家に帰りたい狩りゲー転移

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1章

(16)行きはよいよい

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 サランド二体を必死こいて倒しきったところで、アンリの暢気な声が戦場に響いた。

「エトロ! よろしくー!」
「分かっている!」

 後ろから俺とアンリを飛び越えて、槍を携えたエトロがサランドの群れへ突っ込む。ネガモグラはいいのかと庭の方を振り返ったら、すでにモグラたちは巣の中に逃げたらしく、氷に貫かれた死体しか残っていなかった。

「氷?」
「せぇい!」

 俺のつぶやきはエトロの勇ましい声にかき消された。
 同時に大地がえぐれるような重々しい音が轟く。

 何事かと再びサランドの群れの方へ視線を戻すと、エトロの繰り出した槍の先端から五十センチほどの氷塊が放たれ、サランドの胴体を貫いた。それだけにとどまらず、氷塊は途中で枝分かれしながら後続のサランドたちを軽々と串刺しにしていった。

 エトロの菌糸能力『氷晶』だ。
 アンリの『陣風』より劣るが、下位ドラゴンの殲滅には十分すぎる威力だ。

「あいつ、採集狩人だよな?」
「エトロはわけあって守護狩人に上がれないだけだよ。実力は十分さ」

 アンリは冷静に笑いながら手元で風を唸らせ、エトロの後ろから飛び掛かろうとしたサランドを切り伏せた。

 戦闘中にも関わらず、俺は苦々しい思いを抱かずにいられなかった。
 エトロは俺が想像している以上に先を歩いている。それに対して俺は、一か月以上努力してようやく見習いだ。彼女が俺に苛辣な態度を取るのにも納得がいく。

 顔を俯ける俺の隣にアンリが降り立ち、淡白に忠告した。

「自虐するのは構わないけど、時と場合を考えなよ」
「分かってる……!」

 追いつけなくても足掻くしかない。強くなると決めたからには戦わなければ。

 俺は血に濡れた太刀を握り直した。アンリが数を減らしてくれるのを待つだけではいけない。自分から群れを突き崩しに行くぐらいの気概を見せるべきだろう。

 素早く目を滑らせて戦場の全体を俯瞰する。
 複数の敵を相手にするときは、できる限りすべての敵の位置を把握しなければ危険だ。この世界では味方の攻撃も自分に当たってしまうため、エトロとアンリと適度な距離を置かねばならない。

 だから、俺が狙うべきは、左の木の影から迫りくる三体だ。

「うおおおおお!」

 恐怖を雄たけびでねじ伏せながら俺は走った。三体のサランドはいきなり突っ込んできた俺に驚いている様子だったが、すぐに牙を剥いて飛び掛かってきた。

 一体目の突進を回転しながら避けて、二体目の口を薙ぎ払う。断末魔を上げて飛んでいった上顎の先では、三体目のサランドが前足を振り上げている。
 俺は半身で前足の爪を避けると、柄頭でサランドの目を潰し、返す下段切りで首を切り飛ばした。刃の角度が甘かったせいで腕に無駄な負担がかかったが、太刀は曲がっていない。

『ギシャアアアアア!』

 残る最初の一体目が俺の背後から向かってくる。太刀を霞に構え、振り向きざまに穿つ。

 俺が視認するよりも早く、太刀の先端がサランドの横長の胴体を貫いた。サランドは吃逆のような声を上げて血の泡を吹くと、激しく痙攣して動かなくなった。

「やるじゃん」

 アンリが甲高く口笛でおだててきたが、俺は苦笑するだけで返事ができなかった。

 これで六体。そろそろ腕がしびれてきて使い物にならなそうだが、まだまだサランドたちは押し寄せてくる。ネガモグラはエトロが対処してくれたおかげでもう出てくることはないだろうが、死体からも例の苦い匂いが垂れ流されてたままだ。サランドをどうにかできても、他のドラゴンの進軍は止まらないだろう。

「アンリ、この後どうするんだ!?」
「まぁまぁ不安がらずに。俺もこの大群は予想外だったけど、君がドラゴンを殺しまくればいい話だ。そのための昇格試験なんだから」
「けど、帰れなかったら本末転倒だろ!」
「何言ってんのさ。守護狩人のアンリ様に向かって、まさか守り切れないとでも言いたいのかい? どんと構えていなよ。君が死なない程度の戦場に調整してあげる」

 アンリはこなれたウィンクを決めると、矢を三つつがえて群れへ解き放った。大渦を纏った矢は破裂音を響かせながら十体以上のサランドを一瞬で制圧し、器用に三体だけ無事にすり抜けさせた

「やっぱ甘やかしてくれないんだな!」

 俺は舌打ちを飲み込んで、重たい太刀を構えながらサランドを迎え撃った。集中力が切れ始めているのか、太刀の軌道がだんだん怪しくなってきて一発で仕留めきれない。二度、三度と振るえば振るうほど技の精彩もかけて負のスパイラルだ。

 それでも何とか三体倒しきると、俺は大きく息を吐き出しながら呟いた。

「あと、一匹……!」

 次の敵に備えるべく顔を上げて、やっと俺は気づいた。

 サランドの群れがしっぽを撒いて逃げている。
 エトロとアンリの強さについに恐れをなしたのかと思ったが、二人の表情は浮かないものだった。

「な、なんだ。何かあったのか?」
「……いいや、これから起きる」

 冴え冴えと青い瞳を光らせながらエトロが俺を振り返った。

 直後、暗い樹海の向こう側から煌々と炎が吹き上がった。いきなり夕日が落ちてきたような眩さに、俺は腕で顔を庇いながら背中を丸めた。それからうっすらと目を開けてみると、遥か高い場所にある梢から細雪のごとく火の粉が舞い降りてきた。木の焼ける匂いに交じって、ネガモグラの存在をかき消すほどの鉄臭さが漂ってくる。

「この炎は……」

 樹海の幹が灼熱に焼かれ、炭となって砕けながら次々に倒れていく。
 燃え尽きる樹木の死骸の向こう側では、巨大な黒い影が揺れていた。

「上位ドラゴンの、ソウゲンカ……」

 そのドラゴンの炎で焼かれた大地は、余すことなくドラゴンの毒に汚染されて死に絶える。そして燃え尽きた灰は、長い歳月をかけて厄災の不死鳥を生み出すという言い伝えがあった。

 災禍の前触れ。
 地獄の権化。
 様々な呼び名があるが、特に有名なものが一つ。

 死の彼岸花。

 その名の通り、地平が赤々と燃え上がり、まるで彼岸花が咲き誇っているかのような美しくも恐ろしい光景が、今俺の目の前に広がっている。焼き尽くされた樹海は荒地に変わり、俺たちの近くにある木々も落雷に酷似した音を立てながら倒壊していく。

 火の粉と陽炎が入り乱れる中央で、ソウゲンカは長い首で空を振り仰いで紅炎を吐き出した。火山噴火のごとく吹き荒れる炎は大気を焼き焦がし、余すことなく高冠樹海の葉を焼き尽くしていった。

 俺はゲーム内でソウゲンカを嫌というほど見てきたが、現物はやはり大迫力の化け物だ。

 ソウゲンカの見た目はドラゴンにしては少々グロテスクである。一言で表すと、甲羅を剥がした赤黒い巨大亀だ。背中には彼岸花のように逆立った無数の触手がびっしりと生え、その先端からこれでもかと炎をまき散らしている。

 逃げ遅れたサランドも巻き添えにしながら悠々闊歩するソウゲンカの姿はいかにも偉そうで、顔の厳つさも相まって地獄のお代官を連想させた。

「……あれ初心者に殺せるの?」

 消防車に匹敵するサイズのドラゴンを指さしながら俺は何度も瞬きをする。ソウゲンカの足元では燃え尽きて白煙を上げる灰が積み上がり、至る所に焼死したドラゴンの骸が転がって、ネガモグラの匂いと比べ物にならない異臭が立ち込めている。燃え盛る炎も俺の網膜には眩しすぎて、走って近づくだけでも燃え尽きてしまいそうだ。

「一旦引こう、と言いたいところだけれど、逃がしてくれなそうだな」

 アンリのつぶやきに返答するかの如く、ソウゲンカは大きくせり出した嘴から悍ましい咆哮を上げた。壊れたパイプオルガンを無理やりかき鳴らしたような不快感で身の毛がよだつ。

 ついにあたり一帯の樹木が倒れ伏し、遮るものがなくなったせいで熱風が容赦なく俺たちに吹き付けてきた。

「戦うしかなさそうだぞ」
「だね」

 エトロとアンリが揃って武器を構える。
 俺もすぐに太刀を握りしめたが、手が震えて鍔の辺りからカタカタと音がした。手に力を込めて音を止めようとするが、激しくなるばかりでどうにもできない。

 それを横目で見たアンリは、口元を緩めながら顎をしゃくった。

「リョーホ君は逃げていいよ。見習いには荷が重すぎるし」
「アンリの言う通りだ。足手まといはさっさと行け」
「で、でも……」
「いいから。試験は中断しちゃうけど、また今度一緒に来ればいいし」

 アンリは微笑みながらそう言うが、上位ドラゴン相手にたった二人で挑むなんてあまりにも無謀だ。加えてエトロの菌糸能力は水属性から派生した『氷晶』で、火属性のソウゲンカとは相性が悪すぎる。

 でも、俺になにができるかと言えば、きっと何もできない。二人の邪魔をしてしまうぐらいなら、早くこの場を立ち去った方がいいのだろう。

 だがそれは、仲間を見捨てるのと同じことじゃないか。

 そもそも狩人ですらない俺は、二人にとって仲間ですらない庇護対象だろう。その地位に甘んじて、一人で逃げて、その先は?

「リョーホ、ちゃんと逃げろよ」

 はっと顔を上げると、去り際のエトロと視線が交錯した。

 彼女はそのまま立ち止まることなく、アンリと共にソウゲンカの方へと疾駆する。燃え盛る樹海の向こうからはソウゲンカの二度目の咆哮が轟き、紅炎の勢いがいや増した。

 遠目からでも二人の菌糸能力が煌めくのが見える。
 だがソウゲンカの巨体に浅い傷をつけるだけで、決定打になりえない。

 俺は中途半端に太刀を構えたまま、石像のように固まっていた。

 無事に村に辿り着いても、もし二人が帰ってこなかったら。
 村の狩人を呼び集めても、間に合わなかったら。

 ソウゲンカに殺されれば、きっと遺体すら残らない。

 俺は二人がいなければ、バルド村でまともに生活すらできなかっただろう。日本とは文化が違うし、通貨も違うし、弱い俺には何もない。赤子がそのまま大きくなっただけの使えない俺を、二人は文句を言いながら見捨てることはしなかった。
 
 助けたいのに、何もできない。

「……俺は弱い」

 こんな状況でもうじうじ考え事をして、何一つ決められない。当然だ。俺は今日初めてドラゴンを殺したただの見習いなのだ。

 だから、戦えなくて当たり前なのだ。

 ──真正面から戦おうとするからどん詰まりになるのだ。

「弱い俺でも……できることがある!」

 俺は太刀の血を拭って鞘に納めると、燃え移った火で赤々と染まったネガモグラの庭へ走り出した。
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