家に帰りたい狩りゲー転移

roos

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1章

(9)無能

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 ドミラスから装備を貰ったあの日から、俺は毎日村の中で体力作りに奔走した。

 階段ばっかりの断崖絶壁は、村から出ずとも足腰を鍛えるには最適だ。川から崖の天辺まで一往復するだけでゲロを吐き散らすぐらい疲労が溜まって、次の日は全身が軋むほどの筋肉痛になった。

 痛すぎて動けない日はひたすら深呼吸を繰り返して、辛い現実から逃れるように瞑想にふけった。
 だが瞑想のやり方なんて全く知らないから、無心で瞼の裏を見つめて息をしようとすると、日本に帰りたいという思いが時々溢れてきて泣きそうになってしまった。うっかり泣いてしまった時は、筋肉痛を無視して部屋の中でスクワットや腕立てを三十回ずつ繰り返した。

 エトロとの打ち合い稽古も忘れない。筋肉痛で鈍る身体を無理やり動かして、エトロの身体の動きを頭に叩き込む。
 狩りゲーで上手くモンスターと戦うには、敵の攻撃モーションを覚えてしまうのが一番手っ取り早い。攻撃の呼び動作と回避方法が分かれば、あとはヒットアンドアウェイで体力を削るだけだ。

 武器を振り回すための動きだって、結局はボタン操作と同じだ。〇ボタン連打で連続技、△ボタンで必殺技。そういったことを自分の身体になじませて、あとは脳みそが勝手にコマンド入力できるように調整する。

 痛みを無視して考え方を割り切れば、俺の身体能力はみるみる向上した。そして今日ようやく、エトロの攻撃を武器で受け止められるようになってきた。

「……顔つきが変わったな」

 顔面に容赦なく槍を突き込みながらエトロが言う。俺はひゅっと恐怖で縮んだ喉を無理やり湿らせて、次の攻撃を目で追いながら短く言葉を吐いた。

「アドバイスもらったから、な!」

 予備動作で薙ぎ払いと判断し、大きくその場にしゃがみ込む。重心を深くしすぎたので、エトロの横へ前転して遠心力で立ち上がる。すかさず背中を狙ってエトロの突き技が放たれるが、振り返りざまに槍を水平に振ってそれを弾く。

 やっと稽古らしい立ち合いができるようになったのは、異世界に来てから一か月経ってからだった。

 真面目に強くなろうとしている俺を見たからか、エトロの態度も少しだけ軟化して、理不尽に叩きのめしてくる回数も減ってきた。だから俺も殴られる瞬間に目をつぶらないよう、冷静に自分の欠点を見返せるようになったし、自分が攻撃できる間合いや踏み込みもだんだん把握できている。

 強くなっている実感がある。できることが増えていくたびに、エトロがどんなに努力して、遠い場所に立っているかも見えてしまう。それが劣等感や自分の欠落している部分を殊更詳らかにするものだから、努力するのが辛くなってくる。

 だが俺は諦めたくなかった。

 今日こそは、エトロに一発入れてやる。

「うおおおおおおお!」

 俺の脇腹を狙う槍先を力技で逸らしながらエトロとの間合いを詰める。
 ここで槍を八相に持ち替えれば、エトロの肩を狙える。

 俺の意図を察したエトロが冷静に後ろへ距離を取ろうとするが、まだ間に合う。

「りゃあああああ!」

 八相から振り下ろされた槍先がエトロの肩を叩く寸前。

「叫ぶだけなら誰でもできる」

 冷淡な声が聞こえたと思えば、俺の鳩尾に衝撃が走った。俺が距離を詰めるのに合わせて、エトロが蹴りを入れたのだ。

「が、はぁ!」

 そのまま俺は吹き飛ばされて訓練場の上を転がった。内臓が上にせり上がって元の位置に戻る。たったそれだけで息ができないほど苦しかった。

 白目をむいてもだえ苦しむ俺の首元に、慣れ親しんだ槍先の感触が浅く食い込んだ。どうにか痛みを逃がして目を開けると、熱い太陽と逆光になったエトロが俺を見下ろしていた。

「今日も私の勝ちだ」
「は、はぁ、げほッ……エトロ、強すぎるだろ……」
「言われるまでもない。私の師匠は……レオハニー様なのだから」

 エトロは一瞬だけ端正な顔立ちに憂いを滲ませた後、さっと背を向けて歩き出した。彼女に立ち上がれ、と言われる前から俺の身体は反射的に起き上がった。気絶した傍から痛みで叩き起こされてきた条件反射が身に染みているのだ。ようやく戦える人間らしくなってきたと思うが、同時にここまで来てもエトロに勝てない自分への失望に胸が痛くなる。

 俺は武器を構えて、エトロが定位置まで距離を空けるのを待った。しかしエトロは定位置よりさらに向こうまで行ってしまった。武器を構えたまま棒立ちになった俺は、エトロの向かう先に訓練場の隅に置かれている武器倉庫があることに気づいた。

「エトロ?」
「今日はもう抜ける。後は一人でやれ」
「え……まだ一回しかやってないだろ」
「何度やっても無駄だ。お前と遊んでいるぐらいなら狩りに出ていた方がいい」

 絶句した。
 ただでさえエトロとの実力差を見せつけられていたタイミングで、侮辱ともとれる発言をかけられたのだ。頭の中で血が沸騰して膨れ上がるのを感じ、気づけば俺はいきり立っていた。

「な、なんだよそれ! 俺だって少しぐらい強くなって──」
「成長が遅すぎる」
「……はぁ?」
「師匠が期待していると言った割には、お前は凡人だ。全く強くない。お前なんか、絶対に狩人になれない。例え見習いから採集狩人になれたとしても、すぐにドラゴンの餌になるだけだ」

 言われたことを理解したくなかった。それでも小さなプライドが律儀に意味を噛み砕いて、勝手に俺の意識に飲み込ませた。

 言いたいことが溢れすぎて何も出てこない。俺は努力してきたし、筋肉だってついてるし、毎日吐きそうになりながら走りこんで、休んでいる時間が少ないぐらいだ。故郷に帰りたくて辛くて、泣いてしまう夜もあるし、どうしようもなく弱い自分に嫌気が差して死にたくなる日もある。

 それを、何も知らないで、何様なんだよ。

 暴れまわる憤怒で全身がはじけ飛びそうだ。

 だがエトロは何も言えない俺を一瞥すると、稽古用の槍を元の位置に戻してさっさと訓練場から出て行ってしまった。

「──っそ、くそ!」

 思い切り地面を蹴りつけて、手に持ったままの槍を叩きつけたくなったが、最後の最後に残った矜持がそれを押しとどめて、結局だらりと腕を落とすしかなかった。

 もう今日は何もしたくない。稽古なんて投げ捨てて部屋に引きこもってやりたい。しかしここで稽古を諦めたらエトロの言いなりになったような気がして癪だ。村の中を走り回ればきっと気分は晴れるだろう。けれど、どう頑張ったってそんな気分になれない。

 どうしてエトロは俺を認めてくれないんだろう。俺ができる最大限の努力、とは言えないが、できる限りの努力は積み重ねてきたというのに。

 何が足りないのだろう。
 どうすれば足りるのだろう。
 怒りと疑問が入り混じって思考がまとまらない。

 家に帰りたかった。すべてを投げ出して何もかもなかったことにしたい。

「エトロの言うとおりなのかな」

 凡人がいきなり強くなれるわけがないと、頭で理解していたくせに無駄に足掻いているだけなのかもしれない。
 俺は狩人になれる素質がないのだろう。あんなに期待されて、努力したのに。これでは日本にいた時と何も変わらない。何も成し遂げられず、誰にも名前を覚えてもらえないモブのままだ。

 もう無理だ。
 日本が恋しい。

 このままでは純粋に楽しめていたゲームのシンビオワールドまで嫌いになりそうだ。

「手酷くやられたね」

 聞き覚えのない声がして、俺は歯を食いしばりながら顔を上げた。視線の先には、村の中でも見たことのない狩人らしき女性がいた。

「……えっと、その、誰ですか?」
「流浪狩人。隣のエラムラの里から来たんだよ」
「里、ですか」

 バルド村同様、シンビオワールドで聞いたことのない名前の里だ。ますます異世界にいると思い知らされて指先が震え、顔から血の気が引いた。少しぐらい現実から目を背けさせてほしかった。

 狩人の女性は俺の気も知らないで暢気に話し続けている。

「そーそー。この村ってドラゴン狩りの最前線って言われてるでしょ? どんなものかなって見に来たんだけど、いやはや、見るに堪えなかったね、今の」
「……そうですか」
「えー、そんなに落ち込まなくていいじゃん。悪いのはさっきの子なんだし」

 妙になれなれしく話しかけてくる女性に、俺は思わず顰蹙を露わにした。
 そこでついに女性も俺のそっけなさに気づいて肩をすくめた。

「ありゃりゃ、おしゃべりする気分じゃないね、その顔。でもおねーさんはおにーさんに興味があってね」
「俺は興味ないですよ。他にイケメンならいくらでもいるんで、そっち当たったらどうですか。例えばアンリとか」
「知ってるよ、血嵐のアンリくん。けどタイプじゃないのよ」

 へらへらとしてふざけた喋り方だというのに、滑舌も声も清流のように滑らかだ。態度さえ改めればずっと聴いていたくなるような魔力があったが、たかが他人の声で俺の怒りが収まるわけもない。
 このまま無視して帰ってしまおう、と歩き出したところで、いつの間にか彼女が俺の目の前に立っていることに気づいた。

 眉の薄い、怜悧な顔だ。
 額や目元には民族模様のような化粧がされており、どことなく能面や日本人形を連想させる。前髪はすべて後ろで纏められていて、快活そうな目元や鼻がよく目立つ。衣装も流鏑馬で着るような重そうな着物と忍者装束を掛け合わせたような変わった形で、緩く合わせられた襟元からは豊満な胸と谷間が惜しげもなくさらけ出されていた。

「…………」
「あ、目逸らした! 初心だね、おにーさん」

 謎の女性は俺の視界の端でしなを作って、ぺろりと上唇を舐めた。さっきまで全く気にならなかったのに、急に彼女の動作の一つ一つを意識してしまう。神経を逆なでされているのに離れがたく思ってしまう誘惑を感じる。

 逃げた方がいいと、根拠のない本能が警鐘を鳴らした。
 だが俺が動くより早く女性の手が伸びる。

 腕をつかまれたかと思うと、胸を押し付けられ、もう片方の手が俺の唇に触れる。いきなり他人に触れられたら普通は嫌悪すべきだ。なのに俺は最後まで無抵抗だった。

「ぁ……ぅ……」

 声が出ない。

 急に肺が重たくなって視界が明滅する。
 今日まで無理を重ねてきた疲労が、ここにきて一気にのしかかってきたようだ。あれだけ体中を焼き焦がしたエトロへの怒りも意識から滑り落ちて、今はただただ眠くて仕方がない。

 女性はふらつく俺を抱きとめると嬉しそうに喉を鳴らした。

「お近づきのしるしに、自己紹介。あたしはベート。ちょっとでいいの、お散歩しない?」

 今にも倒れそうな人に何を言っているんだ。泡沫のように浮かんだ敵意はすぐにとろけるように消え、辛うじて絞り出せたのはたった一つの疑問だけだった。

「な……んで、俺と……?」
「言ったじゃん。気になるって」

 ベートは俺にしなだれかかりながらそう答える。そして俺の後頭部に愛おしげに指先を這わせ、耳元に唇を寄せてうっそりと囁いた。

「つかまえた。ウラシキリョーホ」
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