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「そ、それは非売品だなぁ、お客さん」
「え、えぇっ、どうして?」

 普段の先輩からは聞いたこともない落ち着いた低い声が聞こえてきた。どうやら彼女の事態を理解したのか、さっきとは真逆の態度を示していた。

「ほ、他のものを見るんだ、なんなら品定めしていってくれても構わないぞ」
「ちょ、ちょっとどうしてです、なんでも売ってくれるって聞いたからここに来たのに、金ならあるですっ」

 予想通り金払いがよさそうだが、自ら数百万の価値と称したものに対してその言葉を言えるのはどう考えてもはったりのようにしか聞こえなかった。

「いや、なんか貴重なものそうだからやっぱり売れない」
「な、なんと、知らずに売ろうとしていたのですかっ?」

「い、いや、知ってたよ、これはちょっとした客寄せのための展示品だからね、ふへ」
「ぐ、ぐぬぬ、ポスターと言っていることが違うでありますっ」

 仮に満ちた顔で息を荒く、汗を拭きだしながら怒る黒縁メガネの彼は、霧ヶ峰先輩に詰め寄った。しかし「違うであります」か、もうそんなセリフは緑色の宇宙生物くらいしか言わないんじゃないか?

「わ、悪いな、そんな顔をしても売らないと決めたからあきらめてくれ、君が金髪美少女だったなら売ってやらんでもなかったがな、ふへへ」
「な、あんただって、気持ちの悪い笑い方してるオタク女子であります、それに女のくせに色気の一つもないであります、どうせ腐女子でありますね、腐ってやがりますっ」

「え、え?」
「まったく、お前らのせいで最近はアニメが不作で困ってるんです、まったくまったく」

「い、いや私は・・・・・・別に」
「そもそも、女という生き物は現実主義でありますからね、柔軟な発想で夢のあふれる世界観は作れないであります、つまり女が推すアニメというのは非常につまらないものになってしまうというのは明確であり、この流れは何としてでも断ち切るべきなのであります、ふんっ」

 とてつもない偏見を展開した黒縁眼鏡君は、偉そうにふんぞり返りながら腕を組んだ。そして、そんな彼を前に、霧ヶ峰先輩は力なくパイプ椅子に座ってしまった。どうにも真っ白な何かになってしまったような先輩は、力なくうなだれていると、顔だけ俺に向けてきた。

「遠州」
「なんですか?」

「燃え尽きたよ、真っ白にな」
「な、何言ってるんすか先輩」

「だめだ、言い返す気力もない、怖くて立てない」
「メンタル弱いっすね先輩」

「当たり前だ、私たちのような日陰者は豆腐メンタルが基本だ、ていうか私は別にそこまで腐女子でもないし、どちらかというと男向けアニメの趣味なのに、どうして何も知らないやつにそんなことを言われなければならないのだ」
「そ、そうっすよね、俺は知ってますよ先輩の趣味」

 ほとんど知らないがここは話を合わせなければ先輩が消し炭のようになってしまう。

「もう無理だ寝よう、明日から本気出す」
「それ、無理な奴っすよ」

「じゃあ死のう」
「軽々しく死ぬなんて言わないでくださいよ」

「じゃあどうすれば良いというのだ」
「生きたいと言えぇっ」

「「・・・・・・」」

 そんなひと悶着の後、見るもの見るものがすべて貴重なものであるという事実を黒縁眼鏡の彼が間接的に教えてくれた。そして、そのあまりにも貴重な品々を理解した俺は、黒縁眼鏡の彼を何とか説得して帰ってもらうことになった。
 帰り際、ぷんすか怒りながら帰って行ったのは本当に気の毒だと思ったが、そうも言ってられない状況となった俺達は、部屋の中でしばらく沈黙のまま時間をつぶした。

 沈黙が続くこと数分、ようやく復活を遂げることに成功したのか、突っ伏していた霧ヶ峰先輩がようやく顔を上げた。まぁ、上げたところで顔がまるで見えたものじゃないんだが、とにかく片側だけでも見えるその顔は悲壮感にあふれていた、どうやら先輩は相当メンタルが弱いのだろう。

「大丈夫ですか先輩」
「あぁ、妄想に浸ることでライフを回復させた」

「ちなみにどんな妄想を?」
「猫耳の妹がめちゃくちゃ私に甘えてくる妄想をしていた。まさしくにゃんにゃんしてた妄想だったな、ふへへ」

 非常に使える妄想の種類だがいざ言葉にされるとどうしても無言になってしまうのはやはり二次元という世界が三次元に溶け込めない確固たる理由だろう。
 そう思うと、不思議と現実世界の話で何とか挽回しようとするのはごく当たり前のことであり、俺は会話が途切れる前に続けた。

「え、えーっと、結局来たのは一人だけっすね」
「そ、そうだな」

「ていうか、はじめに来てくれた人が、ここに置いてあるものの貴重さを教えてくれたおかげで売る気がなくなったっていうのが結論ですけどね」
「だな、口にするたび貴重さを説明してくれて、こっちはもう完全に売る気がなくなってしまった」

「ですね、でもここにあるのって貴重なものばっかなんですね」
「あぁ、なんだかんだでにわかだからな私は、こういうものの貴重さはあまりわからないんだ」

「俺もです」
「っていうか、田舎大学に通う田舎オタクってどうしてもにわかに落ち着くよな、別段好きなものがあるわけでもなく、いろんなアニメとかゲームかじりまくるってやつ?」

「そうっすね、正直な話、フィギュアとかあんまり持ってないですし」
「あぁ、あと、キャラのフィギュアはわかるんだが、あのロボット系にはどうにも魅力を感じられんのだが、遠州はどうだ?」

「あー、それは見てきたアニメによるんじゃないですか、俺は美少女が出てくるやつばっか見てましたからあんまりそっち系には行きませんでした」
「だな、だから「ガン&ムー」とか「エバンとギャリオン」とかは全然わからん」

「まぁ、でもそういうのは、根強い人気があってプラモとかもかなり売れてるみたいですし、やっぱりすごいですよ、僕はそういう人たちのことは本当に尊敬してます、えぇ、社会現象にもなっていますし実際に等身大の者が立てられていたりもしますしね」
「・・・・・・おい遠州」

「な、なんすか?」
「言葉の節々が丁寧で気をつかってるように思えるんだが、気のせいか?」

「え?」
「遠州、もしかしてお前、そっち方面の人はなんか怖そうとか思ってるんだろう」

「い、いやぁ、そんなことないですよ?」
「正直に言え」

 その通り、正直なと所ロボ系が好きな人は何かと結束力が高いというか、とにかく俺のような日常系アニメが好きな甘ちゃんとは比べ物にならないくらいの熱が彼らには備わっていると思っている。だから先輩の直感は見事に的中している。

「いや、なんかロボ系が好きな人ってちょっと怖くないですか?」
「具体的には?」

「まぁ個人的見解ですけどなんとなく彼らのほうがいわゆるカーストが上のような気がするというか、彼らが本気になっているからこそ、今もなおロボ系の文化が続いているんだなと思うんですよ」
「確かに、オタクの中でもちょっとしたカーストはあったりするかもしれないな、奴らは間違いなく上に君臨しているように思える」

「ですよね」
「しかし、怖いといえば最近なんかじゃアイドルアニメが好きな奴らも怖いんじゃないか?いろいろやらかしてるぞ」

「それは、俺らが知らないだけで昔からいたのかもしれないっすね、それに、最近じゃアニメを見ること自体がそれほど非難されなくなってきてますから、それも原因かと」
「ほぉ」

「それこそ、アニメは日本の代表する文化と言って持ち上げて世界に認知されるようになってるらしいし、オタクと呼ばれるような人じゃなくても深夜帯のアニメを見るようになってるみたいですから。
 なので、人数の増加による治安悪化だと思いますよ。人が増えると悪いことが起きやすくなるのは仕方のないことっすよ」
「長々と喋るな遠州、要はひっそり生きていた私たちの文化が、荒くれ物の奴らにわたってしまった結果がこれだって言いたいのか」

「でも、それは悪い事じゃないと思いますし、投資してくれる人が増えればクリエイターとしても嬉しいんじゃないかと思いますけど」
「そういうもんかな」

「そういうもんです・・・・・・まぁその点、美少女系統もたくさんの投資はされているとは思いますけど形見は狭そうですよね」
「確かにな、そう考えるとやっぱりそういうロボ系も見てみるべきか?」

「まぁ俺は途中であきらめましたけどね、そういうの」
「どうしてだ?」

「純粋に、かわいい女の子がかわいいことしてたりするのが好きなんで」
「豚め」

「そ、そうっすね、言い方は気に食わないっすけど」
「決して悪くはないぞ遠州、ただ、そういうやつに限って浮気者だらけなのが気に食わんな」

「うっ」
「あれは、どういう心理なんだ、確かにかわいい子がたくさんいるから目移りしてしまうのは仕方ないが、いくら何でもひどすぎないか、とっかえひっかえだぞとっかえひっかえ、ありゃいかん」

「ち、違うんすよ」
「何が違うんだ」

「いや、わかってもらえるかわからないんですけど、俺の場合は、見るアニメごとに新たな自分を設定するんですよ」
「新たな自分?」

「そうっす、例えば、とあるアニメを見て、その作中のヒロインを好きになったとするでしょ」
「あぁ」

「そして、他のアニメのヒロインに目移りするのが、先輩は納得いかないんですよね」
「そうだ」

「でも、とあるアニメの俺と、ほかのアニメの俺は別人なんですよ」
「は?」

「だからなんて言っていいのかなぁ、アニメを見るたびに自分自身が世界線を飛び越えているというか何というか、とにかくアニメの数だけ自分という存在がいるんですよ、だからヒロインに目移りしてるんじゃなくて、アニメを見るたび俺はリセットされて初めての出会いをするわけですよ」
「・・・・・・な、なに言ってだ、遠州」

 どうやらここにきて先輩との亀裂が発生してしまったようだ、これはいわゆる男と女の差というものなのかもしれないが、とにかく主人公に感情移入するようなものであり、決してかわいいヒロインたちをとっかえひっかえしているわけではないと俺の中で納得している。
 
「いや、今でも俺は色んな世界線で、いろんなヒロインたちとハッピーエンドを迎えてるんですよ、だから浮気とかそういうんじゃないっす」
「ますます意味がわからん」

「ちなみに、NTRという分野が心置きなく次のヒロインに移行するためのジャンルだってことも知ってますか?」
「はぁ?NTRっていうとあのNTRか?」

「そうです、あれは大好きなキャラをとことんまで堕落させる少女漫画や薄い本ご用達の展開ですが、これが結構使えるんです」
「いろんな意味でか?」

「・・・・・・まぁ、それはおいといて、とにかく大好きな人が自分のもとから離れていく、それは一見悲しいようにも思えますが浮気性で飽き性なオタク君にとってはこれほど都合がいいものはありません。
 オタク君は基本的にヘタレですから大好きな人に飽きたとか、そんなことは言えません。ですが、次々と生まれてくる魅力的なキャラにあらがうことも出来ません、なので都合よく退場してもらうにはNTRというジャンルは本当に都合がいいんですよ」
「長ったらしい、そして結局訳が分からん」

 あきれたように机に突っ伏す霧ヶ峰先輩はこの話だけは納得できないようだ。
 
「そ、そうっすか」
「あぁそうだ、そんなことよりもこれからの事を話そう」

「あぁ、部室を明け渡すことっすか」
「そうだ、もうこんな宝物売れんから何とかどこかに移動するしかない」

「先輩、どこか大学構内で使ってない空き部屋とか知らないんですか?」
「なんで私に聞くんだ?」

「そりゃ、俺より一年も多くこの学校にいて、しかも友達いなさそうだし一人になれる場所をよく知ってるのかと」
「お前ひどいやつだな、これでも一応先輩だぞ」

「い、いやなんとなく知ってるのかなって」
「知らん、私は授業を受けてそそくさと帰ってる生活を一年間続けてきたんだ、人がたくさんいるのは気持ちが悪いんだっ」
 
 同感せざるを得ない、言葉と万策尽きたといいたくなってしまう状況の中、俺はふと部室内に見覚えのない段ボールがおいてあるのに気付いた。
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