水滴が落ちる。その様子を、側に控えていたクライヴが見つめていた。
「やはり、惜しくなったのですか。レオハニー様が」
「ふん……アレが最強たる所以はどこにも属していないところにある。討滅者の中でも卓越した強靭な芯は、自らの手で困難を切り拓いた証だ。それをワタシが手に入れてしまったなら、それはもう最強ではない」
カミケンは決して自分が強くなりたいわけではない。強い者が強くあろうとする様を見ていたいのだ。
「ケヒヒッ、如何に武に優れていようが、従順な飼い犬じゃあ、飼い主より弱いじゃないか。賢い強さも悪くはないが、より好ましいのは野生なんだよ。分かるかね?」
ねっとりとクッキーを舐めながらカミケンはクライヴを見上げる。その目つきは下品であるにも関わらず、クライヴは彼を見下すような気持ちにはなれなかった。それもこれも、カミケンの崇高な理念を知ってしまったせいだろうか。
カミケンは、ミヴァリアの里長にも関わらず、里の民から金の亡者と評され、倦厭されていた。里に入るなら通行料を、品を売るなら税金を、ドラゴン討伐には民からの徴収を。そうしてかき集めた金が一体どこに消えているのかは、カミケンに近しい者以外に全く知らされていない。
その金の使い道は、スキュリアに拠点を置く秘密諜報機関デッドハウンドへの献金だった。
世界を股にかけるデッドハウンドはあらゆる情報を手にし、裏社会を牛耳るノースマフィアだけでなく、リデルゴア国王までもが要人の調査依頼を出しているという噂だ。
カミケンもまた、デッドハウンドにとっては長年連れ添った太客である。そうまでしてカミケンが大金を注ぎ込む理由はたった一つ。最強の討滅者レオハニーの情報が欲しいからだ。
別にこれはカミケンの趣味だけで行われているわけではない。レオハニーの周りには機械仕掛けの世界に関わる事件が多発しているのだ。ならば終末の日の予兆とそれを防ぐ手立てもまた、レオハニーの近くにあるとカミケンは考えたのだ。
カミケンは誰よりも先の未来を見据え、ミヴァリアの里を守ろうと苦心している。しかしそれを知る術もなければ、終末の日を眉唾だと考えているミヴァリアの富める民からすれば、カミケンはただの無能な里長である。
クライヴもまた、以前まではカミケンのことを無能であると思っていた。側近の地位まで上り詰めたのもカミケンを里長の座から引き摺り落とすためでもあった。
だが、近くでカミケンの動向を見守り、話を聞いているうちに違うと理解した。中央都市で普段より早く訪れたスタンピード然り、バルド村に現れたヤツカバネ然り。昨年より明らかに異常事態が増えている。極め付けはオラガイアの墜落と、鍵者の出現……。
「カミケン様。リデルゴア国では、いったい何が起きているのでしょうか」
両手を組みながらクライヴが低く問いかけると、カミケンはワイングラスを置き、片眉を持ち上げた。
「戦争だよ。旧人類と新人類の命運をかけたね」
戦争、戦争と口にするが、クライヴにはいまいち理解できていなかった。
先の議会ホールで明かされた機械仕掛けの世界の目的は、誰が聞いても絶対に無視してはならないと思える非道なものだったのは分かる。しかし、肉体を持たない旧人類が、どうやって我々の体を乗っ取るつもりなのか想像がつかない。だから、どんな戦争になるかもクライヴには予想できなかった。
「いずれ、嫌でも理解することになるよ」
クライヴの顔に思っていたことが書かれていたのか、カミケンは不出来な子供を諭すようにそう言った。
「あの、カミケン様。鍵者の話によれば、NoDは機械仕掛けの世界から現実世界を守るために、古くから戦っていたそうじゃありませんか。それがなぜ今になって、我々を巻き込むようなことをするのでしょう」
「水面下で行われていた殺し合いを浦敷博士が隠しきれなくなった、いや、隠すつもりがなくなったんだろうねぇ。全くあの男は、一体何度死んだら優柔不断さが治るんだか」
「ウラシキ博士?」
「鍵者やNoDを作った機械仕掛けの世界の男だよ。今やベートにNoDの生産工場を奪われて、ほとんど手足をもがれた状態だがね」
クライヴは眉間に皺を寄せながら押し黙った後、絞り出すように問いかけた。
「彼は、我々の味方なのでしょうか」
カミケンはそれに答えず、黙って空いたワインをクライヴへよこした。クライヴは失念してた自分を叱咤しながら、サイドテーブルに置かれていたワインを注ぎ入れた。
中ほどまでグラスを満たしたワインは月食のような光を残しながら、再びカミケンの口の中へと消えていった。
「クライヴよ。明日、シュレイブと共に鍵者の後を付けろ」
「は…………今なんと!? 直属の近衛を二人も他里へ!? 一体何を考えているのです、カミケン様!」
クライヴは顎が外れそうなぐらい唖然とし、声を荒げた。
「キッヒヒヒ……ちょうど参謀共も引っ込んでいるし、この際ぶっちゃけてしまっても構わんよな?」
カミケンはカップを小皿の上に置くと、両膝に手を置きながら腹から声を張り上げた。
「ワタシたちミヴァリアの里は、弱い! エラムラよりも弱すぎる! この程度の実力でドラゴン狩りの最前線は我々のものだと講釈を垂れる参謀共にはほとほと呆れたわ!」
積年の思いを爆発させるが如く、カミケンは丸い頬を震わせながら舌鋒を炸裂させる。そして、空になったグラスが勢いよくクライヴへと突きつけられた。
「チミとシュレイブはミヴァリアの守護狩人の中でも指折りの実力者だ。しかしだねぇ、チミたち二人でかかっても、バルド村の狩人を一人も道連れにはできまい!」
「そ、そんなはずはありません! あいつらのシンモルファ討伐はミヴァリアと比べものになりませんでしたが、あの場で戦っていなかったリョーホとかいう男になら俺一人でも勝てます!」
「ケッヒヒヒヒ! ついに自分の実力も計れなくなったのかね?」
サイトテーブルに乱暴にグラスを置き、代わりに水差しからバシャバシャと水を注ぎ入れる。勢い余った水が床を濡らしたが、カミケンは構わず大量の水を煽った。
「げふ……アレはチミが思っているよりずっと狡猾で恐ろしい男だ。誰よりも死と痛みを知り恐れていながら、先陣を切るのを厭わない。人に本来備わっている危機感というものが毛ほども残っておらんのだよ。ああいう輩が一番何をしでかすか分からないのさ」
口の水を手の甲で拭い、カミケンは憂いのこもったため息を漏らした。
「エラムラとの同盟が結ばれたとしても、ミヴァリアが弱いままであることに変わりはない。ワタシたちは変わらねばならんのだよ」
「カミケン様……」
主人にここまで言わせてしまったことに、クライヴは恥いる思いだった。
ミヴァリアはスキュリアに守られている身。加えて中央都市とも距離が近く、バルド村より明らかにドラゴンとの遭遇率が低いため交易には困らない。はっきり言って、命をかけてドラゴンと戦う動機が希薄になりがちだった。そのせいでシンモルファ討伐でエラムラ陣営の手を借りる羽目になったのだから、カミケンの怒りも当然である。
ぎゅ、とクッションを軋ませながら、カミケンが椅子から身体を引き抜く。そして太い指がびしりとクライヴの眉間へ突きつけられた。
「いいかぁクライヴ! 最も力あるチミたちが強くならねば、誰が強くなるのだ! これはワタシからの特大の期待だと思いたまえ!」
クライヴは強く口を引き結ぶと、ミヴァリアの最上敬礼を取りながら力強く応えた。
「その任、このクライヴが承りました。絶対にカミケン様の期待に応えて見せます!」
「では、シュレイブにはチミから伝えておきなさい。下がれ」
「はっ!」
期待を胸に、クライヴは意気揚々と楼閣の一室から立ち去った。一人残ったカミケンは、自らの手で新たなワインをグラスに注ぐと、月明かりに赤を透かした。
「最強の討滅者……始まりの討滅者。ケヒヒッ、肩書きが増えたものだなぁ。そう思うだろう、ペテレイエ」
乾杯、とカミケンがグラスを掲げると、どこからともなくガラスを小突き合うささやかな音色がした。
鍾乳洞と同化した楼閣、そのテラスにて。丸い身体を椅子に押し込めたカミケンがワインを揺らす。指先に重みを引くようにグラスを弄び、油っぽい唇の間に縁を乗せた。
ごくり、と分厚い喉越しがワインを飲み干し、グラスの底へ水滴が落ちる。その様子を、側に控えていたクライヴが見つめていた。
「やはり、惜しくなったのですか。レオハニー様が」
「ふん……アレが最強たる所以はどこにも属していないところにある。討滅者の中でも卓越した強靭な芯は、自らの手で困難を切り拓いた証だ。それをワタシが手に入れてしまったなら、それはもう最強ではない」
カミケンは決して自分が強くなりたいわけではない。強い者が強くあろうとする様を見ていたいのだ。
「ケヒヒッ、如何に武に優れていようが、従順な飼い犬じゃあ、飼い主より弱いじゃないか。賢い強さも悪くはないが、より好ましいのは野生なんだよ。分かるかね?」
ねっとりとクッキーを舐めながらカミケンはクライヴを見上げる。その目つきは下品であるにも関わらず、クライヴは彼を見下すような気持ちにはなれなかった。それもこれも、カミケンの崇高な理念を知ってしまったせいだろうか。
カミケンは、ミヴァリアの里長にも関わらず、里の民から金の亡者と評され、倦厭されていた。里に入るなら通行料を、品を売るなら税金を、ドラゴン討伐には民からの徴収を。そうしてかき集めた金が一体どこに消えているのかは、カミケンに近しい者以外に全く知らされていない。
その金の使い道は、スキュリアに拠点を置く秘密諜報機関デッドハウンドへの献金だった。
世界を股にかけるデッドハウンドはあらゆる情報を手にし、裏社会を牛耳るノースマフィアだけでなく、リデルゴア国王までもが要人の調査依頼を出しているという噂だ。
カミケンもまた、デッドハウンドにとっては長年連れ添った太客である。そうまでしてカミケンが大金を注ぎ込む理由はたった一つ。最強の討滅者レオハニーの情報が欲しいからだ。
別にこれはカミケンの趣味だけで行われているわけではない。レオハニーの周りには機械仕掛けの世界に関わる事件が多発しているのだ。ならば終末の日の予兆とそれを防ぐ手立てもまた、レオハニーの近くにあるとカミケンは考えたのだ。
カミケンは誰よりも先の未来を見据え、ミヴァリアの里を守ろうと苦心している。しかしそれを知る術もなければ、終末の日を眉唾だと考えているミヴァリアの富める民からすれば、カミケンはただの無能な里長である。
クライヴもまた、以前まではカミケンのことを無能であると思っていた。側近の地位まで上り詰めたのもカミケンを里長の座から引き摺り落とすためでもあった。
だが、近くでカミケンの動向を見守り、話を聞いているうちに違うと理解した。中央都市で普段より早く訪れたスタンピード然り、バルド村に現れたヤツカバネ然り。昨年より明らかに異常事態が増えている。極め付けはオラガイアの墜落と、鍵者の出現……。
「カミケン様。リデルゴア国では、いったい何が起きているのでしょうか」
両手を組みながらクライヴが低く問いかけると、カミケンはワイングラスを置き、片眉を持ち上げた。
「戦争だよ。旧人類と新人類の命運をかけたね」
戦争、戦争と口にするが、クライヴにはいまいち理解できていなかった。
先の議会ホールで明かされた機械仕掛けの世界の目的は、誰が聞いても絶対に無視してはならないと思える非道なものだったのは分かる。しかし、肉体を持たない旧人類が、どうやって我々の体を乗っ取るつもりなのか想像がつかない。だから、どんな戦争になるかもクライヴには予想できなかった。
「いずれ、嫌でも理解することになるよ」
クライヴの顔に思っていたことが書かれていたのか、カミケンは不出来な子供を諭すようにそう言った。
「あの、カミケン様。鍵者の話によれば、NoDは機械仕掛けの世界から現実世界を守るために、古くから戦っていたそうじゃありませんか。それがなぜ今になって、我々を巻き込むようなことをするのでしょう」
「水面下で行われていた殺し合いを浦敷博士が隠しきれなくなった、いや、隠すつもりがなくなったんだろうねぇ。全くあの男は、一体何度死んだら優柔不断さが治るんだか」
「ウラシキ博士?」
「鍵者やNoDを作った機械仕掛けの世界の男だよ。今やベートにNoDの生産工場を奪われて、ほとんど手足をもがれた状態だがね」
クライヴは眉間に皺を寄せながら押し黙った後、絞り出すように問いかけた。
「彼は、我々の味方なのでしょうか」
カミケンはそれに答えず、黙って空いたワインをクライヴへよこした。クライヴは失念してた自分を叱咤しながら、サイドテーブルに置かれていたワインを注ぎ入れた。
中ほどまでグラスを満たしたワインは月食のような光を残しながら、再びカミケンの口の中へと消えていった。
「クライヴよ。明日、シュレイブと共に鍵者の後を付けろ」
「は…………今なんと!? 直属の近衛を二人も他里へ!? 一体何を考えているのです、カミケン様!」
クライヴは顎が外れそうなぐらい唖然とし、声を荒げた。
「キッヒヒヒ……ちょうど参謀共も引っ込んでいるし、この際ぶっちゃけてしまっても構わんよな?」
カミケンはカップを小皿の上に置くと、両膝に手を置きながら腹から声を張り上げた。
「ワタシたちミヴァリアの里は、弱い! エラムラよりも弱すぎる! この程度の実力でドラゴン狩りの最前線は我々のものだと講釈を垂れる参謀共にはほとほと呆れたわ!」
積年の思いを爆発させるが如く、カミケンは丸い頬を震わせながら舌鋒を炸裂させる。そして、空になったグラスが勢いよくクライヴへと突きつけられた。
「チミとシュレイブはミヴァリアの守護狩人の中でも指折りの実力者だ。しかしだねぇ、チミたち二人でかかっても、バルド村の狩人を一人も道連れにはできまい!」
「そ、そんなはずはありません! あいつらのシンモルファ討伐はミヴァリアと比べものになりませんでしたが、あの場で戦っていなかったリョーホとかいう男になら俺一人でも勝てます!」
「ケッヒヒヒヒ! ついに自分の実力も計れなくなったのかね?」
サイトテーブルに乱暴にグラスを置き、代わりに水差しからバシャバシャと水を注ぎ入れる。勢い余った水が床を濡らしたが、カミケンは構わず大量の水を煽った。
「げふ……アレはチミが思っているよりずっと狡猾で恐ろしい男だ。誰よりも死と痛みを知り恐れていながら、先陣を切るのを厭わない。人に本来備わっている危機感というものが毛ほども残っておらんのだよ。ああいう輩が一番何をしでかすか分からないのさ」
口の水を手の甲で拭い、カミケンは憂いのこもったため息を漏らした。
「エラムラとの同盟が結ばれたとしても、ミヴァリアが弱いままであることに変わりはない。ワタシたちは変わらねばならんのだよ」
「カミケン様……」
主人にここまで言わせてしまったことに、クライヴは恥いる思いだった。
ミヴァリアはスキュリアに守られている身。加えて中央都市とも距離が近く、バルド村より明らかにドラゴンとの遭遇率が低いため交易には困らない。はっきり言って、命をかけてドラゴンと戦う動機が希薄になりがちだった。そのせいでシンモルファ討伐でエラムラ陣営の手を借りる羽目になったのだから、カミケンの怒りも当然である。
ぎゅ、とクッションを軋ませながら、カミケンが椅子から身体を引き抜く。そして太い指がびしりとクライヴの眉間へ突きつけられた。
「いいかぁクライヴ! 最も力あるチミたちが強くならねば、誰が強くなるのだ! これはワタシからの特大の期待だと思いたまえ!」
クライヴは強く口を引き結ぶと、ミヴァリアの最上敬礼を取りながら力強く応えた。
「その任、このクライヴが承りました。絶対にカミケン様の期待に応えて見せます!」
「では、シュレイブにはチミから伝えておきなさい。下がれ」
「はっ!」
期待を胸に、クライヴは意気揚々と楼閣の一室から立ち去った。一人残ったカミケンは、自らの手で新たなワインをグラスに注ぐと、月明かりに赤を透かした。
「最強の討滅者……始まりの討滅者。ケヒヒッ、肩書きが増えたものだなぁ。そう思うだろう、ペテレイエ」
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