月天人と兎姫

坂本雅

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しろいひめ

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従者を付けず必ず単独で来るように、そして内で起きた出来事は一切他言せぬことと文章中に念を押されていた為、心配を共有する相手もおらず否が応でも緊張が高まる。
導明の案内をした女中も、部屋へ通してすぐに立ち去ってしまった。
大内裏の構造など知るよしもない導明だが、位置的にここが帝のおわす清涼殿ではなく春宮と呼ばれる東の宮だということは把握している。
帝に失礼のないよう、先に注意などを受けるのかもしれない。導明は勝手にそう考えた。
「導明と申します。命を賜り参上致しました」
ひとまず挨拶を済ませた後、確認するように一度だけ周囲を見渡す。
わずかな燈台の灯りと、絹の御簾が風にはためいた際の月光だけが目の頼りだ。
火取香炉が焚かれていることからするに無人ではなさそうなのだが、大きな御帳台の向こうには何の動きもない。
どうしたものかと思案していたところ、端に置かれた白竜の屏風が突然ガタリと音を立てた。「きゃっ」
小さな悲鳴を耳が拾い、そちらに視線を向ける。
屏風の陰から白い被衣で顔を隠した何者かが、おずおずと姿を現した。
柄までは判別しかねるものの身に付けている水干の色も白く、幽霊と見間違えそうだ。
「あ……は、はじめまして。お越し下さり、感謝致します」
慌ててはいるが鈴を転がすような声に、相手が裳を着始める歳の少女だと知った。
少女は素早く御帳台の前に移動し、乱れた被衣を深く被り直す。
どこか小動物に似ていると思いつつ導明は改めて頭を下げた。
「お初にお目にかかります。主上はいかがされたのでしょうか?」
「いえ何でも……あ、違います、ええと……貴方をお呼びしたのは、私です。貴方の噂を聞いて一目会ってみたいと、兄さんにお頼みしました」
「兄さん? ということは、貴方さまは」
「はい。帝の妹の一人、薫子(かおるこ)といいます」
何でもないことのように微笑む口元に、導明は内心衝撃を受けた。
宮に住む皇女・皇太子の話は何度か聞いたことがあったが、薫子という名前の皇女殿下がいるという話は耳にしていなかった。
純白としか形容出来ない御姿は、一度目にすれば記憶に残るだろうに。
他言を禁じられたのは、この皇女の存在を外に明かさぬ為かもしれない――理由までは分かりかねるが。
「殿下とお呼びすれば良いでしょうか? それとも、皇女と?」
「いいえ、畏まる必要はありません。この面会は非公式のものですから……ここには私しかいませんし、何でしたら敬語も使わなくて結構です。貴方ご自身の言葉で、お話を聞きたく存じます」
「お気持ちはとても、身に余るほどありがたいのですが、そういう訳には……」
気さくに接して欲しいようだが、あまりの身分の違いから安直な返事は出来かねた。
「……えいっ」
思い悩む導明を見かねて、薫子は不意に自分の頭から被衣を取り去った。
図ったように一陣の風が吹き、月明かりが部屋を照らし出す。
衣の下の薫子の髪は、透き通るような白髪だった。
同じく白い睫毛に縁取られた目は鮮烈な真紅で、幼さを残した端正な顔立ちに不思議な荘厳さを与えている。
「私は肌も目も陽に弱く、夜以外は思うになりません。皇女という身分も、外に出られぬ身なら意味は薄くなります。貴方の姿を聞いた時、もしや同じではないかと考えたのですが……違いましたね」
あまりのことに導明が糸目を見開いたのが面白かったのか、薫子は年相応の明るい笑みを浮かべた。
「太陽の下で人々がどうしているか、一時、友に話すように教えて下さい。誓って、誰にも明かしません」
皇女という身分を鑑みた場合、異性の前に白拍子のような出で立ちで登場することも、あっさり顔を晒すことも禁忌に他ならない。
だが薫子は、周りの取り決めよりも自らの願いを優先した。
口調こそ丁寧だが儚い見目に似合わぬ大胆な性格の皇女に、今までになく強く興味を引かれた導明は朗らかな笑顔を返した。
「……普段から僕は敬語を使っております。このような喋り方しかできません。それでも、よろしいでしょうか?」
「はい。同じようでも、少し違って聞こえますわ」
秘密の共有者となった二人はその後、長い長い話をした。
薫子が大内裏の外の世界を求めてあれもこれもと子供のように訊ねれば、導明は持てる知識を活用して非常に理解しやすく伝える。
そして、薫子の耳に届くまでに尾ひれ背びれのついた導明に関する噂がどこまで真実なのかも知らせておいた。
「色んな話が流れてきて、どれが本当なのか分からなかったんです。鬼を封じたとか、暗雲の中の鵺を仕留めたとか、実は狐の子とか……光る竹から生まれたなんて荒唐無稽な話もありましたね」
「あ、竹は合っていますよ。他は知りませんが」
「え……えっ!?」
「とはいえ、さすがに生まれたての頃の記憶はありません。よほど良い竹だったのでしょうね。そうそう、薫子さまは竹とんぼを飛ばした経験はございますか? 僕が作ると、何故かちっとも飛びませんでね……」
噂になっていたからとはいえ奇妙な出生まで包み隠さず教えた導明とは反対に、薫子の実情は殆ど明かされなかった。
薫子が言わなかったのではなく、導明が尋ねなかったのだ。
理由は、導明が薫子のことを『大内裏の内に隠された皇女』ではなく『地位の高い太陽が苦手な少女』と捉えたからに他ならない。
初対面で女の子の私的な事情にまで踏み込むなど不躾である。導明はそういう思いだった。

夜も更けてきた頃、ふっと燈台の火が消えたのを機に導明は春宮から退出することにした。
案内の女中を延々と待つというのも何だし、今の明々とした月光が曇らぬうちなら何とか一人でも帰宅できるだろう。
「非常に楽しく過ごせました。長居してしまい、申し訳ありません」
「いいえ。私もとても楽しくて、あっという間でした……今日のことは、一生忘れません」
噛みしめるように寂しげに微笑む薫子に、導明は一度きょとんとした顔になる。
少しして、ああ、と何かに納得した様子で頷いた。
「村では好きな時に好きな人と会いたい放題でしたが、ここはそうではないのでしたね。皇族も大変だ。しかし、こっそり文通するくらいは許されませんか?」
「えっ?」
導明の予想外の誘いに、薫子はとっさに顔を上げる。
「薫子さまはどう思われますか? 僕とお手紙のやり取りをしてくれますか?」
「て……手紙を下さるんですか? 誰が何を書いても、貴方はお返事をしない方だと……聞いていたのに」
「顔も知らない人からの手紙は怖いのでお返事を控えますが、顔を知っている方からの手紙であれば、喜んでお返事を書かせて頂きますとも。あ、校閲とやらであなたの元へまっすぐ届かないかもしれませんね。どうしましょうか」
許可もなく大内裏に入るわけにもいかない。
ぐるぐると考えを巡らせ始めた導明に、薫子はごく軽く笑いかけた。
「大丈夫です。私がそちらへ直接使いを送りますから。あまり書き慣れないので、下手かもしれませんが……」
「そうですか! 安心しました。僕の方こそ、文を書くのは苦手でしてね。悪筆をお見せする無礼をお許しください。それでは、また」
深く頭を下げて手を振る導明の姿が御簾を隔てて見えなくなるまで、薫子もまた手を振っていた。
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