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「いや、君に不満があるわけじゃないんだ。君は優秀な魔女で、ずいぶん助けられてきた。感謝しかない。でも……おれの彼女が最近、正式に冒険者登録を済ませたんだ。ぜひ合流したいんだよ」
バーナードは最初こそ申し訳なさそうにしていたが、彼女の話題を出した途端ニヤケ顔になり鼻息を荒くした。
いわく、彼女は学校を経ずに独学で魔法を習得した才女であり、十歳も歳下なのだという。もしそれが真実なら、成人するかしないかといった若さだ。
「いつ、そんな人と知りあったの?」
アシャは感情を押し殺して尋ねる。
「半年前に下町で出会ったそうだ。悪漢に追い詰められていたところを、こいつが救ってやったらしい」
ロックの声はいつも以上に淡々としていた。説明は正しいとばかりにバーナードが何度も頷き、膝上に置いた両手のひらを握りしめる。
「ついこの間、結婚を前提に付き合ってほしいと言われたんだ。驚いたけど、彼氏として先輩として、責任をもって支えてあげなくちゃいけないと思った」
意志の強い光を宿す眼は慣れ親しんだものだったが、アシャは初めてそれを忌々しく感じた。
一方的な理由で辞めさせられるアシャの立場をバーナードは欠片も考慮していない。ここは話し合いの席ですらなく、ただの決定事項の報告会にすぎないのだ。
直情的な面があると知っていたが、彼はこれほど他者への配慮に欠けた人間だっただろうか。あたかも、同じ顔をした別人のようである。
「君はキャリアも長いし、すぐ次が見つかるよ」
バーナードは話を締めくくるかのように、自分にとって都合がよく聞こえのいい言葉を並べた。バーナードの浮ついた顔をじっと見つめてから、ロックはアシャに無言の視線を送る。
バーナードとロックは同い年の幼馴染。ロックは体格で勝り、口数の多いバーナードの意見に従うばかりでいる。決して彼を諌めてはくれない。
泣き寝入りするしかないというのか。
底冷えするような憤怒と悲哀に胸を支配されたアシャは、言い返す余裕もなく肩を大きく震わせた。
室内ゆえに脱帽していた愛用の三角帽子のつばを握りしめ、こみあげてくる涙を落とすまいと眉間にしわを寄せる。
直後。
「それでは、私もお暇を頂きますわね」
アシャの真横から、朝食のメニューを決めるかのように気軽な声が発せられた。傍らで一部始終を聞いていたルネだ。
「参りましょう、アシャ」
いつも通りの人畜無害な微笑みのまま、アシャの手を引いて品良く立ち上がる。目が大きく鼻の低い童顔に反して、ルネはアシャより頭一つぶん上背があった。
バーナードは寝耳に水といった様子で席を立つ。
「こ、困るよ! 攻撃役はともかく、回復役の君がいなくなるなんて!」
「あら。ともかく、ですって。アシャの魔術を軽んじておられたの?」
言質を取ったルネは、いかにも不思議そうに小首を傾げる。元の穏やかさを残しつつ、どこか険しい顔は三年の付き合いの中で初めて見るものだ。
小さくため息をつくと、覚えの悪い生徒に説明してやる教師のように、よろしくて? と前置きを挟む。
「彼女は極めて高度な詠唱の短縮と破棄の力を有しています。それにより、攻撃呪文の合間に魔術障壁の補助や反射呪文での手助けをして下さっていた。この両立が可能な術者など、そうはいないでしょう」
「えっ? そ、そうなのか?」
一切のよどみがない朗々とした擁護理由に、バーナードは間の抜けた動揺を返す。この場で唯一、足を組んで座ったままのロックが呆れ気味に首を横に振った。
ルネの言葉を否定しているのではなく、アシャによる魔術の恩恵を知らなかったのはお前だけだ、と言外に匂わせる。
魔術の才がなく斧を振るうばかりのバーナードと違い、ロックは魔物の猛攻を瀬戸際で食い止める大盾を持ち、緊急用として簡単な癒しの呪文を習得している。
アシャの力量を正しく把握していながら、幼馴染が間違った判断を下すのを止められない彼の心情は複雑だろう。
だが、真にバーナードのためを思うならば、早い段階で諌めてやるべきだった。
「優秀な人材を色恋ごときで手放そうとする方に、命は預けられませんわ」
ルネのきっぱりとした断言は、あたかも神の審判のように重く響いた。へなへなと膝から崩れ落ち、椅子にもたれかかるバーナードにアシャは溜飲を下げる。
「ルネ……ありがとう」
愛らしい聖職者の顔を見上げて、心からの礼を口にした。
術の庇護下にない非武装の人間二人など、魔女はいかようにも扱えてしまう。
自分一人だけ呼び出されて二対一を強いられていたら、おそらくストレスのあまり傷害事件を起こしていた。宿屋も崩壊させていたかもしれない。
人知れず破壊衝動を食い止めた頼れる味方はアシャに笑みを返す。そして急にバーナードの方を向き、とんでもないことを口走った。
「ところで、バーナード。未来の花嫁に私との関係についてお話しましたか?」
「か、関係……?」
意表をつかれたバーナードが反射的なおうむ返しをすると、ルネは嘆かわしげに片手で口元を覆ってみせた。
「まさか、秘匿なさるおつもりでしたの? 不実な方……」
「おい……ルネ、全部バラす気か?」
少々芝居がかった仕草がカンに障ったのか、ロックは低い声で威圧的な問いをする。
ルネはどこ吹く風といった様子で首を横に振った。
「人聞きが悪い言い方をなさらないで。私は望まれるまま、分け隔てない奉仕活動を行っただけですわ」
いきなりの会話についていけず、無言で成り行きを見守るしかなかったが、アシャはようやく全容を把握した。
アシャの預かり知らぬところでルネとバーナードは男女の仲になっていたのだ。それも恋愛感情に起因するものではなく、肉欲の解消手段として。
神に仕えし聖職者が淫らな行為に溺れたというのか。衝撃を受けるアシャを尻目にルネは決定的な台詞を言ってのけた。
「お二人とも、私が初めてのお相手だとおっしゃっていましたわね。その後も、たびたび夜伽に呼んでいただけて。楽しいひとときでしたわ」
バーナードとロックは揃って硬直し、血の気の失せた顔でピクリとも動かなくなる。
慣れた言い回しからして、ルネは今までも常習的にパーティメンバーと行為に及んできたのだろう。
破戒僧と呼ばれかねない所業を知るにつけ、彼女が仕えている神とアシャが知っている神は全くの別物ではないかという憶測が浮かぶ。
「諸々のことはギルドにご報告しておきますわね。それでは、ごきげんよう」
禁欲的なウィンプルの下に長いストロベリーブロンドと垂れた兎耳を秘めた美女は、優雅に修道服の裾を掴んで一礼した。
バーナードは最初こそ申し訳なさそうにしていたが、彼女の話題を出した途端ニヤケ顔になり鼻息を荒くした。
いわく、彼女は学校を経ずに独学で魔法を習得した才女であり、十歳も歳下なのだという。もしそれが真実なら、成人するかしないかといった若さだ。
「いつ、そんな人と知りあったの?」
アシャは感情を押し殺して尋ねる。
「半年前に下町で出会ったそうだ。悪漢に追い詰められていたところを、こいつが救ってやったらしい」
ロックの声はいつも以上に淡々としていた。説明は正しいとばかりにバーナードが何度も頷き、膝上に置いた両手のひらを握りしめる。
「ついこの間、結婚を前提に付き合ってほしいと言われたんだ。驚いたけど、彼氏として先輩として、責任をもって支えてあげなくちゃいけないと思った」
意志の強い光を宿す眼は慣れ親しんだものだったが、アシャは初めてそれを忌々しく感じた。
一方的な理由で辞めさせられるアシャの立場をバーナードは欠片も考慮していない。ここは話し合いの席ですらなく、ただの決定事項の報告会にすぎないのだ。
直情的な面があると知っていたが、彼はこれほど他者への配慮に欠けた人間だっただろうか。あたかも、同じ顔をした別人のようである。
「君はキャリアも長いし、すぐ次が見つかるよ」
バーナードは話を締めくくるかのように、自分にとって都合がよく聞こえのいい言葉を並べた。バーナードの浮ついた顔をじっと見つめてから、ロックはアシャに無言の視線を送る。
バーナードとロックは同い年の幼馴染。ロックは体格で勝り、口数の多いバーナードの意見に従うばかりでいる。決して彼を諌めてはくれない。
泣き寝入りするしかないというのか。
底冷えするような憤怒と悲哀に胸を支配されたアシャは、言い返す余裕もなく肩を大きく震わせた。
室内ゆえに脱帽していた愛用の三角帽子のつばを握りしめ、こみあげてくる涙を落とすまいと眉間にしわを寄せる。
直後。
「それでは、私もお暇を頂きますわね」
アシャの真横から、朝食のメニューを決めるかのように気軽な声が発せられた。傍らで一部始終を聞いていたルネだ。
「参りましょう、アシャ」
いつも通りの人畜無害な微笑みのまま、アシャの手を引いて品良く立ち上がる。目が大きく鼻の低い童顔に反して、ルネはアシャより頭一つぶん上背があった。
バーナードは寝耳に水といった様子で席を立つ。
「こ、困るよ! 攻撃役はともかく、回復役の君がいなくなるなんて!」
「あら。ともかく、ですって。アシャの魔術を軽んじておられたの?」
言質を取ったルネは、いかにも不思議そうに小首を傾げる。元の穏やかさを残しつつ、どこか険しい顔は三年の付き合いの中で初めて見るものだ。
小さくため息をつくと、覚えの悪い生徒に説明してやる教師のように、よろしくて? と前置きを挟む。
「彼女は極めて高度な詠唱の短縮と破棄の力を有しています。それにより、攻撃呪文の合間に魔術障壁の補助や反射呪文での手助けをして下さっていた。この両立が可能な術者など、そうはいないでしょう」
「えっ? そ、そうなのか?」
一切のよどみがない朗々とした擁護理由に、バーナードは間の抜けた動揺を返す。この場で唯一、足を組んで座ったままのロックが呆れ気味に首を横に振った。
ルネの言葉を否定しているのではなく、アシャによる魔術の恩恵を知らなかったのはお前だけだ、と言外に匂わせる。
魔術の才がなく斧を振るうばかりのバーナードと違い、ロックは魔物の猛攻を瀬戸際で食い止める大盾を持ち、緊急用として簡単な癒しの呪文を習得している。
アシャの力量を正しく把握していながら、幼馴染が間違った判断を下すのを止められない彼の心情は複雑だろう。
だが、真にバーナードのためを思うならば、早い段階で諌めてやるべきだった。
「優秀な人材を色恋ごときで手放そうとする方に、命は預けられませんわ」
ルネのきっぱりとした断言は、あたかも神の審判のように重く響いた。へなへなと膝から崩れ落ち、椅子にもたれかかるバーナードにアシャは溜飲を下げる。
「ルネ……ありがとう」
愛らしい聖職者の顔を見上げて、心からの礼を口にした。
術の庇護下にない非武装の人間二人など、魔女はいかようにも扱えてしまう。
自分一人だけ呼び出されて二対一を強いられていたら、おそらくストレスのあまり傷害事件を起こしていた。宿屋も崩壊させていたかもしれない。
人知れず破壊衝動を食い止めた頼れる味方はアシャに笑みを返す。そして急にバーナードの方を向き、とんでもないことを口走った。
「ところで、バーナード。未来の花嫁に私との関係についてお話しましたか?」
「か、関係……?」
意表をつかれたバーナードが反射的なおうむ返しをすると、ルネは嘆かわしげに片手で口元を覆ってみせた。
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少々芝居がかった仕草がカンに障ったのか、ロックは低い声で威圧的な問いをする。
ルネはどこ吹く風といった様子で首を横に振った。
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いきなりの会話についていけず、無言で成り行きを見守るしかなかったが、アシャはようやく全容を把握した。
アシャの預かり知らぬところでルネとバーナードは男女の仲になっていたのだ。それも恋愛感情に起因するものではなく、肉欲の解消手段として。
神に仕えし聖職者が淫らな行為に溺れたというのか。衝撃を受けるアシャを尻目にルネは決定的な台詞を言ってのけた。
「お二人とも、私が初めてのお相手だとおっしゃっていましたわね。その後も、たびたび夜伽に呼んでいただけて。楽しいひとときでしたわ」
バーナードとロックは揃って硬直し、血の気の失せた顔でピクリとも動かなくなる。
慣れた言い回しからして、ルネは今までも常習的にパーティメンバーと行為に及んできたのだろう。
破戒僧と呼ばれかねない所業を知るにつけ、彼女が仕えている神とアシャが知っている神は全くの別物ではないかという憶測が浮かぶ。
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