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六話 勝負の舞踏会
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国王臨席での舞踏会当日────
サブリナとアドニス、二人にとっての勝負の日が到頭やってきた。
アドニスは入念にカツラをセットしながら、サブリナの事を思い浮かべる。
今回の舞踏会にはサブリナは参加していない。未だ彼女の謹慎が解かれる気配はなく、それどころか父親のレイモンド伯爵はサブリナを自領に戻そうかとも考えていた。
つまり今夜の舞踏会でアドニスは、自分とサブリナの運命を一人で背負って計画の成功に挑まねばならないのだ。
その緊張に押し潰されそうになりながらも、アドニスは姿勢を正し覚悟を決める。
「僕はきっとやり遂げてみせるよサブリナ。そして必ず君を迎えにゆくからね──」
◇
それは王宮で開催するに相応しい絢爛豪華な舞踏会だった。国王であるラキストニア三世の臨席を賜った事もあり、ひときわ華やいだ熱気が会場を満たしている。
アドニスはその会場内を金色の髪をなびかせながら、紳士淑女たちへと挨拶をして回っていた。振り向けばその軌跡には、人々の笑顔と称賛の道が出来上がっていく。
やがてごく自然にアドニスを中心とした舞踏会の流れが作られていったのは、さすがは一流の遊び人と言うより他ないだろう。
彼が笑顔になれば波紋のように会場全体へ笑顔が伝わり、彼が唄えばそこかしこでドレスの花が咲く。
いまや舞踏会はアドニスが支配していると言っても過言ではなかった。
遊び人であり、プレイボーイであり、そしてエンターテイナー。アドニスは大嫌いなその仮面を着けながら、サブリナとの未来の為に力を尽くしていた。
(そろそろ切り札をだすか──)
アドニスは彼の従者にあらかじめ打ち合わせておいた合図を送る。
すると会場には芝居の小道具と分かるギロチン台が運ばれてきて、その異様な光景に大きなどよめきが沸き起こった。そのどよめきに合わせたかの様に、今度は楽団が悲壮な音楽を奏で始めたようだ。
「紳士淑女の皆様。今宵こちらにご用意いたしましたギロチンは、私ことアドニス・ネスランに裁きを下すためのものに御座います。どうか国王陛下に於かれましては、その罪状をお聞き届け願いたく存じます」
一体これから何が始まるのだろうかという期待の目が、一斉に国王とアドニスの両名へと向けられる。
相も変わらず退屈していた国王は、突然始まったその余興に目を輝かせた。
「ふむ。許すアドニス、続けよ」
「ありがたき幸せ」
恭しくお辞儀をしたアドニスは自分の首をギロチン台に乗せると、まるで舞台役者のような台詞を語りだす。
「愚かで哀れなアドニスというこの男は、畏こくも国王陛下から婚約の証人となって頂く栄誉を賜りながら、その映えある婚約を自らの手で破棄する大罪を犯した者です。どうか国王陛下御自らによって、この愚か者を断罪してくださりませ!」
途端、会場には紳士の嘆息と淑女の悲鳴が低く拡がる。
この馬鹿げた余興に果たして国王は参加するであろうか。もちろん参加するだろう。今や舞踏会の雰囲気は明らかにアドニスという遊び人の味方なのだ。
しかもそれが婚約の証人である国王への謝罪ともなれば、いよいよ無視は出来ない。貴族たちの期待を知ってなお断るほど、国王は無粋ではないのだ。
またその思惑があってこその切り札なのである。
実はこの時、国王は自分がアドニスの婚約の証人であった事をすっかり忘れていた。
社交界で人気の遊び人が派手に婚約破棄をした話を聞いた時も、まったく思い出しはしなかった。
しかしむろんそんな事はおくびにも出さない。元々が悪のりしやすい質なのである、当然アドニスの芝居がかったこの余興に国王は乗った。
「うむ、本来なら万死に値するところである。だがそのギロチンに首を差し出した覚悟に免じて、その方の罪を許す事としよう」
国王のその一言で会場には割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こる。次いで今度は国王を讃える勇壮な音楽が奏でられて、一層会場を明るくした。
いまや主役となった国王の気分は悪いものではなかったのだろう。その機嫌の良さが見て取れる。
(上手くいったよサブリナ。けどまだ足りない。もっと陛下のお心を掴まないと……)
アドニスが何の為にこんな余興を国王にして見せたかといえば、自分の存在を強烈にアピールする為だ。
また共に余興の演者となれば、多少なりとも親近感を持つだろうという期待がある。
とにかくアドニスという人間に興味を持って貰わない事には、国王の心を動かすことが出来ないのだ。また出来なければ二人の計画は失敗するだろう。
(もっと、もっと陛下のお心を……!)
アドニスは駆け寄るようにして国王の足許に跪くと、その爪先へ口づけをした。
「国王陛下の慈悲深き寛大なお心に感謝し、我が忠誠と愛を御身へと捧げる事を誓います!」
鷹揚に頷いた国王に、アドニスはさらに膝元まで近寄って謝辞を続ける。
「何卒私に陛下のご恩に報いる栄誉をお与え下さい!」
アドニスの謝辞はいささかやり過ぎの様に思えた。事実、国王も困惑して眉根を寄せている。
だがその時である。アドニスは国王にしか聴こえないほどの小さな声で囁いたのだ。
「陛下、バラン公爵閣下に関わる大切なお話が御座います。その件でどうか私に陛下のお時間を賜りたく──」
大仰だったアドニスの声音が一転して真剣なものへと変った事に、国王は一瞬怪訝な表情を浮かべたようだ。
しかし政治と権力の坩堝に生きる国王にとって、こういう事態は珍しい事ではない。
それに国王はアドニスの派手な余興と必死な謝辞に、どこか尋常でない気迫がある事を認めている。
「ふむ?……」
だからであろうか、国王はアドニスに僅かな興味を持った。婚約の証人である事を思い出した今では、ほんの少しの親近感もある。
国王は値踏みするかの様にアドニスをじっと見つめると、やがて「使いを待て」と呟いたのであった。
◇
舞踏会が最高潮に盛り上りをみせていた頃、サブリナは屋敷の自室で一人とある論文のページをめくっていた。
彼女の脇には同じような論文の書物が数冊積み重ねられている。
真剣なその顔からはその論文がサブリナにとって難しいものである事が窺われたが、時間を忘れて読み耽っているところを見るとかなり興味深いものであったようだ。
「アドニス様こそ、天才だわ……」
サブリナがいま読んでいる論文。それはアドニスが農業について研究してきた成果を纏めたものだった。
謹慎中の暇潰しにでもと言って彼が無造作に貸してくれたものなのだが、読み進めるにつれサブリナは思わず息を飲んだ。
サブリナはいつぞやアドニスに褒められた時の事を思い出す。
今まさに実行されている計画は主にサブリナが立案したもである。それをアドニスは非凡な才だと言った。
しかしサブリナにはこの論文こそが、本当の非凡な才の集大成だと思えてならない。
農業に暗いサブリナをも感動させてしまえるような、そんな画期的な内容が詰まった研究論文なのである。
(アドニス様は遊び人を演じスパイをしながら、いつこんなに勉強する時間があったのかしら……)
常人の出来る事ではない。アドニスこそ天才と呼ばれる稀有な存在なのだろう。
そしてその事に彼自身はまったく自覚がないのである。いや彼だけではない、誰もその事実を知ってはいないのだ。
サブリナは改めてアドニスを自由にしてあげたいと思った。自由にならなければならないと強く願った。
ふと見た窓の外には月が綺麗に浮かんでいたが、サブリナの目に映っていたのはアドニスの面影。
どうか計画が上手くいきますようにと、祈りを込めながら────
サブリナとアドニス、二人にとっての勝負の日が到頭やってきた。
アドニスは入念にカツラをセットしながら、サブリナの事を思い浮かべる。
今回の舞踏会にはサブリナは参加していない。未だ彼女の謹慎が解かれる気配はなく、それどころか父親のレイモンド伯爵はサブリナを自領に戻そうかとも考えていた。
つまり今夜の舞踏会でアドニスは、自分とサブリナの運命を一人で背負って計画の成功に挑まねばならないのだ。
その緊張に押し潰されそうになりながらも、アドニスは姿勢を正し覚悟を決める。
「僕はきっとやり遂げてみせるよサブリナ。そして必ず君を迎えにゆくからね──」
◇
それは王宮で開催するに相応しい絢爛豪華な舞踏会だった。国王であるラキストニア三世の臨席を賜った事もあり、ひときわ華やいだ熱気が会場を満たしている。
アドニスはその会場内を金色の髪をなびかせながら、紳士淑女たちへと挨拶をして回っていた。振り向けばその軌跡には、人々の笑顔と称賛の道が出来上がっていく。
やがてごく自然にアドニスを中心とした舞踏会の流れが作られていったのは、さすがは一流の遊び人と言うより他ないだろう。
彼が笑顔になれば波紋のように会場全体へ笑顔が伝わり、彼が唄えばそこかしこでドレスの花が咲く。
いまや舞踏会はアドニスが支配していると言っても過言ではなかった。
遊び人であり、プレイボーイであり、そしてエンターテイナー。アドニスは大嫌いなその仮面を着けながら、サブリナとの未来の為に力を尽くしていた。
(そろそろ切り札をだすか──)
アドニスは彼の従者にあらかじめ打ち合わせておいた合図を送る。
すると会場には芝居の小道具と分かるギロチン台が運ばれてきて、その異様な光景に大きなどよめきが沸き起こった。そのどよめきに合わせたかの様に、今度は楽団が悲壮な音楽を奏で始めたようだ。
「紳士淑女の皆様。今宵こちらにご用意いたしましたギロチンは、私ことアドニス・ネスランに裁きを下すためのものに御座います。どうか国王陛下に於かれましては、その罪状をお聞き届け願いたく存じます」
一体これから何が始まるのだろうかという期待の目が、一斉に国王とアドニスの両名へと向けられる。
相も変わらず退屈していた国王は、突然始まったその余興に目を輝かせた。
「ふむ。許すアドニス、続けよ」
「ありがたき幸せ」
恭しくお辞儀をしたアドニスは自分の首をギロチン台に乗せると、まるで舞台役者のような台詞を語りだす。
「愚かで哀れなアドニスというこの男は、畏こくも国王陛下から婚約の証人となって頂く栄誉を賜りながら、その映えある婚約を自らの手で破棄する大罪を犯した者です。どうか国王陛下御自らによって、この愚か者を断罪してくださりませ!」
途端、会場には紳士の嘆息と淑女の悲鳴が低く拡がる。
この馬鹿げた余興に果たして国王は参加するであろうか。もちろん参加するだろう。今や舞踏会の雰囲気は明らかにアドニスという遊び人の味方なのだ。
しかもそれが婚約の証人である国王への謝罪ともなれば、いよいよ無視は出来ない。貴族たちの期待を知ってなお断るほど、国王は無粋ではないのだ。
またその思惑があってこその切り札なのである。
実はこの時、国王は自分がアドニスの婚約の証人であった事をすっかり忘れていた。
社交界で人気の遊び人が派手に婚約破棄をした話を聞いた時も、まったく思い出しはしなかった。
しかしむろんそんな事はおくびにも出さない。元々が悪のりしやすい質なのである、当然アドニスの芝居がかったこの余興に国王は乗った。
「うむ、本来なら万死に値するところである。だがそのギロチンに首を差し出した覚悟に免じて、その方の罪を許す事としよう」
国王のその一言で会場には割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こる。次いで今度は国王を讃える勇壮な音楽が奏でられて、一層会場を明るくした。
いまや主役となった国王の気分は悪いものではなかったのだろう。その機嫌の良さが見て取れる。
(上手くいったよサブリナ。けどまだ足りない。もっと陛下のお心を掴まないと……)
アドニスが何の為にこんな余興を国王にして見せたかといえば、自分の存在を強烈にアピールする為だ。
また共に余興の演者となれば、多少なりとも親近感を持つだろうという期待がある。
とにかくアドニスという人間に興味を持って貰わない事には、国王の心を動かすことが出来ないのだ。また出来なければ二人の計画は失敗するだろう。
(もっと、もっと陛下のお心を……!)
アドニスは駆け寄るようにして国王の足許に跪くと、その爪先へ口づけをした。
「国王陛下の慈悲深き寛大なお心に感謝し、我が忠誠と愛を御身へと捧げる事を誓います!」
鷹揚に頷いた国王に、アドニスはさらに膝元まで近寄って謝辞を続ける。
「何卒私に陛下のご恩に報いる栄誉をお与え下さい!」
アドニスの謝辞はいささかやり過ぎの様に思えた。事実、国王も困惑して眉根を寄せている。
だがその時である。アドニスは国王にしか聴こえないほどの小さな声で囁いたのだ。
「陛下、バラン公爵閣下に関わる大切なお話が御座います。その件でどうか私に陛下のお時間を賜りたく──」
大仰だったアドニスの声音が一転して真剣なものへと変った事に、国王は一瞬怪訝な表情を浮かべたようだ。
しかし政治と権力の坩堝に生きる国王にとって、こういう事態は珍しい事ではない。
それに国王はアドニスの派手な余興と必死な謝辞に、どこか尋常でない気迫がある事を認めている。
「ふむ?……」
だからであろうか、国王はアドニスに僅かな興味を持った。婚約の証人である事を思い出した今では、ほんの少しの親近感もある。
国王は値踏みするかの様にアドニスをじっと見つめると、やがて「使いを待て」と呟いたのであった。
◇
舞踏会が最高潮に盛り上りをみせていた頃、サブリナは屋敷の自室で一人とある論文のページをめくっていた。
彼女の脇には同じような論文の書物が数冊積み重ねられている。
真剣なその顔からはその論文がサブリナにとって難しいものである事が窺われたが、時間を忘れて読み耽っているところを見るとかなり興味深いものであったようだ。
「アドニス様こそ、天才だわ……」
サブリナがいま読んでいる論文。それはアドニスが農業について研究してきた成果を纏めたものだった。
謹慎中の暇潰しにでもと言って彼が無造作に貸してくれたものなのだが、読み進めるにつれサブリナは思わず息を飲んだ。
サブリナはいつぞやアドニスに褒められた時の事を思い出す。
今まさに実行されている計画は主にサブリナが立案したもである。それをアドニスは非凡な才だと言った。
しかしサブリナにはこの論文こそが、本当の非凡な才の集大成だと思えてならない。
農業に暗いサブリナをも感動させてしまえるような、そんな画期的な内容が詰まった研究論文なのである。
(アドニス様は遊び人を演じスパイをしながら、いつこんなに勉強する時間があったのかしら……)
常人の出来る事ではない。アドニスこそ天才と呼ばれる稀有な存在なのだろう。
そしてその事に彼自身はまったく自覚がないのである。いや彼だけではない、誰もその事実を知ってはいないのだ。
サブリナは改めてアドニスを自由にしてあげたいと思った。自由にならなければならないと強く願った。
ふと見た窓の外には月が綺麗に浮かんでいたが、サブリナの目に映っていたのはアドニスの面影。
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