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4章
(33)逸脱者 1
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世界を丸ごと塗りつぶしてしまいそうな漆黒が、稲妻の如くオラガイアの頭上を駛走する。数秒の間、空から完全に光が遮られ、漆黒の下にあったオラガイアの大聖堂は真夜中のように真っ暗になった。
直後、晴れた空に雷鳴が轟き、まるで嵐の中の小舟のようにオラガイア全体が強風に煽られた。大聖堂の前にいた人々は何かに縋らなければ立っていられず、大半が横倒しの樽のように地面を転がった。地面にいた人間はそれだけで済んだが、空中を飛んでいたドラゴンたちは、なすすべもなく暴風に嬲られ、地面に叩きつけられるか、翼をへし折られながら空の向こうへ吹き飛ばされていった。
「ひぃ!今度はなんなんだよぉ!」
地面にしがみ付きながら、憲兵の一人が子供のように泣き叫ぶ。ロッシュはトカゲのように地面に手を張り付けながら、見覚えのある黒い空間の歪みに奥歯を噛みしめた。
「ベアルドルフ……」
ロッシュの旧友でありながら、ミカルラを殺した最悪の男だ。できればこんなところで、しかも間接的に助けられるような形で会いたくはなかった。
「シュイナ、今のうちに結界の維持を」
「はい」
大聖堂を守るドーム結界はいつ破壊されてもおかしくない状態であった。シュイナの『保持』の能力によって耐久力を上げ続けることはできるが、罅を修復するまではできない。結界を修復するには一度すべての結界を数分間解除しなければならないのだが、この状況でそれを実行するのは自殺行為だった。
今はベアルドルフの『圧壊』の余波のお陰で、ドラゴンの波が完全に途絶えている。流石に結界の張り直しはできないが、連携が崩れつつある狩人たちに統率を与えるのは今しかなかった。
ロッシュは地面から立ち上がると、真っすぐと腕を正面に伸ばして声を張った。
「防衛部隊に通達! 負傷者は結界の傍へ、前衛は正面を固めてください! 後衛は負傷者を守るように各自配置について!」
『響音』の力で声量を上げた指示は、結界の外にいた狩人全員に伝わった。近接武器を担いだ狩人たちは少々乱雑に負傷者を運び、残りは後衛に任せて南旧市街地の前を陣取る。後衛の狩人たちは各々が所持していた止血帯を取り出し、ドラゴンとの距離を目測しながら負傷者の延命に駆け回った。
ここにいる戦闘員はオラガイアに来れるほどの優秀な狩人なだけあって、我を出して独走するような人はいないようだ。ロッシュがダアト教幹部という地位だからこそ指揮系統も正常に働いていると言える。その分ロッシュには彼らを最後まで導く責任が一身に圧し掛かっていた。
ロッシュは次の襲撃に備えるべく、鈴に『響音』の力を蓄積させながらビーツ公園を見渡した。
大聖堂周辺はドラゴンの死体が山のように積み上がり、鼻が曲がりそうなほどの血の匂いが漂っている。特に結界付近の死体は仲間同士のブレスで粉微塵にされたため、もはや原型すら留めていなかった。ただのスタンピードであれば上位ドラゴンの死体で肉壁を作れたのだが、中位ドラゴンの死体ばかりなのが徒になった。
それに、死体で肉壁を作れたとて、今の状況では全て水の泡になっていただろう。
どぉん、と幾度目かの衝突があり、天鼓に打ち据えられた空間が大きく波打つ。その度に空を飛ぶ生き物たちが吹き飛ばされ、地面にいた狩人たちも耐え切れずにその場に倒れ込む。その中には、落下してきたドラゴンに運悪く潰されている者までいた。
凄まじい衝撃が止んだ頃、空には布を引き裂いたような亜空間が黒い内側を覗かせ、また日の光を奪い去っていった。
こちらの被害もお構いなしに暴れまわる討滅者と救済者。それを見上げる狩人の一人が、顔面を紙のように真っ白にしながら消え入りそうな声を漏らした。
「あれは本当に人間なのか……?」
人間同士の殺し合いとは思えぬ大規模な戦闘は、トルメンダルクの襲撃にも劣らぬ災禍を齎していた。こちらの被害をまるで考慮していない彼らの戦いは、地上にいる狩人たちにとって天変地異にも等しい。止めようにも手段がなく、逃げようにも道がなく、甘んじて嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。戦いなれていない憲兵は子供のように泣きじゃくり、熟達の狩人たちでさえも地面に伏せて身を守るばかりだった。
ただ一人、ロッシュだけは言葉に言い表せぬほどの憤激に苛まれていた。劣等感という一言ではかたずけられない怒りだ。それほどの力があってもなお、民を守ろうとせず利己的に戦おうとするベアルドルフへの怒りだ。そして、自分の力量不足を他人のせいにする己にも怒りの矛先を向けていた。
ロッシュは里長でありながら、同期と共に討滅者になれなかった凡人だ。己が負傷したせいでもう一人の同期から討滅者になる機会を奪ってしまったろくでなしである。
埋められない実力差をまざまざと見せつけられ、ロッシュは血の味を感じるほどに奥歯を強く噛みしめた。
ふと、ロッシュの眼前に巨大な陰が過ぎる。見上げれば、トルメンダルクと激闘を繰り広げるレオハニーの姿があった。一頭と一人は激流じみた速度でベアルドルフたちの頭上を通り過ぎ、またオラガイアの真下へと消えて見えなくなる。
途端、空中を疾駆していたベアルドルフの体勢が、トルメンダルクの暴風に巻き込まれて崩れてしまった。それから数秒も間を置かず、トトが仕掛けた『斬空』によってベアルドルフの熊の如き巨体から鮮血が弾けた。
「あっ……!」
それは誰の悲鳴だったか。
能力を維持できず、翼をもがれた鳥のようにベアルドルフは落ちていく。ロッシュはその姿から目を背けそうになるのを必死に堪えた。
自分には自分の役目がある、とロッシュは強く己に言い聞かせる。だがこの状況で、ただ結界を守ることしかできないのは身を切り刻まれているかのように辛かった。
いよいよ口の端から血を滲ませるロッシュを見て、隣にいたシュイナも悲壮にあてられたかのように目を伏せた。
「……あの人をもってしても、救済者には敵わないのですか」
当然だ。ベアルドルフは一度アンジュに敗走し、その結果トトを生み出してしまったのだから。
トトはもうアンジュではなくなった。ノンカの里で戦った時とは違って互いに手心を加える必要がないのだから、本気で殺し合えばどちらが勝つか火を見るより明らかだった。
エラムラの里長からすれば、敵対する里の長であるベアルドルフの死は喜ばしいはずだ。だがロッシュは不覚にも、ベアルドルフの勝利を祈ってしまった。かつてアンジュだった彼女を今度こそ止めて、あわよくばオラガイアまで救ってくれるのではと。
しかし、ベアルドルフは血を吹き出しながら、意識を取り戻すことなく雲海へ消えていった。
邪魔者が消えた以上、トトは本格的に予言書に従ってオラガイアを滅ぼしに来る。
ロッシュは指先から吊り下がる鈴を見つめ、諦念まじりに苦笑した。
「誰であっても予言書には抗えない……この戦いもすでに結末は決まっているんです」
──鍵者をオラガイアに連れてきても、滅びは変えられなかった。
オラガイアに鍵者を連れてきてはならない。それはダアト教十二人会議で古くから決められていた制約だった。だがロッシュはオラガイアを守るため、その制約を意図して破った。他の幹部に知られぬよう、細心の注意を払ってまで鍵者を連れてきたのだ。それはエラムラを救った時のように、リョーホがまた奇跡を起こしてくれる可能性に賭けてみたくなったからだ。
しかし運命の女神は微笑んでくれなかったらしい。
ドミラスができたのなら、自分でも予言書の未来を覆すことが出来るのではと考えたのが馬鹿だった。ただ、オラガイアでリョーホが死ねば今代の鍵者はいなくなり、終末からまた遠ざかる未来もあり得るかもしれない。それでエラムラが救われるのなら、こんな終わり方も悪くないんじゃないか、と慰めの思考が湧き上がってきた。
ロッシュが息を吐くと同時に、上空に浮かぶトトの瞳がギョロリとオラガイアを睥睨する。
「そんな……もう終わりだ……」
絶望の声を発する憲兵たち。南旧市街地の方からは、ドラゴンの群れが再び黒い雲となって押し寄せてきていた。ベアルドルフとトトの戦闘が終わったことで、オラガイアに接近すらできなかったドラゴンたちが我先にと大聖堂へ向かってきているのだ。
ドーム結界はもう長く持たないだろう。大聖堂だけを守っていても、いずれオラガイアの大地の底に穴が開けば地下へ侵入される。そこでオラガイアを守護する結界の心臓部を破壊されたら終わりだ。
「……待て、あれはなんだ!?」
狩人の一人が声を上げた瞬間、雲海が内側から膨れ上がり、火山口のような大穴を開けた。
水中の如くくぐもった轟音。遅れて、禍々しい紫色の閃光が流星のように尾を引いた。その先端には血まみれのベアルドルフがおり、狂乱の笑みを浮かべて猛々しく咆哮を上げていた。
暴風の中でも掻き消えぬベアルドルフの声を聞きながら、ロッシュは空気が抜けた風船のように笑ってしまった。
やはり、自分には里長なんて向いていないのかもしれない。エラムラの里長ならばベアルドルフは忌むべき存在、殺すべき仇だ。だというのにロッシュは今、胸が張り裂けそうなほど歓喜に震えている。今まであれこれと理由をつけて目を背けていたが、本心ではベアルドルフをまだ友として扱いたかったのだ。そんな当たり前の事実に、戦場の真っ只中で気づいてしまって笑いが止まらなかった。
「全くもう、無駄な足掻きが本当に好きですね。僕たちは……!」
今日だけは里長の役目を忘れていいだろうか。否、すでに答えは決まっている。
ロッシュは両頬を叩いて緩んでしまった気を引き締め直し、身体ごとシュイナへ向き直った。
「シュイナ。エラムラで貴方にお願いしたことを、もう一度やってくれませんか?」
「ロッシュ様、それは……ベアルドルフに手を貸すことになりますよ?」
「非常事態です。僕もやれることは全てやっておきたくなりました」
肩をすくめながらくしゃりと笑うと、シュイナは瞳に薄く涙の膜を張り、穏やかな笑みと共に目を伏せた。
「そうですね。では私も、一個人としてあの仇敵に賭けてみようと思います」
シュイナは真っ直ぐと伸ばした右手を上空へ向け、全身の菌糸模様に淡く光を灯した。そうして開かれたシュイナの瞳は、萌葱色の葉を散らしたような鮮やかな模様が浮かんでいた。
直後、晴れた空に雷鳴が轟き、まるで嵐の中の小舟のようにオラガイア全体が強風に煽られた。大聖堂の前にいた人々は何かに縋らなければ立っていられず、大半が横倒しの樽のように地面を転がった。地面にいた人間はそれだけで済んだが、空中を飛んでいたドラゴンたちは、なすすべもなく暴風に嬲られ、地面に叩きつけられるか、翼をへし折られながら空の向こうへ吹き飛ばされていった。
「ひぃ!今度はなんなんだよぉ!」
地面にしがみ付きながら、憲兵の一人が子供のように泣き叫ぶ。ロッシュはトカゲのように地面に手を張り付けながら、見覚えのある黒い空間の歪みに奥歯を噛みしめた。
「ベアルドルフ……」
ロッシュの旧友でありながら、ミカルラを殺した最悪の男だ。できればこんなところで、しかも間接的に助けられるような形で会いたくはなかった。
「シュイナ、今のうちに結界の維持を」
「はい」
大聖堂を守るドーム結界はいつ破壊されてもおかしくない状態であった。シュイナの『保持』の能力によって耐久力を上げ続けることはできるが、罅を修復するまではできない。結界を修復するには一度すべての結界を数分間解除しなければならないのだが、この状況でそれを実行するのは自殺行為だった。
今はベアルドルフの『圧壊』の余波のお陰で、ドラゴンの波が完全に途絶えている。流石に結界の張り直しはできないが、連携が崩れつつある狩人たちに統率を与えるのは今しかなかった。
ロッシュは地面から立ち上がると、真っすぐと腕を正面に伸ばして声を張った。
「防衛部隊に通達! 負傷者は結界の傍へ、前衛は正面を固めてください! 後衛は負傷者を守るように各自配置について!」
『響音』の力で声量を上げた指示は、結界の外にいた狩人全員に伝わった。近接武器を担いだ狩人たちは少々乱雑に負傷者を運び、残りは後衛に任せて南旧市街地の前を陣取る。後衛の狩人たちは各々が所持していた止血帯を取り出し、ドラゴンとの距離を目測しながら負傷者の延命に駆け回った。
ここにいる戦闘員はオラガイアに来れるほどの優秀な狩人なだけあって、我を出して独走するような人はいないようだ。ロッシュがダアト教幹部という地位だからこそ指揮系統も正常に働いていると言える。その分ロッシュには彼らを最後まで導く責任が一身に圧し掛かっていた。
ロッシュは次の襲撃に備えるべく、鈴に『響音』の力を蓄積させながらビーツ公園を見渡した。
大聖堂周辺はドラゴンの死体が山のように積み上がり、鼻が曲がりそうなほどの血の匂いが漂っている。特に結界付近の死体は仲間同士のブレスで粉微塵にされたため、もはや原型すら留めていなかった。ただのスタンピードであれば上位ドラゴンの死体で肉壁を作れたのだが、中位ドラゴンの死体ばかりなのが徒になった。
それに、死体で肉壁を作れたとて、今の状況では全て水の泡になっていただろう。
どぉん、と幾度目かの衝突があり、天鼓に打ち据えられた空間が大きく波打つ。その度に空を飛ぶ生き物たちが吹き飛ばされ、地面にいた狩人たちも耐え切れずにその場に倒れ込む。その中には、落下してきたドラゴンに運悪く潰されている者までいた。
凄まじい衝撃が止んだ頃、空には布を引き裂いたような亜空間が黒い内側を覗かせ、また日の光を奪い去っていった。
こちらの被害もお構いなしに暴れまわる討滅者と救済者。それを見上げる狩人の一人が、顔面を紙のように真っ白にしながら消え入りそうな声を漏らした。
「あれは本当に人間なのか……?」
人間同士の殺し合いとは思えぬ大規模な戦闘は、トルメンダルクの襲撃にも劣らぬ災禍を齎していた。こちらの被害をまるで考慮していない彼らの戦いは、地上にいる狩人たちにとって天変地異にも等しい。止めようにも手段がなく、逃げようにも道がなく、甘んじて嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。戦いなれていない憲兵は子供のように泣きじゃくり、熟達の狩人たちでさえも地面に伏せて身を守るばかりだった。
ただ一人、ロッシュだけは言葉に言い表せぬほどの憤激に苛まれていた。劣等感という一言ではかたずけられない怒りだ。それほどの力があってもなお、民を守ろうとせず利己的に戦おうとするベアルドルフへの怒りだ。そして、自分の力量不足を他人のせいにする己にも怒りの矛先を向けていた。
ロッシュは里長でありながら、同期と共に討滅者になれなかった凡人だ。己が負傷したせいでもう一人の同期から討滅者になる機会を奪ってしまったろくでなしである。
埋められない実力差をまざまざと見せつけられ、ロッシュは血の味を感じるほどに奥歯を強く噛みしめた。
ふと、ロッシュの眼前に巨大な陰が過ぎる。見上げれば、トルメンダルクと激闘を繰り広げるレオハニーの姿があった。一頭と一人は激流じみた速度でベアルドルフたちの頭上を通り過ぎ、またオラガイアの真下へと消えて見えなくなる。
途端、空中を疾駆していたベアルドルフの体勢が、トルメンダルクの暴風に巻き込まれて崩れてしまった。それから数秒も間を置かず、トトが仕掛けた『斬空』によってベアルドルフの熊の如き巨体から鮮血が弾けた。
「あっ……!」
それは誰の悲鳴だったか。
能力を維持できず、翼をもがれた鳥のようにベアルドルフは落ちていく。ロッシュはその姿から目を背けそうになるのを必死に堪えた。
自分には自分の役目がある、とロッシュは強く己に言い聞かせる。だがこの状況で、ただ結界を守ることしかできないのは身を切り刻まれているかのように辛かった。
いよいよ口の端から血を滲ませるロッシュを見て、隣にいたシュイナも悲壮にあてられたかのように目を伏せた。
「……あの人をもってしても、救済者には敵わないのですか」
当然だ。ベアルドルフは一度アンジュに敗走し、その結果トトを生み出してしまったのだから。
トトはもうアンジュではなくなった。ノンカの里で戦った時とは違って互いに手心を加える必要がないのだから、本気で殺し合えばどちらが勝つか火を見るより明らかだった。
エラムラの里長からすれば、敵対する里の長であるベアルドルフの死は喜ばしいはずだ。だがロッシュは不覚にも、ベアルドルフの勝利を祈ってしまった。かつてアンジュだった彼女を今度こそ止めて、あわよくばオラガイアまで救ってくれるのではと。
しかし、ベアルドルフは血を吹き出しながら、意識を取り戻すことなく雲海へ消えていった。
邪魔者が消えた以上、トトは本格的に予言書に従ってオラガイアを滅ぼしに来る。
ロッシュは指先から吊り下がる鈴を見つめ、諦念まじりに苦笑した。
「誰であっても予言書には抗えない……この戦いもすでに結末は決まっているんです」
──鍵者をオラガイアに連れてきても、滅びは変えられなかった。
オラガイアに鍵者を連れてきてはならない。それはダアト教十二人会議で古くから決められていた制約だった。だがロッシュはオラガイアを守るため、その制約を意図して破った。他の幹部に知られぬよう、細心の注意を払ってまで鍵者を連れてきたのだ。それはエラムラを救った時のように、リョーホがまた奇跡を起こしてくれる可能性に賭けてみたくなったからだ。
しかし運命の女神は微笑んでくれなかったらしい。
ドミラスができたのなら、自分でも予言書の未来を覆すことが出来るのではと考えたのが馬鹿だった。ただ、オラガイアでリョーホが死ねば今代の鍵者はいなくなり、終末からまた遠ざかる未来もあり得るかもしれない。それでエラムラが救われるのなら、こんな終わり方も悪くないんじゃないか、と慰めの思考が湧き上がってきた。
ロッシュが息を吐くと同時に、上空に浮かぶトトの瞳がギョロリとオラガイアを睥睨する。
「そんな……もう終わりだ……」
絶望の声を発する憲兵たち。南旧市街地の方からは、ドラゴンの群れが再び黒い雲となって押し寄せてきていた。ベアルドルフとトトの戦闘が終わったことで、オラガイアに接近すらできなかったドラゴンたちが我先にと大聖堂へ向かってきているのだ。
ドーム結界はもう長く持たないだろう。大聖堂だけを守っていても、いずれオラガイアの大地の底に穴が開けば地下へ侵入される。そこでオラガイアを守護する結界の心臓部を破壊されたら終わりだ。
「……待て、あれはなんだ!?」
狩人の一人が声を上げた瞬間、雲海が内側から膨れ上がり、火山口のような大穴を開けた。
水中の如くくぐもった轟音。遅れて、禍々しい紫色の閃光が流星のように尾を引いた。その先端には血まみれのベアルドルフがおり、狂乱の笑みを浮かべて猛々しく咆哮を上げていた。
暴風の中でも掻き消えぬベアルドルフの声を聞きながら、ロッシュは空気が抜けた風船のように笑ってしまった。
やはり、自分には里長なんて向いていないのかもしれない。エラムラの里長ならばベアルドルフは忌むべき存在、殺すべき仇だ。だというのにロッシュは今、胸が張り裂けそうなほど歓喜に震えている。今まであれこれと理由をつけて目を背けていたが、本心ではベアルドルフをまだ友として扱いたかったのだ。そんな当たり前の事実に、戦場の真っ只中で気づいてしまって笑いが止まらなかった。
「全くもう、無駄な足掻きが本当に好きですね。僕たちは……!」
今日だけは里長の役目を忘れていいだろうか。否、すでに答えは決まっている。
ロッシュは両頬を叩いて緩んでしまった気を引き締め直し、身体ごとシュイナへ向き直った。
「シュイナ。エラムラで貴方にお願いしたことを、もう一度やってくれませんか?」
「ロッシュ様、それは……ベアルドルフに手を貸すことになりますよ?」
「非常事態です。僕もやれることは全てやっておきたくなりました」
肩をすくめながらくしゃりと笑うと、シュイナは瞳に薄く涙の膜を張り、穏やかな笑みと共に目を伏せた。
「そうですね。では私も、一個人としてあの仇敵に賭けてみようと思います」
シュイナは真っ直ぐと伸ばした右手を上空へ向け、全身の菌糸模様に淡く光を灯した。そうして開かれたシュイナの瞳は、萌葱色の葉を散らしたような鮮やかな模様が浮かんでいた。
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