人ならざるはオムファタル

坂本雅

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 見物人の少ない裏路地は街灯の光も行き届かず、薄暗い。
 手の平の上に魔術の火を作り、ランプ代わりに使った。
 両手が埋まってしまうと、魚の匂いに惹かれた野良猫への対処にも苦労する。
 おこぼれを求めて鳴き声をあげる彼らを避けるうち、無駄に遠回りをしてしまっていた。
 頭の中の地図を頼りに、一人がやっと通れるほどの脇道から、比較的開けた坂の上に出る。
 このまま石の階段を降りて行けば、教会前の小庭園に着くはずだ。
「……あれ?」
 先を急ぐアシャの目が、階段の途中に置かれた布の塊を捉える。
 置物ではなく、フード付きの外套を着た何者かが座り込んでいるのだ。
 染み一つない高価な絹織物を身にまとうなら、教会からの施しを待つ浮浪者ではない。
 謎の人物は近づいてくるアシャの足音に反応して立ち上がり、気だるげな仕草で振り返る。
「あっ」
 思わず声が出た。
 陶磁器のような白い顔と、毛先のみ青い奇妙な金髪に見覚えがあった。
 島へ出発する日に偶然ぶつかり、アシャをミカハヤヒの裔と呼んだ謎の男だ。
 よもや、こんなに早く再会するとは思わなかった。
 アシャは驚いて足を止めたが、男は無表情を崩さず、何か言うそぶりもない。
 目深に被ったフードで影が落ちているせいか、最初に会った時よりも不機嫌そうに見えた。
 無視して通り過ぎることも出来るが、この機を逃せば、次はいつ遭遇するか知れない。
 心の片隅に残る疑問の解消のため、アシャは勇気を振り絞って声をかけた。
「こ、この間の人……ですよね?」
 男は見下ろしたまま静かに頷く。
 青緑色の眼が、アシャを見定めるように暗闇で鈍く光っている。
 蛇に睨まれた心地になりつつ、明るい口調を意識した。
「ミカなんとかについては、よく分かりませんが……あたしはアシャ。アシャ・ワーブラーといいます」
 ワーブラーとは鳴鳥の意を持つ。
 一般的な苗字ではなく、詠唱魔術を扱う流れの魔女が主に用いる偽名である。
 ギルドとの契約書や宿屋での署名など、便宜上の苗字が必要な場面はわりかし多い。
「あの、そちらは?」
 アシャが控えめに伺いを立てると、男は物思わしげに息を吐き、フードを脱ぐ。
 眼の色に合った深緑のターバンを頭に巻き、その上に紅玉の付いた華美な髪飾りを付けていた。
 首元や腕にも宝飾品が輝き、外套の間からは異国情緒のある装束が覗いている。
 派手な髪や眼の色に負けじと整えられた衣服は見事なものだが、仏頂面から察するに、好きこのんで着ているわけではなさそうだった。
「真名は伏せる。好きなように呼べ。物腰も、丁寧である必要はない」
 名乗らない以上、一般市民と同じ扱いでも構わないということか。
 むやみに身の上を詮索する輩は、冒険者同士でも嫌われる。
 相手が言いたくないのなら、その意思を汲むべきだろう。
「呼び名……?」
 アシャは手の平の火を頼りに男の顔をまじまじと見つめ、熟考した。
 ひねりのある洒落た偽名など、いきなり思いつくものではない。
 髪や眼の色といった身体的特徴を参考にするのが精一杯だ。
 黄金。金青。緑――翠。
 軽やかで優しい響きが、妙にしっくり来た。
「じゃあ、スイって呼んでもいい? 故郷じゃ、貴方みたいな眼の色をそう言うんだ」
 アシャの提案に男は何度か瞬きをして、かすかに口角を上げる。
「品のある音だな。気に入った」
 どうやら合格点をもらえたようだ。一安心したアシャは肩の力を抜いて笑った。
 仮名を得た男も気を良くしてか、小さく笑い声をこぼしている。
 ちょっとした動きの度に、髪飾りからシャラシャラと軽やかな音が鳴った。
 彼の下向きの尖り耳は今、布と飾りで完全に隠されてしまっている。
「何だか……重たそうだけど」
 煌びやかさや金銭的価値よりも、つい装着者側の目線で見てしまう。
 同情を寄せるアシャに、スイは首を振った。
「やむを得ない。我らが人前に出るための装いだ」
 自分一人ではなく一族そのものを指すような言い回しは、どこか浮き世離れした空気をまとっていた。
 服装的にも、優雅な生活を送る貴族ではなく、貴族に腕を買われたお抱えの占い師といった趣がある。
 名前すら明かそうとしない以上、職業について訊ねても回答してもらえそうにないが。
「やっぱり、偉い人たちが沢山来てるんだ……こっそり届けるつもりだったけど、見通しが甘かったかな」
 アシャは抱えたままの塩漬けの包みに目をやる。今のままではルネ本人はおろか、教会関係者に預けることすら難しい。
 憂いていると、スイが膝を曲げて目線を合わせてきた。
「神の家には用がある。預かろう」
「い、いいの? ありがとう! えっと、シスター・ルネ宛で、彼女は……」
「仔兎は一匹のみ。見分けるのは容易い」
 髪色か身長の高さを伝えようとして、やや被せ気味に遮られた。
 ルネとは顔見知りだったのだろうか。
 包装を受け取ったスイは再び外套をまとい、身をひるがえす。
「では、さらば」
 階段を降り、アーチ状の石畳を潜ろうとする後ろ姿をアシャは漫然と眺めていた。
 だが、彼に問うべきことがあったのを想起し、慌てて声を張る。
「あ……あのっ! ミカハヤヒって、何?」
 スイは立ち止まらずに答えた。
「お前の血筋だ。いずれ、我でない者が仔細を教えるだろう」
 明瞭なそれは、正しく予言だった。
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