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3章
(26)反旗
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すぐ目の前で起きた現象を理解できず、アンリは呼吸も忘れてその場に崩れ落ちた。
どういうわけか、アンリの首筋に迫っていたはずのカトラスは、突然飛来してきた赤い閃光に弾かれ、そのまま爆散した。
爆音のせいでアンリの右耳が馬鹿になり、右の視界も赤黒く濁ってしまったが、まだ生きているらしい。眩暈と吐き気に見舞われながら爆散した方角を見ると、ついさっき捜索部隊の増援に向かったはずのミッサが、樹海の合間を飛び回るトトに向けて銃を乱射していた。
本気で何が起きているのか分からなかった。死ぬ前に見る都合の良い幻覚か。
「……リ、アンリ! 平気か!? おい!?」
現実逃避をしていると横から強く肩を揺さぶられた。瞬きをして息を吸い込むと、ようやく夢でも幻でもなく目の前の光景が現実なのだと悟った。アンリは何度も深呼吸を繰り返した後、肩を掴んだまま凄んでくる傷だらけの顔を見上げた。
「なにが起きたの……っていうか、なんでミッサがここにいるんだ。他の班はどうなってる!?」
「待て落ち着け。他の班はきっと大丈夫だ。ミッサがなんでここにいるかはおれも知らん!」
「知らないっておい……」
アンリは目を白黒させた後、樹海の隙間で激しい戦闘を繰り広げるミッサの背中を目で追いかけた。
捜索部隊から信号弾が出されてすぐ、ミッサは救援のためにこの場を去っていた。そのすぐ後にトトの襲撃を受けたのだから、あの状況でミッサがアンリの助けに入れるはずがない。
なにか見落としていたのか、とアンリはミッサが飛んでいった西の方角に目を向ける。すると、曇天の上に赤い火花のようなものが弾け、木片らしきものが燃え尽きるのが見えた。
「あれ……人形か?」
最初に見た時はミッサが飛んでいるものだと信じて疑わなかったが、あれは真っ赤な偽物だ。では、ミッサはダミーを飛ばしてまで、捜索部隊の方に自分が向かったと見せかけようとしたのか。
一体何のために。
──……考えるまでもない。トトをここに誘き出すためだ。
「くそ、またこのパターンか!」
アンリは忌々し気に毒吐くと、アークの肩に手を乗せて勢いよく立ち上がった。
エラムラの里で味わったばかりの策謀の気配だ。通例よりかなり少ない人数のまま強行されたヤツカバネ討伐。狩人としてまだ未熟なリョーホとエトロを、何故か最も危険な捜索部隊にねじ込む不自然さ。
敵を騙すにはまず味方から。まるで計画を考え付いた主犯の性格の悪さがにじみ出てくるようである。
しかしまだ納得できない。ミッサとトトをぶつけて、あの男は一体何をしようとしているのか。
アンリはミッサの菌糸能力に巻き込まれないように後退しながら、狼狽しているアークの腕を引いて叱咤した。
「ここはミッサに任せて、俺たちは仕事に戻るよ」
「し、仕事だぁ? まさかこんな状況でまだ塔を作る気かよ!?」
「敵はトトだけじゃないんだ。だろ?」
アークは大きく生唾を飲み込むと、気の抜けた目に鋭い光を宿しながら頷いた。
「なら俺は第二班の面倒を見てくるぜ。第一班は頼んだぜ、リーダーさんよ」
「うん。ミッサに巻き込まれないように気を付けなよ」
互いに強く肩を叩きながらすれ違い、アンリは逃げ惑っている建築士たちの方へ走り出した。
考えれば考えるほど、ヤツカバネ討伐がきな臭くなってくる。
エラムラ防衛線の時、エトロはレオハニーに言われてリョーホを利用しようとしたと言っていた。それは言い換えれば、レオハニーがエトロを操ったようにも見える。そして今回の作戦も、リョーホが自主的にメンバーを集めて討伐隊が編成されたが、その後押しをしたのはドミラスだった。この二つの策謀はどことなく似通った部分があり、しかも予言書に深く関わっているように思えてならない。
レオハニーもドミラスも、皆に隠して一体何をしようとしているのか。
アンリは不穏なものを感じながら、まずは目の前のことに集中することにした。
・・・―――・・・
落獣のミッサは、死闘を楽しむためだけに狩人になった。他の狩人がドラゴンの素材に目を輝かせ、英雄譚と同じ活躍と功績を求めるのをしり目に、数々のドラゴンを斬って斬って斬りまくる毎日だった。強いドラゴンの噂を聞きつければ戦いを挑み、スタンピードがあればどんなに遠い場所だろうと必ず参戦した。
獣のように獲物を屠り続けるミッサを見て、誰かが彼女を獣に落ちた人間だと揶揄し始めた。それを皮切りにミッサに対する周囲の目は侮蔑と畏怖に満ちたものとなり、落獣という、蔑称に近い二つ名で呼ばれるようになった。
いくら有名になったところで、ミッサは常に一人だった。
ミッサの菌糸能力である『焔爆』は、広範囲に爆発を引き起こすため、頻繁に誰かが巻き込まれた。スタンピードの際には「ドラゴンより落獣に警戒しろ」とギルドからお触れが出るほど、彼女の被害に遭った狩人は数知れない。時には顔を焼かれた腹いせに闇討ち紛いのこともされた。
ドラゴンを殺していながら、どこに行っても嫌厭されるミッサは、それでも孤独を感じたことはなかった。生まれた時から両親はドラゴンに夢中で子供に無関心であり、旅の最中に娘がいなくなっても探し出そうとすらしないろくでなしだった。森の中で孤立し、いよいよドラゴンに食い殺されそうになった時、ミッサはようやく自分の身は自分にしか守れないのだと悟った。
だからこそ、ミッサは徒党を組まねばドラゴンを倒せない他の狩人を見下し、自分から歩み寄ることすらしなかった。『焔爆』の範囲を絞らなかったのも、避けられず巻き込まれる弱者に責任があると心の底から思っていたのだ。
そのように唯我独尊を突き進むミッサの道を、ある日力づくで捻じ曲げてきた男がいた。
男の名はハインキー。上位ドラゴンの突進を真っ向から受け止め、スタンピードの渦中から無傷で帰ってきたという風聞から、堅牢の二つ名を与えられた人だった。
ファーストコンタクトは無茶苦茶だった。いつものように周囲の被害を省みず、手当たり次第にドラゴンをぶっ飛ばしていたら、突然ハインキーに背負い投げを食らい、逆上したミッサと殴り合いになったのだ。堅牢という異名を持つだけあり、ハインキーはいくら殴りつけても平然とし、のけ反るどころかミッサの顔に強烈なアッパーカットを決めてきた。人体の弱点を理解した的確なパンチにより、ミッサの意識は一発で消えた。
その日、初めてミッサは敗北を知った。
敵を前に気絶するのは死と同義。一度疑似的な死を味わったミッサは、心を入れ替えるどころか別人のような謙虚さでハインキーの隣を歩くようになった。お前の仲間にしろといきなり言い出したミッサをハインキーは快く受け入れ、これまで彼女が学ぶことのなかった常識を根気よく丁寧に教えてくれた。
ミッサはハインキーから教えられる常識に耳を傾けながら、心の奥では半信半疑だった。人が人と手を組み戦うのは、弱者が強者に戦うための賢い方法であること。種を撒くように人を慈しめば、いずれ大きな果実が実ってくれること。一人で生きてきたミッサにはどれも無縁な話だったが、三年、五年とハインキーの常識に従って過ごしている間に、ミッサの見る世界は劇的に変わった。
落獣という異名は、数年前までは確かに蔑称でもあった。しかし今となっては、飛ぶ鳥を落とす勢いという賞賛の意味を持って、落獣のミッサはあらゆる狩人から親しまれるようになったのだ。
あのままハインキーに会うことがなくとも、ミッサは一人で生きて行けただろう。その果てにドラゴンに殺されたとしても、悔いはなかったに違いない。だが、ハインキーが見せてくれた可能性を知ってしまったからには、それ以外の生きる道を考えられなかった。ミッサにとってハインキーは人生を変えてくれた大恩人そのものだ。
その大恩人を、くだらない策を弄してヤツカバネに食わせた張本人が、ようやくミッサの目の前に現れた。冷静でいるのは当然至難である。ましてや相手がこれまでの相手と比較にならぬ極上の獲物とあれば、ミッサの理性はほとんど残らなかった。
ヤツカバネのために用意した建築途中の塔を破壊しようが、仲間が下で逃げ惑っていようが、ミッサはわき目も振らずに暴れ回った。
「予言書だの未来だのどうでもいいさ。わたしはね、ずっとあんたをぶっ殺してみたかったのさぁ!」
獲物を前にした猛獣の形相で、ミッサは高冠樹海を飛び回るトトを追い掛ける。トトは忍者のような身のこなしで木の陰に入るが、ミッサは爆風を使って強引に空を飛んでいた。
「あっははははは! そらそらそらァ!」
ミッサの散弾銃が唸るたび、直径三メートルの巨木がへし折れる。弾は無軌道かと思えば曲線を描き、直線に進んだと思えば突然鋭角に折れたりと、物理法則を無視した滅茶苦茶なものだった。
トトはそれら全てを平然と目で追っており、爆風に髪を靡かせながら回避し続けていた。
「へぇ! アンタ、そこいらのドラゴンよりは勘がいいみたいだね!」
「一つ訂正。勘じゃなくて、全部見えてる」
耽美な声が返事をすると、ミッサが放った弾丸が不自然な場所で何かに衝突した。
不可視の斬撃に見えるそれは、空中に停滞したトトの攻撃だ。彼女はどういうわけか、地雷のように任意の空間に攻撃を置き、そこを通り過ぎたものを切り刻む力を持っているらしい。
トトが地雷を仕掛ける際、僅かにだが、一瞬だけカトラスが眩く光る。視力に特化したミッサですら注意しなければ見逃してしまうほどの光だ。アンリが反応できなかったのも当然である。
しかし、あの光は武器に仕込まれた菌糸能力であって、トト本来の菌糸能力ではない。まだまだ隠し玉があるのだと思うと、ミッサのやる気は俄然湧いてきた。この木に及んでなぜトトが反撃に転じないかは少し引っかかるが、相手に策があるのならそれを見てみたい。
ミッサは舌なめずりをしながら目を凝らすと、ショットガンの照準をトトの背中に合わせた。
ガァン! と騒音を上げながら、弾丸は弧を描きながらトトを追尾する。すると射線上に設置されていた地雷に触れたか、トトから数メートル離れた場所で爆炎を散らすに終わった。その時、薄っすらと炎に炙られた空気の中に歪な斬撃の形が浮かび上がる。
「そこッ!」
ギラギラと目を輝かせながらミッサは再び引き金を引く。飛来した弾丸はトトの地雷を避けながら、今度こそ彼女の背中で爆裂した。
手応えはある。ただ、この程度で終わるわけがない。菌糸能力で新しい薬莢を生成しながら、ミッサは付近の枝に着地した。
ぐるりと周囲を見渡すと、ミッサが暴れ回った道だけ焼け焦げ、倒れた木がまた別の木を倒して酷い有様になっていた。何人かはきっと巻き込まれただろうが、ヤツカバネ討伐に参加する狩人なら死ぬこともないだろう。
静寂を取り戻した森の中でミッサは意識を研ぎ澄ませるが、トトの気配はどこにもない。着弾地点に遺体がないのは確認済み。そこから逃げた痕跡を探すが、地面や枝に足跡は残っていない。
「瞬間移動だとしたら、空間移動系かい? まあまあ厄介だね」
あれだけカトラスの菌糸能力を使いこなせるのなら、トトの能力も空間に関わるものなのは間違いない。武器の菌糸能力は持ち主と違っていても使うことは可能だが、相性が悪ければ能力の行使にかなりのラグが発生するのだ。
ミッサのショットガンも、自分の菌糸を織り込んで作った特注品だ。同じ菌糸を使っているおかげで、いちいち弾を込め直さずとも弾倉の中に生成できるようになっている。
だが、ミッサの弾丸も無尽蔵ではない。数を重ねるごとに生成速度が落ち、やがて弾の数が一定数を超えると睡眠を取るまで生成できなくなる。長丁場を好むミッサだが、能力的には長期戦に向かないのだ。調子に乗って遊び過ぎたので、そろそろトトを見つけて仕留めたいのだが。
――考えるなんて慣れない頭の使い方をしたせいか。ミッサは後方から迫り来るトトのカトラスの気づくのが一瞬遅れた。
振り返りざまにショットガンの銃身で、カトラスの兜割を受け止めた。ギャリギャリと耳障りな音を立てながら武器同士が鎬を削る。カトラスを両手で握り込むトトの顔は、腕に込められた力とは裏腹に虚無を極めていた。
「あんた、やっぱり殺意がないね。死体の相手をしてる気分になってくるよ」
「……死体と戦ったこと、ある?」
「そういう揚げ足取りは嫌いだね!」
ミッサはショットガンを右肩に担ぐようにしながらカトラスを斜めに滑らせると、左手をトトの顔面へ突きつけた。
「爆ぜな!」
左手の中で太陽を濃縮したような光が丸まり、トトの身体が紙きれのように吹き飛ぶ。しかし直撃は免れたらしく、トトは無傷の顔をミッサに向けながら空中でくるりと体勢を立て直した。ふわり、と祭服じみた美しいドレスを広げながら着地するトトに、ミッサは左人差し指の煙を吹き払いながら眉を顰めた。
「ふぅん。こうなると、いよいよ人外じみてきたね……全く」
ミッサのショットガンはあくまで『焔爆』の能力を遠くへ飛ばすための媒介だ。そのため武器を使わなくとも、菌糸を集中させれば指先からでも『焔爆』を飛ばすことができる。今のは完全にトトの不意を突けたと思ったのだが、相手の方がまだ一枚上手だったようだ。
トトは着地の際に曲げていた足をゆっくりと延ばし、重心を斜め後ろへふらつかせた。同時に、トトのカトラスが不吉な光を明滅させる。
「来るかい」
咄嗟に弾丸を放つと、なんと銃口から顔を出した瞬間に自爆した。いつの間に仕掛けたのか、トトの地雷が銃口の入口を塞いでいたのだ。
予想外の爆発だが、自分の菌糸で作られた炎のためミッサにはかすり傷一つない。しかし、ミッサの視界を覆い隠すには十分な煙幕が生み出されてしまった。
「――っ!」
ミッサが敵の狙いを察した時には、すでにトトに間合いを詰められており、鳩尾に向けて痛烈な蹴りが放たれた。抉るように捻られた爪先がミッサの巨体を軽々と打ち上げ、さらにその先に仕掛けられていた地雷がミッサの背中に直撃する。
トトの持つカトラスは、自分が通った道だけでなく、遠い場所にまで斬撃を設置できるらしい。トトの近くにしか地雷はないと思い込んでいたミッサは、背中が深々と削られていくのを感じながら顔を顰めた。次の地雷を設置されるのを防ぐべく、ミッサは血を吐きながら周囲に弾丸をばらまき、周囲を炎で包み込む。
それから両足でしっかりと落下の衝撃を受け止めたが、右肩から左脇にかけて激しい痛みが駆け巡った。空中に蹴り出される前に身を捩っていたおかげで、なんとか胴体が真っ二つにされずに済んだものの、この傷を負っては不利にならざるを得ない。
「あーあ、油断しちまった」
ミッサは周囲を包み込む爆炎に軽く咽ながら、外套の一部を破り手早く止血した。そこから少し離れた場所に優雅に降り立ったトトは、ミッサの姿を見て声のトーンを落とした。
「まだ立てるの」
「かなーり痛いよ。おかげでますます楽しくなってきたがね!」
ミッサはショットガンを天へ向けると、二発の弾丸を同時に発射させた。トトは蒼天へ飛翔した弾丸を無表情に眺め、その数秒後、微かに目を剥く羽目になった。
曇天に吸い込まれた二つの弾丸は螺旋を描きながら徐々に速度を落としていくと、腹を殴りつけるような爆音を轟かせながら爆散した。爆風が樹海の梢を揺らし、遅れて大量の火花が周囲に降り注ぐ。それは雲の表面を夕陽に染めるほどに眩く、隕石の雨を連想するほどの壮絶さだった。
ミッサは物事を考えるのが苦手である。戦略的に思える彼女の行動は全て直感で選ばれたものであり、戦いに勝つためなら周囲の被害もなんのその。トトとの距離に関係なく不可視の地雷が置かれるのなら、見えるように炎を絶やさねば良い。仲間すら焼き殺しかけない攻略法を実行したミッサは、鮮やかに燃える森と空に高笑いをした。
「アッハッハッハ! もっともっと、盛大な花火をあげなきゃねぇ!」
大きく足を開き、重心を落とす。そして銃口を己の背後に向けながら、ミッサは『焔爆』を解き放った。
爆風で加速したミッサは放物線を描きながらトトの頭上へ回り込み、残弾の危惧もかなぐり捨てて引き金を引きまくる。連続で発射された弾丸は着弾と同時に三半規管を揺さぶるほどの爆発を叩きだし、トトの姿をあっという間に灼熱の渦へ飲み込んでいく。
対するトトは斬撃の地雷で防御壁を作るが、無軌道に動き回る弾道全てを防ぎきることはできず、だんだんと美しい祭服が炎に削り取られていく。
「──っ」
ついにトトの表情に焦りが見え、地雷の壁に穴が開く。ミッサは拳一つ分の穴に照準を定めると、笑うような息を吐きながら狙撃した。
銃弾がトトの頭に直撃し、スイカが砕ける音がする。
「ヒット!」
呟いた瞬間、弾は頭蓋の傷口から閃光を迸らせ、数秒後に大爆発を引き起こした。炎の渦の中心で発生した爆風は酸素を軽々と吹き飛ばし、煌々とそそり立った火柱を全て打ち消していく。
血と煙が晴れた時、トトが立っていた場所には人型の焦げ跡だけが刻まれていた。
ほう、とミッサが息を吐くと、燃え盛る樹海からぱちぱちと弾ける音が耳に流れ込んできた。見渡してみれば、上位ドラゴンすら覆い隠してしまうほどの鬱蒼とした葉が全て燃え尽き、巨大な幹が燃え盛るでいだらぼっちのように立ち並んでいた。次期に幹の内側も炎に焼かれ、すべて灰となって崩れ去るだろう。
ハインキーが見たら半殺しにされかねない大惨事だが、建築部隊の連中はどうせ無事だろう。察しの良いアンリが真っ先に動き出していたから、残されたヤツカバネ討伐に支障が出るわけがない。早いところ自分も放置した部隊に戻ってやらねば。
ミッサは痛む脇腹をさすりながら、大股で建築部隊のいる方向へ歩き出した。
──じゃり、と遠い場所から足音がする。死に損なった亡霊が、まるで生者に縋りつこうとしているようだった。
「……ま、そう簡単にやられちゃあくれないさね」
薬莢を吐きながらミッサはほくそ笑み、後方を振り返らずに引き金を引く。
真後ろへ飛翔した弾丸は、ミッサの背後にいたトトを正確に打ち抜いた。血が飛び散り、肉が砕ける音がする。だがトトは上半身を大きくのけ反らせただけで倒れない。しかも、糸で編み込むようにして頭部が修復され、ものの三秒で美しい顔が頭蓋に収まった。
人間ではありえない再生速度。ドラゴンですら、失った部位を高速で再生させるほどの治癒力はない。リョーホの『雷光』も似たような力だが、トトの場合はそれとも少し違うように見えた。
いくら攻撃を与えてもすぐに治ってしまうのなら、いくらミッサでもお手上げだ。殺し続ければいつかは限界を迎えて死ぬかもしれないが、それに付き合ってやる時間もなければ余裕もない。ミッサの弾丸生成力も残り僅かで、そろそろ捜索部隊がヤツカバネを連れて戻ってくる。
ミッサとしてはまだまだ戦っていても構わないのだが、ハインキーを助ける前に死んでは元も子もない。ため息を吐いてしぶしぶ諦めると、ミッサはその代わりにやたらと綺麗な顔で見つめてくるトトへ笑いかけた。
「救済者様ってのは、神に愛されてるもんなのかね?」
「神様なんていない。あるのは事実だけ」
トトは片手でカトラスを回すと、その剣先をミッサの顔へ向けた。
「あなたは私に勝てない。予言の通り、ヤツカバネの討伐は失敗する。そして世界もまた機械仕掛けのものになる。そういう決まり」
ミッサは大きく息を吸い込んで色々言いたいことを飲み込むと、代わりに憐憫のこもった眼差しになった。
「あんた、つまんない子だねぇ」
そして弾丸でカトラスを弾き、地雷を避けながら一気に距離を詰める。
「負けると悟った人間はみんな、戦うのを諦めるか、無謀な戦いを仕掛けるかだった。――あなたは、無謀な方?」
もう少しでミッサの素手の間合いに入る。その寸前、トトの斜め左からカトラスが瞬き、ミッサの伸ばした手を切り飛ばした。ミッサは構わず左手のショットガンで殴りかかるが、それもカトラスで難なく防がれた。
先ほどと明らかに動きが違う。まるでこちらの攻撃を先読みしているようだ。このような戦い方をする狩人と、ミッサはかつて手合わせしたことがある。もう少しで思い出せそうなのに、激痛と戦闘で刺激されたアドレナリンに呑まれて頭が働かない。
ミッサは至近距離でトトと視線を交わす。その時、赤い瞳に菌糸模様じみた模様が浮かんでいるのを見て、ようやく彼女が誰なのかを悟った。
目の前にいる美しい女性は、あの子だ。
即座にミッサはショットガンを捨てると、足でカトラスの柄を蹴り飛ばしながら左手をトトに突きつけた。
だがその手も『焔爆』を宿す前に、トトの地雷に触れて遥か上空に吹き飛んでしまう。
両腕を失い、ミッサは敵前で無防備に胴体を曝け出す。トトは無表情のままカトラスを瞬かせると、無数の地雷の中へミッサを吹き飛ばした。
不可視の斬撃の雨に全身を穿たれ、ミッサは一瞬で血だるまになる。伸ばしていた銀髪が細切れになり、傷口の上に重ねるように新たな傷が刻まれ、腕で庇った顔以外はズタズタだ。
雨が止み、地面に放り出されたミッサは赤く染まった視界でトトを探した。数秒ほどして、顔の横にトトの足が降りてくる。
「……生きてるね」
「……はは、は、わたしも驚いたよ」
切り落とされた手首からは血がだくだくと流れ、全身の深い傷から絶え間なく熱が奪われていく。もう間もなく死ぬだろうが、数秒の猶予が残されているだけでも奇跡である。
ミッサが喘鳴混じりに笑いかけると、トトは血に霞む視界の奥で顔を俯けた。
「一人では無謀だと分かっていたはず。なぜ、逃げなかったの」
それまで無感動だったトトの声に、人間らしい色合いが感じられた気がした。血で目の前が見えないから、都合よく聞こえているだけかもしれないが、問いの内容だけで十分あの子がまだ生きていると伝わってくる。それなら、自分の選択も間違っていなかったとミッサは笑った。
「確かに……わたしは、無謀だったかもね……けど、一人でないなら……きっと違うさ」
はぁ、とため息のような、満足そうな息を吐いてミッサは空を見上げる。あの分厚い曇天は居座るばかりで、いつまでたっても雨を降らせようとしない。それが癪で堪らなかったが、青空より眩しくはないと瞼を降ろした。
「ミッサ!」
アンリの鋭い声が名を呼ぶ。沈みかけた意識が急浮上し、閉じたばかりの瞳が開かれた。瞬間、トトの足元に風を纏った矢が突き刺さる。
「どこを狙って――」
トトが瞬きをした一瞬、矢じりが刺さった場所から氷が発生し、無数の槍を携えて牙を剥いた。そのうちの一本がトトの足を貫くが、超越した再生力を持つトトは自ら足を切り落とし、カトラスで氷を撃ち砕いた。
氷が砕け、潮騒のような飛沫がトトの視界を覆い隠した刹那──。
『ヒュルルルル――』
ヤツカバネの笛のような鳴き声と共に、周囲一帯が透明な膜に包み込まれ、真っ黒に融解した。
どういうわけか、アンリの首筋に迫っていたはずのカトラスは、突然飛来してきた赤い閃光に弾かれ、そのまま爆散した。
爆音のせいでアンリの右耳が馬鹿になり、右の視界も赤黒く濁ってしまったが、まだ生きているらしい。眩暈と吐き気に見舞われながら爆散した方角を見ると、ついさっき捜索部隊の増援に向かったはずのミッサが、樹海の合間を飛び回るトトに向けて銃を乱射していた。
本気で何が起きているのか分からなかった。死ぬ前に見る都合の良い幻覚か。
「……リ、アンリ! 平気か!? おい!?」
現実逃避をしていると横から強く肩を揺さぶられた。瞬きをして息を吸い込むと、ようやく夢でも幻でもなく目の前の光景が現実なのだと悟った。アンリは何度も深呼吸を繰り返した後、肩を掴んだまま凄んでくる傷だらけの顔を見上げた。
「なにが起きたの……っていうか、なんでミッサがここにいるんだ。他の班はどうなってる!?」
「待て落ち着け。他の班はきっと大丈夫だ。ミッサがなんでここにいるかはおれも知らん!」
「知らないっておい……」
アンリは目を白黒させた後、樹海の隙間で激しい戦闘を繰り広げるミッサの背中を目で追いかけた。
捜索部隊から信号弾が出されてすぐ、ミッサは救援のためにこの場を去っていた。そのすぐ後にトトの襲撃を受けたのだから、あの状況でミッサがアンリの助けに入れるはずがない。
なにか見落としていたのか、とアンリはミッサが飛んでいった西の方角に目を向ける。すると、曇天の上に赤い火花のようなものが弾け、木片らしきものが燃え尽きるのが見えた。
「あれ……人形か?」
最初に見た時はミッサが飛んでいるものだと信じて疑わなかったが、あれは真っ赤な偽物だ。では、ミッサはダミーを飛ばしてまで、捜索部隊の方に自分が向かったと見せかけようとしたのか。
一体何のために。
──……考えるまでもない。トトをここに誘き出すためだ。
「くそ、またこのパターンか!」
アンリは忌々し気に毒吐くと、アークの肩に手を乗せて勢いよく立ち上がった。
エラムラの里で味わったばかりの策謀の気配だ。通例よりかなり少ない人数のまま強行されたヤツカバネ討伐。狩人としてまだ未熟なリョーホとエトロを、何故か最も危険な捜索部隊にねじ込む不自然さ。
敵を騙すにはまず味方から。まるで計画を考え付いた主犯の性格の悪さがにじみ出てくるようである。
しかしまだ納得できない。ミッサとトトをぶつけて、あの男は一体何をしようとしているのか。
アンリはミッサの菌糸能力に巻き込まれないように後退しながら、狼狽しているアークの腕を引いて叱咤した。
「ここはミッサに任せて、俺たちは仕事に戻るよ」
「し、仕事だぁ? まさかこんな状況でまだ塔を作る気かよ!?」
「敵はトトだけじゃないんだ。だろ?」
アークは大きく生唾を飲み込むと、気の抜けた目に鋭い光を宿しながら頷いた。
「なら俺は第二班の面倒を見てくるぜ。第一班は頼んだぜ、リーダーさんよ」
「うん。ミッサに巻き込まれないように気を付けなよ」
互いに強く肩を叩きながらすれ違い、アンリは逃げ惑っている建築士たちの方へ走り出した。
考えれば考えるほど、ヤツカバネ討伐がきな臭くなってくる。
エラムラ防衛線の時、エトロはレオハニーに言われてリョーホを利用しようとしたと言っていた。それは言い換えれば、レオハニーがエトロを操ったようにも見える。そして今回の作戦も、リョーホが自主的にメンバーを集めて討伐隊が編成されたが、その後押しをしたのはドミラスだった。この二つの策謀はどことなく似通った部分があり、しかも予言書に深く関わっているように思えてならない。
レオハニーもドミラスも、皆に隠して一体何をしようとしているのか。
アンリは不穏なものを感じながら、まずは目の前のことに集中することにした。
・・・―――・・・
落獣のミッサは、死闘を楽しむためだけに狩人になった。他の狩人がドラゴンの素材に目を輝かせ、英雄譚と同じ活躍と功績を求めるのをしり目に、数々のドラゴンを斬って斬って斬りまくる毎日だった。強いドラゴンの噂を聞きつければ戦いを挑み、スタンピードがあればどんなに遠い場所だろうと必ず参戦した。
獣のように獲物を屠り続けるミッサを見て、誰かが彼女を獣に落ちた人間だと揶揄し始めた。それを皮切りにミッサに対する周囲の目は侮蔑と畏怖に満ちたものとなり、落獣という、蔑称に近い二つ名で呼ばれるようになった。
いくら有名になったところで、ミッサは常に一人だった。
ミッサの菌糸能力である『焔爆』は、広範囲に爆発を引き起こすため、頻繁に誰かが巻き込まれた。スタンピードの際には「ドラゴンより落獣に警戒しろ」とギルドからお触れが出るほど、彼女の被害に遭った狩人は数知れない。時には顔を焼かれた腹いせに闇討ち紛いのこともされた。
ドラゴンを殺していながら、どこに行っても嫌厭されるミッサは、それでも孤独を感じたことはなかった。生まれた時から両親はドラゴンに夢中で子供に無関心であり、旅の最中に娘がいなくなっても探し出そうとすらしないろくでなしだった。森の中で孤立し、いよいよドラゴンに食い殺されそうになった時、ミッサはようやく自分の身は自分にしか守れないのだと悟った。
だからこそ、ミッサは徒党を組まねばドラゴンを倒せない他の狩人を見下し、自分から歩み寄ることすらしなかった。『焔爆』の範囲を絞らなかったのも、避けられず巻き込まれる弱者に責任があると心の底から思っていたのだ。
そのように唯我独尊を突き進むミッサの道を、ある日力づくで捻じ曲げてきた男がいた。
男の名はハインキー。上位ドラゴンの突進を真っ向から受け止め、スタンピードの渦中から無傷で帰ってきたという風聞から、堅牢の二つ名を与えられた人だった。
ファーストコンタクトは無茶苦茶だった。いつものように周囲の被害を省みず、手当たり次第にドラゴンをぶっ飛ばしていたら、突然ハインキーに背負い投げを食らい、逆上したミッサと殴り合いになったのだ。堅牢という異名を持つだけあり、ハインキーはいくら殴りつけても平然とし、のけ反るどころかミッサの顔に強烈なアッパーカットを決めてきた。人体の弱点を理解した的確なパンチにより、ミッサの意識は一発で消えた。
その日、初めてミッサは敗北を知った。
敵を前に気絶するのは死と同義。一度疑似的な死を味わったミッサは、心を入れ替えるどころか別人のような謙虚さでハインキーの隣を歩くようになった。お前の仲間にしろといきなり言い出したミッサをハインキーは快く受け入れ、これまで彼女が学ぶことのなかった常識を根気よく丁寧に教えてくれた。
ミッサはハインキーから教えられる常識に耳を傾けながら、心の奥では半信半疑だった。人が人と手を組み戦うのは、弱者が強者に戦うための賢い方法であること。種を撒くように人を慈しめば、いずれ大きな果実が実ってくれること。一人で生きてきたミッサにはどれも無縁な話だったが、三年、五年とハインキーの常識に従って過ごしている間に、ミッサの見る世界は劇的に変わった。
落獣という異名は、数年前までは確かに蔑称でもあった。しかし今となっては、飛ぶ鳥を落とす勢いという賞賛の意味を持って、落獣のミッサはあらゆる狩人から親しまれるようになったのだ。
あのままハインキーに会うことがなくとも、ミッサは一人で生きて行けただろう。その果てにドラゴンに殺されたとしても、悔いはなかったに違いない。だが、ハインキーが見せてくれた可能性を知ってしまったからには、それ以外の生きる道を考えられなかった。ミッサにとってハインキーは人生を変えてくれた大恩人そのものだ。
その大恩人を、くだらない策を弄してヤツカバネに食わせた張本人が、ようやくミッサの目の前に現れた。冷静でいるのは当然至難である。ましてや相手がこれまでの相手と比較にならぬ極上の獲物とあれば、ミッサの理性はほとんど残らなかった。
ヤツカバネのために用意した建築途中の塔を破壊しようが、仲間が下で逃げ惑っていようが、ミッサはわき目も振らずに暴れ回った。
「予言書だの未来だのどうでもいいさ。わたしはね、ずっとあんたをぶっ殺してみたかったのさぁ!」
獲物を前にした猛獣の形相で、ミッサは高冠樹海を飛び回るトトを追い掛ける。トトは忍者のような身のこなしで木の陰に入るが、ミッサは爆風を使って強引に空を飛んでいた。
「あっははははは! そらそらそらァ!」
ミッサの散弾銃が唸るたび、直径三メートルの巨木がへし折れる。弾は無軌道かと思えば曲線を描き、直線に進んだと思えば突然鋭角に折れたりと、物理法則を無視した滅茶苦茶なものだった。
トトはそれら全てを平然と目で追っており、爆風に髪を靡かせながら回避し続けていた。
「へぇ! アンタ、そこいらのドラゴンよりは勘がいいみたいだね!」
「一つ訂正。勘じゃなくて、全部見えてる」
耽美な声が返事をすると、ミッサが放った弾丸が不自然な場所で何かに衝突した。
不可視の斬撃に見えるそれは、空中に停滞したトトの攻撃だ。彼女はどういうわけか、地雷のように任意の空間に攻撃を置き、そこを通り過ぎたものを切り刻む力を持っているらしい。
トトが地雷を仕掛ける際、僅かにだが、一瞬だけカトラスが眩く光る。視力に特化したミッサですら注意しなければ見逃してしまうほどの光だ。アンリが反応できなかったのも当然である。
しかし、あの光は武器に仕込まれた菌糸能力であって、トト本来の菌糸能力ではない。まだまだ隠し玉があるのだと思うと、ミッサのやる気は俄然湧いてきた。この木に及んでなぜトトが反撃に転じないかは少し引っかかるが、相手に策があるのならそれを見てみたい。
ミッサは舌なめずりをしながら目を凝らすと、ショットガンの照準をトトの背中に合わせた。
ガァン! と騒音を上げながら、弾丸は弧を描きながらトトを追尾する。すると射線上に設置されていた地雷に触れたか、トトから数メートル離れた場所で爆炎を散らすに終わった。その時、薄っすらと炎に炙られた空気の中に歪な斬撃の形が浮かび上がる。
「そこッ!」
ギラギラと目を輝かせながらミッサは再び引き金を引く。飛来した弾丸はトトの地雷を避けながら、今度こそ彼女の背中で爆裂した。
手応えはある。ただ、この程度で終わるわけがない。菌糸能力で新しい薬莢を生成しながら、ミッサは付近の枝に着地した。
ぐるりと周囲を見渡すと、ミッサが暴れ回った道だけ焼け焦げ、倒れた木がまた別の木を倒して酷い有様になっていた。何人かはきっと巻き込まれただろうが、ヤツカバネ討伐に参加する狩人なら死ぬこともないだろう。
静寂を取り戻した森の中でミッサは意識を研ぎ澄ませるが、トトの気配はどこにもない。着弾地点に遺体がないのは確認済み。そこから逃げた痕跡を探すが、地面や枝に足跡は残っていない。
「瞬間移動だとしたら、空間移動系かい? まあまあ厄介だね」
あれだけカトラスの菌糸能力を使いこなせるのなら、トトの能力も空間に関わるものなのは間違いない。武器の菌糸能力は持ち主と違っていても使うことは可能だが、相性が悪ければ能力の行使にかなりのラグが発生するのだ。
ミッサのショットガンも、自分の菌糸を織り込んで作った特注品だ。同じ菌糸を使っているおかげで、いちいち弾を込め直さずとも弾倉の中に生成できるようになっている。
だが、ミッサの弾丸も無尽蔵ではない。数を重ねるごとに生成速度が落ち、やがて弾の数が一定数を超えると睡眠を取るまで生成できなくなる。長丁場を好むミッサだが、能力的には長期戦に向かないのだ。調子に乗って遊び過ぎたので、そろそろトトを見つけて仕留めたいのだが。
――考えるなんて慣れない頭の使い方をしたせいか。ミッサは後方から迫り来るトトのカトラスの気づくのが一瞬遅れた。
振り返りざまにショットガンの銃身で、カトラスの兜割を受け止めた。ギャリギャリと耳障りな音を立てながら武器同士が鎬を削る。カトラスを両手で握り込むトトの顔は、腕に込められた力とは裏腹に虚無を極めていた。
「あんた、やっぱり殺意がないね。死体の相手をしてる気分になってくるよ」
「……死体と戦ったこと、ある?」
「そういう揚げ足取りは嫌いだね!」
ミッサはショットガンを右肩に担ぐようにしながらカトラスを斜めに滑らせると、左手をトトの顔面へ突きつけた。
「爆ぜな!」
左手の中で太陽を濃縮したような光が丸まり、トトの身体が紙きれのように吹き飛ぶ。しかし直撃は免れたらしく、トトは無傷の顔をミッサに向けながら空中でくるりと体勢を立て直した。ふわり、と祭服じみた美しいドレスを広げながら着地するトトに、ミッサは左人差し指の煙を吹き払いながら眉を顰めた。
「ふぅん。こうなると、いよいよ人外じみてきたね……全く」
ミッサのショットガンはあくまで『焔爆』の能力を遠くへ飛ばすための媒介だ。そのため武器を使わなくとも、菌糸を集中させれば指先からでも『焔爆』を飛ばすことができる。今のは完全にトトの不意を突けたと思ったのだが、相手の方がまだ一枚上手だったようだ。
トトは着地の際に曲げていた足をゆっくりと延ばし、重心を斜め後ろへふらつかせた。同時に、トトのカトラスが不吉な光を明滅させる。
「来るかい」
咄嗟に弾丸を放つと、なんと銃口から顔を出した瞬間に自爆した。いつの間に仕掛けたのか、トトの地雷が銃口の入口を塞いでいたのだ。
予想外の爆発だが、自分の菌糸で作られた炎のためミッサにはかすり傷一つない。しかし、ミッサの視界を覆い隠すには十分な煙幕が生み出されてしまった。
「――っ!」
ミッサが敵の狙いを察した時には、すでにトトに間合いを詰められており、鳩尾に向けて痛烈な蹴りが放たれた。抉るように捻られた爪先がミッサの巨体を軽々と打ち上げ、さらにその先に仕掛けられていた地雷がミッサの背中に直撃する。
トトの持つカトラスは、自分が通った道だけでなく、遠い場所にまで斬撃を設置できるらしい。トトの近くにしか地雷はないと思い込んでいたミッサは、背中が深々と削られていくのを感じながら顔を顰めた。次の地雷を設置されるのを防ぐべく、ミッサは血を吐きながら周囲に弾丸をばらまき、周囲を炎で包み込む。
それから両足でしっかりと落下の衝撃を受け止めたが、右肩から左脇にかけて激しい痛みが駆け巡った。空中に蹴り出される前に身を捩っていたおかげで、なんとか胴体が真っ二つにされずに済んだものの、この傷を負っては不利にならざるを得ない。
「あーあ、油断しちまった」
ミッサは周囲を包み込む爆炎に軽く咽ながら、外套の一部を破り手早く止血した。そこから少し離れた場所に優雅に降り立ったトトは、ミッサの姿を見て声のトーンを落とした。
「まだ立てるの」
「かなーり痛いよ。おかげでますます楽しくなってきたがね!」
ミッサはショットガンを天へ向けると、二発の弾丸を同時に発射させた。トトは蒼天へ飛翔した弾丸を無表情に眺め、その数秒後、微かに目を剥く羽目になった。
曇天に吸い込まれた二つの弾丸は螺旋を描きながら徐々に速度を落としていくと、腹を殴りつけるような爆音を轟かせながら爆散した。爆風が樹海の梢を揺らし、遅れて大量の火花が周囲に降り注ぐ。それは雲の表面を夕陽に染めるほどに眩く、隕石の雨を連想するほどの壮絶さだった。
ミッサは物事を考えるのが苦手である。戦略的に思える彼女の行動は全て直感で選ばれたものであり、戦いに勝つためなら周囲の被害もなんのその。トトとの距離に関係なく不可視の地雷が置かれるのなら、見えるように炎を絶やさねば良い。仲間すら焼き殺しかけない攻略法を実行したミッサは、鮮やかに燃える森と空に高笑いをした。
「アッハッハッハ! もっともっと、盛大な花火をあげなきゃねぇ!」
大きく足を開き、重心を落とす。そして銃口を己の背後に向けながら、ミッサは『焔爆』を解き放った。
爆風で加速したミッサは放物線を描きながらトトの頭上へ回り込み、残弾の危惧もかなぐり捨てて引き金を引きまくる。連続で発射された弾丸は着弾と同時に三半規管を揺さぶるほどの爆発を叩きだし、トトの姿をあっという間に灼熱の渦へ飲み込んでいく。
対するトトは斬撃の地雷で防御壁を作るが、無軌道に動き回る弾道全てを防ぎきることはできず、だんだんと美しい祭服が炎に削り取られていく。
「──っ」
ついにトトの表情に焦りが見え、地雷の壁に穴が開く。ミッサは拳一つ分の穴に照準を定めると、笑うような息を吐きながら狙撃した。
銃弾がトトの頭に直撃し、スイカが砕ける音がする。
「ヒット!」
呟いた瞬間、弾は頭蓋の傷口から閃光を迸らせ、数秒後に大爆発を引き起こした。炎の渦の中心で発生した爆風は酸素を軽々と吹き飛ばし、煌々とそそり立った火柱を全て打ち消していく。
血と煙が晴れた時、トトが立っていた場所には人型の焦げ跡だけが刻まれていた。
ほう、とミッサが息を吐くと、燃え盛る樹海からぱちぱちと弾ける音が耳に流れ込んできた。見渡してみれば、上位ドラゴンすら覆い隠してしまうほどの鬱蒼とした葉が全て燃え尽き、巨大な幹が燃え盛るでいだらぼっちのように立ち並んでいた。次期に幹の内側も炎に焼かれ、すべて灰となって崩れ去るだろう。
ハインキーが見たら半殺しにされかねない大惨事だが、建築部隊の連中はどうせ無事だろう。察しの良いアンリが真っ先に動き出していたから、残されたヤツカバネ討伐に支障が出るわけがない。早いところ自分も放置した部隊に戻ってやらねば。
ミッサは痛む脇腹をさすりながら、大股で建築部隊のいる方向へ歩き出した。
──じゃり、と遠い場所から足音がする。死に損なった亡霊が、まるで生者に縋りつこうとしているようだった。
「……ま、そう簡単にやられちゃあくれないさね」
薬莢を吐きながらミッサはほくそ笑み、後方を振り返らずに引き金を引く。
真後ろへ飛翔した弾丸は、ミッサの背後にいたトトを正確に打ち抜いた。血が飛び散り、肉が砕ける音がする。だがトトは上半身を大きくのけ反らせただけで倒れない。しかも、糸で編み込むようにして頭部が修復され、ものの三秒で美しい顔が頭蓋に収まった。
人間ではありえない再生速度。ドラゴンですら、失った部位を高速で再生させるほどの治癒力はない。リョーホの『雷光』も似たような力だが、トトの場合はそれとも少し違うように見えた。
いくら攻撃を与えてもすぐに治ってしまうのなら、いくらミッサでもお手上げだ。殺し続ければいつかは限界を迎えて死ぬかもしれないが、それに付き合ってやる時間もなければ余裕もない。ミッサの弾丸生成力も残り僅かで、そろそろ捜索部隊がヤツカバネを連れて戻ってくる。
ミッサとしてはまだまだ戦っていても構わないのだが、ハインキーを助ける前に死んでは元も子もない。ため息を吐いてしぶしぶ諦めると、ミッサはその代わりにやたらと綺麗な顔で見つめてくるトトへ笑いかけた。
「救済者様ってのは、神に愛されてるもんなのかね?」
「神様なんていない。あるのは事実だけ」
トトは片手でカトラスを回すと、その剣先をミッサの顔へ向けた。
「あなたは私に勝てない。予言の通り、ヤツカバネの討伐は失敗する。そして世界もまた機械仕掛けのものになる。そういう決まり」
ミッサは大きく息を吸い込んで色々言いたいことを飲み込むと、代わりに憐憫のこもった眼差しになった。
「あんた、つまんない子だねぇ」
そして弾丸でカトラスを弾き、地雷を避けながら一気に距離を詰める。
「負けると悟った人間はみんな、戦うのを諦めるか、無謀な戦いを仕掛けるかだった。――あなたは、無謀な方?」
もう少しでミッサの素手の間合いに入る。その寸前、トトの斜め左からカトラスが瞬き、ミッサの伸ばした手を切り飛ばした。ミッサは構わず左手のショットガンで殴りかかるが、それもカトラスで難なく防がれた。
先ほどと明らかに動きが違う。まるでこちらの攻撃を先読みしているようだ。このような戦い方をする狩人と、ミッサはかつて手合わせしたことがある。もう少しで思い出せそうなのに、激痛と戦闘で刺激されたアドレナリンに呑まれて頭が働かない。
ミッサは至近距離でトトと視線を交わす。その時、赤い瞳に菌糸模様じみた模様が浮かんでいるのを見て、ようやく彼女が誰なのかを悟った。
目の前にいる美しい女性は、あの子だ。
即座にミッサはショットガンを捨てると、足でカトラスの柄を蹴り飛ばしながら左手をトトに突きつけた。
だがその手も『焔爆』を宿す前に、トトの地雷に触れて遥か上空に吹き飛んでしまう。
両腕を失い、ミッサは敵前で無防備に胴体を曝け出す。トトは無表情のままカトラスを瞬かせると、無数の地雷の中へミッサを吹き飛ばした。
不可視の斬撃の雨に全身を穿たれ、ミッサは一瞬で血だるまになる。伸ばしていた銀髪が細切れになり、傷口の上に重ねるように新たな傷が刻まれ、腕で庇った顔以外はズタズタだ。
雨が止み、地面に放り出されたミッサは赤く染まった視界でトトを探した。数秒ほどして、顔の横にトトの足が降りてくる。
「……生きてるね」
「……はは、は、わたしも驚いたよ」
切り落とされた手首からは血がだくだくと流れ、全身の深い傷から絶え間なく熱が奪われていく。もう間もなく死ぬだろうが、数秒の猶予が残されているだけでも奇跡である。
ミッサが喘鳴混じりに笑いかけると、トトは血に霞む視界の奥で顔を俯けた。
「一人では無謀だと分かっていたはず。なぜ、逃げなかったの」
それまで無感動だったトトの声に、人間らしい色合いが感じられた気がした。血で目の前が見えないから、都合よく聞こえているだけかもしれないが、問いの内容だけで十分あの子がまだ生きていると伝わってくる。それなら、自分の選択も間違っていなかったとミッサは笑った。
「確かに……わたしは、無謀だったかもね……けど、一人でないなら……きっと違うさ」
はぁ、とため息のような、満足そうな息を吐いてミッサは空を見上げる。あの分厚い曇天は居座るばかりで、いつまでたっても雨を降らせようとしない。それが癪で堪らなかったが、青空より眩しくはないと瞼を降ろした。
「ミッサ!」
アンリの鋭い声が名を呼ぶ。沈みかけた意識が急浮上し、閉じたばかりの瞳が開かれた。瞬間、トトの足元に風を纏った矢が突き刺さる。
「どこを狙って――」
トトが瞬きをした一瞬、矢じりが刺さった場所から氷が発生し、無数の槍を携えて牙を剥いた。そのうちの一本がトトの足を貫くが、超越した再生力を持つトトは自ら足を切り落とし、カトラスで氷を撃ち砕いた。
氷が砕け、潮騒のような飛沫がトトの視界を覆い隠した刹那──。
『ヒュルルルル――』
ヤツカバネの笛のような鳴き声と共に、周囲一帯が透明な膜に包み込まれ、真っ黒に融解した。
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