家に帰りたい狩りゲー転移

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4章

(5)罪人たち

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 バルド村最下層の小さな滝の裏に、罪人を収容するための洞窟がある。岩壁をくり抜くようにして造られた檻の中では、手足を鎖で拘束されたベートが体育座りで項垂れていた。
 
 ベートからは、ヤツカバネの捕食後のような酷い悪臭がした。牢に運び込まれた際に最低限の清潔な衣服に取り替えたはずなのだが、長く洗われていない髪が悪臭の根源と化しているようだ。
 
 ベートは檻越しに近づいてきた俺に気づくと、ざんばらに切られた髪の隙間からニイッと目口を弓形に歪めた。
 
「あぁ、会いたかった。もっと顔をよくみせて」

 老婆のようにひび割れた声が、洞窟内で不気味に反響した。かちゃかちゃと鎖が耳障りな音を立て、ベートの腰が蛇のように揺れ動く。ドミラスに切り落とされたはずのベートの左腕はすっかり生え戻っていたが、格子を掴む指には爪がなかった。

 俺は同行してくれたゼンとミッサに目配せをした後、檻から一メートルほど距離を開けたままベートに話しかけた。
 
「お前と世間話するつもりはない。単刀直入に聞く。なんであの場にいた」
「あなたに会いたから」
「そうじゃない。なんでヤツカバネ討伐の邪魔をしたかって聞いてる!」
「もちろんあなたを家に連れて帰るために」
 
 花のような笑顔だ。花と言っても、腐臭を持つラフレシアの類いである。

 正直、これ以上ベートと会話をするのは本気で嫌なのだが、ドミラスが目覚めていない現状では彼女からしか情報を聞き出せない。しかも俺以外の人間では意地でも口を割らないため、尋問は俺がやらなければならなかった。

 俺は喉の奥から込み上げてくる吐き気を飲み込みながら、腕を組んで強気な態度を装った。
 
「俺が討伐に失敗するのと、お前の家に連れ去るのに何の関係もないだろ。本当のことを言え。なんであの場にいた」
「トトに会ったでしょう。あの子から聞いていないの?」
「何も? 人間のためだとか、故郷に戻してやるとか、とにかく俺を騙したいってことだけは聞かされたな」
「騙すなんてとんでもない。あたしたちの本心だよ」

 ベートは鎖をギリギリまで引き延ばしながら格子にへばりつくと、俺を見つめたまま固く閉じられた扉を愛おしげに撫でた。
 
「ねぇ、まだ思い出せないの? あなたが何のために、この世界に生み出されたのか。救済者が作られた存在なのに、鍵者であるあなただけは作られていないって、どうして言えるのかな?」

 ニタリ、と不気味な笑顔が洞窟内に浮かびあがった瞬間、ミッサの弾丸がベートの右足を撃ち抜いた。格子の隙間を巧みに潜り抜けた赤い閃光によって、ベートの痩せた身体が後方に吹き飛ぶ。

 突然の暴力的な光景に俺は息を呑んだが、同時にスカッとして、直後に喉の奥が苦くなった。人が傷つく瞬間を見ても、俺は同情できなくなってきているらしい。相手がベートだとしても、自分が彼女と同じ場所まで堕落しているようで気分が悪くなった。

 ベートはしばらく仰向けで静止した後、マリオネットのように起き上がった。
 
「酷いね。同じ女性と思えないぐらい野蛮だよ」
「女が野蛮で何が悪いさね」

 ミッサは硝煙を吹き消すと、ベートを睨みつけたまま俺に言った。
 
「リョーホ、こいつの話に耳を貸すんじゃない」
「……いや、いいんです。俺は本当のことが知りたい。何も知らないままじゃ、今までと同じだから」

 俺はミッサの肩を叩いて下がらせ、ベートへ再び目を向けた。先ほどショットガンで弾けた右足は、植物の蔦のように寄り合わさりながら段々と傷口を塞ぎ始めていた。菌糸能力もなしに超常的な回復力を持つベートはこの上なく不気味だったが、俺もヤツカバネのブレスを真っ向から浴びて生還したので、本質は似たようなものかもしれない。

 俺はベートもトトも嫌悪している。同族嫌悪の類だ。
 
 バルド村の人たちは俺の生まれや俺の故郷を何も知らない。ドミラスでさえ、俺の菌糸能力を全て解明できていない。それと打って変わって、ベートたちだけは俺のことを知っている。他の人間は容赦なく殺そうとするのに、俺だけは殺さない。彼女たちが俺だけを特別扱いしてくるのも、同族、あるいは仲間だと認識しているからだ。

 そろそろ俺も、自分自身に向き合う時が来たのだろう。たとえ知りたくない事でも、聞かなければいけない。

 俺はカラカラに乾いた口を何度か湿らせた後、できるだけ声が震えないようにベートに問いかけた。

「なぁ、お前はさっき、俺が生み出された存在だって言ったよな。だったら、地球で過ごした俺の記憶はどうなる」
「なんだ、そんな事でずっと悩んでたの?」

 キン、と耳鳴りがして、乱れた長髪の隙間から冷淡な声がした。
 
「あなたは本物の浦敷良甫からコピーされたクローンだよ」
「……なんだ、それ」

 突拍子のないSFの話を放り込まれて、俺は混乱した。しかしその裏では、やっぱりかと冷静に納得する自分もいた。

 ベートは固まった俺に気分を良くしたようで、だんだんと早口になりながら長々と語り出した。

「より正確に言うと、トトと同じNoD――いえ、ホムンクルスって言った方が分かりやすいかな。人工的に作った身体に、博士の記憶とDNAを定着させたお人形さんなの。それってある意味で言えば博士の息子でしょ? しかもその記憶を植え付けたのはあたしだから、やっぱりあなたはあたしの子供ってことだよね。うふふ、改めて説明するとちょっと照れくさいかも!」

 恍惚とした表情で捲し立てられた内容は、要するに――。

「お前が……俺を作ったんだな。記憶も、この身体も」

 『博士』の息子。
 私と『博士』の間の子供。
 ベートの発言を組み合わせれば、自然とその結論に辿り着く。

「そう。最初に会った頃、記憶装置に入れてあげたでしょ? それと同じ方法で、あなたが目覚める前に、事前に博士の高校生の時の記憶を入れておいたの! 思春期って一番柔軟性があって扱いやすい時期だからって! でも途中までしか記憶を入れていないのにベアルドルフに邪魔されちゃったから、バルド村で君を回収した後に続きのデータと、わたしたち夫婦の思い出も入れておいたんだよ。ね、ね、あの記憶を入れてから、君も色々と思い出したんじゃない?」

 やたらと長い内容を咀嚼するまで、俺はかなりの時間を要した。

 要約すると、俺は『博士』公認のもとで、ベートによって作られたクローン。しかし森で目覚めた時、記憶の導入が中途半端だったせいで、俺はこの世界がゲームの模倣だと思い込んだ。それを修正するべく、ベートは俺を謎の施設へ攫って、欠如した記憶を補完させたらしい。
 
「けど……俺は何も思い出してない。あんたのことも、トトや俺が生み出された理由だって、今まで何も知らなかった。だからいきなりそんなことを言われても信じられないな」
「あれ? 自覚があると思ってた。じゃあテストしよっか」

 ベートは治ったばかりの足でもう一度立ち上がると、快活に問いかけてきた。
 
「ウラシキリョーホくん。あなたはこれまで何回死んだのかな?」

 砂漠に散らばった『俺』の死体と、大勢の『俺』が死ぬ瞬間が、一気に脳裏に流れ込む。

 俺はクローンだ。消耗品でいくらでも代わりが効く、道具でしかない。だからこの世界で何度も生まれて、何度も記憶を流し込まれて、何度も死んできた。

 こいつが『俺』を生み出す限り、俺は死ぬ。こいつが生きている限り、俺は死に切れない。

 この女が全ての元凶だ。

 その瞬間、俺はあらん限りの力で格子を殴りつけていた。目の前が真っ赤になって、フーフーと荒い息が食いしばった歯の隙間から聞こえる。

 今なら、この女を黙らせるためなら一線を越えられるという確信がある。先に格子を殴りつけて殺意を発散していなければ、靴底でベートの指を蹴り砕いていたかもしれない。

「あは? 怒った?」
「……いい加減にしろよ。お前の妄言を聞きに来たわけじゃないんだ!」
「図星だから怒ってるんでしょ?」

 チェシャ猫のような口元と相反して、ベートの瞳は賢人のように凪いでいる。俺は不覚にもその目に圧倒され、次に浮浪者じみたベートの佇まいを見て舌打ちをした。

 これまで何度自分が死んだのか。それは普通の人間であればまったく意味が通じない問いかけだが、俺は理解できてしまった。

 俺には、死んだ時の記憶がある。それは異世界転生でトラックに轢かれたとか、ホームから突き落とされたとかいうよくある話ではない。ゲームでボスに挑んでゲームオーバーを迎えた後に、またセーブポイントからやり直しているような話だ。

 しかも、その死んだ時の記憶というのが、全てシンビオワールドに関するものだった。俺はゲームの画面越しではなく、実際に一人称視点で、何度もドラゴンや人間に殺され、あるいは土砂崩れや地震といった不慮の事故で死んだ。
 
 少し前までは、一人称で繰り広げられる記憶も、ゲームで体験した思い出を美化しているだけだと思っていた。しかしドラゴンと戦ってそれなりに強くなった今なら、違うと断言できる。

 あれは実際に俺が体験した『死』だ。

 無数に積み上がった自分の死体の上に、今の俺は立っている。

 確信はあるのに理解が追いつかない。

 だって、そんなことはあってはならないだろう。死んだら勝手にリポップするのはゲームだけの話だ。生物ではない。そんなものが俺なわけがない。そんなものは偽物だ。

 たとえ『博士』のクローンだとしても、俺は偽物じゃない!

「素直に認めた方が楽だよ。君は何回も死んで、何度も生まれ変わってるの」
「黙れ!」

 ヒュン、と右手から太刀が出現しベートの首筋へ振るわれる。だがギリギリのところで踏みとどまり、俺は喉元に浅く食い込んだ太刀先を睨みながら荒く息を吐いた。

「……なんでだ。仮にお前が本当のことを言っていたとして、俺に死んだ記憶を植え付ける理由はなんなんだ?」
「そんなの、セーブと一緒だよ。君の大好きなゲームのセーブデータ」

 ベートは首にさらに刃が食い込むのを全く気にせず、俺の方へとにじり寄った。
 
「あなたは何度も死にながら、ドラゴンとの戦い方を覚えて、強くてニューゲームを繰り返してきたんだよ。ほら、君がシンビオワールドって呼んでるゲームがあるでしょ? あれは今の君が理解しやすいように、記憶をちょっといじってできた架空のゲームなんだよ」
「……は?」
「だーかーら、シンビオワールドなんていうゲームは存在しないの。あなたがゲームで学んだと思ってる記憶は全部、死んだ君から受け継いだ記憶なの!」

 つまり、シンビオワールドというゲームの中で、クエストに失敗して死んだ主人公は、俺なのか。

 この世界こそが本物で、シンビオワールドが偽物だった。

 ゲームで主人公が体験したものは、全て残機だった『俺』が体験したこと。

 だが、ゲームの中で俺は討滅者にまで成り上がったじゃないか。テララギの里から始まって、紛争も解決して、マガツヒを討伐してハッピーエンドを迎えた。あの一連の流れを、どうやって説明するのだ。

 ……いや、一度だけ、クエストを一度も失敗せずに、完璧にストーリーをやり通した週があった。その記憶だけははっきり覚えている。逆に、クエストを失敗した週の記憶は? その時のクエストの内容は? リテイク後の主人公の動きは?

 次々に違和感が山積していき、決定的な共通点が見つかる。それは、クエストを失敗した後のストーリーが、何一つ思い出せないということ。

 そんなもの、死んだとしか説明がつかないじゃないか。

「そんなはずない!」

 強く否定すると、ベートは可哀想なものでも見るかのように眉を顰めた。

「やっぱり、あの時ベアルドルフに邪魔されたせいで、ちょっとお馬鹿になってるのかな」
「黙れ!」

 喉が裂けんばかりに怒鳴り、格子を殴りつける。鉄製の格子は飴細工のように拳型にひしゃげてしまった。なおも殴りつけようとすると、背後からゼンの手が伸びてきて引き剥がされた。

「リョーホ、落ち着け」
「でも……でもこいつは、俺は!」
「大丈夫だ。混乱するのも無理はない。自分の呼吸に集中しろ」

 背中を撫でられて、俺は無様に引き攣った呼吸をどうにか落ち着かせた。だが腹の中は無数の虫が暴れているようで、何かしなければ発狂しそうだ。俺はゼンに押し留められながらも、泣きそうな顔でベートへ笑みを向けた。

「なぁ、おい、俺の故郷は、地球は今どうなってるんだ。俺を故郷に帰すって言ったよな? だったら地球は本物なんだよな!?」
「リョーホ。もう止めろ。今日はもう無理だ」
「頼むよ。これだけ聞かせてくれよ」

 ゼンに懇願しながら、俺は醜く汚れた女性を一心に見つめる。対してベートは、ひしゃげた格子に腕を引っ掛けるようにぶら下がりながら、長い髪の隙間で笑顔になった。

「ねぇ、本当に気づいてないの? 地球の記憶がある博士とわたしが、機械仕掛けの世界から来たんだから、君の故郷が今どうなったかなんて簡単に想像がつくでしょ?」
「そんなの、機械仕掛けの世界の向こうに残ってるだろ!」
「残ってるけど、あれこそ偽物だよ。だってあそこは電脳世界だから。わかる? バーチャル、仮想世界、全部データなの」

 ベートの言葉にゼンとミッサが息を呑む。パソコンやスマホを知らない彼らからすれば、ほとんど意味のわからない言葉の羅列だっただろう。辛うじて、仮想世界という単語から、機械仕掛けの世界の異常性に察しがついたかもしれない。

 だが、地球が残っているなら問題ない。データだろうがなんだろうが、俺の記憶は本物だった。

「皆は生きてるんだな。地球だって滅びてない。なら俺は帰れるんだろ!? だけど、じゃあなんで俺をこの世界に送り出したんだ。地球があるなら、わざわざ異世界に行かなくたってよかっただろ!?」
「だって身体が欲しかったから」
「はぁ!?」
「……身体がないって、どういうことだと思う?」

 ベートは突然声量を落とすと、完全に修復された右足を、寒さを凌ぐようにもう片方の足に擦り寄せた。
 
「老いることなく、空腹もなく、眠くもならないし、子供が作れないの。意識は生きていても、生物として破綻してるよ。新しいことなんか何も起きない。殺し合ってもバックアップがあればすぐに生き返る。ねぇ、それって生きている意味があるの? 外には身体があるのに、どうしてデータの中でしか生きていなきゃいけないの? 本来は私たちも身体を持っていたのに、どうして? 自分の身体を取り返すのって、すごく当然なことだと思わない?」

 あまりにも無垢な声色に、俺は言葉を失った。代わりに、黙って話を聞いていたゼンが拳を戦慄かせながら唸るように問い返した。
 
「たった……たったそれだけの理由で、この世界の人々を殺すのか?」
「ええ。けど全ては殺さない。身体を作る技術はあっても、全員分の身体はどう考えても作れないじゃない? だからあなたたちの魂を抜き取って、しばらくの間使わせてもらうの」
「他人の身体に入って生きるつもりか!? なぜそこまで!」
「生き返りたいからに決まってるじゃん。自分たちだけ生を独占して上から目線? これだから新人類は嫌なんだよね」

 目の前で嬉々として力説する女を見つめながら、俺は呆然とした。内臓が全て零れ落ちてしまったような、空虚な感覚に満たされ、目の前のものが皮に包まれたただの肉にしか見えなくなる。
 
「もういい。まともな話ができないなら、今ここで……」
「リョーホ。まだ殺すな」

 太刀を引こうとする腕を後ろから捕まれ、そのままゼンに取り押さえられる。一瞬だけこの男も切り殺してやろうかと残忍な意思が芽生えたが、そんなことより目の前の女だ。

「ゼンさん。離してください」
「まだ全ての目的を聞き出せていない。殺すのはもう少し後だ」
「でも、口を割らないなら時間の無駄だ! 生かしておくメリットもない!」
「……分かった」
「ちょっとゼン。なに考えてんだい!」

 すかさずミッサから咎められたが、ゼンは俺から目を話すことなくはっきりと言った。
 
「ただし殺すなら、素手でやれ。能力に逃げるな」

 ゆっくりと、しかし強い力で手元から太刀を奪われ、後に拳だけが残る。
 
 撲殺、という言葉があるように、人は繰り返し殴り続ければ死ぬ。死に至るまでかなりの時間と体力を要するだろう。首をへし折るか、頭だけを殴り続ければ、より効率的に命を奪うことが出来る。殴らずとも、ただ首を絞めるだけでも簡単に死ぬ。

 俺は目を見開いたまま、血で汚れたベートの首へ両手を伸ばした。指を絡め、親指で喉仏を押しつぶすように、殺意を込める。

「分かっていると思うが、ドラゴンを殺すのと、人間を殺すのは全く別だ。殺す動機を間違えれば、お前は羽虫を潰す程度の気軽さで人を殺すようになるぞ」
「こいつは、人間じゃない」
「形は人間だ。貴君も同じく、ヒトだ」

 力を入れているつもりだった。だが手は震えるだけで、骨を押しつぶすような感触もない。ベートの脈と体温が穏やかに掌を温めてくる。

「……くそ!」

 俺は乱暴に両手を引きはがすと、牢に背を向け、行き場のない憎悪を壁に叩きつけた。衝撃で裂けた手の甲から血が流れ、ぽたぽたと赤い雫が床を汚した。喉が焼けそうなほどの怒りと手の甲から伝わる毛羽立った痛みに、俺はどうしようもなく安堵してしまった。

「続きは吾輩が執り行う。貴君はゆっくり休むといい」
「……すみません」

 短く謝った後、そのまま逃げるように大股で外に出ていった。



 ・・・───・・・



「あーあ、もう少しだったのに」

 振り返りもせず去っていくリョーホの背に向けて、ベートは名残惜しそうに肩を落とした。太刀で薄く切られた首筋の傷はすでに修復されており、衣服に付着していた血液も蒸発するように消えている最中である。

 ゼンは手元から雪のように太刀が消えていくのを眺めながら、感情を押し殺してベートに問いかけた。
 
「貴様の能力は『催眠』、だったか。生かしておくのも危険そうだが、なぜ自ら死にに行くようなことをしたのだ」
「枷を外してあげようと思って」

 ベートは鎖を引きずりながら牢の奥へ戻ると、突き当りの壁をなぞりながら歌うように言った。
 
「一度人を殺すとね、大事な人の為なら誰でも殺せるようになるの」

 吐き気を催すほどの甘い香りが、洞窟の入口から吹き込む風で微かに薄れる。
 
「大事な人を守るためなら、人は世界すら敵に回せるんだよ」

 そう言って、ベートはリョーホに纏わり付かせていた『催眠』の匂いを消滅させた。

 甘い匂いが消えたことにミッサは安堵したが、同時にリョーホの精神力に驚嘆した。リョーホがベートに抱いた殺意は本心からくるものであり、それを『催眠』でさらに強化されたら、誰でも殺意に抗えないはずだった。だが彼は辛うじて残った理性で全て振り払い、ベートを殺さなかった。

「……狂ってると自覚してる奴は、苦労するねぇ」

 できれば後を追いかけて慰めたいが、今日ばかりは一人にした方が良い。ミッサはリョーホが去ったばかりの入り口を見つめてから、改めてベートに向き直った。

「さて、こっちの質問にも答えてもらおうかね。ベートとやら」

 ミッサは曲がった格子を握りしめながら、ベートを上から睥睨した。

「なぜ、うちのアンジュが救済者トトに仕立て上げられてるんだい?」
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