魔人災害の果てに紡がれる勇者の娘と辺境伯の物語~虐げられた少女は辺境のオジサマに救われた日を忘れない~

灰色テッポ

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第二十二話「月光」

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 ソレイユとダミアンによる決闘婚の決着は、貴族社会へ大きな衝撃をもたらした。
 いや決着に対してと言うよりは、ダミアンが毒瘴兵器を使った事が明るみとなった事がその理由だろう。

 当事者のブロッド侯爵家はもちろん、宰相であるギュンター公爵までもが国禁を破る大罪に関わっていた事が判明したのだ。
 アンドラル王国を揺るがす大事件だと言っても過言ではない。

 とりわけ国王の怒りは凄まじかった。各国の国王同士が同意の下で禁止した違法兵器が、国王の許しを得ないまま臣下である貴族に使われたのである。
 国王の威信を疑われ、他国の王に嘲笑されかねない事態となった訳だ。

 その外聞の悪さもさる事ながら、ブロッド侯爵家と宰相のした事は国王への反逆行為であるのは間違いない。
 それゆえ現在宮廷では国王と有力貴族が臨席のもと、ブロッド侯爵とダミアン、そして宰相のギュンター公爵の審問が数日にわたり行われていた。

「神よ、お助け下さい……ありえない……どうか神よ、御慈悲を……俺な貴族なんだ……何も悪くない……」

 国王を前に跪きこうべを垂れていたダミアンは、死んだ目をしてブツブツと独り言を唱え続けている。廷臣が度々注意を促すのだが、その声が彼に届いている様子はなかった。
 ダミアンの歪んだ精神は罪人にまで堕ちた自分を受け入れられないまま、その歪んだ精神の中に閉じ籠ってしまったのだろう。

(残念だがダミアン、神はお前の声など聞いちゃいないよ……)

 審問を傍聴していたソレイユには、むろん虚仮こけとなったダミアンへの哀れみはない。自業自得だと思っている。
 しかし決闘での無様で愚かだった自分を省みると、勝利を得た事よりも後悔が先立ってしまうのだ。

 憎しみを覚えた男の不幸をみて気が晴れるほど、今のソレイユは呑気な気持ちではいられなかった。


 その日の審問が終わりソレイユが宮廷から王都の別邸へと戻ると、入口で待っていたルーナとオリガの二人が彼を出迎えてくれた。
 小さな事だが実に嬉しい事だ。

「オジサマ、お帰りなさい!」

「ただいま、ルーナ」

 笑顔で帰宅の挨拶を交わすソレイユとルーナであったが、その後ろからオリガが呆れ顔で溜め息をついたのはどういうわけか。

「あのですねルーナ様。もうご婚約も済ませた事ですし、未だにオジサマと呼ぶのは如何なものかと」

 どうやらルーナへの小言であるようだ。再三ソレイユの呼び名をアランに変えるようにと忠告するのだが、ルーナは恥ずかしがって一向に改めようとはしないのである。

「い、いいよオリガ。俺はオジサマのままで構わないからさ」

 挙げ句の果てにはソレイユまで照れだしモジモジする始末なのだ。

「何なんですか、ソレイユ様のその気持ち悪い態度は……」

 オリガはソレイユの尻を無駄に蹴りながら「中年男のくせに、しっかりしなさい!」と、まるで口煩くちうるさい母親の様な事を言ったものである。

 屋敷に戻ってもソレイユは直ぐには休めない。領内各地の復興状況の報告書や王国軍北方司令官の仕事が山積みなのだ。
 ゆえにルーナとお茶する暇もなく、オリガと共に真っ直ぐ執務室へと向かった。

 夕食の時間を目前にした頃、ようやく今日の分の仕事を終えたソレイユは椅子に凭れて大きく伸びをする。
 そして「なあオリガ」と天井を眺めながら呼び掛けた。

「まだ正式な判決ではないんだけどね」

 それが審問についての話だと察したオリガが目だけで頷くのを見て、ソレイユは今日の宮廷での様子を語りだしたのであった。

「そうですか、ギュンター閣下は宰相罷免の上での禁固刑ですか。お歳を考えると生きては出られそうにはありませんね」

「だろうね。それからブロッド侯爵家へはさらに苛烈な断罪になりそうだよ。ブロッド卿とダミアンは揃って斬首だろうって事だ」

 オリガは顔色一つ変えず、さも当然だと言いたそうにソレイユへと頷く。

「ブロッド家へ与えた侯爵位も剥奪されて領地も没収だとさ。ある意味公爵家の罪までもブロッドが被らされ感じかな」

「確か隣国へ外交官として赴任していた嫡子がいたはずですが、彼は?」

「ああ、彼には新たに男爵位が与えられて、母親共々田舎の小領主になるそうだ。まあ、事件と無関係な彼にとってはとばっちりもいいところだろ」

 ちなみに軍の情報部にいた宰相の協力者も逮捕された。コスナー長官は職責から謹慎処分とされたが罷免はまぬがれたようだ。
 オリガは少しだけ表情を崩してホッとした様子を見せた。

 ところでソレイユは自分の異能については一切誰にも口外していない。今後も己の胸の奥にしまい続けるつもりでいる。
 毒瘴兵器のガスで生き延びたソレイユの謎を解明したい研究者たちには悪いが、その成果は諦めてもらうより他ないだろう。


  ◇*◇*◇*◇*◇



 ソレイユ辺境伯領内に初雪が降りだした頃、ブロッド卿とダミアンが処刑されたという報せが届く。
 被災地の復興作業に毎日を忙しく過ごしていたソレイユにとっては、もうどこか他人事のようにも聞こえる話だった。

「ブロッド卿とダミアンの刑が執行されたそうだ」

 書類に目を通していたオリガは、ソレイユからそう聞いても興味なさ気に「そうですか」とだけ応える。
 魔人災害に負けない様にと懸命に復興に尽くす領民たち。そんな彼らに寄り添いながら、脱落者を一人でも少なくしようと精一杯協力しているオリガにとって、過ぎた日を振り返っている余裕はない。

 それはルーナにしても同じだった。決闘などでだいぶ被災地の浄化の予定が遅れてしまっている。仕方のない事とはいえ、今まで以上に頑張らねばと思う焦りは隠せなかった。

「ご精が出ますなルーナ様」

 鍬を振るうルーナにそう話し掛けたのは、ここの被災地で雑用などをしながら生活している老人である。
 元は家族で農夫をしていたが、魔人災害によって息子夫婦と孫を失い、今はその農地も手放して一人でひっそりと生きていた。

「しかしオリガ様がお身体の心配をしておりましたぞ? あまり根を詰めなさいませんように」

「はい、分かってはいるのですが……これから本格的に雪が降り積もる様になったら、浄化作業が捗らなくなると思うと心配で」

 ルーナは作業の手を止めて、真面目な様子で老人に答えた。
 すると老人は深々と頭を下げて「有難いことです」と礼を言う。

「あっ、いえっ! そんな全然、頭を上げてくださいっ」

 逆に酷く恐縮してしまったルーナは、手を猛烈な速さで横に振った。老人はその仕草を可愛く思ったのだろう、ルーナに笑顔を向けると優しく語りかける。

「私の亡くなった孫が、ちょうどルーナ様くらいの歳でしてな。想い出します、愛らしい娘でしたよ。……なのにこんな老いぼれが生き残ってしまいました」

「…………」

 被災地に暮らす殆どの人が、自分たちの事を生き残った者だとそんな風に言う。初めの頃ルーナはそれに違和感を覚えた。
 残るという言葉の裏側に、まるで生きている自分を咎めている様な感じがして切なくさえなった。

「ルーナ様はご領主様と御婚約なされて、毎日とてもお幸せそうですな」

 ルーナは少しはにかんで「なんでもない普通の毎日ですけど、多分幸せです」と、そう返事をしながらも、老人が失った孫娘を自分に重ね合わせている事に気がついた。

 今ならルーナにも分かる。災害は人の生死を無作為に決めるのだ。だから生きている者は死んだ者へ罪悪感を持ってしまうのだろう。
 なぜ生き残ってしまったのが自分なのかと。

「普通がいいです。そう、普通が一番だ」

 老人はルーナに頷いて見せたが、どこか遠くにいる誰かに言っている様でもあった。

「今日という日を大切にして下さい。当たり前のような普通の日が、明日もまた普通に訪れるとは限らないのですから」

 いつの間にか降りだした粉雪が、ルーナの上着をサラサラと音を立てながら滑っていく。
 だけどルーナはそんな事を気にする様子もなく神妙な顔で「はい」と頷いた。

 薄い日射しの中で降る粉雪が美しかった。


 夜空では昼間の粉雪に洗い流された澄んだ大気が、円く浮かんだ白い月を一際冴え冴えとさせている。
 ルーナとソレイユは宿としていた村の名主の屋敷にあるバルコニーから、その月を眺め語らっていた。

「今日という日を大切にか……あのご老人がそんな事を話してくれたんだね」

「はい、なのでもっとオジサマの事も大切にしなくちゃって反省しました」

 微かに頬を紅潮させながら上目遣いでそう話すルーナを、ソレイユはいとしいなと思った。

「でも十分大切にされてるよ?」とルーナの腰に手を回したソレイユに、ルーナは「そうでしょうか」と応えて、そっとその胸に紅く染まった頬を寄せた。

 ソレイユは神がもたらした魔人災害から老人が得た教訓を聞き、何て謙虚で清らかなのだろうと思った。
 神が何を思ってこの残酷な災害を起こしたのかは分からない。しかし分からないからこそ、人間は自分なりの何かを見つけようとするのだろう。

 希望か、絶望か、それともまた別の何か、を──

「なあルーナ、領内の瘴気の浄化が全て終わったらさ、俺たち結婚しない? その頃にはルーナも十八歳だし、いい年頃だと思うんだよね」

「け、結婚ッ!」

「うん、イヤかい?」

「全然イヤじゃ、ないです……けど、本当に私でいいのかなって」

「俺はルーナがいいんだよ」

 ソレイユに初めて会い、助け出された日の事を、ルーナは思い出さずにはいられない。
 見知らぬ辺境の土地からやって来たオジサマが、いとも簡単に地獄の日々から救いだしてくれたあの日の事を。

(あったかい──)

 自分を抱き上げた時に感じたソレイユの体温が、ルーナには奇跡の様な温もりに思えたものだ。
 そして今日のような普通な日々の中でも、やっぱりソレイユの温もりは変わらずここにあった。

 だとしたら普通と奇跡の境い目はどこにあるのだろう?

(きっと、そんな境い目なんて無いんだわ)

 だからこそ普通な今日を大切にしたいなと、ルーナはソレイユの腕の中でしみじみと思う。

「ねえオジサマ、キスってしたことありますか?」

「キスぅ!? えっと、うん、あります。すみません……でもずっと昔です」

 何故か謝るソレイユが可笑しくて、ルーナはクスッと笑い声を溢した。

「私はまだないです」

 そう言ったルーナは頬を染めながらもソレイユの胸からゆっくりと顔を離す。
 そして見上げたルーナの瞳はソレイユの瞳とぶつかって、甘やかに絡み合った。

 月明かりに照らされた二人の影がやがて一つに重なったのを、白い月が横目で見ていた。

〈了〉
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