魔人災害の果てに紡がれる勇者の娘と辺境伯の物語~虐げられた少女は辺境のオジサマに救われた日を忘れない~

灰色テッポ

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第十話「太陽」

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 真夏の太陽が大地を焼き、いつの間にか農夫の娘に戻ったように日焼けしたルーナは、汗を流れるままにして鍬を振り下ろす。
 ふーぅと息を吐き腰を伸ばすと、そこには等間隔に耕した跡のある農地が見渡せた。

「瘴気が見えれば浄化の成果も見れるのになあ」と、魔力の無いルーナは少し残念に思いながら再び鍬を振り上げた。

「ルーナ様、そろそろ昼食に致しましょうか」

 オリガの呼び掛けに「はーい!」と返事をしたルーナは、左手で汗を拭う。そしてオリガの所まで小走りで戻ると、「オジサマは明後日に王都を出発するんですよね?」と上目遣いで訊いてみた。

「そうですね、お帰りが待ち遠しいですか?」

「うーん、そんな気もします」

 そうはにかんで笑ったルーナは、オリガの目から見ても可愛らしい。
 このはこれからどんどん美しくなっていくのだろうなと思ったら、ちょっと余計なお世話を焼きたくなった。

 いや、もしかしたら余計なお世話では済まされない、大事なことかもしれない話である。

「ルーナ様は恋をした事がありますか?」

 突然の意外な質問にルーナは思い切り慌てたようだ。

「こ、恋ですか? ないですっ! そんなのあるワケないですッ!」

 真っ赤になって目を回しているルーナが愛らしくて、オリガはさらに突っ込んでみたくなる。

「じゃあソレイユ様なんてどうでしょうか? 今が男盛りで買い時ですよ」

「な、何でオジサマ!?」

「駄目ですか? やっぱり歳の差とかが気になります?」

 さらに目を回すルーナは、もう自分でも何を言っているのか分からない。

「い、いえ、若い人は怖くて嫌なので、オジサマは安心出来るから良くて、でもお父さんなので、だけど本当のお父さんじゃなくてやっぱりオジサマで、だから駄目じゃないけど、恋とか全然知らないし、オジサマの事は好きですけど、それは私が娘のようだからで──」

 オリガはとうとう吹き出してしまった。こんなに純情なも今時めずらしい。

「オリガさん、笑うなんて酷いです!」

「ごめんなさいね、でも揶揄からかった訳では無いのですよ?」

 じゃあ何なのかと頬をぷくっと膨らまし、ルーナは非難の目をしてオリガを見た。だからと言ってべつに怒ったわけではない。むしろ照れ隠しのようなものだ。
 なのに思いがけない程に真剣な眼差しが返ってきたものだから、微かに狼狽し口ごもってしまった。

「えっと……」

「ルーナ様、いい機会なので少し話を聞いて頂けますか?」

 オリガが優しい口調でそう言うと、ルーナは緊張気味に「もちろんです」と返事をする。
 真剣な様子のオリガに対して何故だか尻込みしそうになりながらも、真っ直ぐにその目を見た。

「ご存知のようにルーナ様は、未だブロッド侯爵が子息のダミアン殿と婚約中です。これは決して目を背ける事の出来ない事実であり、貴女の未来に暗い影を落とす現実です」

「はい……」

 それはルーナにとって考えたくない未来であった。考えても自分ではどうする事もできない現実でもある。
 国王陛下の命により結ばれた望まぬ婚約に、ただの農夫の娘が抗えるはずもない。

「しかしソレイユ様はブロッド侯爵から、必ず貴女を守ると約束なされた。この意味が分かりますか?」

 オリガの口調は相変わらず優しい。ルーナの感情の波に寄り添いながらも導くように話を進めている。
 だからルーナにとっては恐ろしい話題であるにも関わらず、視線を逸らす事なく話を続けられた。

「はい、分かります」

 貴族社会に飲み込まれた自分を守る為、ソレイユがその貴族社会に、ひいては国王陛下にまで逆らおうとしてくれているのだ。
 ルーナがオジサマと慕うそんな彼の覚悟を、疎かに思った事は一度もない。

「非常に困難な戦いになりますが、我々は必ず勝たねばなりません。それにはルーナ様もご一緒に戦う必要があります、ご自身の未来の為に」

 その目を潤ませながらも強く頷くルーナの肩を、オリガは自らの手で優しく擦りながら言葉を続ける。

「ルーナ様が恋をするという事は、別の未来を掴もうとする気持ちの現れになるのです。もちろん恋に限りません。積極的に別の未来へと通じる大切なものを見つけて欲しいのですわ」

 ルーナはオリガの話す内容を、まだ完全には理解しきれてはいなかった。
 それでもこの話が、望まぬ自分の人生と訣別する為の覚悟を要求されている事は分かる。

「わ、私、やります! 自分の未来の為に頑張りますっ!」

 興奮して決意を述べたルーナからは、まだソレイユとの恋に繋がりそうな気配は見えてこない。でもそれは構わなかった。
 真意を覚悟を持って受け取ってくれたと感じたオリガは、柔らかに微笑む。

「そのお気持ちは、きっと我々の強い力となりますわ」

 中天にあった太陽はいつの間にかに少し西へと傾いた。地上からは誰かの腹の鳴る音がグゥと聞こえる。
 下をチラリと見た太陽はその音の主が少女と女性のどちらなのかを、詮索するのはよそうと思った。


 ◇*◇*◇*◇*◇
 

 ちょうど同じ頃、王都に居たソレイユは窓から射し込んだ真昼の太陽の光で目を覚ます。

 前日、大聖堂から王都の別邸へと戻った彼は、誰とも会わぬ様にして書斎に閉じ籠ってしまった。
 顔色が悪く夢遊病者の様に呆然としており、そのただならぬ様子は家令を始め使用人たちを酷く心配させたらしい。

 ソレイユに親身な彼らは、ただの使用人たちではなかった。
 かつては軍での部下だった者たちが多く、各々それぞれの理由で退役した後もソレイユを慕って家人となっている。

 ゆえにソレイユ自身も彼らへの特別な思い入れがあり、家族の様に大切にしていたのだ。
 しかしその日だけは彼らへの配慮すらする余裕も無い有り様だった。

 翌日に昼も大分過ぎてから、のっそりとダイニングに現れたソレイユは開口一番「腹が減った」と家令に言う。
 ようやくいつも通りの様子に戻った主人に安心したのだろう、家令はその感情を隠すこともなく弾んだ声で「ただいまご用意致します」と喜んだ。

「ありがとう、ついでに湯浴ゆあみの準備もしておいてくれ。軍務で王宮まで行かねばならんのだ」

かしこまりました」

 そう承った家令に「あ、それから」とソレイユが言うと、少し照れ臭そうにして「昨日は心配をかけた」と詫びたようだ。
 そんな主人に対して家令は何も訊かずに、ただ左手を胸に当て右を後ろ手にして、綺麗な礼をするのだった。


 王国軍北方司令官として軍服に身を包んでいたソレイユは、王宮にある王国軍参謀本部の執務室で書類仕事を片付けていた。

「これ全部、本当に今日中に終わらせないと駄目なの?」

 机に山と積まれた書類を眺めながら、ソレイユは情けない声で事務官にと訊く。

「はい! ご領地の災害復興でお忙しいかとは存じますが、北方軍から届く書類の承認が滞っております故、なにとぞお願いします!」

「ですよねえ……」

 現在隣国との友好は保たれている。しかし軍事的脅威は無くとも、北方司令官としての仕事は多岐にわたるのだ。要塞への補給や新兵の補充、犯罪者の取締りや魔獣討伐と数えればキリがない。
 今は復興が国是こくぜとされてはいたが、その殆どの軍務を部下に丸投げして自領の復興に集中していたソレイユは肩身が狭かった。

(せめてもの罪滅ぼしだ、今日くらいは頑張るか!)

 そう気合いを入れたソレイユであったのだが、その意気込みに反してなかなか仕事は捗らない。と言うのも……

「お初に御目に掛かります、ソレイユ司令閣下! 我々は東部軍所属の──」

「あ、とりあえず先に要件を言って。見ての通り、俺いま仕事が山積みなんだ」

「はっ! 要件は特にございません! ご挨拶に伺っただけであります!」

「あ、そう。ありがとう、じゃ今度また改めて……」

「どけっ、次は俺たちの番だ! ソレイユ司令閣下! 我々は中央軍所属──」

(マジかよ……)

 と、まあこんな具合に次から次へ、ソレイユが珍しく本部に来ていると聞き付けた軍人たちが、挨拶にやって来るのである。
 いや、挨拶と言うよりも一目見ようと来ていると言う方が正しいだろう。

 この様な事態になったのはソレイユ自身にその原因がある。
 彼はアンドラル王国において次期近衛騎士団長と噂されるほどの高名な剣士であり、勇者と共に魔人をほふった英雄でもあったからだ。つまり軍人たちからの人気が非常に高い。

(たく、見世物じゃないっての……)

 そんな軍人たちに加えて、もっと厄介な客人が軍閥貴族の令嬢たちだ。
 どこから聞き付けたのか知らないが、宮中にいた令嬢たちが押し寄せて来たのである。

「あの……何か?」

 ソレイユが要件を訊いても、キャーともウーともつかない意味不明な奇声を小さく発して隠れてしまい埒があかない。
 仕方なしに無視して仕事に向かうのだが、又候またぞろ寄ってきては気を引いてくる。

(一体何なんだよ!)

 この様な令嬢たちの来訪目的は、むろんソレイユとの結婚が目当てである。
 常識的に考えても国の英雄かつ北方司令官。しかも大領地を有する辺境伯が、未だに独身だと言う事自体がおかしいのだ。

(まいったなあ……)

 しかしソレイユは貴族であるにも関わらず、結婚というものに個人の幸福を求めるという変わった考えの持ち主であった。
 それゆえ政略結婚が前提の縁談から逃げ回った結果、いつの間にか中年男になってしまったと言うわけである。 

(こりゃ今日中に仕事が終わらないぞ!)

 せっかく今までサボってきた罪滅ぼしにと、仕事を頑張ろうと思っていたソレイユであったが。
 どうやらその罪業は重く、更なる苦労を要求された上での仕事となりそうだと溜め息をつくのであった。
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