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七話 国王との取引
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「それでアドニス、バラン公爵に関わる話とは何だ?」
国王は眠たげな目をしてアドニスにそう聞くと、一つ小さく欠伸をした。
「余は眠い。さっさと話せ」
アドニスはやっとここまで漕ぎ着けた安堵感と、ここからこそが本当の大勝負だという緊張感で胃の中のものが逆流しそうであった。
この先の話にはもう、切り札も何もない。国王がどう判断するかによって、二人の未来に希望が生まれるか、それとも絶望に落ちるかが決まってしまうのだ。
国王専用のサロンには国王とその護衛の近衛二名、それに小姓が一人いるだけである。あらかじめ密談に適した場を設けてくれたのだろう。国王の素っ気ない態度とは裏腹な厚待遇である。
「はい。では単刀直入に申し上げます。我がネスラン侯爵家はバラン公爵閣下の飼い犬で御座います」
「ん? 飼い犬と申すと、それはスパイのことか?」
「仰る通りで御座います。ご承知の通りバラン公爵閣下は度々国王陛下に敵対し、王国の平和を乱して参りました。そしてスパイ活動はその一翼を担っていた事も紛れもない事実であり、王国に仇なす行為に他なりません」
「ふむ、バランの奴のな……」
国王はしばらく無言でアドニスを見ていた。面を下げたまま話しているアドニスにはその表情を窺うことは出来ない。
しかしいま自分が国王に値踏みされている事は、ヒリヒリするその皮膚の感覚が教えてくれていた。
「で、そちは何故その事を余に話した? ネスラン侯爵がバランに与するのは腹立たしいが、それだけでは別に罪に問える事では無いぞ?」
「はい。罪に問いたいわけでは御座いません。しかし放置しておいては国王陛下に災いをもたらしかねぬと存じます」
「かもしれぬな。それで?」
「その災いの元凶に関して、陛下と私とに利害の一致を見つけまして御座います」
「ほう、利害の一致と申すか。つまりは余と取引がしたいと?」
「取引とは滅相も御座いません。ただ畏れながら、こちらの望む褒美を確約して欲しいと存じます」
「それを取引と申すのじゃ。まあ取引は嫌いではない。収支がはっきりと分かる事は、いっそ清々しくて好ましいからの。よい、話してみよ。お前が余に提供するものとはなんじゃ?」
「はい。我が家がバラン公爵閣下に流した情報の全てで御座います」
アドニスはその情報と引き換えに、自分の侯爵家廃嫡とその後の独立に必要な爵位を国王に申し出た。
具体的にはアドニスが勝手に婚約破棄をした事で、婚約の証人である国王を無視する事となった不敬を罪に問い、廃嫡の刑にアドニスを処して貰うのだ。
余興とはいえ舞踏会で一度は許しを得たアドニスが、一転して国王に断罪されるのである。遊び人としての面目は丸潰れだ。
国王からの怒りを買ったアドニスの名誉は失墜し、社交界は彼から居場所を奪うだろう。社交界に居場所のないアドニスは、もはや何の価値もない負け犬。
当然スパイ活動も出来なくなるのだから、バラン公爵はアドニスの失態に憤慨しよう。
だがそれだけだ。自分を裏切る為にアドニスがスパイを辞めたとは思うまい。スパイでいる事よりも負け犬でいる事を選ぶ人間がいるとは、思いもよらないだろうから。
「ふむ。不敬罪のぉ。余はお前の婚約の証人であった事など忘れておった」
国王は悪びれもせず、気怠そうにしてアドニスにそう言った。
「ギロチン台に頭を乗せたお前が、はじめ何を申しておるのかさっぱり分かんかったわ」
「恐縮至して御座います」
「だがなアドニス、余を引き込んだ手腕は褒めて遣わす。何やら企んでいるとは思ったが、必死な者に手を差し伸べる事に余はやぶさかではないのじゃ」
国王のその言葉にアドニスは何故か冷たい汗が流れるのを感じ、深く低頭した。
ともあれ不敬罪によって廃嫡されれば、アドニスがスパイを辞める目的は達せられる。
しかしそれだけでは第二の目的には届かない。ネスラン侯爵家からの独立なくして、アドニスとサブリナの安全な結婚は叶わないのだ。
独立と言っても平民になったり他家へ入夫したりしては、バラン公爵に再び裏切りを勘繰られてしまう。
ゆえに不本意でもネスランの名がまだアドニスは必要であり、それには父親から彼の持つ男爵位を譲渡して貰い独立する以外に方法がない。
そしてこの無茶を通すには国王の権力に頼る他道が無かった。
もちろん名分は考えてある。アドニスを男爵という辺境の小領主にさせ、生活に苦労させながら反省を促させる国王の慈悲がそれだ。
「陛下に於かれましては御損の無い取引かと存じます。その御威光をもって断罪と慈悲を与える。さすれば必ずやその英名が王国中に響き渡る事でしょう」
「なるほどの。余の支払いは余の権力の行使のみか」
もちろんアドニスはこの計画の全ての思惑を国王に説明したわけではない。身の上話までする必要はないのである。
とはいえ国王も不可解に思うところを探ってくるのは当然であった。
「ふむ。侯爵家を廃嫡され男爵として貧しく辺境で暮らすことに、そちのメリットが有るとは思えぬな。それを隠さず話せ」
こうなれば下手に隠して余計な腹を探られるより、正直に打ち明けたほうが良いだろうとアドニスは考える。
「はい。私はスパイである事、ひいては遊び人でいる事に心から嫌気がさしたので御座います。この先の人生を王国の為に尽くし、ただのアドニスとして生きてゆきたいと熱望したゆえの決心であります」
「ただのアドニスな……。よく分からぬ事を申す奴じゃ」
「畏れ入りまして御座います」
「だが……。やはり足りぬのお。余の権力の対価がその情報だけでは割に合わぬ。収支は余の赤字じゃ」
「へ、陛下ッ!」
アドニスは咄嗟に面を上げ、無礼にも国王へと呼び掛けてしまった。
自分とサブリナの未来の希望にピシッというヒビの入った音を聞いた気がして、思わず感情が先走ったのだ。
「何卒っ! 何卒お慈悲をもってこの哀れな男の願いを叶えて頂きたくッ!」
「ならぬな。取引は不成立じゃ」
ガラガラと音をたてながら地面が崩れ、奈落に落ちてゆくような感覚。
アドニスはどこか冷静な頭の片隅で、ああ、またいつものこれかと思った。
まるで他人事の様にそう思うのはアドニスが今までの人生で、諦める事に慣れ過ぎてしまっていたせいかもしれない。
しかし──そんな自分なんか糞食らえだと、今日のアドニスはいつもの自分に抵抗した。
(計画の成功を信じて待つサブリナの為にも、いや僕たち二人の未来の為にも、絶望なんかを受け入れている場合じゃないッ!)
ゆえに無礼を承知でアドニスは国王へと食い下がる。
「お待ち下さい陛下ッ! 私とサブリナの幸せを、陛下の忠実な二人の臣下の未来を、どうかお慈悲をもってお救い下さりませッ!」
すると僅かに国王の表情が動く──
「ん? サブリナとは何者だ?」
「は、はいっ。かつて陛下の御前にて私が求婚した者に御座います!」
「んん? それは、先日そちが婚約を破棄した相手であろう」
「はい。仰せの通りです」
「はて解せぬの。何ゆえにそちは婚約破棄した女との未来を望むのじゃ。その女の正体を明かせ」
「そ、それは……」
この期に及んでアドニスは、さっき流れた冷たい汗の意味を知る。
国王と対等に取引をしていたつもりでいたが、実のところアドニスはずっと国王に値踏みをされ続けていたのであったのだと。
「先に申したであろう、隠さず話せと。今のお前にはまだ必死さが足りぬ」
国王は気怠そうにしてそう言うと、また小さく欠伸をしたのであった。
国王は眠たげな目をしてアドニスにそう聞くと、一つ小さく欠伸をした。
「余は眠い。さっさと話せ」
アドニスはやっとここまで漕ぎ着けた安堵感と、ここからこそが本当の大勝負だという緊張感で胃の中のものが逆流しそうであった。
この先の話にはもう、切り札も何もない。国王がどう判断するかによって、二人の未来に希望が生まれるか、それとも絶望に落ちるかが決まってしまうのだ。
国王専用のサロンには国王とその護衛の近衛二名、それに小姓が一人いるだけである。あらかじめ密談に適した場を設けてくれたのだろう。国王の素っ気ない態度とは裏腹な厚待遇である。
「はい。では単刀直入に申し上げます。我がネスラン侯爵家はバラン公爵閣下の飼い犬で御座います」
「ん? 飼い犬と申すと、それはスパイのことか?」
「仰る通りで御座います。ご承知の通りバラン公爵閣下は度々国王陛下に敵対し、王国の平和を乱して参りました。そしてスパイ活動はその一翼を担っていた事も紛れもない事実であり、王国に仇なす行為に他なりません」
「ふむ、バランの奴のな……」
国王はしばらく無言でアドニスを見ていた。面を下げたまま話しているアドニスにはその表情を窺うことは出来ない。
しかしいま自分が国王に値踏みされている事は、ヒリヒリするその皮膚の感覚が教えてくれていた。
「で、そちは何故その事を余に話した? ネスラン侯爵がバランに与するのは腹立たしいが、それだけでは別に罪に問える事では無いぞ?」
「はい。罪に問いたいわけでは御座いません。しかし放置しておいては国王陛下に災いをもたらしかねぬと存じます」
「かもしれぬな。それで?」
「その災いの元凶に関して、陛下と私とに利害の一致を見つけまして御座います」
「ほう、利害の一致と申すか。つまりは余と取引がしたいと?」
「取引とは滅相も御座いません。ただ畏れながら、こちらの望む褒美を確約して欲しいと存じます」
「それを取引と申すのじゃ。まあ取引は嫌いではない。収支がはっきりと分かる事は、いっそ清々しくて好ましいからの。よい、話してみよ。お前が余に提供するものとはなんじゃ?」
「はい。我が家がバラン公爵閣下に流した情報の全てで御座います」
アドニスはその情報と引き換えに、自分の侯爵家廃嫡とその後の独立に必要な爵位を国王に申し出た。
具体的にはアドニスが勝手に婚約破棄をした事で、婚約の証人である国王を無視する事となった不敬を罪に問い、廃嫡の刑にアドニスを処して貰うのだ。
余興とはいえ舞踏会で一度は許しを得たアドニスが、一転して国王に断罪されるのである。遊び人としての面目は丸潰れだ。
国王からの怒りを買ったアドニスの名誉は失墜し、社交界は彼から居場所を奪うだろう。社交界に居場所のないアドニスは、もはや何の価値もない負け犬。
当然スパイ活動も出来なくなるのだから、バラン公爵はアドニスの失態に憤慨しよう。
だがそれだけだ。自分を裏切る為にアドニスがスパイを辞めたとは思うまい。スパイでいる事よりも負け犬でいる事を選ぶ人間がいるとは、思いもよらないだろうから。
「ふむ。不敬罪のぉ。余はお前の婚約の証人であった事など忘れておった」
国王は悪びれもせず、気怠そうにしてアドニスにそう言った。
「ギロチン台に頭を乗せたお前が、はじめ何を申しておるのかさっぱり分かんかったわ」
「恐縮至して御座います」
「だがなアドニス、余を引き込んだ手腕は褒めて遣わす。何やら企んでいるとは思ったが、必死な者に手を差し伸べる事に余はやぶさかではないのじゃ」
国王のその言葉にアドニスは何故か冷たい汗が流れるのを感じ、深く低頭した。
ともあれ不敬罪によって廃嫡されれば、アドニスがスパイを辞める目的は達せられる。
しかしそれだけでは第二の目的には届かない。ネスラン侯爵家からの独立なくして、アドニスとサブリナの安全な結婚は叶わないのだ。
独立と言っても平民になったり他家へ入夫したりしては、バラン公爵に再び裏切りを勘繰られてしまう。
ゆえに不本意でもネスランの名がまだアドニスは必要であり、それには父親から彼の持つ男爵位を譲渡して貰い独立する以外に方法がない。
そしてこの無茶を通すには国王の権力に頼る他道が無かった。
もちろん名分は考えてある。アドニスを男爵という辺境の小領主にさせ、生活に苦労させながら反省を促させる国王の慈悲がそれだ。
「陛下に於かれましては御損の無い取引かと存じます。その御威光をもって断罪と慈悲を与える。さすれば必ずやその英名が王国中に響き渡る事でしょう」
「なるほどの。余の支払いは余の権力の行使のみか」
もちろんアドニスはこの計画の全ての思惑を国王に説明したわけではない。身の上話までする必要はないのである。
とはいえ国王も不可解に思うところを探ってくるのは当然であった。
「ふむ。侯爵家を廃嫡され男爵として貧しく辺境で暮らすことに、そちのメリットが有るとは思えぬな。それを隠さず話せ」
こうなれば下手に隠して余計な腹を探られるより、正直に打ち明けたほうが良いだろうとアドニスは考える。
「はい。私はスパイである事、ひいては遊び人でいる事に心から嫌気がさしたので御座います。この先の人生を王国の為に尽くし、ただのアドニスとして生きてゆきたいと熱望したゆえの決心であります」
「ただのアドニスな……。よく分からぬ事を申す奴じゃ」
「畏れ入りまして御座います」
「だが……。やはり足りぬのお。余の権力の対価がその情報だけでは割に合わぬ。収支は余の赤字じゃ」
「へ、陛下ッ!」
アドニスは咄嗟に面を上げ、無礼にも国王へと呼び掛けてしまった。
自分とサブリナの未来の希望にピシッというヒビの入った音を聞いた気がして、思わず感情が先走ったのだ。
「何卒っ! 何卒お慈悲をもってこの哀れな男の願いを叶えて頂きたくッ!」
「ならぬな。取引は不成立じゃ」
ガラガラと音をたてながら地面が崩れ、奈落に落ちてゆくような感覚。
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まるで他人事の様にそう思うのはアドニスが今までの人生で、諦める事に慣れ過ぎてしまっていたせいかもしれない。
しかし──そんな自分なんか糞食らえだと、今日のアドニスはいつもの自分に抵抗した。
(計画の成功を信じて待つサブリナの為にも、いや僕たち二人の未来の為にも、絶望なんかを受け入れている場合じゃないッ!)
ゆえに無礼を承知でアドニスは国王へと食い下がる。
「お待ち下さい陛下ッ! 私とサブリナの幸せを、陛下の忠実な二人の臣下の未来を、どうかお慈悲をもってお救い下さりませッ!」
すると僅かに国王の表情が動く──
「ん? サブリナとは何者だ?」
「は、はいっ。かつて陛下の御前にて私が求婚した者に御座います!」
「んん? それは、先日そちが婚約を破棄した相手であろう」
「はい。仰せの通りです」
「はて解せぬの。何ゆえにそちは婚約破棄した女との未来を望むのじゃ。その女の正体を明かせ」
「そ、それは……」
この期に及んでアドニスは、さっき流れた冷たい汗の意味を知る。
国王と対等に取引をしていたつもりでいたが、実のところアドニスはずっと国王に値踏みをされ続けていたのであったのだと。
「先に申したであろう、隠さず話せと。今のお前にはまだ必死さが足りぬ」
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