家に帰りたい狩りゲー転移

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3章

(15)腐葉土

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 レビク村はカーヌマたちが滞在しているはずの場所だった。

 ガルラ環洞窟を少し南下した位置に、レビク村はある。そこは最前線のバルド村とも比較的距離が近いため、ドラゴンから頻繁に襲撃を受ける過酷な土地だった。

 一方で、レビク村は遺跡研究に携わる学者たちの聖地でもあった。中央都市でも著名な学者が定期的に訪れ、その護衛に選ばれる狩人も優秀だ。そのため、上位ドラゴンの襲撃ぐらいなら簡単にあしらえる戦力があった。

 そんな強者ぞろいのレビク村から救援要請が出されたのは、まさしく前代未聞だった。しかも相手が竜王となれば、大惨事は免れないだろう。

 バルド村からレビク村までは徒歩で十時間かかる。移動系の菌糸能力がなければ、走っても二時間以上はかかるだろう。

 一先ず状況を確認するため、一番早い俺が一人で現場へ急行することになった。

 『雷光』を駆使しながら、最低限の支援物資だけを抱えて北上する。今の俺ならば、六十キロの距離を十数分程度で走破できるが、飛行中の寒さを『紅炎』で補う特性上、誰かを抱えて移動するのは不可能だった。

 俺が現場でできることといえば、周囲の安全確保と負傷者の治療だけである。後続にはドミラスとシャルがいるので、怪我人の運搬は二人に任せるつもりだ。

 数分ほど進んでいくと、急に高冠樹海が消滅している箇所が現れた。急ブレーキをかけてそこに降りてみると、べちゃりと足裏に粘液が張り付いた。次いで、葡萄とブルーチーズを混ぜたような濃密な腐臭が鼻腔を濁した。

 俺は眼前に広がる光景に絶句した。

 見渡す限りの黒い地平。ガルラ環洞窟のある山から、俺の立っている場所まで真っ平らだ。洞窟の手前にあるはずのレビク村すら姿形も残っていない。

 あまりにも衝撃的な地形の変化に、瞳孔が細かく振動する。俺は生唾を飲み込むと、恐る恐る黒い地面に触れてみた。熱で溶けたゴムのように粘着質だが、石のように冷たい。それらが地面に覆い被さり、凹凸の隅々まで埋め尽くしている。

「なんだこれ……なんなんだよ……」

 そう口に出したものの、俺の知識はすでに答えを打ち出していた。

 土の王、ヤツカバネの仕業だ。

 竜王の中でも大食漢であるそのドラゴンは、背中にある透明な皮膜で魂を捕食する。残された被害者の肉体は数時間で腐敗し、跡形もなくなってしまう。

 俺の足元を満たす黒い物体は、かつて生き物だった何かの残骸だ。

 俺は酸味のある熱が込み上げてくるのを感じ、口を覆う寸前に嘔吐した。

「平気か」

 ふと後ろから声をかけられ、涙目になりながら振り返る。そこには、平然と佇んでいるドミラスがいた。

「ど、ドクター、どうやってこんな早く……」
「糸を使えばどうとでもなる。しかしこれは……想像以上だな」

 そこで初めてドミラスは顔を顰め、粘性のある地面に足を取られながら歩き出した。俺もじっとしているより気が紛れるだろうと、口を押さえたままドミラスの後に続いた。

「救援要請を出した人間がいるのなら、どこかに生き残りがいるはずだ。狼煙を見つけたら言え」
「う……分かった」
 
 俺はくぐもった返事をしながら、できるだけ足元を見ないよう、樹海が残る東西を交互に見た。残念ながら、救援でよく使われる赤い狼煙はどこにも見当たらない。

 レビク村の周辺は中位ドラゴンの根城だ。一刻も早く保護しなければ手遅れになる。

 焦りを覚えながら足場の悪い地面を進み続けていると、夕焼けを切り裂くように、真っ赤な彩光弾が打ちあがった。

 花火にも似た甲高い音が鼓膜を揺らす。

「あ、あそこだ!」

 俺はすかさず『雷光』の菌糸を光らせ、一瞬で斜め前へ飛び上がった。

 森の上から正確な位置を把握。勢いを殺しながら、彩光弾の発射地点へ落下する。

「うわああ!?」

 遭難者はいきなり降ってきた俺に驚いて背を丸めた。その時、派手な赤いドレッドヘアーが見えて、俺は思わず大きな声を上げた。

「カーヌマ! 無事だったの……か……」

 震えるカーヌマの腕の中に、真っ黒な液体を被った大柄な人形がいた。

 いや、人形ではなかった。アメリアによく似た亜麻色の癖毛がある。半分崩れ落ちた傷だらけの顔も見覚えがある。

「は……ハインキーさん……?」

 昼頃にカーヌマ達を迎えに行ったはずの、アメリアの父だ。顔色は土気色を通り越し、もはや生物だったのかも怪しいぐらい変色しているが、間違いなかった。

「……おい、嘘だろ」

 後から追いついてきたドミラスが、ハインキーを見るなり絶望した声を上げた。彼がこれほど狼狽えるのも珍しい、と他人事な思考が浮かんでくる。
 
 カーヌマはドミラスを見上げると、ようやく冷静になってきたのか、震えた声で話し出した。
 
「さ、さっきドラゴンがいきなり村に来て……ゼンさんが、おれたちを逃がしてくれて……でもおれが、逃げ遅れて、ハインキーさんが、身代わりに!」
「……っ待ってろ!」

 言い訳を最後まで聞く余裕はなかった。俺はカーヌマの腕をどけて、自分の膝にハインキーを移した。そして、中身を全く感じられない重さに息を呑む。

 すぐに『雷光』を使って治療を試みる。青い光が黒い液体と失われた部位に吸い込まれると、数秒遅れてハインキーの全身が輝き始めた。やがて、黒い液体が拭われ、露になった肉の断面がみるみる盛り上がり、筋肉を編み込み始める。

 治療の間、俺の額からは絶えず冷や汗が零れ落ち、背筋では波打つように鳥肌が立っていた。時間にして数十秒程度の出来事だったが、俺には何十時間も祈りを捧げているように感じられた。

 ついにハインキーの身体が完全に治る。だがまだ油断はできない。

「ハインキーさん。起きてください!」

 強く肩を揺さぶってみるが、固く閉じられたハインキーの瞼はぴくりともしなかった。まるで博物館の剥製を相手にしているようだ。

 カーヌマは俺がハインキーに呼びかけ始めたのを見て、堰を切ったように話しかけた。

「起きてくれ! 頼む! あんたのお陰で村の皆は逃げ切れたんだ! ゼンさんもミッサさんもすぐに来てくれる! あんたは死んだらダメだ! アメリが待ってるんだ!」

 カーヌマの悲痛な叫びが高冠樹海にこだまする。この時ばかりは、ドラゴンを呼んでしまうリスクを考えている暇はなかった。

 不意に、俺のすぐ近くの木が蜃気楼のように歪んだ。瞬間、紫色の粒子を纏いながら、桃色の髪の少女が俺の元へ飛び込んできた。

「シャル! 来てくれたのか!」

 どうやらカーヌマの放った赤い彩光弾を見て、急いで『重力操作』で来てくれたらしい。

 シャルの能力なら、負傷者を最速で村まで送り届けられる。さっそくそれを頼もうとしたところで、一足早くドミラスの冷え切った声がした。
 
「シャル。この男の魂はどうなっている」

 シャルは言われてすぐにハインキーを見つめ、すぐに顔を歪めた。痛みを堪えるように俯いた後、シャルは首から下げていたリングノートに文字を書き、一瞬躊躇ってから、俺たちにページを向けた。
 
『ない』
「…………」
 
 魂が見えるシャルの目には、何も映らなかった。それが何を意味するか、俺は瞬時に理解して、必死に否定しようと頭を働かせた。

 俺の能力では肉体の損傷しか治せない。だがクラトネールの超常的な回復があれば、生き返ってくれたっていいじゃないか。こんなに綺麗に身体が治っているのだから、何かの間違いだと──。

「リョーホ。分かっているな」

 肩に強く手を置かれ、俺は無意識に使い続けていた『雷光』を止めた。自然と周囲も薄暗くなり、代わりに赤々とした夕日が木漏れ日の合間に差し込んだ。

「待てよ、なんで諦めた風にしてんだよ!」
「……カーヌマ」
「なんなんだこいつは! いきなりここに来たと思ったら、なにがないって? ただの子供に、怪我人の何が分かるんだよ! おれにも分かるように言ってくれよ!」

 俺の胸ぐらを掴んで喚き散らすカーヌマを、ドミラスが淡々と嗜めた。
 
「この子はベアルドルフの娘だ。そして父親と同じく、生物の魂を見ることが出来る。聡いお前なら、これで理解できるはずだ」

 カーヌマは喉が詰まったような音を出すと、子供のように首を振りながら唇を震わせた。
 
「……迷信だ。魂が見えるわけない。ハインキーさんはまだ死んでない!」

 カーヌマは立ち上がると、俺の両肩を掴んで激しく揺らした。
 
「リョーホ兄ちゃん! さっきの青い光をもう一回出してくれ! まだ中身が治ってないかもしれないだろ!頼むよ、起きるまで治療してくれ!」
「……無理だ」
「疲れたのか? なら少し休んでくれていいから!」
「カーヌマ。いい加減にしろ」

 歯を食いしばる俺の代わりに、ドミラスが止めに入る。カーヌマはなおも噛みつこうとしたが、血の気が失せたドミラスの顔を見て、見ているだけで苦しいほどに瞳孔を収縮させた。
 
「くそ! くそぉ! 納得できるかよ!」

 カーヌマは膝から崩れ落ちると、何度も拳を地面に叩きつけた。衝撃で皮膚が裂け、血がハインキーの衣服にまで飛び散る。見かねたシャルが止めに入ると、カーヌマは振り払おうと一瞬暴れたが、肩に触れる幼い手を見て弱々しく項垂れた。

「嘘だ……この人がそんな簡単に死ぬはずがない……アメリアはどうするんだよ……今日だって、ずっと帰りを待ってるのに……」

 壊れたように涙を流すカーヌマを、俺は見守ることしかできない。魂まで取り返せなかった力不足の俺が、一体どんな慰めの言葉をかけられるというのか。

「……シャル、カーヌマの二人は生存者を集めろ。俺は抜け殻・・・を集めてくる。リョーホはここでハインキーを見ていてやれ」

 ドミラスの指示を聞いて、俺は呆然としながら顔を上げた。

「でもカーヌマは……」
「悲しむなら後でいくらでもできる。ハインキーが命がけで救った人間を見殺しにしたいのなら、話は別だがな」
「そんな言い方ないだろ……!」
「言葉を取り繕おうが事実は変わらん。慰めに甘えるな」

 切り落とすような言い方に俺が怯んでいる間に、ドミラスはさっさと樹海の奥へ消えてしまった。カーヌマは荒く涙を拭うと、ドミラスの消えていった方向を睨みつけてから、反対方向へと迷いなく走り出した。

 残されたシャルはカーヌマを見送った後、俺に目くばせをしてからペンを走らせた。
 
「……シャル?」

 みっともなく震えた声で名を呼んでみると、ばざりとノートを見せられた。
 
『いとがみえる』
「糸?」

 ぐるりと周囲を見渡すが、シャルが指し示す糸は全く見えない。こんな状況で嘘を言う子ではないので、きっと魂に類する何かが糸として見えているのだろう。

「──もしかして」

 俺がぽつりと声を漏らすと、シャルは決意をにじませるような強い瞳で頷き、カーヌマの後を追いかけていった。一人取り残された俺は、膝の上で動かないハインキーを見下ろしながら、静かに思考を巡らせ続けた。

 もしかしたら、まだハインキーは助けられるかもしれない。

 ・・・―――・・・

 ドミラスが運んできた抜け殻・・・を修復し、カーヌマが連れてきた生存者の傷も治療しているうちに、完全に日が暮れてしまった。

 生存者は、レビク村の住人が七人と、地方から来た学者四人。護衛の狩人が三人。
 魂を食われてもなお抜け殻が残った人は、ハインキーを含めてたったの五人。

 そして死者を含む行方不明者の数は、およそ二百十六名。遺体の確認はできていないが、ほぼ確実に全員死んでいる。誰もがそう思っていただろうが、指摘する人は一人もいなかった。
 
 後続のエトロや他の狩人も到着した後、粛々と抜け殻の運搬が始まった。生存者はすでに先にバルド村へ移送済みのため、現場には顔見知りと学者の護衛をしていた狩人だけが残っている。

 抜け殻の輸送は船で行われた。ガルラ環洞窟からバルド村までうねりながら続くガルラ川を、一艘の大きな船で下っていく。ドラゴン避けのお香を焚いているため、水中のドラゴンに警戒するだけでよかった。

 月明かりの乏しい渓谷は真っ暗だ。カンテラの灯りがなければ、隣の人の顔すら見えない。川の流れる音は穏やかだが、それがむしろ俺の不安を増長させた。

 ふと、渓谷の狭間にぽつぽつと光が見えてきた。見慣れたバルド村の夜灯りだ。

 ぎぃ、と船首から舵を切る音がして、じわじわと船着場の方へ向きを変える。
 
 街灯に照らされた浮き桟橋の上では、アメリアが寒そうに身体を震わせながら俺たちを待っていた。

 船が止まるや、アメリアはカーヌマに駆け寄った。

「カーくん……無事でよかった……!」

 カーヌマは飛び込んできたアメリアを受け止めるだけで、抱きしめ返さなかった。アメリアは不思議そうな顔をして、キョロキョロと船の面々を見渡した。

「ねぇ、お父さんは?」
「ハインキーさんは……そこにいる」

 と、カーヌマが指差した方向には、布で包まれたハインキーが横たわっていた。アメリアは道端の花を見つめるような無垢な顔で近づくと、布からはみ出したハインキーの右手を握った。
 
「冷たい……なんで、あれ? 今日帰ってくるって、ねぇ、なんで……」
「ごめん……アメリ……ハインキーさんはおれを庇ったせいで……」

 それ以上言葉は続かず、カーヌマはその場に跪いた。

 そこでついに、アメリアも状況が呑み込めたらしい。愛らしい顔が一気に悲痛なものになった。

「カーくん……手、握って。お願い」

 すぐにアメリアの手がカーヌマに優しく包まれる。しばらくすると、カンテラの温かな光の中で、アメリアの頬から水滴が落ちるのが見えた。

「ふっ……うぅ……カーくん……」

 今にも叫び出しそうな彼女の嗚咽を聞くだけで、俺は錐で貫かれるように胸が痛かった。

 頭の中ではすでにハインキーの魂を取り戻す方法が浮かんでいる。だが今それを口にしても、二人をぬか喜びさせるだけかもしれず、下手なことは言えなかった。

「絶対に、なんとかするから」

 拳を握りしめながらそれだけを呟き、俺は揺れる船の上から静かに降りた。
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