家に帰りたい狩りゲー転移

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2章

(5)信用

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 後で考えてみると、いたいけな少女に凶器を持って飛び掛かる俺の姿は最低最悪だったように思う。もしその光景を見ている人がいたら、百人中百人が俺の首根っこをつかんで袋叩きにし、コンクリで手足を固めて海に沈めただろう。

 いわゆるカッとなって手が出た状態の俺は、激昂するままに少女へ──正確には、彼女が担いでいるドドックスの足に双剣を振り下ろした。

 刃がドドックスの足を切り落とそうとする寸前。

 少女の手が俺の腕を受け止めたかと思えば、急に身体の重心が崩れて吹っ飛ばされた。
 しかも世界がぐるぐると高速で回っており、飛んでいるのか落ちているのかすら判別がつかない。

「な──」
「あははははは! アンタ軽すぎ! こんなに飛んでいく人見たことないし!」

 遠くで少女の甲高い笑い声が聞こえる。

 平衡感覚がぶっ壊れた俺は、辛うじて機能している脳みそで今の自分を想像してみた。

 独楽、けん玉。

 いや、落ち葉だ。

 梢から落ちる葉っぱのように回転しながら俺は落ちている。

「あばばばば!?」

 パニックのあまり訳の分からない叫び声を上げながら、ほとんど本能で『紅炎』を発動した。すぐに回転の速度が低下して視界が定まる。足先には空があって、頭上には樹海と荒々しい英雄の丘が見えた。

 ソウゲンカの時と同じ高所からの落下。
 だがこの高さならまだ受け身を取れる。

 俺は眼下の空を無理やり上へと引き戻し、地面すれすれで足から着地した。つま先から衝撃を逃すように前転したが、無理やり着地したせいでふくらはぎの辺りが痺れ、起き上がることもできずに俺はへたり込んだ。

「あはは! 花火花火!」

 空に残る炎の残滓を見て、少女は手を叩いて無邪気に喜んでいた。
 この状況でさえなければさぞ微笑ましい光景であったろう。

 俺は思いっきり舌打ちをして少女を睥睨した。

「この、クソガキ!」
「何怒ってんの、キモイし」
「サイコパスかよ! 人の心とかないのか! こちとら危うく死にかけたんだぞ!?」

 異世界史上トップクラスの底意地の悪さに俺は怒りより先に驚きに見舞われた。

 一体どういう教育を受けてきたらここまで人をないがしろにできるのだろう。
 俺が下手な着地をしていたら首を折って死んでいた可能性だってあるのに。

 無論、そのような感性を持っている子供が俺の指摘を受けて省みるわけがない。
 少女は腕を組みながら片頬だけで笑い、火に油を注ぐように俺に流し目を向けた。

「殺そうとしてきたそっちが悪いし。せいとーぼーえーってやつ」
「お前の目は節穴かよ! あのままやっても全然お前に当たらなかったけど!?」

 飛び掛かった当初は少女目掛けて殺意を抱いていたが、狙いはドドックスの足だと最初から決めていた。

 そもそもの話、つい数か月前まで暴力と無縁の生活を送っていた俺が、ドラゴンから一足飛びして同族殺しに走れるわけがない。俺でなくとも、普通の狩人なら子供を真っ先に殺しに行くような冷酷な判断はしないだろう。

 全く常識の欠片もない少女に、俺は諦めを通り越して疲れた。

 殺気の戦闘で装備から『紅炎』を使ったため、すでに一日走り回ったかのような倦怠感が溜まっている。少女と押し問答をしてる暇があったら、エラムラの里でお風呂を借りたい。ドドックスの戦果もどうでもよくなってきた。

 俺はようやく痺れが抜けた足を慎重に動かして立ち上がった。
 幸い負傷はなく、走っても問題なさそうだ。
 今日中に薬草を持って帰らなければいけないので、こればかりは自分の訓練の成果に感謝した。

 少女とドドックスの死体を一瞥した後、俺はエラムラの里へ向けて歩き出した。

「じゃあなクソガキ」
「え? もう行っちゃうの?」

 少女は三白眼気味の目を愕然と見開いて、ドドックスを投げ捨てて俺の服の裾をつかんだ。

「ほらほら、ここにカエルいるぞ! いらないの? 貰っちゃうよ?」
「どうぞご勝手に」
「オレより弱いくせにプライドもないのか! ばか! ばーか!」
「はいはい馬鹿で結構ですぅー」

 かなり低い語彙力で毒を吐く少女を軽く受け流しながら、俺はずるずると彼女を引きずったまま歩こうとした。しかし足を一歩踏み出しても全然進めない。まるでブレーキを踏んだ車と綱引きをしているかのようだ。

「って力強いな!?」
「アンタなんかオレの手に掛かればミジンコ同然だし! 大人しくついてこい!」

 振り返ってみると、少女の掌で灰色の菌糸が瞬いているのが見えた。ドドックスを軽々と持ち上げたり俺を吹き飛ばしたりは、彼女自身の怪力ではなく、土属性の菌糸能力『重力操作』だったようだ。

 『重力操作』は自分が触れたものの重さを変えることができ、自重で敵を鈍足化させたり、味方の機動力を上げることもできる。少女は俺の重力を軽くして、子供の力でも引っ張れるようにしているのだ。

 厄介な能力に捕まったと知れて、ますます俺の疲労感が増した。いっそ薬草の任務なんてほっぽり出して帰りたいが、守護狩人になるためには信用が第一なのだ。諦めるわけにはいかない。

 ぐっと歯を食いしばって苛立ちや面倒臭さを一旦飲み込むと、俺は足を止めてを見下ろした。

「なぁ、どこに連れてく気だよ。この後用事あるんだけど」
「ダメ! オレと来るの!」

 話にならない。
 俺はうんざりしているのを隠しもせずに嘆息し、袖をつかむ小さな手を上から包み込んだ。

「俺は別の用事があるんだよ。もう放してくれ。遊ぶなら別の狩人誘ってくれ」

 そうして親指の隙間に俺の指をねじ込んで半ば強引に引きはがす。

 少女は一瞬動きを止めたが、目にもとまらぬ速さで俺の腕を掴み直した。想像以上の引っ張る力に俺は思わず膝をつく。

「おい、いいかげんに……」

 鼻先まで近づいた少女の顔を見て、俺は言葉を失った。

 少女は目にいっぱいの涙を溜めて震えていた。

「……なんでついてきてくれないの? アンタもオレのこと無視するの? ねぇなんでよ!」
「いや、初対面にいきなりそんなこと言われても……」
「うるさい! どーせ言い訳でしょ、そんなの聞きたくないし!」

 少女はいやいやをするように首を振って、肘の関節が痛むぐらいの力で何度も引っ張ってきた。

「来いよ! 来いったら!」
「待てやめろ! そんなに引っ張るなって!」
「なんなの? 言うこと聞いてくれないし、信じらんない! ばか! 最低! いくじなし! アンタなんか……」



「──アンタなんか死んじゃえ!」

 少女の叫びが英雄の丘に響き渡り、不気味な残響を残して消えていく。
 俺が絶句したのを見て、少女はあっと顔を歪ませて息を止めた。その痛々しい表情の変化に、俺は無意識に何かを口から紡ごうとした。

 しかし、一つの鉄拳が先に沈黙を打ち破った。

「この、ど阿呆娘がアアアアアアアアアア!」
「うにゃああああああ゛!」

 突然現れた筋骨隆々とした老人に制裁を加えられ、少女は濁声の断末魔をあげながらばったりと地面に倒れ込んだ。




 少女と老人の住まいは、エラムラの里の手前にある岩山の中腹にあった。

 住まいの外観は、お菓子の家をすべて石と焼き固めた土で置き換えたようなものだった。周辺の岩を削りだして積み上げた石壁は、英雄の丘と同様に白く、屋根はドラゴンの鱗を張り付けたような平たい赤瓦だった。

 十坪程度の平屋の中で、俺はリビングと兼業されている客室にて老人と向かい合うように座っていた。

 俺たちが座っているスツールは、平均より十センチ程度低く作られているせいで足の位置取りが大変だ。
 これはハンツチェアといって、武器や鎧を着こむ狩人たちがすぐにクラウチングスタートを切れるように、あえて低く作られたものだ。

 大剣や棍棒といった重い武器は、室内に入った後は床に横たえて置くか、玄関の武器棚を借りるのが当たり前だ。有事の際は武器を取るために一度上半身を下げねばならぬ手間がある。
 そのため、このように低いスツールは狩人の家ではかなり重宝されていた。

 老人の家もエラムラの里から外れているため、ドラゴンの襲撃に備えてハンツチェアを愛用しているのだろう。

 薄暗い石造りの部屋の中で、老人は白いひげに隠れた口をもそもそ動かした。

「うちの阿呆孫が面倒をかけたようじゃな。すまん」
「いえ……十分お叱りを受けたようですし、頭を上げてください」

 少女の暴走を諫めてくれた老人は、ようやく頭を上げて厳つい顔を見せてくれた。

 オールバックにまとめられた頭髪は白と黒が入り混じっており、遠目から見るとゼブラ模様に見える。
 額には十字傷があり、両頬にはまるで横から顎を割り砕かれたような痛々しい傷跡がある。どれも最近できたものではなく、皮膚に引き攣るような模様を作りながら頬の筋肉となじんでいた。
 鼻の下には長い白髭が下がっており口元は見えない。
 目つきが悪いのも相まって、常に不機嫌そうだ。

 しかし、髭の下から聞こえてくるのは見た目から想像できない好々爺の声だった。

「ワシはダウバリフ。そしてこいつは孫のシャルじゃ」
「俺はリョーホです。それで……シャルはどうしてこんな事を?」

 部屋の壁際に立たされている少女ことシャルに問いかける。ダウバリフの制裁を受けて気絶から目覚めたシャルは、最初の悪辣さが嘘のように大人しくなっていた。

「だって依頼が……」

 と指をいじりながらシャルが小さな声で答えると、ダウバリフがテーブルを叩いて俺まで驚くほどの大きな音を立てた。

「シャル……リョーホさんに謝ったのか?」
「……でも」
「謝りなさい!」
「……ごめんなさい」

 気まずい。ダウバリフの鉄拳を見た時からすでに俺は溜飲が下がっているので、今はシャルへの同情しか湧かない。それに俺はシャルがなぜあんなことをしたのかを知りたかっただけなのに。

 これ以上は藪蛇になるだろうと思い、俺は話題を変えることにした。

「ダウバリフさん。ドドックスを運んでくださってありがとうございます。あの、俺が持って帰れる素材の量もそれほど多くないので、良ければなんですけど、肉の方は貰っていってくれませんかね」
「それはありがたい申し出じゃが、すぐそこのエラムラで換金すればいいじゃろう? お前さんが倒したんじゃから」
「いえ、ぜひ貰って行ってください。今後また付き合いがあるかもしれませんし」
「ほぉ……珍しい方じゃな。狩人は皆、ドラゴンに関しては貪欲なものじゃが……」
「あはは……」

 俺だって換金できるのならそうしたい。だが疲れ切った体力でドドックスを解体し、エラムラの里から人手を借りてまた戻ってくるのも億劫だ。

 今日の任務は薬草の採集であって、ドドックスはあくまで副産物である。
 ここで無理をして帰りにまたドラゴンに襲われたら、今度こそ生きて帰れる気がしない。

 俺の怠惰と好意をどこまで推し量ったか、ダウバリフは鋭い目つきでじっと見つめた後にゆるりと頷いた。

「そういうことなら、ありがたく預かろう」

 ドドックスを譲ったおかげか、明らかにダウバリフの態度が軟化した。
 やはり彼も貪欲な狩人だったわけである。

「しかしリョーホさんや、その格好から察するにバルド村から来たのかの?」
「ええ。やっぱりわかります?」
「ドミラスが開発した服じゃろう。あやつの作るものは中央都市と良く似た、袖の狭い形じゃからな」

 髭を弄りながら笑うダウバリフの服も、バルド村では見慣れない日本の着流しとそっくりな形をしている。ただし、前合わせはボタンで固定されており、足に履いているのは革製の靴だ。ダウバリフから漂う歴戦の貫禄のせいで、大正時代の座頭市という例えが一番しっくりくる。

「ダウバリフさんは、ずっとここで生活してるんですか?」
「そうじゃ。里の空気が肌に合わんのでな、昔からここでドラゴンを狩っておった。今はもうあの時のように飛び回れんから、こうして時が過ぎるのを待つだけじゃ」

 ハンツチェアの上で組まれたダウバリフの右手には、小指から中指がない。
 狩人を引退しているのは本当だろう。

 玄関横には、かつてダウバリフが現役時代だった時の相棒らしき大剣が立てかけられている。黒竜メンディヴィアの尾をそのまま加工したものらしく、全体がごつごつと逆立った黒い鱗に覆われており物々しい。

 黒竜メンディヴィアは上位ドラゴンの中でも禁忌種に分類され、特定の菌糸能力を持つ者でなければ討伐が困難だ。討伐し終える頃には綺麗な部位もほとんど残らない激闘になるはずだが、大剣へ変換できるまで大量の素材を採集できたのだから、全盛期のダウバリフがどれほどの強さだったかは想像がついた。

 俺が大剣に夢中になっている間、ダウバリフは俺の腰に下がっている双剣を懐かしそうに見つめた。それから彼はハンツチェアに座りなおしながらこう提案してきた。

「これからエラムラの里に用事があるんじゃろう? 良ければ案内してやるぞ」
「助かります! 地元の人がいるのは心強いです」

 狙ったわけではないが、地元民が一緒に来てくれるなら里の前で門前払いされたり襲撃されたりはしないだろう。ダウバリフも隣里の人間に違いないが、利害関係が残っているうちはまだ信用していい、はずだ。

「時間がよければ早速行きましょう。仲間が先に待っていると思うんで」
「あい分かった。シャル」

 ぶっきらぼうに名を呼ばれ、シャルは俯いていた顔を持ち上げた。

「……なに」
「お前がドドックスを持ちなさい。いいな?」
「……分かったよ」

 シャルはのろのろと壁から離れると、ドドックスが置かれている家裏の倉庫へ向かうため、先に玄関から出ていった。
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