家に帰りたい狩りゲー転移

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4章

(32)誓い

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 トルメタリア工房、地下精錬所。

 そこは人の手によって、極寒と灼熱が同居する魔境と化していた。地獄の入口と見まごうほどの溶解炉は常に赤い蒸気が噴き出し、奥の窯では目が眩むほどの溶銑が満ち、時折おどろおどろしく粘り気のある泡を膨らませた。

 ヴァーナルはローブの代わりに全身を包むほどの分厚い保護衣をまといながら、溶銑の中に未完成の武器の芯を突っ込み、飴を引き延ばすようにゆっくりと持ち上げた。

 その動作があまりにも悠長で、黙って作業を見守っていたアンリがついに口を挟んだ。

「ヴァーナルさん、まだですか? 早く行かないとリョーホ達が危ないんです!」
「もうひと手間ぐらい待てんか。若造め」

 ヴァーナルは丁寧に武器を金敷の上に横たえ、くるくると回しながら金づちで形を整え始めた。金づちの先端には細かな彫刻があり、それが柔らかい金属の表面を叩くたびに溝を刻み込んだ。不思議なことに、その溝は次に叩くときには消えており、代わりに滑らかな表面を取り戻しながら整形されていった。まるで彫刻師が石の中から神の姿を掘り起こすように、武器が本来あるべき形を取り戻していく。

 素早く、そして美しい作業に魅入っているうちに、金敷の上にはいつの間にか華奢な槍が横たわっていた。ヴァーナルは拷問器具のような大きなペンチでそれを持ち上げ、溶解炉と真反対の極寒の部屋へそれを運んだ。その部屋は何時間も前から氷を生み出すカラクリで冷やされており、ヴァーナルが一歩を進めるたびに足から白い霧が立ち上った。

 ヴァーナルは極寒の部屋の中央に置かれた作業台に、形を得たばかりの槍を置いて再び金づちを振るった。

 きん! と鋭く凍り付く様な音が、金づちが振り下ろされるたびに反響する。ヴァーナルの手元は炎のような橙色の菌糸模様で輝き、冷え切った部屋に熱を灯すように、何度も何度も槍に溝を刻み込んでいった。

 もはや急かす気も起きなかった。エトロは自分だけの武器が作られていく瞬間を、手に汗握りながら見守り続ける。

 ――強くありたい。

 精緻な細工が施される槍に、窓越しに願いを込める。

 エトロはほとんどの生涯を復讐のために生きてきた。強くなる理由は二つ。レオハニーに報いるため。ベアルドルフをこの手で殺すため。どれも自分の為ではなかった。だが今になって、エトロは初めて自分のために強くなろうとしていた。

 生きて、帰りたい。リョーホと共にバルド村へ。そうしてすべての戦いを終えたら、自分の故郷を取り戻したい。仲間がいて、帰る場所があるのだと噛みしめるだけでいい。

 エトロはリョーホに初めて会ったときから、ずっと焦りを覚えていた。一目でレオハニーに気に入られてしまったリョーホという存在は、家族を失ったエトロにとって唯一の居場所を奪う敵にしか見えなかった。

 リョーホが弱いうちはまだ自尊心を保つことが出来た。しかし徐々に頭角を現したリョーホを見て、いっそ消えてくれと願ってしまった。そうして最悪の裏切りをしてしまった。

 なのにリョーホは挫けなかった。土の王ヤツカバネとの戦いでも、彼は諦めなかった。エトロはヤツカバネの即死攻撃に臆するばかりだったのに、リョーホは自殺行為とも取れる突進ばかりを繰り返し、見事ヤツカバネを討伐してみせた。

 純粋な力でねじ伏せるレオハニーとは違う。リョーホは弱者でありながら、強者に勝ち続けてきた。その生き様にエトロは心を奪われてしまった。同時に負けたくないと強く思ったのだ。

 リョーホの隣ではなく、一歩先へ。姉弟子というプライドもあったが、守られる側ではいたくない。殺すための力ではなく、守るための力が欲しい。

 だからどうか、力を貸してほしい。

 手を握りしめながらエトロはさらに強く祈る。やがて金づちの音が止み、部屋中を満たしていた冷気が、突然意志を持ったかのように槍に向けて収束し始めた。

「……ほほう。良い魂じゃ。これも鍵者の力ということか」

 ヴァーナルから満足げな声がして、エトロはゆっくりと顔を上げる。気づけば極寒であった部屋は通常の気温を取り戻しており、むしろ隣の溶解炉から熱気が解放されて汗が滲むほどだった。

「持っていけ、小娘」

 完成したばかりの槍を投げ渡され、エトロは両手でそれを受け止めた。ずっしりと肩から背筋へかかる重みは程よく、まるで持ち主に懐くように手のひらに吸い付いた。ヴァーナルはエトロと槍を満足そうに眺め、窮屈そうに腕を組んだ。

「良い目をしている。お前さん、名前はなんだったかの?」
「エトロだ」
「そうか……満ちた者、あるいは、全てを受け入れし者。氷の一族の、その末裔に相応しい名だな」

 エトロは自分の名の由来を初めて知った驚きと、すでに忘れ去られたと思っていた血筋の名に軽く目を見張った。

「私の一族のことを知っているのか?」
「ああ、知っているとも。その武器が儂に語ってくれたわい」
「武器が、語る?」
「年寄りの戯言だ。聞き流しておけい」

 ヴァーナルは照れ臭そうに笑い、それから新たな武器の型を取り出しながら低く続けた。
 
「その槍はお前さんの期待に応えてくれる。お前さんが自分の魂を裏切らぬ限りな」

 まるで占い師のように、エトロが抱える秘密をヴァーナルは言い当てた。自らを暴かれるような不安に心臓が飛び跳ねたが、同時に両手に抱かれた槍の頼もしさにエトロは強かに微笑んだ。

「ああ。私はもう裏切らない。自分の生き方はもう定まっている」
「ならば、良し。存分に振るってこい」

 エトロが力強く頷くと、ヴァーナルは長く黒い爪でアンリを指さした。

「弓と双剣もこの場で作ってやる。若造はここに残れ」
「でも俺は……」
「アンリ。私なら大丈夫だ」

 心配性な兄貴分の肩に手を置き、エトロは首をかしげながら笑いかけた。

「まだ守護狩人ではなくとも、もう私は一人前だろう?」

 アンリはリョーホに頼まれた手前、エトロを守る約束を果たしたいのだろう。しかしそれと同じぐらいにリョーホの助けになりたいとも思っているはずだ。だったら、ここで武器を新調しておいた方が必ずリョーホのためになる。

 アンリはじっとエトロの顔を見下ろした後、根負けしたように肩をすくめた。

「……全く、エランが今の君を見たら悔しがるだろうね」
「私もそんなエランを見てみたかったよ。だからエランの分だけ、私も世界を見に行く。リョーホと一緒に」
「……そっか。じゃあ、俺も後から追いつくよ」

 とん、と背中を叩かれ、エトロは妙な照れくささを感じながらヴァーナルたちに背を向けた。

「では、行ってくる」

 エトロは槍を強く握りしめ、地下工房の外に続く天井扉に向けて走り出した。



 ・・・―――・・・



 スタンピードによって侵食されていく南旧市街の遥か上空に、一体だけその場に留まっている純白のドラゴンがいた。筋骨隆々とした白い四肢や、山なりに曲がった背中は猿と酷似しており、ドラゴンというにはあまりにも不格好だ。その腰部分からはいかにも取って付けたような蝙蝠の翼が生え、作り物らしさに拍車をかけている。

 そして純白のドラゴンの背には、赤い目を光らせる白髪の女性が腰かけていた。予言書に従い、世界に災いと救いを等しく振りまく救済者トトである。

 強風が掠めるたびにトトの白髪が大きく靡く。彼女の腰には反りの深い愛用のカトラスがぶら下がっており、反対の手には鎖が握られていた。鎖の先端は純白のドラゴンの首輪へと繋がっており、時折その表面に白い菌糸模様を点滅させた。

 首輪の内部にはニヴィから採取した『支配』の菌糸能力が植え付けられている。ドラゴンの群れに紛れ込んだ別の白いドラゴンを媒介に、トトは群れ全体へと命令を飛ばし続けていた。数千を超えるドラゴンたちを思いのままに従えていながら、トトの表情は始終凪いだままである。

 ふと風向きが変わり、トトは髪を撫でつけながら目を細めた。

「日暮れ前にこの島は地上に落ちる。討滅者である貴方にとって、オラガイアがどうなろうと関係ない。なのに、どうしてここに来てしまったの」

 トトの目がぎょろりと右へ傾いた瞬間、純白のドラゴンの翼が両方同時に切り落とされた。飛行能力を失ったドラゴンは、断末魔を上げながら真っ逆さまに雲海へと落ちていく。対してトトは、まるで空中に足場があるかのようにその場に留まり続けていた。

 トトが見据える先には、紫色の光を左目に灯した隻眼の男がいた。赤と黒を基調とした鎧には毒々しい菌糸模様が刻まれており、衣服からはみ出た筋肉は丸太のように太い。男の両手には三枚刃のセスタスがはめ込まれ、ジリジリと大気を焦がすほどの熱を帯びていた。

 尋常ではない闘気によって、その男の周囲は陽炎の如く揺らめいている。トトはそれを平然と眺めながら、腰からゆっくりとカトラスを引き抜いた。

「私を殺せばスタンピードが止められると思った? ベアルドルフ」
「スタンピードは二の次だ。オレは貴様に用がある」

 ベアルドルフは三枚刃のセスタスをトトに突きつけながら、獰猛に歯を見せて笑った。『圧壊』によって歪められた空間の上に佇むベアルドルフは、ともすれば現世に飛び出した閻魔のようだった。

 対するトトは、何もない空間に両足を揃えて浮かびながら、かつて旧友だった男に哀れみのこもった目を向けた。

「オラガイアの滅びは昔から決められていたこと。約束を果たせるのは私だけ。だから、貴方に構っている暇はない」

 パチンとトトの指が弾かれた瞬間、周囲を飛び交っていたドラゴンたちが一斉にベアルドルフに襲い掛かった。無数の牙とブレスがあっという間にベアルドルフの姿を覆い隠す。その直後、内側で大爆発が起きたように全てのドラゴンが細かな肉片へと粉砕された。

 爆心地にいたベアルドルフは、血を一滴も被っておらず無傷だった。トトは僅かに表情をこわばらせると、あえて挑発するように口角を吊り上げながら、人差し指を曲げてもう一体の純白のドラゴンを傍に呼び寄せた。

「その化け物どもを随分気に入っているようだな」

 セスタスで挑発しながらベアルドルフが笑みを深めると、トトは人間に酷似したドラゴンの額を優しくなでた。

「この白い子達はネフィリムと呼ぶの。鍵者になれなかった失敗作達。生半な力では死ぬことすらできない哀れな子達。可哀想でしょう? 人間として生まれても、ドラゴンに生まれ変わっても彼らは出来損ないなの」

 トトの言葉を理解できていないのか、ネフィリムと呼ばれた白いドラゴンは無反応だった。魂を見通すベアルドルフの目には、人間として死を迎えることもできず、変形した肉の塊に閉じ込められた誰かの魂が見えた。エラムラで対峙したニヴィも、ベアルドルフが直接手に掛けたミカルラもこのような魂をしていた。

 ノクタヴィスで行われていたドラゴン化の実験は、本来はドラゴンの菌糸と人間の菌糸が共存できるよう人体改造をするためのものだった。

 ドラゴンの菌糸と共存できる人間は、言い変えれば鍵者と等しい力を持つ。つまりリデルゴア国は、機械仕掛けの門を開くためだけに、自らの手で鍵者を作り出そうとしたのだ。

「愚かな」

 ベアルドルフが吐き捨てると、トトは首をかしげながら薄笑いを浮かべた。

「貴方が鍵者を殺したせいよ」

 トトは純白のドラゴンをオラガイアの方へ押し、虚空に踵を乗せてカトラスを水平に構えた。

「あの時、ノクタヴィスにレオハニーが来なければ。彼女がすべての実験施設を燃やし尽くしてしまわなければ。貴方がアンジュをノクタヴィスへ連れて行かなければ。『私』の魂が呼ばれなければ!」

 絶え間なく吹き上がる後悔と憎悪が、不可視の斬撃となってベアルドルフへ襲い掛かる。ベアルドルフはセスタスで空間に置かれた斬撃を全て殴り払った。回数を重ねるごとにカトラスの威力も瞬く回数も増していき、徐々にベアルドルフが押されていく。

「貴方も、ドミラスも、レオハニーも、予言書に従わなかった。『私』を陰で裏切り続けたせいで、浦敷良甫は成長しすぎてしまった! 予言が早まってしまった!」

 不可視の斬撃を飛び越え、ベアルドルフの脳天めがけてカトラスが振り下ろされる。セスタスをクロスさせながら受け止めた瞬間、互いの武器から飛び散った火花が周囲の斬撃の地雷を爆破させた。衝撃波と閃光にもまれながら、二人は至近距離で鎬を削る。

「貴方のせいで、世界が滅ぶ」
「いいや、世界は正しく解放される」
「そのためにアンジュを殺すの?」
「思い上がるなよ、借り物風情が!」

 トトの腹部を蹴り飛ばし、ベアルドルフがあくびをする虎のように大口で笑った。

 アンジュの魂はすでに変質し、二度と同じ肉体に戻りはしない。たとえ新たな器を手に入れたとて、魂に影響された肉体は完全にドラゴンとなり、醜い姿のまま永劫を生きることになる。トトたちが作り上げたネフィリムと同じように。

 ベアルドルフは音がするほど勢いよく歯を食いしばると、眉間に渓谷のような深い皺を刻んだ。

「貴様はすでにアンジュではない。故に手心を加える余地もない!」
「アンジュを殺せなかった貴方が、どうやって? 笑わせないで」
「片腹痛いのはこちらだ化け物。借りものの身体で粋がるのも大概にしろ」

 アンジュの肉体には『星詠』の力が宿り、数秒先の未来を先読みされるため攻撃を当てるのは至難だ。そして例えダメージを与えられたところで、事象を上書きされれば無傷に戻る。

 ならば短期決戦、かつ事象の上書きが間に合わぬほど殺し続けるのみ。

「ハァァァァ……」

 長く深く、這いずるような息を吐きながら深く重心を下げる。膨大なエネルギーに呼応した菌糸模様が禍々しい光を帯び、足元で歪む空間が光を通せず真っ黒に染まり切る。そしてベアルドルフの右拳にもまた、漆黒の陽炎が渦巻き始めた。

 ──圧壊・極地。

 神速によって打ち出された右の拳から、漆黒の奔流が解き放たれ、トトごとスタンピードの一角が塗りつぶされる。遅れて、空が裂けんばかりの轟音が大気を穿った。
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