小悪魔とダンス

キリノ

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2章 トライアングル

別れ話

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 桔梗達は約3時間のロングドライブの後、無事に名古屋の総合病院にたどり着いたらしい。
 幸運にも、容態は快方に向かっているとの事。だけど連休は実家で過ごすことになったと、備え付けの共同電話から、すまなそうな声が聞こえてきた。
「当たり前だよ。俺だって家族が病気になったらそうするもん」
「こんな時に……ごめんな」
「何、こんな時って」
「だって、お前、洋介さんの事」
「ああ」
 ごくりと圭は喉を鳴らした。
「俺も、四国に帰るよ……なんだか、家族に会いたくなっちゃった」
「そっか。うん。それがいいよ」
 電話の向こうの桔梗の声が安心したように力を取り戻す。
「俺が帰るまで、洋介さんの事は考えるなよ」
「うん。わかってる」
「連休終わったら……会えるから。待ってろ」
「うん」
「じゃあ」
 先に切ったのを確かめてから、名残惜しげに、そっと受話器を置く。瞬間、寂しさがこみあげてきた。
 たった数日会えないだけなのに。
 それから、壮絶なうしろめたさが押し寄せてくる。
 掌には、洋介からもらった携帯電話がある。ほんの数分前に、圭はたった一つのアドレスに発信していた。
 話があるから、出てきてって。

 洋介に。

 電車をかたどったお洒落な喫茶店は、丁度ランチタイムの若者達で賑わっていた。
 車で迎えに行くとの申し出を頑なに断って、現地での待ち合わせを指定したのには理由がある。
 人気があり、人目につきやすいこのカフェならば、たとえ洋介でも、無茶な振る舞いはできまいと思ったのが一番の理由。そしてもう一つは……。
 圭が座っているのは喫煙席だが、概観と同じく、電車の車窓をイメージした、4人がけのボックス席になっている。完全な個室ではなく、ガラス張りの扉の真ん中はウエイターがメニューを運ぶためにあけられてもいるが、前後に間仕切りがあるというだけで、プライバシーがほんの少し守られているような気がするのだ。

 さよならを言うためにここに来た。
 仲のいい先輩と後輩にはもう戻れない。だから、洋介に会うのは、きっと今日が最後だ。
 どんなに罵倒されても構わない。痛いのは嫌いだけど、殴られるくらいなら覚悟のうえだ。
 だけど、あの誇り高い洋介が傷つく様を、自分以外の誰かに見られるのだけは、絶対に嫌だった。


「いらっしゃいませ」
 ウエートレスの大きな声に、心臓が緊張で跳ね上がる。慌てて腕時計を見ると、丁度11時半を指している。約束の時間だった。
 フロアーを横切る足音が、圭には、永遠に終わらない、時限爆弾のカウントに聞こえた。
 案の定、圭の待つボックスの前で足音は止まる。
「よう」
 低い声。恐る恐る横を向くと、黒いポロシャツにジーンズ姿の洋介が、身を屈めてこちらを覗きこんでいた。
「ボックス席なんて、気が利くじゃないか。そんなに二人っきりになりたかったか、ん?」
 洋介は当然のように圭の隣に腰を下ろすと、無造作にぎゅっと肩を引き寄せてきた。
「ランチにいたしますか」
 テーブル脇の店員に声を掛けられ、圭はひやりとした。どこもかしこも密着したこの格好は、どう見ても、恋人同士だ。
 男同士なのに……。
 だが、洋介は他人の目など、全く気にならないらしい。圭を抱き寄せたそのままの状態で、
「コーヒー二つ、いや、この子はカフェオレにして」
 と勝手に指示をする。圭は若いウエイトレスが、洋介と目があった瞬間、顔を少し赤くしたのに気がついた。
 洋介にとっては、きっと日常茶飯事なのだろう。ルックス、家柄、学力と3拍子揃った彼は、注目される事に、とことん慣れているのだと思う。
 メニューが下げられたとたんに、有無を言わせずに唇が近づいてきた。
 一瞬で、圭の薄い唇を割り、内部を思うさままさぐった後、唇は離れる。
 腕も、脚も、身体の全てが洋介にぴったりとくっつけられて、胸がドキドキと苦しくなった。甘かった。たった一人で洋介の相手ができるなんて、どうして思ってしまったのか、今ではすっかりわからなくなっていた。
「で? 話って何だ。休日の頭にわざわざ呼び出すからには当然いい話なんだろうな」
 声が突然鋭くなる。
「え、えっと」
 しどろもどろの圭に、
「まあ、コーヒーが来るまで待つか」
 あっさりと告げられる。その後は、ばつの悪い沈黙がしばらく続いた。
 しばらくして、シンプルな大小のカップが運ばれてくる。
 そっと洋介から身体を離して、一口吸ってみたが、緊張で、味は全然わからなかった。
「で?」
 再び促されて、圭はびくりと肩をすくめた。言わなくちゃ。そのために来たんだから。勇気を出して。
「ごめん、先輩、俺と別れて」
 口にした途端、後悔した。
 なんて単刀直入な言い方なんだ。洋介を刺激せず、それでいて、はっきりとした断り文句をあれこれ考えていたのに……。
「ふざけんなよ」
 案の定な台詞が返ってくる。
「別れるもなにも、恋人らしい事、何ひとつお前にさせてもらった覚えはないぜ」
「好きな人ができちゃった」
 刺激したくないと思っているのに、もう止まらなかった。
「先輩と付き合おうと思ったのは本気だよ。だけど、好きになっちゃったんだ。他の人のこと」
「相手は桔梗か」
 鋭い目で睨まれて、圭はそっと首を縦に振った。
 大きなため息が降ってくる。
 顔を上げると、特殊メイク張りに整った洋介の顔が、心底疲れたように、ゆがんでいるのが見えた。
「んな事だろーと思ったぜ……」
 沈黙が落ちる。
 圭は泣きそうになった。
 傷つけてしまった。この誇り高い男を。
 立っているだけで、幾らでも女が寄ってくる、と噂されていた洋介の事だ。誰かに迫って逃げられた事など、おそらくただの一度だってないだろう。
 桔梗がいなかったら、絶対に洋介に恋をしていた。
 だけど、そんな事、今の洋介に告げても何の慰めにもならないだろう。
 圭は、ただ、黙って俯くしか、術はなかった。

「わかった。別れてやるよ。実際俺らがつきあってたかどうかは疑問だけどな」
 意外な言葉に、圭は驚いて顔を上げた。昨日の夜、あれほど強引だった洋介だから、多少の修羅場は覚悟していたのだ。
「え、ホントに? いいの?」
「そんなに嬉しそうな顔すんなよ」
 洋介は苦笑する。
「ただし、条件がある」
「え」
 ぎくりと圭は身体を震わせる。一体どんな条件を出されるのだろう……いくつかの恐ろしい予感が頭をよぎった。
「最後に、思いっきりキスをさせてくれ」
 洋介の申し出は意外だった。
 出会いがしらに強引なキスを奪う男である。条件というからには、もっと、凄いこと……圭が思い切り困るような要求を突きつけてくるのかと思っていた。
「それで、最後だ。もう会わない」
「……いいよ」
 圭は頷いた。ここなら、大丈夫だ。人だっていっぱいいるし、興奮した洋介に、襲われてしまうなんて可能性は万に一つもない。
「サンキュ」
 洋介の顔が近づけられる。
「……目を閉じとけよ」
 言われるがままに圭はまぶたを閉じた。冷たい唇が重ねられる。
 唇をそっと開けると、ねっとりとした舌が入り込んでくる。
……な、何?
 唾液と一緒に何か別のものが押し込まれる感触に、圭は、違和感を覚えた。唇を離そうとするが、頭の後ろに掌を当てがわれ、結合が深くなるようにぐっと押さえられてしまう。丸い、ドロップのようなものが、口の中で、じんわりと溶けていくのがわかる。
「飲めよ」
 一瞬顔を離した洋介は低い声で、そう囁く。
 急激に沸きあがってきた不安の中、圭は相手の唾液と共に、それを飲みこんだ。
 途端に、全身から力が抜けていく。
 冷静に圭を見下ろしている洋介の表情を視界の隅にとらえながら、圭は最後の意識を手放していった。

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