家に帰りたい狩りゲー転移

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3章

(19)魔女の幻

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 長い休憩を終えて西へ進み続けると、ついにヤツカバネが向かったと思われるヴァルジャラの滝が見えてきた。

 轟轟と落ちる大量の水は、まるで獣が群れを成して吠えているようだ。硬い岩盤を滑り落ちる滝の幅は、バスが八台ほど並んだぐらいはありそうだ。

「落ちたらまず助からないぞ」

 エトロに注意されながら、俺は硬い足元を確かめつつ滝壺を覗き込んだ。

 崖の縁からだと、白い飛沫に揉まれて渦を巻くいているのがはっきり見える。滝の両脇では染まり始めの紅葉が群生しており、まるで仙人の住む世界に迷い込んだようだった。

 だが、そんな絶景にケチをつけるような黒い地平が、川の対岸で異様な存在感を放っていた。

「ヤツカバネの捕食した痕跡だ」

 ゼンが忌々しげに呟きながら、マフラーに鼻先を埋めた。レビク村で大勢の人間を食い尽くしておきながら、ヤツカバネはまだ食い足りないらしい。惨状に目を凝らせば、下半身を食い残されたサランドの死体が無数に転がっていた。見たところ、ヤツカバネが狩りをしたのはつい十分前程度らしい。

「すぐ近くだ。警戒したまえ」

 ゼンの忠告を聞きながら、俺たちは幅の広い川を、少ない岩場を伝いながら渡り始めた。細かな川の飛沫とマイナスイオンは心地よく、真夏にくればさぞ夏休み気分を味わえただろう。来年こそは、と次を期待している自分に気づいて、俺は内心で苦笑した。

 ハインキーが瀕死なのに呑気な自分が馬鹿らしくなったが、長時間ヤツカバネを追って進軍していれば、少しぐらい気が緩んでしまうのは仕方がない。逆に言えば、先のことを考えられるぐらいには、俺もこの世界での狩りに慣れてきたと言えるだろう。

 このまま順調に討伐実績を重ねて守護狩人に昇格したら、レオハニーから早く故郷に帰る方法を聞き出さねばならない。その思いは変わらないが、それと同じぐらいに仲間への思い入れも深くなっていた。いざ日本に帰れるとなった時、俺はこの異世界と別れることができるだろうか。

 物思いに耽りながら、ヴァルジャラの滝をようやっと渡り終える。手頃な平面に着地すると、黒い地面から湧き立つ腐臭が一気に身体に纏わりついてきた。この匂いだけは何度体験しても慣れそうにない。

 ふと、シャルが俺たちに手招きをしてから、ヤツカバネがいる方角へ人差し指を向けた。見れば、高冠樹海の向こうに薄らと長い首が揺れ動いている。耳を澄ませれば八つ足の地響きも聞こえてきた。

 ドミラスはヤツカバネに背を向け、アンリたちがいる方角に目を向けた。

「建築部隊からまだ連絡はない。予定通り夜まで追跡を続けるぞ。できるだけこの距離を保て」

 タイムリミットを考えると、一刻も早くヤツカバネを討伐したいところだが、塔がなくては奴を倒しきれない。あと数時間このジレンマに耐えなければならないと思うと、俺は少し気が遠くなった。

 ヤツカバネを見失わないよう、粘つく地平を歩き続ける。高冠樹海にはかなりの数のドラゴンが生息しているはずだが、今ではすっかり静まり返っていた。

 ここからさらに西に向かうと、ビーニャ砂漠に続くステップ気候が見えてくるはずだ。その一帯は上位ドラゴンしか生き残れないような過酷な環境で、炎の王ディアノックスの縄張りだ。そのままヤツカバネが突き進んでくれたら、竜王同士で潰しあってくれるだろうが、属性的に勝利を収めるのはヤツカバネだろう。他人任せにはできそうにない。

 異臭と緊張に挟まれて、俺はだんだんと思考が鈍っていくのを感じた。

 すると、最後尾で周囲を警戒していたゼンが、低い声で話しかけてきた。

「リョーホ。しつこいようだが、貴君はヤツカバネの核に触れてはいかぬ」
「……いえ。それでトドメを刺すタイミングを逃してしまう方が、もっと怖いでしょう。それにドラゴンの能力さえあれば、俺はもっと強くなれるんです」

 拳を握りしめながら俺はそう告げた。クラトネールの力は絶大だが、一介の高校生が守護狩人になるためにはもっと強くならなくてはいけない。竜王の力なら手っ取り早く強くなれるし、ハインキーのような被害者を助けられるようになるはずだ。何と言われようと諦めるつもりはなかった。

 しかし、ゼンは俺の目を射抜きながら厳しく重ねた。

「力を追い求めた結果、仲間を巻き込んで破滅するかも知れぬのだぞ」
「ドラゴン化のリスクは分かってますよ。けど俺は大丈夫です。クラトネールの核を直接体内に入れても平気だったから、竜王でもいけるはずです」
「素人が判断するものではない」

 じゃあ貴方は専門家なのか、と反駁しそうになり、反射的に深呼吸する。俺はゼンのことを尊敬している。喧嘩がしたいわけじゃない。

「……心配してくれるのは、ありがたいと思ってます。でも、どうしてゼンさんがそこまで気にするんですか」

 刺々しい言い方になるのは止められなかった。ゼンは苛立つ俺の顔をじっと見つめた後、口元のマフラーを強く握りしめた。

「ノクタヴィスの惨劇を、この目で見たからだ」

 つい最近聞いた、都市伝説じみた話題に俺は毒気を抜かれた。

 ノクタヴィスの都市が滅びた時、文房具屋の店主は生き残りはいないと言っていた。だが、あちらは所詮噂でしかなく、守護狩人であるゼンの方が信憑性がありそうだった。

 俺は逡巡した後、一歩だけゼンに詰め寄った。

「俺にも関係があるのなら教えてください。あそこで何があったんですか」

 ノクタヴィスの惨劇は、謎のドラゴンが都市を破壊しただけのはず。俺には何の関わりもないはずだ。

 しかしゼンの口から語られたのは、衝撃の真実だった。

「──あの都市を蹂躙したのは、ドラゴン化の実験体にされた失敗作……元人間だ。正確にはドラゴンの能力を人間に適合させるための代物であった」
「ドラゴンの能力を、人間に……」

 俺は頭のてっぺんから血が抜けるのを感じながら、自分の手首を見下ろした。そこではソウゲンカの紅の菌糸が脈打つように煌めいている。

 人体実験。ついさっきの休憩で、同じような話を聞いたばかりだ。

 菌糸融合実験を行った博士。
 博士の予言書に書かれた鍵者。
 鍵者はドラゴンを統べる者。

 そして、ドラゴンの菌糸を適合させようとした人体実験。

 偶然にしては出来過ぎである。

 俺はほとんど無意識に、最後のピースを探し当てた。

「……なぁ、ノクタヴィスの惨劇が起きたのは、何年前だっけ」
「十五年前だ」

 ああ、できるかもしれない。

 高速で組み上げられたデータから、俺の脳が一つの推測を打ち出した。

 鍵者は予言書に従って、作られるべくして作られた。鍵者を作るために、ノクタヴィスで実験が繰り返され、失敗。結果、凶悪なドラゴンが誕生した。それをレオハニーが討伐することで、実験は全てなかったことにされたのでは。

 いやしかし、それではベアルドルフが殺してきた歴代の鍵者たちの説明がつかない。

 それに、命の恩人であるレオハニーを悪役に据えるような推理は、きっと間違っている。

 無言で考え込む俺に、ゼンは躊躇いがちに言った。

「一応、聞こう。貴君は最初、森の中で目覚めていたらしいが、どうやって森に来たかは覚えておらぬか」
「…………ない」

 答えるだけで、かなりの気力が削られた。

 異世界転移をしたあの日。レオハニーが来てくれなければ、俺は確実に死んでいた。しかし、よく考えてみたら、あの時点で違和感を抱くべきだった。

 人為的にしろ、偶然にしろ、あのような何もない場所に転移者が捨て置かれるのは、考えてみればおかしな話だ。

 逆に、レオハニーはどうやって俺を見つけ出したのだろう。

 全くの偶然かもしれない。だが、目印も何もない、視界もままならない樹海の奥地で分かるものなのか?

 まるで、俺が来ることを知っていたようではないか。

 俺は視線を彷徨わせ、心配そうにこちらを見守るエトロを見つけた。

 ダメだ。きっと俺は自分の推論に引っ張られすぎて、レオハニーの立ち位置をまともに考えられていない。レオハニーは日本に帰る道を知っているかもしれない唯一の人間だ。考えてはいけない。

 でももし、俺の推理が正しかったとするならば。

 ──俺は本当に異世界から転移してきた人間なのか?

「……っ」

 不穏に回る思考を止めるべく大きく息を吸い込んむ。

 すると突然、ワイヤーが唸るような音が俺の耳を掠めた。

「なんだ……ってうおおお!?」

 ぐん、と腹に何かが巻き付いたと思ったら、俺たちの身体が空中へ引き上げられた。瞬間、さっきまでいた場所に真っ白なドラゴンが三体も雪崩れ込んできた。

 障害物が全くない地平で、いきなり敵が現れるなんておかしい。武器を構えながら、俺は軽く動揺していた。

「奇襲か!」
「馬鹿な、全く気配を感じなかったぞ!」

 ゼンとエトロの驚愕する声が消えぬうちに、糸が俺たちを空中に放り出した。落下位置には謎のドラゴンたちが無防備に俺たちを探している。

 殺せる。俺は深く息を吸いながら、太刀をドラゴンの太い首へ滑らせた。

 熊のように大きなドラゴンは、たったそれだけで首が落ちた。落下の威力がうまく乗ったお陰だろうが、俺はつい拍子抜けしてしまった。

「まだ油断するな!」

 エトロに後頭部を叩かれ、今度はドミラスから指示が飛んでくる。

「リョーホ。『雷光』の治癒を全員にかけろ」
「お、おう!」

 言われた通りに能力を行使すると、驚くほど自分の五感が冴え渡るのを感じた。いや、本来の五感を取り戻したと言うべきか。

 霧が晴れるように全身にのしかかっていた靄が消え、視界もただの地平から正しい戦場の景色を取り戻す。

 俺たちの周囲は、いつの間にか真っ白なドラゴンに取り囲まれていた。

 おそらく俺たちは、対岸に降り立ってからずっと、幻を見せられたまま歩いていたのだろう。そのせいで、ドラゴンに襲われるまで異常に気づけなかった。

 俺の能力で幻覚が解除できたということは、毒や麻痺と同じく状態異常だったのだろう。ドラゴンの中には幻を見せるものもいるが、この白いドラゴンはきっと主犯ではない。

「ふむ。いつのまに尾けられていたのやら」

 余裕ぶったドミラスの声に呼応するように、目の前のドラゴンの背の上から一人の女性が姿を現した。

「最初から気づいていたくせに、つまらない三文芝居を見せないで」

 女性の忍者のような衣装を目にした途端、俺は氷を浴びせられたように震え上がった。伶俐な顔に染め抜かれた民族模様の化粧も、嫌と言うほど覚えがある。

「ベート……!」

 憎しみを持って名を呼ぶと、ベートは恋人と再会したような笑顔で手を振った。

「久しぶり! 戦争に巻き込まれたって聞いて心配したよ。どう? 博士のことは思い出してくれた?」

 ドミラスの見立て通り、あの時俺の頭に流し込んだのは博士の記憶だったらしい。あの時の痛みが思い出されて吐き気を覚えながら、俺は忌々しげにベートを睨みつけた。

「勘違いしているみたいだからはっきり言わせてもらう。俺は博士の息子じゃない。もう関わってくるな!」
「あれ? ありゃりゃ? 全然思い出してないね。あんなに頭に流し込んであげたのに」

 ベートはきょとりと瞬きした後、視線をドミラスの方へ滑らせてスンスンと匂いを嗅いだ。それから、合点が言ったように両手を合わせた。

「そっか。あなただね。あたしの家に勝手に入ってきたのも、余計な邪魔をしてくれたのも」

 空気がいきなり重くなる。べートの菌糸能力『催眠』のせいでそう感じているだけなのか、それとも彼女の持つ威圧感のせいか。

「全員、武器を構えろ」

 ゼンの切迫した声色に導かれ、俺は米神を汗で濡らしながら身構えた。全員に『雷光』をかけ続けるのも忘れない。

「いらない子、邪魔な子ばっかり。わたしが欲しいのはあなただけなのに、迷惑だよね。さあ、リョーホくん。他の子は捨てて、あたしと一緒においで?」

 全てを包み込む聖女のような声がした瞬間、ベートを乗せたドラゴン以外が、一斉に俺たちに襲いかかってきた。

「気が利くな。丁度被験体が欲しかったところだ」

 ドラゴンの腕が俺を連れ去ろうとした瞬間、全てのドラゴンが一瞬で肉塊になった。

 吹き上がる血の雨に呆然としていると、ドミラスの方から簡潔な指示が飛ぶ。

「こいつの相手は俺がする。シャル。全員を連れて作戦を続行しろ。後で追いつく」
 
  でも、と言いかけたが、俺にはこの場に残る理由がなかった。ドミラスの強さは今の一瞬で十分理解できたし、俺がいた方が足手まといになる。そして、ベートにばかりかまけていたら、ハインキーまで失いかねなかった。

 俺が迷ったのは一瞬だった。

「できるだけ早く来いよ!」

 そう言い残し、俺たちは他のドラゴンを切り捨てながらその場を離脱した。それから数秒後、甲高い斬撃音が連続で鳴り響き、背後で血の雨が降る音がした。
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